【荊マス】抑えきれない

「マスター様、デザートが出来ました」
「ありがとー。今日は何ー?」
「チョコレートワッフルです」

おやつ時の時間帯。
本日の、拠点護衛の担当は荊棘従道のみである。一応学生達はいつもより早く来れるらしいが、今のところまだ姿を見せる気配はなかった。

早く早く、と子供のようにデザートをせがむマスターの姿を微笑ましく思いながら、盆に載せていた皿を、彼の目の前に置いてやる。
今日作ったワッフルは、現実世界で調達してきた旬の果物をふんだんに添え、甘さ控えめの生クリームをたっぷり挟んでみた。
デザートが好きとは言え、とんでもなく甘いものが好きな訳ではないマスターに向けた、若干の糖分制限である。あまり意味はなさないだろうが。

「ふふ、美味しそうだね」

いただきまーす、と律儀に挨拶をし(蒼井の教育の賜物である)、添え物のみかんを頬張る様は、見ていてとても微笑ましいものだ。作った側としても。

だが、その無邪気さが時折麻薬となり、自身に課した一線を踏み越えさせようとしてくるのだ。
荊棘従道にとって『マスター様』は仕え慕うものであり、決して恋恋慕といった感情を抱いて良い相手ではない。

――だというのに。彼は、その戒めを容易くほどこうとする。

「これはキウイだったっけ……いちごは生クリームつけて食べると美味しい。ショートケーキまで食べたくなるなぁこれ……」

もくもくと口を動かしつつ、そんな事を呟く彼は、一口大に切ったワッフルを大きく開けた口の中へと運ぶ。クリームを口の端に付着させてもとんと気が付かないのは、目の前のデザートを記憶するのに夢中だからか。
外見は荊棘の数個下であろう青年なのに、どこか妙に子供っぽいところも、彼の魅力なのだ。

「マスター様、口元が」
「ん? どうしたの」

苦笑しながら、向かいに座ったマスターの口元を拭おうと腰を上げ、荊棘はそこで固まった。声をかけた彼がこちらに視線を向けると、首を傾げられたからだ。ほぼ立ち上がっている荊棘からでは、それは上目遣いをしているように見えてしまう。いとおしいと思っている相手にそれをされては――。

テーブルを挟んで、マスターの腕を掴み、顔を寄せる。話すだけなら近過ぎる距離で、彼の赤い双眸と視線が絡み合う。

「荊棘さん?」

何も分かっていなさそうな相手に呼ばれた自身の名前の音すら、耳には入らない。
互いの顔の距離はゆっくりと縮まり、

「マスター! ちょっと来て欲しいんですが! 星喰いが!」

――一瞬にして離される。

バァンと効果音が付きそうな勢いで開け放たれたドアの向こうから、蒼井悠斗が息を切らせて現れた。その発言に、マスターの気の抜けた表情が、ふっと浄化作業中のそれに形を変える。

「状況は?」
「トライポッドパーピュアが二体、ゴーグ系が一体。主導はゴーグのようなので、そいつを倒せば撤退するかと思います」
「分かった。悠斗と俺だけで大丈夫?」
「既に暁が応戦しています。手こずるのはゴーグだけなので、俺と暁がいれば大丈夫かと」
「分かった。――荊棘さん! そのワッフルって奴、置いといてね! 後でちゃんと全部食べるから!」
「承知致しました。お気を付けて、マスター様」

蒼井悠斗が来ていなければ、どうなっていただろうか。自分は、何をしていただろうか。
二人が状況確認のやり取りをする間、ぐるぐると先程までの自身の行動を思い返す。
一線は越えない、という決意はどうした。我慢出来ない程に弱い自分の意思力を反省しながら、それを聞いていた。

マスターはソファの背もたれにかけていた上着を羽織り、律儀に食べかけのワッフルを指し示しそう宣言すると、ばたばたとドアをくぐっていく。
だが、彼を呼びに来た当人である蒼井は、じっと荊棘を見ていた。

「……蒼井様? マスター様を追い――」
「荊棘さん」

普段より低い声音。感情を削ぎ落としたかのような無表情に、荊棘を見る視線も普段より冷めたもの。
絶対零度、とまではいかなくとも、見ている相手の背中に冷や汗をかかせるには十分。整った顔立ちをしているので、尚更それが際立つ。

「後でお話があります。先に現実世界に帰ったりしないで下さいね」
「……逃げませんよ。ご安心ください」

蒼井はそれだけ言い残すと、下から呼んでいるマスターに返事をしながらドアを閉めていった。
聡明な彼の事だ、先程自分が何をしようとしていたのか気が付かれてしまっていたらしい。

「――覚悟は、しておきましょう……」

溜息を吐き、呟く。
未だ手に残るマスターの細腕の感触を、疎ましいと思いながら。