穏やかな時間を

浄化の作業は休みだ、と誰が言ったか。
目をぱちくりとしながら意味を図りかねていたコウは、だが反論の余地もなく、問答無用で暇な時間を過ごす事を強いられていた。

「……暇だ」

一体どこから調達してきたのか、セイバーが持ち込んだソファに体を沈める。

やるべき事が分かっているのに動けない、という訳ではない。
セイバー達――主に荊棘と蒼井のふたりだが――が自分を心配してくれている、というのもよく分かっている。分かっているからこそ、その気持ちを無下にしたくないと思うのだ。
まぁ確かに、最近無理をして浄化を進めている自覚は、ちょっとある。

「こーうー!!!」

ばーん!と勢い良く開け放たれた扉の向こうから、元気過ぎる声が耳に届く。誰だと聞かずとも分かる。

ソファの背から顔を出すと、そこには予想通りの姿があった。
小さな体躯をぴょこぴょこさせながら、彼女はコウのいる場所まで駆け寄ってくる。

「ソウ、あんまり強く開けると怒られちゃうよ」
「へーきへーき! あのね! コウが疲れてるって聞いたから、ソウが元気にしてあげる!」
「へぇ? どうやって?」
「こうやって! どーん」

ソウはぐるりとソファを回ると、コウの上に勢い良く飛び乗った。子供体温故の暖かさが伝わってきて、僅かに燻っていた眠気が襲ってくるのが分かる。

「ソウは暖かいなぁ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。このまま眠っちゃいそう」
「寝ていいよー! ソウがコウを守るから!」
「ありがとー。じゃあお言葉に甘えるよ……」

うつらうつら。
暖かさに誘われるように、コウは微睡みの中へと意識を手放した。

「マスター、風邪引きますよー」

外から帰ってきた蒼井悠斗は、ソファでソウを抱えたまま器用に眠っているマスターに声をかけた。ソウも頭に重さを感じているだろうに、よくそんな体勢で寝られるものだ。
良く寝ているので返事は期待していなかったが、予想通り簡単に起きる気配はない。
せめて毛布だけでもかけておこうか、と腰を上げた直後、入り口のドアからスーツの男――荊棘従道が現れた。手にはティーセットが載ったお盆を持っている。

「荊棘さん、ここ毛布ありましたよね?」
「ああ、大丈夫です。ソウ様が湯たんぽになっていますので」
「ソウが湯たんぽって……まぁ、気持ち良さそうに寝てるし良いか」

さも当然のように言う荊棘に、俺は呆れながらも納得する。
そして、尚も良く眠る二人の顔を一瞥しながら、口を開いた。

「ソウの奴、初めて会った時とは変わりましたね」
「マスター様のお陰でしょうね。ここまでとは思いませんでしたが」

ソウは元星喰いだ。
自称星喰い・ジャックバニッシュとは異なる、だが同じような存在。
俺達の前に初めて現れた時は、誰もが手遅れだと思う程に星宝石が侵されていた。そもそも元がハムスターなのだから、正規の手段(正規な手段というものがあるのかは知らない)でこの世界に来れるとは、とてもじゃないが思えない。

……いや、ハムスターって回し車回しまくるって聞くし、ものすごく限定的だがゲージの中に異世界への道が現れたとか……ないな。

とにかく、この仔がこの世界に来て、星喰いになりかけた方法や理由は俺達以上に不明な訳だが、あの時はまさか未来でこんな平和な光景をコウと過ごしているなんて、思ってもいなかった。
元星喰いをマスターの近くに残して離れるなど、セイバーとしてなら失格なのだろうが。

「あの時もこの人無茶して倒れましたよね、確か。泣いてる声が聞こえたから、とか言ってましたが」
「ええ。……ですが、それでなければマスター様らしくないとは思います」
「同意です。ほんとに、自衛手段もないのに無鉄砲、無計画、先に飛び出したがると面倒なマスターです」

歯に衣も着せぬ言い方だが、荊棘も苦笑を浮かべるだけで特に否定はせず。

『ごめんオーブ、俺は泣いている声を無視する事はしたくない。それが例え、星喰いだとしても』
『……貴方の命を脅かす存在だと分かっていても、ですか?』
『うん。大丈夫、彼女は必ず戻ってくれるよ』
『――分かりました。貴方がそう言うのなら、信じます』

「……ついでに、根拠のない自信を持ってるのも、ってのを付け足しておこう」
「蒼井様、そろそろマスターが起きてしまいますよ」
「分かってますよ。起きてたら起きてたで、態度を改めてくれると助かるんですが」

はぁ、と溜め息を吐く。自分で言っておいてなんだが、そんな事は、星喰いが全ていなくなるよりも難しいと分かっている。
そんなやり取りをしていると、コウがもぞりと身じろぎをし、目蓋を震わせた。

「……ん、ふぁ……あれ、悠斗」
「おはようございます、マスター。良く休めましたか?」
「俺どのくらい寝てた?」
「さぁ。俺達が来た時には寝てましたよ」
「うわぁ、めちゃくちゃ寝てた気がする。ソウごめんねー……ってこっちも寝てるのか」
「むにゃー……」
「まだ他の方はいらしてませんから、もう少し寝かせてあげてよろしいのでは?」
「そうだねー」

毛布毛布、とソウを隣に座らせてソファから立ち上がろうとするコウだが、残念ながらそれは叶わなかった。彼女の手が、彼の上着の裾を離そうとしなかったからだ。
困ったように眉尻を下げると、そのまま俺の方に顔を向ける。

「ごめん、悠斗。毛布取ってきてくれる?」
「分かりました」

予想通りの頼みに、今度こそ腰を上げ目的のものを取りに行く。
離れ際にちらりと見たマスターの表情からは、すっかり疲れが取れているように見えた。