無茶して怪我した荊棘さん

ザアアアァー。

荒廃した世界の街。
華やかな壮観も、人間達が生み出す“風景が生きている”空気も、全て星宝石が生み出す瘴気に汚染されている。砕かれた硝子に映るのは、開放感溢れる青空とはかけ離れた灰色の混沌。
見るだけで吐き気を感じる空間――そこに、荊棘従道はいた。

「…………しくじりましたね……」

汗と雨ですっかりワックスが取れた前髪を右手で掻き上げ、溜息と同時に呟く。
左手はだらんと地面に投げ出されたままだ。
よく見ればそこには赤い血溜まりが出来ていた。星喰いと戦っていた最中に負ったもので、応急処置はしたものの血液の抜け過ぎで、感覚すら失っている。
早急に治療が必要なのだが、生憎今手持ちがない。

降り止まぬ雨。
混じりゆく赤。
体力消費を抑える為にすぐ戻らぬ選択をしたのだが、どうも間違いのようだった。この悪天候では、体力が回復するよりも消費の方が早い。

眼鏡に落ちる水滴を拭うのを放棄し、大きく息を吐く。
ここで死に行くのも、悪くない――そう覚悟した。

「……荊棘さん」

だから、自身の名を呼ばれたのも幻聴かと錯覚しかけ、目を見張る。

視線の先には、自身がマスターと慕う青年が傘も差さずに立っていた。漆黒の髪から、幾多の水滴がぽたぽた伝い落ちるのも構わずに。

荊棘従道は左手を彼の視線から隠し、激痛に耐えながら口元に笑顔を貼り付ける。

「……マスター様、風邪を引いてしまわれますよ。それに、こんな所でセイバー達も付けずに動かれては」
「安心しろよぉ。俺が付いてたっての」

思わぬ第三者の声に、身体が強張るのが分かった。

マスターの立っている建物の脇からひょいと現れたのは、自身が最も警戒心を抱いている相手。――見嶋千里。
よりにもよってコイツと、と顔が引きつるのを何とか押さえ、代わりに立ち上がろうと足に力を込め――られなかった。思っていたよりも、雨に体力を奪われていたようだ。

「おうおう、大丈夫かよぉ? ふらっふらじゃねーか」

心配しているのか馬鹿にしているのかイマイチ判断に困る言葉を投げかけられ、内心毒づきながらも顔には出さない。主人のいる手前、私情で動くのは執事としてあるまじき事。

「にしても、マスターの為に動くのは良いけどちょいと無謀過ぎねぇ? 一人でサポートも付けずに動くなんてよぉ、星喰いに狙ってくれと言っ――」
「千里、そこまで」

黙っていれば好き勝手動く口を、マスターが制した。もう少しで我慢出来そうになかったので、ありがたい。
彼は懐に手を入れ、何かを握って出しながら近付いてくる。そしてすぐ側に跪くと、掌を開いて小さく呟いた。何と言っていたのかは、分からない。

握っていたのは、小さい青色の石。マスターの力に呼応するように光を帯びると、それは自身を包み込んでいく。怪我を治癒する力を持つ、不思議な石だ。

「……無事で、良かった」

マスターが、ふ、と微笑みを零す。
光の中に浮かぶそれは、慈愛に満ち溢れているようにさえ感じる。

死ななくて良かった。
荊棘従道は、そこで初めてそう思った。