Fighter01

一体全体、何がどうなっているのか。

俺は走っている。走り続けている。
走って走って走って、時折立ち塞がる大きな岩、否瓦礫をヒラリと跳び越え、また走る。
理由? それは後ろを見てくれれば分かる。俺は今――

「っうおっとぉ!!」

突然降ってきた何か。それは、立ち並ぶ繁華街の建物に取り付けられた、ネオンが鬱陶しく輝く看板。
そんなものが、俺のすぐ隣に喧しい音を立てながら落下してきたのだ。もうちょい右の方だったら、俺、死んでたかもしれねぇ。

直後、何かの唸り声が聞こえた。
振り向けば、俺を逃亡者たらしめる【それ】がすぐそばまで迫っている。

今まで見た事もないような、人間の背丈程もある真っ黒なそれ。
明らかに、有名なゲームの敵キャラのような地球外知的生命体(知能があるかは分からねぇ)である相手に、俺は僅かな不快を感じながら逃げる。二次元は平気だが、三次元ともなれば俺には耐性がない。

だがその地獄への逃亡劇も、悲しい事に俺の負けで終わりそうだった。

目の前には袋小路。
繁華街の街を知り尽くしていると思っていた俺は、どうも焦りでどこか道を間違えてしまったらしい。
何かの建設現場とオフィスらしい建物の狭間で、迫り来る怪物と対面する。

うごうご蠢く黒い体は、画面で見る某モンスターよりもリアルだ。
これがゲームなら武器もあって、一発逆転の方法もありそうなものなのだが――生憎これは現実。必勝法など、てんで思いつかない。

「んだよ……何なんだよ、ちくしょう!」
「だーかーらー、大人しく石を渡せば良いって言ってるだろうがよぉ」

怪物の脇から現れたものに、俺は双眸を細め睨みつける。

相手は、見違う事なく人間だった。
ただ、現実世界で見るような人間じゃない。空想上の人物というか――相手の髪の色は赤、纏う衣服はホストの俺よりも幾分派手。
鬼の絵に描かれているような棍棒に釘が何本も刺さっているそれを、ぶら下げたように持った格好から肩に持って行った。
あれだ、現実世界の住人と言うより、ファンタジー世界の住人と言った方がしっくりくる。

「あのなぁ、何度も言っただろ。俺は石とか持ってねぇって!」
「いーや、おめぇは持ってる。俺っちは、その石が、欲しい!」

血走った目を俺に向け、棍棒を振りかざす。
万事休す――。
だが、俺もここで大人しくやられてやる程優しくは、ない。

「ちっ……!」

壁に立てかけてあった鉄パイプを掴み、奴に向けて構える。相手は動じた様子もなく、ただ低い声を唸らせただけだった。

「――避けろ!!」

突然、男の声が耳に届いた。

ほとんど条件反射でその場を飛び退き、そこに男が突進してくる。

――ガラガラガラガラガラガラ!!

直後、鼓膜をつんざく金属と金属がぶつかり合う音が、双方の建物に反射され繁華街に響く。

落ちてきたのは、建設現場の組まれた足場の部品。人間が当たれば即死ものだ。
それが、俺を襲っていた男と怪物を砂埃の中へと閉じ込めた。

「こっちだ!」

再び男の声がする。聞こえる方を見れば、黒髪の眼鏡をかけた男が建設現場の入口から出てくる所だった。
俺は、迷う事なくそれに従う。

■ ■ ■

「危なかったな」

しばらく走った後見つけた建物に逃げ込んだ俺と男は、息を整えてから座り込んだ。元インテリの俺に、この運動量はちとキツい。

建物の中は、記憶が正しければ繁華街で一番人気のある中華料理店と瓜二つだった。だがそこに人は存在するはずもなく、活気に満ち溢れている独特の雰囲気もない。
まるで、人々から忘れられた廃墟のようだ。

男の言葉に手をヒラヒラさせながら、俺は答える。

「全くよぉ。ったく、何で店の裏口から出ただけでこんなゲームみたいな世界に迷い込んじゃうワケ?」
「……という事は、君も現実世界の者か。私は、◯◯県星辰町にある星辰学園の教師をしている。紫上鏡一だ」
「同郷さんかぁ。同じく、星辰町繁華街にあるホストクラブのホストでぇす。名前は山吹日明。よろしくね、センセー。――とりあえず、助けてくれてありがと」

あの、落下してきた建設現場の部品達はこの男――センセーが意図的に落としたものだろう。どうやったかは知らないが、俺に避けろと指示をした事から想像は付く。
センセーは頷き、口を開く。

「あぁ、私がやった。少し手間取ってしまったが……」
「よくあんなところにいたね?」

あの袋小路は、繁華街の大通りからだいぶ離れている。
始めは小さな商店街だったものが、それを中心として発展させていった結果出来た繁華街の道は複雑に入り組んでいて、地元の人間でも迷う事がある。

俺の聞こうとしている事を察したセンセーは、あぁ、と肯定し続ける。

「ここ最近、神隠しのニュースが頻繁に流されているだろう」
「あぁ、それで路地裏から迷い込んじゃったって事か」
「……よく分かったな」
「だってあのニュースじゃ、繁華街の路地裏が現場だったしね」

職業柄、話のタネとして一応はニュースをチェックする事を日課にしている俺は、件の映像と音声を頭に再生させる。

XX日未明、星辰学園の生徒に捜索願いが出されている。
生徒の最後の目撃情報は、繁華街の路地裏に入って行く所。目撃者の喫茶店のウエイトレスがかわいこちゃんだったから、いつかナンパしに行こうと思って覚えていた――とは、別に言わなくても良いか。
それを知ったセンセーは、生徒の行方を探るべく例の路地裏に赴き、そして何故かここに迷い込んでしまったのだろう。俺が、何故か店の裏口からここに迷い込んでしまったように。

感心した様子で俺を見るセンセーに、俺は問う。

「で、生徒は見つかった?」
「……いや。私も、ついさっき来てしまったばかりだからな」
「そりゃそうか。で、どうしましょう。センセー」

まぁセンセーがやろうとする事は分かっているが、一応問いかける。
案の定、少し言いにくそうに眉をしかめつつ彼は言った。

「私は、出来る事なら生徒を探したいのだが……」
「俺も手伝うよ。どのみち、ここで俺は何をすりゃいいのかさっぱり分からねぇ」
「感謝する」

ここで別れても良いが、助けて貰った恩もある。俺はセンセーに協力する旨を伝えると、驚いたように目を見開き、そして頭を下げられた。

「良いって良いって。一人で捜すよりずっと良いだろ? ――で、質問があります。あの男と、怪物はどうすんの?」

俺が言っているのは、先程自分を追いかけていた赤い男。
繁華街で見かけるような不良に多いリーゼントと、やはり堅気には見えない風体。そして、我を忘れたかのような醜い怒鳴り声――。

……あ、思い出したら腹立ってきた。

その男が引き連れていた、謎の黒い地球外生命体。どう考えても、俺とセンセーで太刀打ち出来るような相手じゃねぇ。
センセーもそこは分かっているらしく、眉間にシワを寄せ頭を掻いた。

「男はともかく、怪物は私達の手には負えんだろうからな……。なるべく見つからないよう、慎重に行動するしかないな」
「だと思いましたー。んー、せめてこっちにもマトモな武器があればねぇ」
「あのような生き物が地球上に存在するとはな……正直、未だに信じ切れていないよ」
「俺はまぁ、ゲームなら平気なんだけど、実際に見るとは思ってなかったな」
「……凄い順応力だな」

作戦会議と言えるようなものではない呑気な会話でそれを終え、さぁ動こうかと腰を上げた――その時。

「――! 危ない!」
「へ? ――うぉあ!?」

切羽詰まったセンセーの声が聞こえると同時、俺は背中をドン、と押され危うく床とキスをしかけた。何すんだよ!と文句を口にしようとして、その事態に気付く。
床の汚れから這い出るように現れる、あの怪物。そいつが嘲笑うように啼き、センセーは右肩を押さえて膝を付いていた。スーツの袖口から、見たくもない色が流れ出る。

「見付けたぜぇ~?」

厨房の入口から現れたのは、あの赤い男。凶悪な棍棒を肩でポンポン弄びながら、俺とセンセーを見てニヤリと嗤う。

「――っ! センセー、アンタ!」
「大丈夫だ、動くのに支障はない!」
「……っ、コイツら、隠れて俺達に近付いてたのか」
「こいつらは石に敏感なんだよォ。お前と、そっちの人も持ってる石にな」

そうしている間にも、黒い影はむくむくと起き上がり形を写す。既に入口は固められ、じわじわと背後の窓に追い詰められて行く。
そして、窓際の食材を保管する棚が視界に入る。つまり、逃げ道がなくなった。

「四面楚歌だっけ? こういうの」
「後ろにはいな――、……いや、そうだな」

建物の外は、怪物が何処に潜んでいるのかさえ分からない。目の前には、黒々とした怪物の海と赤い男。
今度こそ、万事休すだ――俺は覚悟を決め、せめてもの抵抗に握っていた鉄パイプを握り直した。

考えろ。
どうすりゃこの最悪の場を抜けられるか。
考えろ。
この男を倒す、あるいは撒いて逃げる方法を思いつけ。
でなければ、死ぬぞ。俺。

考えろ。

双方膠着状態のまま、冷や汗だけが動く。俺は普段女の子をナンパする手段を考える位しか使わない脳をフル回転させ、脱却する方法を考えた。

「――石、とは?」

センセーが、赤い男を睨み付けながら問いかける。腕から流れるものはまだ止まっていないようで、黒の革靴の隣に落下し、跡を残した。

「オウオウ、知らないで持ってたのかよ。星宝石の事に決まってんだろ?」
「星宝石? そんなもの、私もこの男も持っていない」
「それが、お前らが知らねぇだけで持ってんだよ。それを良いから寄越すんだぜ!」
「だから持っていないと……!」
「センセー」

このままでは埒があかないと、俺は反論するセンセーを制し赤い男に問いかける。

「なぁ、お前さぁ。何でその石が欲しいんだよ?」
「決まってんだろ! 俺は、この石で! この力で! 人生をやり直すんだ!」
「人生をやり直す……?」
「そうだ! 石は、俺の『力が欲しい』という願いを叶えてくれた。だから、今度はその願いを叶えるんだ!」

赤い男は、俺の問いを待ってましたとばかりに鼻息荒く語ってくれた。
俺達が持っているその星宝石とやらで、自分を変える。
何とも滑稽で――阿呆らしい答えだと思った時には、つい「……へぇ」というどうでも良さげな相槌を打っていた。

「何かと思ったらそんな事か。ショボ過ぎて話になんねぇ」

――ガスン!!

鈍い音と同時に吹っ飛ぶ俺。
殴られたと気が付いたのは、窓際の棚を巻き添えにして地に伏した後だった。殴るというモーションすら見えなかったが、やっぱりこの赤い男は、俺達人間とは何か違うらしい。
周囲に、様々な食材が散らばる。

「……んだと?」

赤い男は、目を血走らせながら問うた。完全に逆上している。
わざとそうした訳だが――ああくそ、顔を殴りやがって。痣が出来たら文句言ってやる。

「そんな得体の知れねぇもんに頼らなきゃいけねぇお前が、ショボ過ぎんだよって言ってんだ。馬鹿馬鹿しい」
「偉そうな口叩いてんじゃねぇよ! それ以上喋るようなら、」
「なら、何だ? 図星突かれてキレるとか、カッコ悪くてありゃしねーぜ?」
「――いっぺん死ね!!!」

赤い男は、床に伏したままの俺に凶悪な棍棒を振り下ろす。
ほぼ同タイミングで、俺は床に散乱した食材の中から紙袋を手に取り、相手の顔を狙って投げ付ける。
それは棍棒に当たり、粉砕された紙袋は一種の爆発のように入っていた粉を宙に吐き出した。

「んなぁ!?」

粉の舞いを間近で喰らった赤い男は目を押さえ、一瞬たじろぐ。
俺は素早く身を起こし、力の限り赤い男の脛を蹴り飛ばした。倒れた男に踏み潰されないよう立ち上がり、

「センセー! 窓!!!」

そう叫びながら窓枠に足をかけた。俺の言いたい事をセンセーは察してくれたらしく、同じように行動を起こす。

トッ、と建物から脱出し、だがその進行方向にも怪物の群れが見えて思わず足を止める。

「やはりか……!」
「くそっ! どうすりゃ良いんだよ!」

背後の、自分達が出てきた建物の窓から聞こえる雄叫び。
前方の、極上の獲物を見つけ歓喜しているかのようないななき。
それらが、非常に不快にさせる効果を植え付ける音楽となって耳に届く。

だが――それらは、一つの爆音によって掻き消された。

「ああくそ、今度は何だよ!?」

半ばヤケになりながらそちらを見る。

爆音だと思ったのは、俺達がいる場所からそう遠くない建物の窓ガラスが割られた音だった。バチィ、と稲妻のような蒼い光が走る。
そこから飛び出した黒い旋風が、俺とセンセーの間を一瞬にして駆け抜け、そこにいる怪物共を屠った。
空気に溶け込むようにその実体を散らした怪物の後に、何かキラキラした小さいものが落ちる。
「あー、良かった。無事っぽい」

直後に聞こえた、何とも緊張感のない声。
その主は――その男は、ガラスが割れた建物の入口からゆっくりとこちらへ歩いて来ているところだ。隣には、全身真っ白なオネーサンを連れている。
無意識の内に構える俺とセンセーに気が付き、男はにっこりと笑顔を浮かべた。

「安心して。俺達は、アンタ達の味方だから」
「……は?」
「いやぁ、この辺りをくまなく見て回ってたから、すっかり遅くなっちゃった。あはは」
「マスター様……」

ごめんねー、と本当に申し訳なさそうに言うので、俺とセンセーは呆けたまま何も返せない。いや、ころころ変わりまくる事態についていけない――そう言った方が正しいだろうか。
男の笑い声に、オネーサンが呆れて溜息を吐く。

「……失礼だが、お前は?」
「うん、俺は」
「マスター様、話は後で……まずは、この一帯を片付けてしまいましょう」
「おっと、そうだった。二人とも、退がってて」

痺れを切らしたセンセーが、警戒を解かぬままに男に問いかけ、彼は答えようとした。
だがそれは、黒い旋風――もとい漆黒のロングコートにハットという出で立ちの人間に邪魔される。仕方なく、俺とセンセーは退がったのだが――。

そこに、奴は尚も現れた。

「石を……石を寄越せえええぇ!!!」

赤い男は、再び俺に飛びかかってきた。余程さっきの事が頭に来ているらしい。
俺は手に持ったままの鉄パイプを掲げ、棍棒の進撃を止める。

「ちっ……この分からず屋め!」

鉄パイプにかけられる力は、並大抵じゃない。これでは、押し負けてしまう事は明白だ。
それは男として許せない事であり、負けられない。鉄パイプに全ての力を込める。

「自分で変わろうとしねぇクセに粋がんじゃねぇ、こんのフヌケ野郎!」
「てめぇに何が分かるってんだよォ!!」
「分かるかアホが!! 俺は――お前みたいな奴見てるとイライラすんだよ!!」

まるで、良く見知った何処かの誰かを見ているようで。
画面の中の偽りの空間だけが全てと信じていた、瓶底眼鏡の引きこもりの姿が脳裏にチラつく。

「男に指名されても全く嬉しかねーが……来いよ。お前がどれだけフヌケか、殴ってくれた礼に教えてやる!!」

鉄パイプを振り被り、上段からの袈裟で相手を一旦後退させる。
こちとら真人間だ、何やら人間でないレベルの力を持つ相手に敵うはずがない。ならば、勝つ為に必要なのはそれを補う手段と――根性。

ゲームのやり過ぎからか一瞬で導かれた戦略を実行する為、俺はまず駆け出した。
あくまで狙いは俺らしく、男はセンセーやマスターとやらには襲っていかない。
ならばとそれを逆手に取り、三人との距離を取る。マスターサンはダメだ、と声を上げているが、とりあえず無視をした。

その直後、後頭部に鈍痛が走る。

衝撃で吹っ飛ばされる俺。
棍棒で殴られたと気が付いたのは、地面に投げ出され咳き込んだ後だった。

「俺を侮辱した事を後悔する程度にいたぶってやらぁ。覚悟しろよぉ」
「ぐぁ……!!」

更に腹部を蹴られ、押し潰された肺が酸素を吐き出す。唾に赤いモノが混じったが、そんな事を気にしている場合でもない。
手探りで鉄パイプを探すが、その手を思い切り踏み付けられる。くそ、と最早音にならない声で毒づいた。

「さぁ、命乞いするなら今のうちだぜぇ? 助けてなんかやらねぇけどな!」
「……は……誰がテメェなんかに屈するかよ。まだ、俺は負けちゃいねーしよぉ」

それは、何時だったか自分に向けた言葉。無意識につり上がる口角を止める事もなく、言葉は勝手に口から発されていた。

「ついでに、俺はオマエに負けるつもりもねーよ。俺は俺である為に、オマエに負ける訳にはいかねーからなぁ!!」

確固たる意志を掲げ、赤い男に怒鳴りつけた
――その瞬間。
地面に触れていた掌から光が溢れ、瞬く間に周囲を覆っていく。

「な!?」
「マイマスター!」
「オーケー!」

赤い男は驚き、白いオネーサンが叫ぶ。それに応えた男。
三者三様の反応の後光は更に輝きを増し、蒼い稲光が走った。