そういうわけです。

#1

「とりあえず、当面の話は決まったって事で良いかしら? 異論がなければ、私は貴方から早く話を聞きたいのだけれど」

話題の終わりを見計らっていたのか、カナリアは軽く挙手をして発言し、コウに睨み付けるような視線を向ける。
何の事を言っているのかは明白であり、故にもう逃さない、と語っているその瞳から逃れるのは無理だと察したのか、彼は両手を上げ呟いた。

「……だよ、ね」
「ここまで我慢してきたのだから、いい加減しっかり話して頂戴。貴方は、私達にどう関係しているのかを」
「うん、話すよ。どのみち莉結嬢達にも、話すって言っていた事だし。ごめんオーブ、それと悠斗達も。俺だけだとしっかり話せる気がしないから、覚えている範囲で、補足があればお願い出来る?」

分かりました、と返答したのはオーブと蒼井、荊棘。見嶋はくっくっと笑うのみではあったが、コウは気にせず口を開いた。

「えっと……オーブが、平行世界のうち、未来を絶たれた世界のマスター……つまりヒスイと、カナリアの魂の情報を利用して、新たな星の子を作ったんだっけ?」
「はい。時間も余剰な力もなく、取れる手段がそれしかなかったのです」
「星の子って、アンタや撫月達みてぇな存在だろ。星喰いの敵だったか」
「その通りです。一か八かの賭けではありましたが、試みは奇跡的に成功しました。私達が人の子と接するには、人の子の姿を取る必要がありましたので、生まれた者にヒスイの姿を取らせ、対星喰いの手段として、私の情報生命体へのアクセス権を貸与致しました。ーーそれが」
「俺、だって」
「は?」
「はい?」

重なる声。
カナリアとヒスイのものである事は明白であるが、それ以外の者達も目を丸くしたり、へぇ、と呟いたり、様々な反応を返してきた。
例外なのはそれを既に知っているセイバー三人のみだが、うち蒼井と荊棘は、これでもかと渋面を浮かべている。改めて聞くと、色々と思う事もあるのだろう。
ソウは変わらず椅子の上で足を揺らし、与えられたアップルジュースをちゅー、ごくごく、と飲んでいた。

「そして俺はオーブの願いの通り異世界をどうにかして、代わりにオーブは俺の願いを叶えてくれてーー気が付いたら、あの路地で倒れてた、って言う所かなぁ、多分」
「つまり、コウさんは、人間ではないと……?」

莉結が首を傾げ、問う。
それについてはコウからはどう言ったものか迷い、オーブに視線を向ける。

「どうなの、オーブ?」
「いえーーあなたはあの時、願いました。ですから、今はれっきとしたひとつの個体であり、人間です。人間でないなんて、私が言わせません」

それくらいしか、罪滅ぼしは出来ませんが。続けられた言葉の裏には、自身の勝手で生み出してしまったという自責の念が感じられ、コウは息を吐く。
だが彼が何かを言う前に、見嶋が口を開いた。

「お陰でマスターを守る難易度は、カナリアの時よりヤバかったぜぇ? 何せコウが捕まれば一発でアウトだ。そのくせ無鉄砲に飛び出して来るんだから、たまったもんじゃねぇよ。ヒヒッハハ」
「貴方と意見が同じなのは癪ですが、私も同感ですね」
「すみませんコウさん、こればっかりは俺も同感です」
「えぇ!? ちょっと待って三人とも、俺そこまで迷惑は」
「「かけてます」」
「かけられたぜぇ」
「えぇー……??」

流れるように己の無鉄砲さを三人揃って指摘され、しかも一人は他のマスターとの差異を鑑みた上での評価。自分がそうでないと否定する根拠が思い浮かばず、コウは一人項垂れた。

「まぁ俺は、どう見てもカナリアとの関わりがありそうなアンタに興味を持って、うろちょろしてたんだけどなぁ? 執事の兄サンに睨まれながらなぁ」
「あからさまな不審者が近くをうろちょろしていれば、誰だって警戒すると思いますが?」
「つっても、たかだか執事がやる事じゃねぇだろうよ?」
「あの世界では、執事の前に一人のセイバーでしたから」
「見嶋さん、荊棘さん。いい加減にしてください、話が進みません」
「……すみません」

先程からやたらと突っ掛かり合う二人に業を煮やした蒼井が、若干語気を強めながら口を挟む。謝罪を口にしたのは荊棘のみで、見嶋は何がおかしいのか、ヒハハと口元を緩めたまま。

「蒼井の坊主も、なかなか強かになったよなぁ?」
「あなた達のせいですからね? 天草もアスハも無理だし、事あるごとに睨み合いを始めるあなた達二人の仲裁なんて、俺くらいしか出来ませんでしたしね」
「だってよ、執事サン」
「あなたもです!」
「それ以上続けるなら、俺にも考えがありますよ」

とりあえず黙れ、と言いたげな視線で放たれた蒼井の一言で、流石の見嶋もおぉ怖い怖い、と言い合うのを止める。薄ら笑いを止めていない時点で反省していないのは丸分かりだが、余計な口を挟まれるよりは良いと判断したのか、誰も指摘しなかった。

「脱線しましたが、確かにコウさんはあの世界では俺達とは違う存在でした。ですから、願いが思わぬ方向に及んでいたとしても、然程疑問には思いませんね」

蒼井にとって、否、セイバー達にとって、まず異世界そのものが異端であり、常識の範囲外なのだ。及ぶ影響がどれ程のものになるかなど、さっぱり分からないのも当然ではある。
そこで、カナリアがちょっと待って、と発言した。

「貴方はオーブに、自身の在り方の変更を願ったんじゃないの? それなら、私とヒスイが生きてるのには繋がらないじゃない」
「あ、うん。俺の願いはそうじゃない……けど、それは秘密にしたいなぁ。言うの恥ずかしいし」
「俺達も知らないですからね。……と言うより、聞いた覚えはあるんですが、その辺りの記憶はおぼろげで」

世界が綺麗に統合されているとは言っても、セイバー達はそれぞれのマスター達の行く先はおろか、如何にして事態の収束に至ったのかが全く、とはいかないまでも、はっきりと記憶にない。そういう事は漏れなく知り尽くしていそうな、一番覚えていそうな人物はこの場にいるにはいるが、そう簡単に教えるとも思えない。
これも世界統合の影響であるのか、結局のところ、誰にも分からないのであった。

「うーん……その願いが如何なるものだったとしても、やっぱりコウさん以外の願いも作用しているとわたしは思うよ。莉結さんが言っていたように」
「貴方、やけにその『願い』について肯定的だけど、そう確信出来る何かを知っているの?」

名を持たぬマスターの言はどこか確信的で、それに疑問を持ったカナリアが訝しげに問う。
彼はんんー、と唸り、首をひねる。話すべきか、話さずにおくべきか。……というよりは、『どう話せばいいのやら』と苦悩しているように見えた。

右にこてん。左にこてん。また、右にこてん。
カナリアが「え? 私とんでもない事聞いてる?」と言いたげにオーブに視線をやるが、その彼女も不思議そうに見守っているのみだった。

やがて、首を正位置に戻すと、彼は答えた。

「詳しいことは割愛するけども、わたしはコウさんの『願い』だけだと、強さが釣り合わないと感じるんだよねぇ。それに、原因を辿った末の推測だけど、わたしも簡潔に言えばセイバーさん達の願いによってここにいる?のかな?って思っているから」

それで、納得してくれない?かなー?、と続けられ、カナリアが暫く彼を見詰めた後、ふぅ、と息を吐く。

「――恐らく、貴女の詳細まで聞いても、私には理解が出来ないんでしょう。分かりました、この件はそれで納得するわ」

#2

長い、長い話し合い――正しくは意見交換会とでも言えば良いのか――が終わり、とりあえず休憩しましょう、と言ったのは誰だったか。
椅子から腰を上げ、すすす、と近寄ると、白鳥さんと未だに言い合っている御剱さんに、声をかけた。

「ええっと、御剱……さん? さっき、俺の事呼び捨てしてたよね?」
「ん? あ、ごめん。勢いでやっちまってたか。不快に思ったなら謝る」
「いや、不快とかじゃなくて。良ければそのままでお願いしたいし、俺も呼び捨てにしちゃっても良いのかな、と思って」
「ああ、俺は構わないぜ? ――むしろ同年代にさん付けされるとくすぐったい」

真顔で返されるが、その感覚が良く分からない俺は、そうなんだー、と返す。敬称を付けて呼んでいたセイバーの中にも、そんな人はいたんだろうかと疑問が沸いてきたが、とりあえずそれは後に回した。個人的にはそんな疑問は二の次で、こちらの方が重要だからだ。

「ありがとー。あと、もう一個お願いしたい事があるんだけど……」

「まさかここで作る事になるとは」
「うわぁ、広い……」

御剱さん――もとい、御剱が借りたエプロンを装着しながら、目の前に広がる白鳥家自慢のキッチンを見渡した。

頼みとは当然、先程間錐と話していたお菓子の事である。
好きか嫌いかで言えば好き、の部類に入るそれの話を出された時思わず呟いてしまったのだが、時間が経つにつれむくむくと興味が沸いてしまい、直接交渉に至ったと言う訳だ。

自分的には御剱が間錐の妹に作るものを少し分けてくれないかな?というつもりだったのだが、隣で聞いていた白鳥さんが「ならば狼牙君、いっそここのキッチンで作ってしまえばどうだい」と言い出した事により、現在御剱と俺、白鳥さん。
ならば他にも何か作りましょう、と荊棘さん。
そして、キッチンって何だろう、とマスターがついて来ていたのだった。

白鳥家のキッチンは、見た事もない広さだった。自分が異世界で拠点にしていた繁華街の一画、中華料理店の厨房も広くはあったが、もしかしたらあれよりも広いかもしれない。

「遠慮なく使いたまえ、狼牙君! 我が白鳥家の誇る美しき厨房で、君の素晴らしい料理を創造したまえ!」
「あーはいはい。貸してくれる事については礼を言うが、お前は早く自分に課せられた任務を完遂して来い!!」

では私は失礼するよ、と華麗なステップを踏みながら白鳥さんが去っていくと、御剱は疲れた息を吐き出す。
苦手なのかな?でも仲良さそうだしな?と様子を見ながら首を傾げるが、直接問いかける事はしないでおこうと思った。

「あの、コウ様」
「ん?」
「マスター様のお名前の件……やたら気にしていらしたのは、やはりその……」

歯切れの悪い荊棘さんの言葉に、聞き辛い事を聞かれているのだと判断が付く。そしてその内容くらいは、良くセイバー達に鈍感だと言われた自分でも分かる。
更に、そこまで聞いてしまえば、自分以外の者には容易く内容が分かる訳で。
件のマスターが、徐に探検しようとしていたのを中断し、顔を上げて口を開いた。

「そういえば、わたしに『覚えてないとか?』って聞いた時に、ちょっと変な顔をしてたね? つまり?」
「つまり、そういう事。俺には最初、何も記憶がなくて……考えてみたら、当然なんだけどね。助けてくれた村崎に名前を聞かれて困っていたら、荊棘さんが『コウ』はどうかって言ってくれたんだ」
「へぇ、そんな事が」

いつの間にか準備を終えて丸い器に卵を片手で割り入れた御剱が、しゃかしゃかしゃかしゃか、音を鳴らしながら相槌を打つ。
荊棘さんは戸棚へと歩み寄り皿を手に取りつつも、しかし、と続ける態勢。
何でまたそんなに気にしているのだろう、と心底不思議に思い、考える。そうか、あの話また聞いちゃったからか。

「このような事になるのなら、私がその場の思い付きで決めたような名は、捨ててくださっても良かったのですよ?」
「だって俺、それ以外を知らないし。向こうでだって村崎や日明が呼んでたから、割と定着してるんだよ? 宗谷だって普通に呼んでたし」
「……一時期は、その名前が貴方を苦しめるのだと、己を責めたものです。名前があるせいで自身を」
「荊棘さん」
「はい」
「俺、その事気にしないでって、言った」
「……しかし、」
「荊棘さん?」
「…………はい」

無言の威圧が、時に効果的に相手に響くのだ、と言ったのは悠斗だったか。
むぅ、と目を細め荊棘さんを見ると、まだ何か言いたそうな顔をしていた。だけど、名前の件に関しては本当に『感謝している』以外、何もないのだ。

「そういう事だったのか」
「そういう事かぁ」
「余計なお世話、っていう奴だったらごめん。荊棘さんに名前を貰ってなかったら、俺もマスターみたいに困っていただろうなぁって思うと、放っておけなくて……」
「なんだかすごく気にされてるなー?とは思ってたんだけど……」
「そりゃ、自分もそうなってた可能性があったと思うと、他人事じゃすまないよな。名前なしが二人だったら、とりあえずの手段も使えなかったしなぁ。ーーまぁ、色々思う事もあると思うけどさ、荊棘さん。自身が仕えていたマスターがこう言ってるんだし、ここは信じた方が正解だと思いますよ?」
「……御剱様の言う通りですね。失礼致しました、コウ様」

何か胸のつかえが取れたかのように苦笑する荊棘さんの顔を見て、俺はうんうんと頷く。

「分かってくれれば良し。で、マスター。何か面白いものあった?」
「うん、あそこに外へ出れそうなダクトが」
「おいお前ら―。台所で遊ぶんなら部屋戻れー」

実はキッチンというものに少なからず興味があった俺は、マスターにそんな事を聞いてみる。彼は天井にある何らかの穴のようなものを指差して答え、確かに興味をそそるものだなぁ、と思考。だが観察は御剱の一声で、断念せざるをえなかった。

#3

「さて、お菓子が出てくるのなら、美味しいお茶もご用意しなくては、ですね!」
「莉結、出来るとしても時間はかかるよ。まだ座ってても大丈夫だから」

気合を入れた莉結が、間錐にそんな事を言われている応接室。
私は台所から漂ってくる甘い香りに、やれやれ、と呆れた。

「あの人、どれだけ食欲旺盛なのかしら。ここに来てから大分食べてるわよ?」

あの人とは当然コウの事であり、目覚めた直後から一緒にいた間に食べたものを思い返し、眉を顰める。自身は元から小食だったので、彼のあの細い体のどこにあの量の食物が消えて行っているのか、不思議でならないのだ。
その言葉に、蒼井という宗谷の友人が、げんなりとした顔で答えた。

「コウさんはお菓子好きですからね。相変わらずだなぁと思いますけど」
「というか、莉結嬢見てからだと、あいつの大食いもそういう不調だとは思えないんだがなぁ」
「ちょっと、貴方。女の子にそういう見方は失礼よ」
「おっと、失礼」
「でも、その点に関してはオレも同感かな。ここに来る前に、莉結も鬼まんじゅうをたらふく食べてきているんですよ」

桃榎さんそれは言わないお約束です!と反論の声がすかさず飛ぶが、言われた本人はどこ吹く風である。

「むぅ。ヒスイさん、桃榎さん。わたしの場合は、体力の補充なのです。言わばエネルギーチャージ、充電なのです!」
「すまん、横文字はあまり分からん」
「そうでした、失礼いたしました。――でも、確かにそうですね。傍目から見れば、ただの大食らいにしか見えないと思いますし」
「俺も元々大食らいっちゃ大食らいなんだけどな。あれは度を越してるっつーか……」

模倣元の本人ですら頭を捻らせる程、というのは相当の事なのだろう。ふと思い至った事を、オーブに問いかけてみる。

「ねぇ、オーブ。もしかしてあの人の食欲って、星の子から人になった弊害、とかだったりするのかしら」
「はい、恐らく。どこかしら不具合――ではなく、不調――でもないですね……とにかく、そういうものである可能性はあります。なにせ、最初色々と無茶をしてしまいましたから……」
「ネットゲームで他のソフトにアバターをコンバートしたら、ちょっと悪影響出ちゃった、って事かぁ」

うんうんと妙に納得したような宗谷がそんな事を言うが、言っている事がさっぱり分からず、きょと、と首を捻る。

「アバター? コンバート?」
「ゲーム用語ですよ。俺もよく知りませんけど」
「カナリアさんは説明しても分からないと思うよ。そういうの苦手でしょ?」

この中では唯一気心の知れた相手である宗谷にそう言われてしまい、ぐ、と言葉に詰まる。
確かにそういった類のものには疎く、聞いても理解出来る気はしない。異世界を訪れる前から、無縁だったのだから。

思わぬタイミングで自身の知識のなさに打ちひしがれたところで、オーブに視線を戻し、最後に一つ。

「それ、本人は?」
「……ご存じないかと」

いやいやちょっと、おかしいじゃない何でそこまで本人に伝えないのようっかり怪我でもしたらどうするのよ。いつもの自分ならそこまで言ってしまうと思うのだが、何分今日は朝から色々とあり過ぎた。疲れが溜まっているのが明確に分かってしまい、そうなの、と言うに留める。
朝に何故かこの世界で再び目を醒まし、異世界に行く前には訪れた事はなかった白鳥家へと案内され、一緒に倒れていた男が起因となって失われたはずの命が再生されまたここにいます、なんて、自分がそうでなければ絶対に信じない絵空事だと思うのだ。今からこうではすぐにダメになるわね、と反省する。

「マスターなんかは、食には逆に希薄なんですけどね」
「うん、むしろ食えって言ってたなぁ……」

何故か遠い目をする二人。マスター――彼女って、確かに線は細いし小食なイメージがあるけれど、そんな反応をする理由がさっぱり予想出来ない。聞くのも何故か憚られた。

「それはいけませんね! ならば、世界にはもっと多くの美味しいものがあるんだと、お教えせねばなりません! この莉結、突如舞い降りた使命に俄然やる気が出て参りました!」
「莉結、分かったから落ち着いて」
「俺としても、この時代の食べモンは興味あるしなぁ。どっか旨い呑み屋知らねぇ?」
「あのねぇ、この子達どう見ても未成年でしょう。聞く相手を間違っているわよ」

どこまでも常識のない男の発言に、すかさずそう突っ込む。言ってから、もしや未成年の基準というのがまだない時代だったのではないか、という懸念が生じたが、そんなに大昔の人間ではあるまいし、と思い直す。ここに来る前に会ったという人物と顔見知りであるのなら、精々五十か、長くても七十年前であろう。
そして、この場で唯一二十代である見嶋が、ひょいと口を挟む。

「俺の情報網ので良いのなら知ってるけどよぉ、兄さん手持ちないんだろぉ? どのみち行けねぇじゃねぇの」
「ぬ、そうだった」

異世界では店も何もなかったから、必要とはされていなかったお金の問題。
この世界では、何をするにもお金が要る。再び得られた生活への問題点を思い出し、私は呟いた。

「……これからどうするのかと、生活費問題、ねぇ」

#4

そこに、台所に向かっていた白鳥が戻ってきた。

「狼牙君の腕は相変わらず確かだな! この仄かに香る匂い、私は最高に――」
「ああそう。白鳥、ちょっと相談なんだけれど」
「何だい? 夏名里」

口上を強制的に断ち切り、彼に声をかける。この相談を持ち掛けるには、不本意だが彼しか適任がいない。

「貴方の家が持っている中で、宿に出来そうなくらい部屋数があって、共同のキッチンがある物件ってないかしら? 出来ればフリースペースのような部屋があると嬉しいわね。この際、立地とかは特に問わないわ」
「宿?」

横で聞いていた宗谷が首を傾げる。カナリアの発言の意図が読めなかったのだろう、その隣の蒼井も目を丸くしていた。

「いつまでも白鳥達に頼る訳には行かないでしょう? お金についてはとりあえず目を瞑って貰うしかないけど、まず住むところを確定させなければ仕事も出来ないじゃない。それに、『ジュエルマスター』だった存在が万が一まだいた場合、彼らの保護についても考えなくちゃならないでしょうね」
「そんな事気にせずとも、……とは思うが、マスター程ではないにしても、君も気にする方ではあったな」
「悪かったわね」

どちらかと言えば「これ以上白鳥に迷惑をかけたくない」「借りを作りたくない」といった面の方が強かったが、特に言う必要もないので押し留める。
いわゆる災害時に、被災した者達を一時的に預かる仮設住宅の代わりになるような物件はないか、と打診しているのである。共同のキッチンを希望に入れたのは、目測ではあるが料理を出来そうな人間が、ロクにいなさそうだという判断であった。
そんな考えが浮かぶのも、自身の状況を空想だと思いながらなお、これが現実なのだと受け入れたお陰である。
白鳥は宙に視線を移し、うーん、と考え込んだ。

「ふむ……一件、それに近いような物件があったような気がするな。ちょっと時間をくれたまえ、確認してみよう」
「お願い。悪いわね」
「それこそ気にする事はないぞ! 私と夏名里の仲ではないか!」
「そこは断固として訂正しておきたいんだけど?」

いちいち大袈裟に反応を寄越す白鳥にカナリアがきっぱり断りを入れるが、恐らく彼の耳には届いていない。届いていたのなら、とっくに大人しくなっているはず。

徐に端末を取り出し、どこかへと連絡をする白鳥の背中を眺めていると、くいくい、と袖を引っ張られる感覚を覚え、そちらに視線を移す。
そこには莉結と、彼女の隣にソウが並んでいた。

「ここにいる皆さんと、一緒に住むのですか?」
「とりあえずって言ったでしょう? それとも、嫌だったかしら?」
「いえ、むしろ逆です。ここにいる皆さんと共同生活、とても楽しそうです」

ふふふ、と思い描いたであろう未来に微笑みを浮かべる莉結。
ソウも何となく把握したのか、目を輝かせながら飛び跳ねる勢いで嬉しがった。

「おねえちゃんたちといっしょ! ソウもうれしい!」
「ソウちゃん、これからよろしくなのですよー」
「よろしく? なのです?」

そんな微笑ましい光景が繰り広げられている中、部屋の扉が開かれた。

「できたぞー」

入ってきたのは、キッチンに向かっていた数人。
匂いの元である、生クリームを添えた美味しそうなナッツのブラウニーを抱えた御剱と荊棘、人数分の取り皿を載せたお盆を持ったコウ、フォークが入った入れ物を持ったマスターが戻ってきたのだ。

「はっ!! 私とした事が失念いたしました! 急いで狼牙さんの手作りお菓子に合う飲み物を入れてまいります!!」
「おう、莉結。こけるなよー」

莉結が淹れたアールグレイの紅茶も並び、各々が切り分けられたブラウニーに口をつけ始めた頃、連絡をする為に退室していた白鳥が再び扉をばーん!と開きながら戻ってきた。
流石にもう、誰も注意する者はいない。

「夏名里、喜びたまえ! 条件にぴったりの物件があったぞ!」
「? 何、物件って」
「シェアハウスみたいに住めるところを、白鳥に探して貰ったの」

先程いなかった者達に、手短に理由を話すと、白鳥が持った端末をカナリアが覗き込む。
そこに写っていた写真、建物の外装はそこまで古くはなく、大きくもなければ小さくもない、少し手を加えれば十分使えそうな物件である。

「星辰の繁華街の外れにあるんだが、部屋数は申し分なし、台所は数人入っても動線を圧迫しにくい広さの上カウンターまでついて、その隣のフリースペースも十分だ。どうかな?」
「そんな物件が何で……ああ、最寄りの交通機関が少なくて郊外だから、目に留まりにくいのね。どうしても利便性を求めてしまうだろうし」
「白鳥グループとしては、後々この物件で事業を起こすつもりだったようだが、夏名里の言う通りの理由で先伸ばしになっているそうだ」
「お前の家、どこまで手を伸ばすつもりなんだよ……」

御剱が呆れたように呟く。とはいえ、端的な条件下でぴったり、いやそれ以上の物件を持ってくる辺り、流石の白鳥財閥と言ったところである。

「この物件、私達が借りても良さそうだった?」
「そうだね。何か起業するにしても時間がかかるし、とりあえず入って貰っていた方が空室対策にもなって、うちとしても助かるだろう!」

と、白鳥が視線をテーブルに移す。
突然黙り込んだ彼の視線の先には、御剱が作ったナッツのブラウニーにアールグレイの紅茶が並んだ、お茶会の最中のようなテーブルのみである。
ふむ、ふむ、と一人納得しながら考え込む彼に、どこかネジが外れたのだろうか、と思い始めた頃。

「――閃いた!」
「何を」
「また余計な事じゃねぇだろうなぁ」

最高のテンションだと思えば突然黙り込み、再びの踊り出しそうな彼の奇行に、カナリアと御剱が、うんざりといった表情で突っ込む。
面白い人だなー、そうだねー、あれでこそ王子さんですねー、とのんびりなコメントをする三人に、何故それだけで済むのだろうかとセイバー一同が思った事は、想像に難くない。

「いや、最善な策を思い付いたのだよ。君達が今最も必要としているものが、同時に美しく解決する手段をね! とりあえず、時間が欲しい。数日はセイバー達の家に厄介になる事を了承してくれたまえ」
「……嫌だって言えないじゃないの、この状況じゃ。分かったわ、頼むわよ」
「頼まれた! この白鳥王子、友の為なら全力を尽くそう!」

そう言い残すと、白鳥は善は急げだ!とばかりに、扉を潜り抜け去っていった。扉は閉めましょう、と荊棘がそちらに向かう。

「――局地的な嵐かあいつは」

疲れた顔で言う御剱の一言に、誰しもが噴き出した。