Spina02

ふわ、と優しい感覚が、掌に生まれる。
いつの間にか閉じていた目を開けると、そこにはオーブ様の持つ物と同種の宝石――ブラックスピネルが存在していた。

オーブ様は満足気に頷き、隣にいる男に声をかける。

「マイマスター。浄化した力を、彼に差し上げて下さい」
「足りるかな? 小さい奴を何匹か浄化した位だけど」
「今回は、私がご助力致します。では、守護石をこちらに」

指示された通り、私はオーブ様の手の中の宝石に自分のそれを近付け、男がその上から手を添える。
すると、淡い発光を繰り返していた宝石二つが徐々に光度を増して行き、眩しさに思わず目を閉じた。

目蓋の向こうにある光が収まった頃合いを見計らい目を開けると、視界の端に見慣れぬものが映る。自分の前髪のはずだが、それにしてはやけに茶色を帯びている。

それだけではない。自身を見下ろすと、先程まで着ていたスーツではなく漆黒のジャケットに変化しており、頭には帽子を被っている感覚もある。
そしてこれが一番の変化だが、腰に重量のある何かが吊るされている感覚を感じ触れる。紛れもなく、現実世界では縁遠いもの――そこには、大きな赤い剣が存在していた。
これが――《変身》というものか。

「……これは驚きましたね」

素直に感想を口にすると、オーブ様が頷く。

「これで、あなた様は超常的な力を手に入れました。星喰いとも戦えるはずです。あの量では、少年の手に余るかと思いますので――」
「分かっています。少々お見苦しい所をお見せするかと思いますが、お許し下さい」
「ある程度消耗させたら、俺が浄化するから。合図をお願いするよ」
「承知致しました」

ガシャ、と重量のある剣の柄を手に取る。
大きさは、私の身長の半分はあるだろう。まるで薔薇の棘のように施された装飾は、見ようによっては本当の花にも見える。
何より――見た目通りの重量もあるはずなのだが、不思議な事に然程重たいとは感じない。成る程、どうやら《変身》はセイバー自身の身体能力でさえ向上させる事が出来るらしい。

その足に力を込め、地面を蹴る。
平常では考えられない跳躍力は、私と星喰いの間にあった距離を一気に縮めてくれた。
「!? アンタ、後退ってろって言っただろ!」
「心配には及びません。どうぞ、私の事は構わず」
「そうは言っても――!」

星喰いの脚を斬りつけた黒衣の少年が、驚愕しつつも私の姿を認め怒鳴ってきた。それに笑みを返し、棘の剣を水平に振りかぶる。
斬撃は星喰いの脚に多少のダメージを与えたようだが、体が思った以上に硬い。私はふむ、と思考しつつ、一旦離れて攻撃を避けた。

「少年。この怪物は、柔らかい所はありませんか?」
「柔らかい所? うーん……柔らかいかはともかく、星喰いは総じて光ってる所が弱いと思う。コイツなら、多分頭の紫色の石かな」

私は、言われた通り怪物の頭部を見やる。
最初に見た時から、変わらず明滅を繰り返すアメジストに似た頭部。柔らかいかはともかく、確かに意思を統率する頭部は脚よりもダメージがあるだろう。
怪物の大きさ的に、校舎を使わなければ届かないか。

棘の剣を構える。
目標の頭部を見定めながら、私は口を開いた。

「少年、私が怪物の隙を作ります。貴方は止めをお願い出来ますか?」
「僕に?」
「見たところ、貴方はここでの戦いに慣れていると判断しました。私では些か自信がありません。ですので、あの怪物が隙を見せたら一気に討って下さい」
「……分かった。やってみる」

少年の素直な返事にまた笑みを浮かべ、瞬間飛び出した。
大型の剣は連続攻撃こそ出来ないが、代わりに渾身の力で攻撃を叩き入れる事が出来る。校舎の外壁を蹴り、三角跳びの要領で怪物の脚に接近。そして、

「はああぁっ!!」

気合いの声と共に、全筋力を載せた斬撃を怪物の脚に命中させた。
相変わらずダメージはそこそこのようだが、重い頭を支える細い四肢の一本が衝撃によりぐらつき、本体が揺れる。金切り音のような鳴き声を耐えながら、私は返しの斬撃の初動動作を開始。

そこへ、先回りして校舎の屋上に着地していた少年が、鞘に納めていた剣を抜刀し跳躍した。

「――大人しくしてろ!!!」

頭部の宝石に、少年の連続攻撃。
支える脚に、私の追撃。

怪物は遂にバランスを崩し、脚の数本を地面に這いつくばせる。
私は、叫んだ。

「今です!!」
「オーケイ!」

上着の袖を捲り、肩を回していた男が両手を掲げる。
すると、怪物の体を纏うように蒼い光が発生し、一帯がそれに照らされる。
怪物は最後にひとつ啼き、――やがて小さな宝石となって地面に転がった。

   ■   ■   ■

少年の名は、村崎十織。
私よりも少し前からこの世界で戦っており、とある理由から《仮面の星喰い》なるものを捜しているのだそうだ。

「だから、僕はキミが必要なら手を貸すけど、一緒には行動出来ない。……ゴメン」

そう言うと、本当に申し訳なさそうに眉尻を下げた。紡いだ言葉には、確固たる信念と申し訳なさが混在しているようだった。

「アンタがやりたい事なら仕方ないし、協力してくれるだけでありがたいよ。よろしくな、村崎」
「……変な奴。――そういえば、キミ名前は?」

むぅ、と唇を尖らせながら返した村崎様は、そこで思い付いたのか問いかける。
それに答えたのは男自身ではなく、隣にいたオーブ様だった。

「マスター様は、マスター様なのでは?」
「僕は彼の下で動くセイバーじゃない。だから、マスターとは呼んじゃいけない気がするんだ」

村崎様なりのけじめ、というものだろう。男の指示で動かない、あるいは動けない彼は、厳密にはマスターとセイバーという関係にないのだから。私にも思うところがあるので、口には出さずに共感した。

そのまま向けられる視線に、今度は男が困ったように笑う。

「俺、名前も思い出せないんだ」
「えぇ? 覚えてないって、どういう事なんだよ」
「それが、さっぱり。覚えているのは、浄化の方法と……俺が浄化をしなければ、世界が危ういって事だけかな」
「記憶喪失? ……うーん、じゃあ何て呼べば良いんだ?」

予想外の事実に、村崎様は素っ頓狂な声を上げ肩を竦める。男もさぁ、と他人事のように笑うものだから、呆れ返った溜息を吐く。

ふと、私は呟いた。

「……コウ」
「ん?」
「コウ、は如何でしょうか? 思い付きに過ぎませんが……」

脳裏に何の気無しに浮かんだ、二つの音。
紅蓮を思い起こさせる双眸の《紅》。
蒼天を映した浄化の《光》。
相反する色を持つ彼に相応しい音だ、と自分で言っておきながら、私は納得した。

同時に、かつて仕えた主人のご子息をふと思い出し、彼は健やかに育っていてくれているだろうかと思いかけ――思考を元に戻す。

男は考え込むようにして腕を組み、やがて紅の双眸を細め微笑んだ。

「コウ……か。よし、じゃあ俺はこれから、ジュエルマスターのコウだ」