spina01

「困りました、ね……」

私――荊棘従道は、手に持った手拭いをスーツのポケットに仕舞いながら呟いた。

私の意識が正しく活動していたなら、先程までは確かに自身が仕えているお屋敷の給湯室にて、給仕達への紅茶を入れていたはず。しかしながら、今私がいるここはどう見ても屋外……しかも、日本の風景だとは到底思えない場所だった。
辛うじて原型を留めている建物は、主人の豪邸がある星辰町の学校。最早夜に融けるモニュメントと化したそこに、本来の姿はない。

何かが蠢いているかのような雰囲気を醸し出す学校――その廊下に、ふと眩い光が見えた。

「あれは……?」

校内の照明は点いていない。となれば、今の光は私以外の誰か――或いは何かの仕業、である。
逡巡し、この場所に留まっていても始まらないと足を動かす。

ガシャアアァン!

「!?」

突然、光が見えた場所の窓ガラスが割れる音が響く。踏み出した足を止め、何事かと目を凝らす。

そして、それは降ってきた。
割れたガラス片を追いかけるように現れた男女。
片方の男は漆黒の前髪から深紅の双眸を覗かせ、今しがた自らが飛び降りた校舎を油断なく睨みつける。
もう片方の、白をそのまま着たかのような女性は、男に抱き抱えられた格好で同じように校舎を見上げていた。

つられてその方向に視線をやると、割れたガラスの向こうから甲殻類に似た奇妙な生き物が。頭に頂く紫色の宝石が、まるで呼吸をしているかのように妖しく明滅する。

「マイマスター! あれが、星喰いです……!」
「馬鹿デカいなぁ……」

女性の切羽詰まったような声音とは正反対の、男の言葉――というか感想に、私は思わず呆れてしまった。正体不明の生物相手に、しかもこの緊迫した状況で言う事ではない、と思う。

そこで、男はようやく私がいる事に気が付いた。赤い双眸を丸くさせ、あ、と小さく声を上げる。

「アンタが、《セイバー》って奴かな?」
「セイバー……? 何の事でしょうか?」
「はい。ブラックスピネルのセイバーでしょう」

聞き慣れない言葉を反芻させると、男は何も言わないまま視線を投げかけ、女性が頷き答える。
二人だけで納得されても、こちらには全く分からないのですが。

「オーブ。俺はイマイチ飲み込めてないから、説明頼んだ」
「マイマスター、今はそんな場合では……。……いえ、仕方ありませんね。手短に説明致します」

オーブと呼ばれた貴婦人は大仰に溜息を吐き、私に向き直る。
マイマスターという事は、彼女も彼に付き従う給仕だろうか――そんな事を考えていた私は、それでは、と始められた話に慌てて耳を傾けた。

欲望と願いの石、星宝石が瘴気により汚染され生み出された怪物、それが今眼前の校舎を喰らう《星喰い》。
倒すには、《ジュエルセイバー》と呼ばれる者達の力が必要。しかしそれには、《浄化》を行って得たエネルギーと同じ力を持つ宝石が要るのだ、と彼女は至極真面目に答えてくれた。

「そして、あちらにあらせますのが《ジュエルマスター》なのです。あなた方ジュエルセイバー達は、このお方をお護りする為に呼び寄せられたのです」
「……何がなんだか、状況が飲み込めませんが……つまり、私はあの怪物と戦わなければならない。そういう事でしょうか?」
「はい、そういう事です」

改めて、校舎に取り憑く怪物――《星喰い》を見る。
大きさは、校舎と同じくらい。紫色の宝石から四肢が伸び、蜘蛛のような動きをしながら何かを捜している。

「ですが、私はあのような怪物と戦う術はありません。しがない執事をやっていましたので、軽い護身術くらいなら知識としてはありますが……」

正直、色々突拍子もない話が続き過ぎてついていけていない私がそう言った、その時。
怪物の手が近くの地面に打ち込まれ、大地が揺れる。

「――っ!」

私達よりも化け物の近くにいた男が、風圧でか姿勢を崩す。そこに第二撃が振り下ろされるが、間一髪で右に転がり事なきを得る。
血相を変えたオーブ様が叫ぶ。

「マイマスター!」
「へーきだ! 必要なんだろ、浄化した星宝石の力が!」
「一旦退きましょう! 今の私達では、危険な相手です!」

瞬時に起き上がった男は未だ対峙の姿勢を見せるが、オーブ様は撤退を促した。確かに、事態を把握し切れていない私でも、この状況は非常に厄介だと勘が訴えている。

紫色の宝石を抱く怪物が、ゆっくりとこちらに向かってくる――。

「――伏せて!!」

どこからか聞こえた声に、私達は無意識に従う。声変わりしていない幼い少年のような声だったが、声に込められた意志は固く力強い。

キイイイイイィィィ、と怪物が呻く。
長い脚を地面に擦り付け、砂煙を起こしながら攻撃をしかけてきた。
しかし、その攻撃は私達には届かない。

「やあああああぁぁぁ!!!」

私達と怪物の間に割って入った黒い風は、手に持つ剣で怪物の脚を薙ぎ払う。ばさり、と黒の衣服が煽られ音を立てた。

「僕的には外れ、だけど……当たりでもあるかな」

黒の帽子の鍔から覗く、細い双眸がこちらに向けられる。
チン、と剣を鞘に収めた青年――いや、少年はそう呟くと、怪物を警戒したまま肩越しに言った。

「初めまして、ジュエルマスター。話は色々あるけど、ひとまず逃げてくれないかな?」
「アンタは?」
「君が現れる事は、事前に他の奴から聞いてた。僕も、君の――ジュエルマスターの仲間だ。ここは僕に任せて」

言うなり彼は、跳躍し再び剣を抜く。斬撃を喰らった怪物が悲鳴を上げ、攻撃を再開した。
校舎のガラスが、けたたましく音を立てて割れる。外灯の天辺に着地し、狙われている事が分かっている青年はすぐさま移動。一瞬後、その外灯は無惨な姿に変わった。

青年の戦いように、私は目が離せない。現実から遠く離れたその光景は、恐れと羨望を抱くには十分だった。

「……オーブ様」
「はい?」
「貴女は、先程私めもセイバーだと仰いましたね?」
「はい。ブラックスピネルのセイバーよ、その通りです。彼は《変身》を経て、戦闘形態の姿を手に入れているのです」
「つまりはその、変身……私も出来るのでしょうか?」
「心配要りません。あなたにも、守護石の力を借りて強くなる力があります。――これを」

差し出されたのは、煌々と煌めく光球。
訳が分からず見ていると、それは徐々に小さく凝縮されていき――やがて、小さくも確かな光沢を持つ黒い石へと変わって行った。

「あなた様の守護石、ブラックスピネルです。さぁ、強い願いを持って呼びかけてみて下さい。石は、あなた様の呼びかけを待っているはずです」
「願いを呼びかける……?」

私は、右手を持ち上げ見やる。
願い。それは、単なる欲求でも良いのだろうか?
とうの昔に胸中で燻らせたまま、忘れようと思い忙殺させていた何かが、靄となって何処からか生まれる。それは紛れもなく、昔の自分の感情だった。

呼びかけろ、と言われてもどうしたら良いのか分からなかったので、オーブ様のいう私の守護石――ブラックスピネルをイメージし、呼びかける。

――私に、力を下さい。