Fighter02

視界が回復を果たすまで、一体どの程度の時間が流れていたのだろうか。

俺は恐る恐る目を開け、高い所にあったはずの赤い男の姿を捜す。
奴は、何故か俺から随分離れた場所で仰向けに倒れていた。反射で蹴り出した右足で吹っ飛ばしたのか、それとも他の何かで突き飛ばしたのか、分からない。

イチチ、と体を起こした所で、はて、と首を傾げた。
――俺、手袋なんてしてたっけ?
そう疑問を抱きかけ、更に自分の服装までもが変わっている事に気が付く。

仕事着だったスーツの原型はそのままだが、やたらとオシャレな柄が入った上着。
ベルトに引っかけられた、ウエストポーチ位の大きさの何か。
そこから覗くモノが、ゲームの世界で良く見かけるそれだと直ぐに気が付いた。

「!? な、何だコレ?」
「……自分が自分である為に、か」

動揺する俺の隣で、近づいてきた足音が止まる。男は俺に右手を差し出し、にっこりと笑顔を浮かべて呟いた。

「俺は、自分が何なのかさえ分かってないけれど……君のその信念、見習おうと思う」
「……は?」
「ああでも、先ずは自分を知る事が先か。信じるものがあるから、君は強いんだよね」
「え? 何の話?」
「――さぁ、呆けている暇はないよ。一緒に、彼を助けよう」

一体何がどうなっているのか全く分かっていない俺をさておき、男は勝手に納得して話を進めている。相変わらずマイペースな奴だ、と男への感想を抱きつつ、俺はその視線の先――起き上がり獲物を睨みつける赤い男を鑑みた。

二次元にいるのかと思う世界。
影をこねて象ったような怪物。
実写アニメばりに変化した自身。
そして、今なお犬歯を剥き出しにし襲いかからんとする赤い男。

この短時間で未知の出来事に遭遇しまくったが、どうやらこれは現実らしい。

俺は腹を括り、男の手を取って立ち上がる。腰に下がっているホルスターから、銃を抜いた。

「何か知らねーけど……とりあえず、アイツボコって良いんだな?」
「うん。適度に弱らせてくれれば、後は俺が何とかするよ」
「だとよ、赤いオニーサン。悪ぃが俺は、手加減する気は一切ねーから、な!」

跳躍。軽く跳んだつもりだったが、一瞬で赤い男の頭上を飛び越える。銃器の扱いを実際にやるのは初めてだが、何故か自然とどうやれば良いのかが脳内に浮かぶ。

ホルスターのベルトをパキンと外し、重力に従い滑り出る短銃をキャッチする。
タン、と地面に着地し、追いかけてきた赤い男に銃口を向けた。

パァン!

初撃は避けられる。釘の刺さる凶悪な棍棒を振り抜かれ、だがモーションは大振りなのでこちらもかわす。
跳び退き、距離を取る。
慎重に、そして素早く照準を合わせ二回目の発砲。

「うぉあ!!?」

銃弾は赤い男の皮膚ではなく、棍棒のスレスレを掠り衝撃だけを奴に与える。不意の事に驚いた赤い男は、己の生命線である武器を手放してしまう。
転がってきたそれを、俺は足で踏んづける。
拾おうとした相手を見下す形になり、ゆっくりと、銃口を赤い男のこめかみに向けた。

「お、俺は、俺は石で生まれ変わるんだ! 邪魔するなよ!! 石を、石を寄越せ!!」
「…………」
「お前だって、あああるだろう! 願いが、欲望が、想いが!! そ、それを――」

パァン。

間近で響いた銃声にかき消され、赤い男の言葉は途切れる。
「ヒィッ!!!」と悲鳴を上げた奴は、顔を真っ青にしてどうと倒れた。目を回し、口元から泡を吹いている。

「…………なーんだ、ただの小心者か」

銃弾は、赤い男の背後に飛んでいった。撃った瞬間に銃身を上げたので、額を貫く事は――リーゼントは少し掠ったみたいだが――なかった。

「少しやり過ぎじゃないかな? 全く」

かけられた声は、黒髪の男のもの。苦笑を浮かべつつ、歩み寄ってくる。
その声ひとつが耳に届く度に、闘いで火照った体と血が昇った頭が冷えていく。あれ、俺何してたんだろ、とまではいかないが。

「ま、好都合かな。お疲れさま」
「……いい加減、事情って奴を知りたいんですけどー? オニーサンよぉ」
「ん、分かってる。でも、後少し待って。手早く終わらせるからさ」

終わらせる?と訝む俺を尻目に、男は両手を広げ赤い男に向ける。
すると、淡い光が発生し――やがて美しい蒼の稲妻が宙を彩った。

   ■   ■   ■

「おーおー、視える視える。よーく視えるぜェー」

窓際にいる男は、体を揺らしながら楽しそうに言った。その手には双眼鏡が握られ、視線も窓の向こうのテナントビルに向いている。

俺が今いるのは、繁華街のビルの一室だ。
突然訳も分からぬままにこの世界へと誘われ、鉱物が変化したような化け物に襲われ逃げていた途中に、この男に遭遇した。

挨拶も無しに、不躾に妹――蘭の事を聞いてきた、いかにも胡散臭い風体をした男。目の下の隈が、それをより一層濃くしている気さえする。

「なぁなぁ、お前も見ろよ~。面白いもんが見れるぜェ?」
「……うるさいな、見嶋」

そいつから言われずとも、俺は視線を眼下の道路へと向けていた。

短い黒い髪の、端正な顔立ちをした男。相手――見嶋が言った「マスター」とやらの特徴と合致する人間が、数名の者に囲まれ談笑しているのが見える。

「まぁ、とりあえずお兄ちゃんがやるべきなのは、あの輪に突入するって事。そんで、マスターちゃんと親しくなんの」
「そうすれば、蘭を助ける手段を吐くという事か。まどろっこしい事をせず、そう言え」
「ヒヒッハハ。それじゃ面白くねーだろ?」

――ガッ!! カシャン!

俺は奴の胸ぐらを掴み、睨みつける。床に叩きつけられた双眼鏡が乾いた音を立て、沈黙した。

「……俺をおちょくっているのか、見嶋」
「んな訳ないだろぉ。俺は、あんたの助けになるように言ってるだけだぜぇ」

掴んでいるコートが首を絞めているはずだが、見嶋の表情から奇妙な笑顔が消える気配はない。

「妹を助けたいんだろぉ? お兄ちゃんがそん位も出来なくて、どうやって助けるってんだよぉ?」
「貴様のその物言いが、どうしても俺を馬鹿にしているようにしか聞こえないものでな」
「誤解だ誤解~。俺はぁ、お兄ちゃんの事真剣に心配してやってるんだぜぇ」

相変わらず浮かべている薄ら笑い、心を読めぬ闇を湛えた目。
まるで蛇に睨まれている気分だ、と内心毒づきながら、俺は乱暴に見嶋を解放した。

「……良いだろう。貴様の茶番に付き合ってやる」

全ては、ただ一人の妹の為に。
俺は、奴の掌で踊る事を選択した。

   ■   ■   ■

「んー? というかさ、」

パンパンと衣服を叩く黒髪の男に、既に元の姿に戻った俺は声をかける。

「ん?」
「おにーさん、どっかで俺と会った事ある?」

こうして落ち着いて、改めて男を見てみると……俺は、この男に会った事がある、気がする。
あくまで気がするだけなのだが、初対面のような気がしないのだ。

俺の問いに黒髪の男は首を傾げうーんと唸るが、その表情は硬い。

「どう、なんだろうね。俺、記憶がないから」
「は?」
「俺は、この世界で目が醒める前の記憶がないんだ。だから、アンタと会った事があるかどうか、分からない」
「……マジで?」
「マジで」

俺の呟きを反芻させる男の表情は、真剣そのもの。嘘を吐いているとは、思えない。
胸中に残るこのもやもやを解決する術はなく、俺は溜息を吐いた。

ザッ、と足音が響く。
黒い旋風――もとい、黒ずくめのスーツに身を包んだ男が、俺と黒髪の男に近付いてきていた。手にしている大柄な剣が、見る者を威圧する。

「マスター様、この一帯の星喰いは掃討しました。この男のショウキに呼び寄せられ集まったものですので、大した力は持っていなかったようです」
「ありがとう、荊棘さん。――さて、物は相談だけど」

黒ずくめの男――荊棘、と呼ばれる男に笑顔で返し、くるり、俺とセンセーに顔を向ける。

「アンタ達も、俺についてきてくれないかな? さっきみたいな化け物や、この人の事も教えなきゃならないしね。何より、俺達に付いてくるなら安全だから。賭けても良い」

確かに、さっきのゲームから飛び出してきたような地球外生命体のような化け物の話は聞いておくべきだと思う。
俺はゲーム漬けだからこそ動揺も少なかったが、それらに縁のないセンセーなんかは是非とも説明を乞いたい所だろう。
だけど。

「それは有り難いが……一体何処に安全な場所があるんだ?」

俺が危惧した疑問を、センセーが口にする。
てっきりそれにアテがあった上での提案だと思っていたが、黒髪の男は困ったように眉尻を下げ、

「んー、それもそうだね……」

とこちらが不安になる事を呟いた。
がく、と俺とセンセーが肩を落とすが、そこに黒ずくめの男が口を開く。

「マスター様、とりあえずこの建物に避難してはどうでしょうか? 見た所、羽根を持った星喰いはいないようなので」

指し示したのは、すぐ側で口を開けているテナントビル。自動ドアのガラスは無惨に砕け、中へ誘うように佇んでいる。

「――……。うん、分かった。二人とも、付いてきて」

センセーと俺で気絶した赤い男を抱え入ったテナントビルは、確か現実世界では中華料理店と小規模な会社の事務所が入っているところだった。そこに、人影も活気も見あたらない。
階段を慎重に上がり、二階は中華料理店の厨房。そこそこ広いスペースに所狭しと並ぶ調理台を通り抜け、もう一階上がる。

三階はオフィスらしく、妙に質の良いソファが幾つか並び、中央にデカい机があった。
ソファの一つに赤い男を寝かせ、俺達はようやく一息吐く事が出来たのだった。

「でー? 何がどうなっちゃってるのよ、ココ」
「そもそも、ここは何処なんだ? 私達の住む世界と酷似してはいるが、雰囲気は全く違う」
「うん、説明が長くなると思うから……単刀直入に、結論から言っておくね。アンタ達は、別の世界に迷い込んだんだ」
「別の世界……? 異世界、という事か」

この、俺達の知る世界のようでそうじゃない感覚。
何時まで待っても昇ってこない太陽。
ずっと感じていた違和感は、紛れもなくその通りだったという事か。俺は目を伏せ、結論づける。

それだけじゃない――そう心の何処かで叫んでいる自分がいる事には、気が付かなかった。