Faker02

#1

西暦二○××年四月十日午後四時三十分 住宅街某所

「…………」

チリチリと、腹が痛む。

今日未明、この世界に星喰いが現れた。
場所は繁華街。幸いにも怪我人はいなかったとニュースでは報じているが、今なおこちらの世界の何処かに息を潜めていると思うと、背筋が凍る思いがする。

――確かめなければ。

異世界から現れた星喰い。それは、力の強大さを示す。かつて、何気ない帰り道になるはずだった僕を襲ったあいつ――仮面の星喰いなのかを。
例えアイツでなくとも、それに限りなく近い力を持っているのは確かだ、と僕は睨んでいた。

住宅街の外れの、路地が入り組んだ場所。僕はその一つに、迷いなく足を踏み入れ――そして、異世界へと旅立った。

   ■   ■   ■

西暦二○××年四月十日午後三時四十九分 総合病院ニ十一号室

「先生!!」

バァン、と扉を勢いよく開け、オレ達は病室に入った。
中にいたのは紫上先生と、雨宮先生。簡素なカーテンによって空間が隔てられているので、とても狭く感じる。
現れたオレ達がに溜息を吐き、紫上鏡一先生が渋面を浮かべる。

「……風間、お前達。病院では静かにしろ。そして、授業はサボるな」
「出来ると思うかよ! ――暁がやられたって、本当ですか!?」

そう、オレ達は午後一発目の授業中に呼び出された紫上先生と雨宮先生のやり取りを偶然にも聞いてしまい、いてもたってもいられず授業をバックれて総合病院までやってきたのだ。

昼間見た星喰いは、錯覚だ。誰かにそうと言って欲しかった。
だが――紫上先生の向こうに見えたそれが、事実なのだと再認識させる。
鳥谷が口元を覆い、信じられないといった表情で顔を青ざめ言った。

「――暁君……!」
「幸いにも、命に関わるような怪我はしていません。一緒にいた山吹君のお陰ですね」

こちらも同じく青い顔で言ったのは、雨宮優羽先生。学校の保健室の担当職員だ。

ベッドの上には暁が寝かされており、今は薬が効いているのか眠っているそうだ。心なしか、顔には苦痛が浮かんでいるような気がする。見える位置だけでも、かなりの傷を負っている。
暁は人一倍正義感が強い。戦力差が絶望的だと承知の上で、星喰いに向かって行ったのだろう。

雨宮先生の視線の先にはもうひとつベッドがあり、そちらの人物は上半身を起こしていた。

「全くよぉ……とんだとばっちりだぜ……」

そう毒づくのは、この街でホスト家業をやっていたと記憶している日明さん。額と右腕に白い包帯が巻かれ、頬や至る所にガーゼが貼られている。

「山吹、一体何があったんだ?」
「俺にも訳が分からねぇ……けど、あの星喰い、人間達を観察しているように見えた。そんで、そーやと俺が飛び出した途端、後を追いかけて来た。まさかとは思うけど……」
「戮が復活し、復讐に……或いは、ただ単にこちらの世界でセイバーを見つけたから襲ったか……」

紫上先生の言葉に、オレは身震いさせた。あれ程までの星喰いがいつ襲ってくるのか分からないこの状況ってのは、もしかしなくても相当ヤバイんじゃないだろうか。
星喰いがセイバーを見つけられると言うなら、この世界のオレ達には圧倒的不利だ。

「先生、そもそもこの世界に星喰いが現れたのも不可解です。それに、あいつが現れてからマスターと荊棘さんに連絡が付きません」

蒼井が表情を険しくさせたまま、端末を掲げる。連絡を取ろうとしたが、意味不明なマスターのメールが届いている事と電話が繋がらないのを告げられていたのも、オレに不安を抱かせる原因となっていた。

「とにかく一度、あちらの世界に行ってマスターと接触しましょう。マスターなら、何か原因を知っているかも」
「……そうだな」
「だ、だけど、オレ達あっちの世界に行く手段がないだろ」

マスターに連絡がつかないなら、いつもの手段は使えない。その問題をオレは慌てて指摘するが、蒼井は淀みなく答えた。

「俺達が一番最初にあの世界に行った方法がある。――街中の何処かに道がないか、みんなで手分けして探そう」

#2

西暦二○××年四月十日午後四時二十分 路地裏

「んなー」

まるでアスレチックのように散乱したペールと木箱の列を器用に飛び移りつつ、僕は路地裏をずんずん進んでいた。気分的には、ずんずんと。
跳ぶ度に鳴る首輪の鈴は、何時から聞き続けていただろうか。

「……にゃ?」

ふと、自慢の髭がピリピリ響いた。こういう時は、周囲に何かしら異常がある時なのだ。
まぁそこまで大した事はないだろうなと気にするのを止めかけ、――そして見つけた。

「バウ?」

げ、ソラタだ。
黒いフサフサの毛並みを持つ、僕とは違う種族の生物。けれど、本質の何処かが似ているソイツは、僕を視界に入れると尻尾を振りながら近寄ってきた。

「バウバウ!」
「にゃー……にゃあぁ?」

うるさいどっか行け、と僕は尻尾でシッシと追い払おうとするが、ソラタは必死に何かを差し示そうとしていた。指はないから、鼻でだけど。

全く何だよ、とその鼻の先を追いかけると、髭のピリピリが強くなった。こっちの世界では感じた事がない、異様な気配だ。

「……にゃぅ。にゃ、にゃー」
「バウ!」

仕方ない、この原因を突き止めないとコイツは何処かへ行かないだろう。そうなると、折角のこの日向ぼっこ日和が台無しになる。
僕はついて来い、と尻尾を回し、ソラタを連れ気配の元へと歩き出した。

   ■   ■   ■

西暦二○××年四月十日午前十一時二十三分 異世界の何処か

「あ、あれぇー……」

おかしいなぁ。
ボク――天草水樹は頭を抱え、目の前の光景を再び確認する。

今日は愛の家で割り当てられた家事当番を終わらせると、昨晩作ったお菓子を持って星辰学園へと出向こうと思っていた。
最近はみんなのご飯だけでなく、荊棘さんに教わってお菓子作りまで勉強しているのだ。その試作品を誰かに食べて貰いたくて、幾つか電車を乗り継いで遥々やってきた、はずだった。

それなのにいざ辿り着いたのは、何故か異世界の繁華街。今までの自分の行動を思い返すが、さっぱり原因が分からなかった。

「うぅ、そういえば初めてここに来た時もこんな感じだったっけ……星喰いが出てくる前に行かなきゃ」

幸い、この近くにマスターが根城にしている建物があったはずだ。三人で食べるには少し量が多いが、そこでお茶でもしてマスターに帰して貰おうと思い直し、ボクは歩き始める。

――暫くして、雰囲気がなんだかおかしい事に気が付いた。
周囲はいつものように、害には及ばない程度の瘴気が漂っている。現実世界とは全然違う濁った空も、いつもの通りだ。
――でも、何かが違った。

込み上げてくる不安を振り払うように、ボクは目的の建物のドアを開け階段を駆け出した。この最上階周辺が、マスターのいる部屋だ。

ようやく登り切ると、現れた無機質なドアを押し開ける。

「マスター、お菓子を持ってき――」

そこで目にしたのは、いつもの平穏な光景ではなかった。紡がれるはずの言葉は、尻を窄めながら墜落していく。

何で。どうして。

どうしてここに、あの星喰いが――

「みず、き!? 逃げ――」

マスターの苦しげな声がボクに届くが、それは残念ながら効果をもたらさなかった。
低い唸りを上げた黒い腕が、視界を占領し――そこで、ボクの意識は遠のいていったからだ。

#3

西暦二○××年四月十日午後四時三十五分 住宅街

わたし達は、暁君が寝かされている総合病院を出て街中に繰り出した。
セイバーを察知する星喰いが何時何処から現れるか分からない緊張感を抱いたまま、異世界に行ける歪みを探すのだ。
どうしてか分からないけど、そうしないとあっちには行けないから。

もしもの為にと、グループで固まって行動する。それが、紫上先生からの言いつけだった。
わたしは今、部活を休んで合流してきた美妃ちゃんと、黄太と一緒にいる。蒼井君の方には風間君、紫上先生がついているから、きっと大丈夫だろう。

「鳥谷、紅葉」

唐突に、黄太がわたし達の名を呼んだ。何時も「おめぇ」しか言ってくれないから、わたしの名前を覚えてないのかと疑った事もあったけど、ちゃんと覚えてはいてくれたらしい。

「ん? どうしたの、柱間君」

美妃ちゃんの問いにも、黄太は振り向かない。わたし達に背を向けたまま、淡々と言葉を続けた。

「おめぇら、もしあの星喰いが現れたら、真っ先に逃げろ。良いな」
「え、ちょっと待って。黄太はどうするのよ」
「おめぇらが逃げる時間位は、何とかしてやるよ」
「それって――」

それってつまり、わたし達を逃がす為の囮になるって事?

そう言いたかったが、黄太の雰囲気がそれを許さなかった。
思い出される、暁君と日明さんの姿。二人はあれで済んだけど、黄太もそれで済むとは限らない。
止めるべきなのは分かっている――だけど、わたしの口は思うように動いてくれなかった。

「良いから。逃げたら、センセー達か蒼井んトコ行って指示を貰え。紅葉に怪我させたら、オレがカザに殺される」
「って、美妃ちゃんだけ心配なの!? わたしは!?」
「おめぇは紅葉の護衛だ」
「あ、あんたねぇ……!!!」

酷い言われようにわたしは声を上げ、拳を振りかざす。

刹那。

あの、地獄の底から何かが這い出てくるような慟哭が、周囲の空気を響かせた。――戮だ。

通り過ぎようとしていた建物の影に身を隠し、様子を伺う。上空に、あのおぞましい姿が浮いていた。

「言った側からコレかよ」

持っていたスケートボードから手を離す。ボードはガシャ、と音を立て地面に落ち、黄太はその上に右足を載せた。

「オレが出た後、アイツが完全に見えなくなったら行けよ」
「柱間君、待って!」
「こ、こう……」
「じゃな」

ジャッ!
美妃ちゃんの制止も構わず、地面を思い切り蹴り、ボードのホイールに前進する力をかけると、黄太は自ら戮の前に躍り出た。

「こっちだ、バケモノ!」

止せば良いのに、黄太がわざわざ自身の存在を戮に主張する。
気が付いたあいつは、大きい体をのろのろと方向転換させ目標目掛けて突進していく。それを間一髪躱し、更にスケートボードを加速させた。

黄太の向かう先は、繁華街や住宅街と――そしてわたし達と正反対。本気で、一人で戮を引き受けるつもりらしかった。

「美妃ちゃん」
「茜ちゃん、今は柱間君を信じよう」
「……うん」

わたしは美妃ちゃんの言葉に頷き、戮の姿が見えなくなった頃に動き出した。
黄太、無茶しないと良いんだけど。

同時刻。

蒼井と風間を連れ、私は路地裏の通りを歩いていた。
異世界への道を探すと言うものの、流石に街を虱潰しに探す時間はない。しかも、襲撃者というリスクが付き纏うのなら尚更。
よって、私は自身が以前異世界に呑まれたこの場所を訪れたのだった。

「当初は神隠しだ何だと騒がれていたが、今は静かなものだな」
「そりゃあ、何もない方が良いに決まってますよ。女子供まで容赦なく戦いに行く必要ないし」

風間が頭の後ろで腕を組みながら、もっともな意見を口にする。正直な所私も同意見なのだが、些か疑問が生じ首を傾げた。

神隠しにしても、同じ場所を通った人間で異世界に迷い込む事はなかった者もいる。その異世界への道というのは、セイバーになり得る者の前にしか発生しないのではないだろうか。
そして、その異世界を構成する要因のひとつである瘴気や負の感情。それが星宝石と呼応し、星喰いを生み出すのなら――セイバーの気配を感じられる戮は、世界のコピーとも言えるのではないか。

「……考え過ぎか」
「え?」
「いや、何でもない」

どちらにせよ、今この時には関係のない事だ。今は、マスターに会う為に異世界への道を見つけなければ。

「ワオオォーン!」

と、突然人間ではない声が吠えた。
わぁ!という風間の声に振り向けば、何故か彼は地面に突っ伏し、中型の黒い犬にのしかかられている。

「な、何だよお前!? つーか退け!」
「風間……」

蒼井が哀れみを込めた視線を風間に投げかけ、私は溜息を吐いた。遊んでいる場合ではないぞと注意しかけ、気が付く。
黒い犬が、野良ではなく私達の知る者だと言う事に。

「ん? お前、空太か?」
「ワァウ!」
「ニャァ、ンナァ」
「アスハも……」

その側に黒猫――アスハも現れる。
二人、いや二匹は路地裏の更に狭い場所から飛び降りて来たらしい。アスハは蒼井の周辺をうろうろし、やがてある路地の一本の道の前に立った。

「ニャー、ニャア」

そこで尻尾を振り、そのままその路地に入って行く。遅れて、風間の上から退いた空太もアスハの後を追いかけていった。

「……ついて来い、という事か」
「行きましょう。アスハ達なら、もしかしたら道が分かるのかも」
「あぁ、そうしよう」

彼らは特殊で、過敏な存在だ。人間が分からない事も、彼らならば何か察する事が出来ているのかもしれない。

私達は二匹を追いかけ、路地裏の更に奥へと入って行った。

■ ■ ■

視点:村崎十織、風間葉一、夜噛アスハ、天草水樹、鳥谷茜、紫上鏡一