「…………何て言うか、悠斗」
「何だばかつき」
「すみませんでした。堕ちたオレが馬鹿でした。反省します」
頬を赤くした暁が物言いたそうに俺の名を呼んだので、僅かに声のトーンを低くして応える。
こんなのねぇよ、と不服の声を上げようものなら、こうなるまで俺達がどれだけ苦労したか懇切丁寧に説うてやろうと思ったが、その必要はないらしい。正直疲労もあるので、その方が有難い。
「はは、元気有り余ってるねぇ。流石宗谷だ」
「マスターの何気無い言葉も、今は責めてるようにしか聞こえねぇ……!」
「良いな、暁。俺が警戒線は張っておく。星喰いか何かが来たら、選抜は頼んだからな」
「分かってらぁ。サボってた分、そんで堕とされた分しっかりやり返してやるぜ!」
やる気だけは充分な返事を聞き、警戒する為に改めて意識を集中させる。にしても、コロコロ表情を変えて忙しい奴だ。
ここは、先程の場所よりも暗い。地上からの光が届いていないので当たり前なのだが、その代わりに不気味に光る植物が生えている。
暗さで目が利かないのなら、頼りになるのは音。
静かに、それでいて素早く。
移動は気をつけ過ぎるくらいが良いかもしれないな、と判断する。
「……なぁ、悠斗」
「何だ?」
「お前、怪我したりしてないよな?」
「……特筆すべき派手な怪我はない、安心しろ」
「なら良いけどさぁ。何か、血生臭い臭いがするような……」
それは、マスターが。
と言おうとして、止めた。
今この事態に余計な情報を吹き込めば、暁の事だ――自分を責め立てるかして、戦意を喪失させるかもしれない。幸い、マスターが怪我をしている可能性を考慮していないようだし、せめてここを脱出出来るまでは隠し通せるだろう。
と考えた所で、否と返ってくる返事があった。
「違う」
「え?」
思わず聞き返したのは、その声があまりにも低く、その人物が発したものだと理解が出来なかったから。
そして、彼は走り出した。
音なんて気を付ける余裕はなく、地下に三人分の足音が響く。
「悠斗、宗谷、走れ! この先だ!」
「ど、どうしたんですか!?」
「この世界で、血を流す生き物――そんなの、人間以外にいないだろ!?」
「あっ……!!」
星喰いは鉱物のような身体だから、血なんて流さない。
この世界で血を流す事が出来るのは――
そして、それが意味するところは――
嫌な予感は、収まるどころか膨らむばかりだった。
進行方向の暗闇に、妖しく光る黄金。ぐるるるるるる、と奇怪な声を発したそれは、俺達の進路を塞ぐ形で立ち塞がる。
「っ……!」
「コ、コイツ……ゴルドゴーグ……!」
トライポッドパーピュア、フレイムファクス、と今まで様々な星喰いと対峙して来たが、星喰いの進化形態――このゴルドゴーグと戦った記憶はまだ新しい。
あの時はフルメンバーだったというのに、倒すまで時間の感覚を喪失していた。皮膚は無慈悲に硬く、俺の剣や暁の拳のダメージが軽減されてしまうからだ。
それを、俺と、暁だけで?
マスターもいるのに?
『無理だろう、諦めろ』
俺の心の裡で、誰かが囁く。
否定したいのに、声が出ない。
『諦めて、マスターをあいつらに捧げろ。そうすれば、俺達は助かるんだ』
『傷付くのは嫌だろう?さぁ、逃げよう。暁と、マスターを置いて逃げよう』
『やれないんだったら、俺が代わりにやってやる。お前はただ眠っていれば良いんだ、簡単だろう?』
視界を、どす黒い何かが覆い尽くす。
何者かの手が、おいでおいでとゆらゆら動く。
そのまま意識も、心さえも――。
「馬鹿言ってんじゃねぇ!!!」
ガスン!!
闇雲に振り回した腕が固いものの感触を伝え、どろりとした液体が肌を伝う。暗闇で見えない場所に、地下の壁があったらしい。激痛が、走る。
でも、俺にとっては好都合だった。
怖れで凍りついた心が、痛みで冴え渡ったからだ。
「暁! マスター連れて、先に行け!!」
「「悠斗!?」」
「マスターを守りながらじゃ戦えねぇ! 柱間達もこっちに向かってるはずだ、合流して戻って来い!」
「お前、それじゃ……」
「いいから行け、ばかつき!!!」
言いながら、サファイアの力を呼び起こす。ふわ、と風が舞い上がり、手の中に蒼く輝く剣が現れた。
やがて、二人の足音が俺から遠ざかっていく。流石の暁でも、意図を読んでくれたらしい。
これで何とか、全力で戦う事は出来る。
後は、体力が持つかどうか――。
「悠斗、無茶だ! 星喰いは……!!」
マスターの叫びは、ゴルドゴーグと対峙する俺の耳には届かなかった。
悔しいと言えば嘘じゃないし、躊躇いがなかったかと聞かれれば、あるに決まっている。
だけど、あそこまで切羽詰まった表情で叫ぶ悠斗をオレは見た事もなかったから、正直ビビってしまった。
戻る、と散々オレを振りほどこうとするマスターを連れて、仲間一人置き去りにし、逃げる。
ああ、オレはなんて弱いのだろう?
でも、悠斗はやると言ったらやる奴だし、オレと違って強いし、逃げるタイミング位心得ているに決まっている。
そう、分かっているのに。
それでも、どうしてもこの心の靄が拭えないのは――。
(あんだけ綺麗だと思ったサファイアの剣が、曇ってたから、か)
悠斗は、堕ちたオレ達と戦った後だ。
相当体力を消耗しているはずだし、それを剣が物語っていたとしてもおかしくはない。オレ達が持つ武器は、当人の心そのものなのだから。
変身する為には、心が強くなければいけない。石に認められなければならない。
でなければ、石の持つ強大で淀んだ力に呑まれる、と言われたのはいつだったか。
やはり、逃げずに共に戦うべきだっただろうか?
「……血、が」
「え?」
力なく呟かれた主語を、全力疾走の音が木霊する場所であるにも関わらず奇跡的に聞き取り、オレは意味を問う。
「臭いが、強くなって来た」
■ ■ ■
嫌な予感というものは、本当に良く当たるもので。
死屍累々。
覚悟を決めてその先に進んだオレ達の目の前には、正しくその言葉通りの光景が、広がっていた。
中央に陣取るは、星喰い。
今まで見て来たものよりも随分曲線的な体つきで、翼があり、凶悪な瘴気を吐き出している。
対峙するは、日明さん。
自慢の衣服を砂や泥塗れにさせ、右腕をだらんと垂らしている。左手に握る銃が、彼の戦う意志を示す。
その周りに倒れる、仲間達――
「こっ……黄太、カザ!! 新芽!!」
オレはショックを抱いたまま、一番近くに倒れていた黄太とカザ、二人を守る新芽に駆け寄る。
三人とも衣服はボロボロで、身体中に怪我を負い、もう立ち上がれない程度にダメージを受けているようだ。唯一、新芽だけがギリギリ座り込み、栞の力で二人を守っていた。
オレが近付いたのが分かったのか、黄太が力なく笑う。そこに、いつものふてぶてしさも覇気もない。
「……よ、ぉ……。ばかつき、おせぇ……」
「悪かったな! んな事より、どうしてアンタが……! 何があったんだよ!?」
「悪ィ……しくじっ……た」
怪我が痛むのか、ぐぅ、と小さく唸る黄太。
どうして、こんな事に――?
「新芽、一体……」
「コウ! 暁君!!」
ガラッ!と瓦礫の山が崩れ、オレ達を呼ぶ。
黄太達に負けない程度には身体中傷だらけで、でもまだ動ける仲間――と言えば、あいつしかいない。
そして、ほぼ同じタイミングで別の場所の瓦礫も崩れる。そちらでは、黒冬が無言でレイピアを振るい邪魔な瓦礫を払っていた。
当然、無事ではない。
額から血を流しているが、そんなもの気にしないといった様子で構える。
「十織、和馬! 日明さん! 何があったんだよ!?」
「そーや、落ち着け」
叫ぶように問いかければ、和馬にキッと双眸を細くし睨まれる。
「お前、状況を分かっているのか?」
「ごめん、説明して、いる暇は……」
「おやおや、ようやくおいでですか? あなた方のマスターとやらは」
仲間の誰とも違う、硬質な低い声がオレの耳に届く。
と同時に、まるで包丁でも向けられているみたいな悪寒が、背中を走った。
嫌だ、後ろを向きたくない、向けられない。
警鐘を鳴らし御しようとする脳の命令を無視し、声の方に目を向ける。
「誰だ!?」
「また随分と荒い聞き方ですね。礼儀というものがなっていない」
それは、男だった。
白い衣服――先生が着ているのと似たような形だから、多分白衣だ――を身に纏い、オレ達を品定めするかのように視線を向けている。
「……灰敷……!!」
一瞬、オレは誰がそう吐き捨てたのか分からなかった。
けれど、オレの後ろにいるのはそう、ただ一人だけのはずで。
「マスターがマスターなら、セイバーもセイバーですね? 全く、野蛮な人間に付き合っていられるほど暇じゃないのですが」
「野蛮はどっちだい? 人の仲間をここまで叩きのめしておいて、随分と他人事のように言ってくれるね」
「実際、他人事だ。私は彼らに用があったのではない。だが、君に会うには彼らが邪魔だったのでね。正当防衛と言うものではないか?」
「良くもまぁ、ぬけぬけと言ってくれる……!」
正当防衛――果たしてそうだろうか?
男――灰敷の隣にいる星喰いにダメージはなさそうに見える。反面、仲間達は皆何処かしら怪我を負い、気絶している者さえいる。
それに何より、この男は得体も知れぬ者。平然と嘘も口に出来そうな印象だ。
「さて、そんなのは些細な事。私は君に会いたかったのだよ、ジュエルマスター」
「俺はアンタに会いたくなかった」
「つれない事を言わないで欲しいな。その為に、止むを得ず彼に協力して貰ったのだから」
くい、と灰敷が示した先には、黒の装束に身を包んだ人物がいる。
テンガロンハットの下に刃物のような鋭さを宿し、ただただ沈黙を守るその人は――
「荊棘、さん……?」
■ ■ ■
あぁ、マズい事になったなぁ。
目の前に現れた事実に、僕は内心溜息を吐いた。
身体の痛みは、もうほとんど消えている。こういう所だけは、自分の身体の丈夫さに感謝するんだけど。
「荊棘の旦那ァ……何で、そっちにいるんだよ」
「つまり、あの執事はコイツの手先だった訳か。一杯喰わされたな」
山吹さんが、普段よりも低い声で。
黒冬君が、悟ったように。
口々に、問いかけと推測を口にする。
荊棘従道。
僕が知る限りの情報は、目覚めたコウが初めて遭遇したセイバーであり、彼らの司令塔を務める人物。
つまりは、彼らにとって“いなければならない、不可欠な存在”だって事。
そんな人が手のひらを返せば、ああもう。最悪じゃないか。
「荊棘さん、何で」
隣では、暁君が呆然としながら尚も訳を問いかけている。答えは変わらない、そもそも返って来ない。
「ねぇ、荊棘さん。光君は、元気?」
こんな時に何を呑気に、と口にしかけ、僕はコウに視線を向ける。
でも予想に反し、めちゃくちゃ真剣な表情で、ちょっとした行動も見逃さないといった様子で、答えを待っていた。
顔を覆うように眼鏡に手をかけ、俯く荊棘さんの答えを。
果たして、荊棘さんは答えた。
「……えぇ。先日お会いした時も、熱心に勤勉に励んでおられました」
「そう」
僕はコウとはあまり一緒に行動しないから、付き合いは長くない方だと思うけれど――多分、荊棘さんの答えはかなり腑に落ちていないと思う。ここまで不機嫌そうに、納得していないという声音の「そう」は聞いた事がない。吐き捨てた、って言った方がしっくりくる。
でも多分、この違和感は僕だけじゃないらしい。山吹さんも、かなり怪訝な顔をしているからだ。
「知っての通り、私は星喰い共の生態の研究をしている訳だが――」
そんな問答を経て、痺れを切らした灰敷が口を挟んで来た。
「やはり、偽物では何の成果にもならない。そこで、君に相談なのだが」
「断る」
即答。まぁ、予想通り。
こんな得体のしれない男の交渉なんて、僕だって聞く前に断る。
でも、灰敷は不満気に肩を竦め、話を続けた。
「話は最後まで聞きたまえ、ジュエルマスター。素体をいくつか提供して欲しいのだ。研究が進めば、君の苦労を軽減してやると約束しよう」
「断ると――」
「君の手を煩わせないよう、手っ取り早く堕としてやった人間だけで良い。犠牲は少ない方が良いだろう?」
「堕としてやったって……まさか!?」
あー……成程。
ここから溢れてたおかしな瘴気は、全部この男のせいか。
異質な星喰いを飼い慣らし、セイバー達を故意に堕とさせる程の瘴気を操る。そんなの、星喰いでもない限り不可能なはず。
相手は星喰いと同様か、それよりヤバイ相手だと判断した僕は、改めて剣を構える。そうと分かれば、もう躊躇いは要らない。
気が付けば、堕とされた残りの者達が僕らを包囲していた。
ここから左右に紫上先生、天草君。
僕らが入って来て、暁君とコウが現れた入口前に、上絶。
そして、無言で大剣を構える荊棘さん。
四面楚歌、って奴。
「彼らを解放しろ。今なら目を瞑ってやる」
この状況に置いて、コウは冷静だった。
いや、冷静ではないのかもしれない。でも、声は空間に良く響き、鼓膜に吸い込まれる。
「おやおや、立場が分かっていないようですね? 君は命令出来る立場ではない。この場の優位性は、私にあると思うのですが?」
「――っ……!」
「人質か。姑息な手を使わなければ、話も出来ない脆弱だな」
「……口は慎め、と遠回しに忠告してやったのに」
くい、と動かされる指。
たったそれだけのアクションなのに、星喰いは瞬時に反応し、黒冬君の背後に移動した。
蹴飛ばすように繰り出された蹴りが、一瞬遅れて受け身を取った黒冬君の背中にヒット。
彼は勢いで吹っ飛ばされ、ガラガラと壁が崩れる音がする。
「――っ!!!」
「黒冬君!!」
「チィ……!」
舞い上がった砂塵を割くように、黒冬君が駆ける。
吹っ飛ばされた痛みなどない、といわんばかりに瞳を鋭くさせ、衝撃を与えた当人である星喰いに飛びかかった。
「黒冬っ!!」
「人質がいるから止めろ、と言うなら無視させて貰う。俺は、お前らと馴れ合うつもりはないからな。目の前に敵がいるなら、――斬る。ただ、それだけだ」
星喰いは、鋭い爪を出し黒冬君のレイピアを受け止める。口の中を切ったのか、血を吐き捨てながら彼は答えた。
その一幕が合図だったのだろう。
堕ちた仲間と、星喰いが、同時に僕らに襲いかかってきた。
僕は彼らとの触れ合いも少ないけど、黒冬君みたいに非情にもなれない。でも、マスターであるコウは守らなければいけない。
もう、彼女のような死なせ方だけはさせない。
覚悟を決め、僕も得物を握り直した。この世界のマスターを、守る為に。