Braver02

温かい心地のする、日溜まり。

「おばあちゃん!」

光でおぼろげになっている姿を見つけ、僕は声を張り上げて呼んだ。
おばあちゃんは振り向いて、笑顔を浮かべる。

「おお、どうしたんだい?」
「おばあちゃん、またあのおはなししてー?」
「またかい? 本当に好きなんだねぇ」
「うん! ぼく、おばあちゃんのおはなしだいすきだよ!」

何時も繰り返されるやり取り。
そして――その僕の返答に、おばあちゃんの笑顔が歪むまでが、何時も疑問だった。
一瞬で消えてしまうその表情は、だけど僕の心にしっかりと刻まれている。

「じゃあ、縁側に行こうかねぇ。今日は良い天気だよ――」

「ん……?」

優しい感覚に意識を揺り起こされ、僕は目を開ける。
だけど、そこは僕の知る世界とは全く違う雰囲気をしていて。
街……なんだろうけど、何度か訪れた事のあるあの街とは似ても似つかない。くるりと首を回し記憶と照らし合わせるけども、やっぱりそこは僕の知る街とは違っていた。

「…………。僕、夢を見てるのかな……」

ぼんやりする頭で呟きながら、頬を抓る。

「……いたい」

つまり、夢じゃない。僕はしっかり起きていて、現実の中に立っている。
途方に暮れ、ふと思い出す。

「ここは……もしかして、おばあちゃんが言っていた不思議な世界……? 本当だったんだ」

おばあちゃんが良く話をしてくれた、不思議な世界と子供達の話。
そこは二つの月があって、ずっと真っ暗で、ただただ荒れ果てた大地と建物が広がっていて――それで、

「!」

考えていると、突然金切り音みたいなものが鼓膜に響いた。思わず耳を塞ぎ、その方向を振り返る。

「キィィィィィィィ……」

アメジストの宝石のような、紫色の輝きを放つ頭部から四方に延びる脚。蜘蛛のような出で立ちのそれは、瞳がないのに僕を捉え、光を妖しく明滅させる。
それは、現実世界では見た事もない、紛れもない化け物だった。

「……っ、化け物……!」

化け物は僕を嘲け笑うように、緩慢に脚を動かす。それが地面に下ろされる度に、ズシィ、ズシィと揺れる。

「う、うわぁっ!」

逃げる。逃げるんだ。逃げろ!
頭の中で鳴る警鐘、だけど僕の足は意思に反して、釘を打たれたかのように動かない。

化け物との距離、数メートル。
僕に攻撃しようと、脚が振り上げられた。頭部の宝石の輝きが、一層不気味に光る。

「全く、見境がありませんね」

静かな囁き。
その声が聞こえたと同時、黒のスーツに身を包んだ男の人が現れた。

男の人は僕と化け物の間に割り込むと、光に包まれ一瞬にしてロングコートを翻し、大きな剣を化け物の脚に振るった。
化け物は不快な叫び声を上げ、後方へひっくり返る。

「彼は丸腰ですよ。貴方のような者には、お仕置きをしないといけませんね……?」

ビッ、と大剣を払い、男の人が言う。表情こそ見えないけど、声は幾ばくか弾んでいるような気さえする。

恐らくは、数秒にも満たない一連の出来事。
それに動揺し、パニックを起こしかけた僕の口は、無意識にひとつの単語を紡いだ。

「セイバー……?」
「! この世界の事、ご存じで……」

小さな声だと思ったのに、男の人は僕の呟きに反応し少しだけ顔をこっちに向けた。眼鏡の向こうに見える細い瞳が、今は驚愕に染まっている。

男の人が言いかけ、その時吹っ飛んでいた化け物が起き上がる。金属音が、より強く響く。

「話は後ですね。退がっていて下さい」
「は、はい!」

男の人が大剣を構え、化け物と対峙する。僕は指示通りに二、三歩退がった。
でも、その次に起きたのは――僕と男の人の予想を遙かに裏切った。

化け物は僕達を襲ってくるものと思いきや、くるりと方向を変え、さっきの緩慢さは何処に行ったと言いたくなる勢いで逃げ出した。

「?」
「逃げ……た?」
「まさか……星喰いに、そのような知能があるとは思えませんが……」

それには流石の男の人も面食らったようで、怪訝な表情を崩さないまま僕の言葉に返す。
何だか訳が分からないけど、とりあえず訪れた静寂に、僕はあの、と男の人に声をかけた。

「この世界を旅しているんですよね? 僕も――僕も、ついていって良いですか?」
「……危険ですよ?」

男の人は僕を真っ直ぐ見詰め、聞いてきた。
危険なのは知っている。おばあちゃんが言った事が本当なら、僕自身が大怪我を負う事だってあるだろう。
でも、と僕は男の人の視線をしっかり受け止め、口を開いた。

「分かっています。でも、僕は――」

ズオオオオオオォォォォン!!!

刹那、何処からか轟音が響いていた。
何かが崩れたような、地面が大きく揺れたような、そんな音だった。

男の人は顔を上げる。今し方化け物が逃げた方角を睨み付け、しまった、と口を動かしていた。

「今の音、」
「繁華街からですね。先程の星喰いの仕業でしょう……少年、私と一緒に来て下さい!」
「は、はい!」

男の人は、言うが先か駆け出し、僕も返事をしながらその後を追いかける。
何があったのかは分からない――だけど、これから先見る物は、おばあちゃんが見ていたものなのだと、僕は確信を抱いていた。

この時はまだ、疑いもしなかった。
おばあちゃんの話が、本当は真実じゃないって事を。

■ ■ ■

「…………」

少年――陽世新芽が、男――荊棘従道を追いかけ去った数秒後。
彼らが立っていた場所に、建物の陰から姿を現した者がいた。

陽世新芽が纏う制服とは異なるそれに身を包み、短い黒髪から覗く細い赤。
視線は、二人が去った方向に向いていた。

「……陽世新芽。あいつが……」

彼はそれだけを呟き、フン、と鼻を鳴らすと、再び建物の陰に身を滑らせた。