Biter03

#1

「すごいなぁ、蒼井君……」

まだ変身が出来ないので、ボクはマスターの隣で、彼らが作戦会議をするのを眺めていた。
自分よりもいくらか年上の人達に、怯む事なく自身の考えを伝える彼の姿は、ボクの目には眩しく映る。そんな感情が自然と口をつき、はっと慌てて押さえた。
そんな努力虚しく、残念ながら聞かれたようで、マスターはきょとんとした後、苦笑を浮かべながら口を開く。

「天草だって、じきに悠斗みたく戦えるようになるよ。ね、オーブ」
「はい。貴方様もセイバーの力をお持ちですので、それは間違いないかと」
「でも、ボクみたいな弱虫が、戦えるかな……?」

昔から何かあると、すぐ浮かんでくる涙。涙腺も心も、何もかも弱い自分に嫌気が差していたものだ。
愛の家では、子供達の中で一番年上だったから、自分がしっかりしないとと思っていたし、シスターにどやされながらも何とかやっていけたが、ここにはシスターも子供達もいない。不安と恐怖で、今にも身がすくんで立ち尽くしてしまうかもしれないのだ。
ここに付いて来たのだって、何かをしなければ安全な拠点にいれなくなるかもしれないと言う恐怖からだ。結局、ロクに役に立てていないけれど。
それを吐露すると、マスターはうーんとひとつ唸り、言った。

「本当の弱虫は、危険だと分かっている浄化作戦に率先して参加する、なんて言わないと思うよ? それに悠斗だって、合流してから暫くは変身出来ていなかったからね」
「え」
「聞いてない? 変身出来るようになったの、つい最近だよ。それまでも、俺の隣で作戦指揮を執ってはいたけど」

尊敬の念を抱く相手にも苦悩する事があったのを知り、ボクは驚く。そんな事があったと言う事を思わせるような素振りは、全くなかったから。
ぽん、と頭に置かれた掌が、ボクの髪を巻き込みながら撫ぜられる。シスターにこうされる事は少なかったけれど、彼女より大きな手は、不安だった心を落ち着かせてくれた。

「だから、天草もちゃんと変身出来るようになるし、戦える。俺が保証する」
「マスター……」

にこにこと笑顔でそう告げた彼を見上げ、そう呼んだ直後。
マスターは何かに気が付いたのか、笑顔を消し赤い瞳を細め、背後を振り返る。

一瞬遅れてその先に現れるは、星喰い。
しかも、例の奴だ。

「――!!」
「ひっ……!!」

短く出てしまった悲鳴は、だけど長くなる事はなかった。黒い風が瞬時にボク達の前を横切り、向かってくる星喰いを討ち払う。
一歩遅れて、変身を済ませた柱間君が、荊棘さんに続いて棍の一撃を叩き込む。

「柱間様。合わせますので、好きになさってください」
「おっす」

柱間君が棍の一撃、続いて荊棘さんの横薙ぎ。抵抗する隙を生み出さないよう、タイミング良く繰り出される攻撃の手。
短いやり取りを終え、二人がそうやって攻撃を加えるのを眺めながら、ボクはふ、と星喰いに目をやった。
明滅する頭部の宝石の輝きが、さっきよりも強くなっている気がする。確証は持てないけども、何だろう、と首をひねった。

「荊棘さん! 交代!」
「――お願いします!」

連撃の最後をわざと大振りに振り、星喰いと僅かに距離が空いた隙に、荊棘さんが蒼井君と入れ替わる。追撃が来ようものなら、見嶋さんの光球か柱間君の追撃が入った。
代わりの蒼井君が蒼剣を振り下ろし、星喰いに攻撃。荊棘さんはこちらに駆け寄り、マスターから何かを受け取って待機。

その流れが二、三回続けられたけれど、やっぱり守護石の力を奪われ、相対して敵が強くなるのは大変なようで、ダメージを受ける事も多くなっている。
五回目を過ぎた頃、ボクは激しい戦闘音の最中に、声を聞いた。

「――イ、ナイ、ドコ……」

――いない?

キョロキョロと周囲を見渡すけれど、すぐ隣のマスターは星喰いを浄化するタイミングを図る為に集中しているし、オーブさんも然り。少し離れた場所にいる見嶋さんの声でもなかったし、前で戦っている三人の誰かの声でもない。

じゃあ誰?と首を傾げた所で、この場には人ではないものがいる事に気が付く。
――まさか?

その時ボクの脳裏に、マスターに出会った時の記憶が蘇った。

『星喰いは、人の願いを糧にして生み出されるもの。諦めてしまった願いが、媒介となった者を星喰いにしてしまうんだよ』

諦めてしまった願い。
イナイ。ドコ。
誰が? あるいは、何が?

教会で暴れていた堕ちたセイバーも、父親がいない絶望に泣き叫んでいた。それと同じ?
いや、そんな細かい事は今は分からない。だけどひとつだけ、分かった事はある。

「っ……! チィッ!!」

その時、前線に復帰直後の柱間君目掛け、星喰いが不意の突進を繰り出してきた。
彼は間一髪避けたけど、星喰いは見嶋さんやボク達の方に向かってくる。蒼井君は避けたせいで距離があり、回復中だった荊棘さんが即座に応じ動くのが見える。でも力を奪われ、万全ではない身体では。

ボクはマスターとオーブさん、二人と星喰いの間に出ると、両手を広げた。こんな事で止められるとは、露ほどにも思わないけど。

「マスター、下がってくださいっ!!」
「っ天草!! アンタじゃまた――」

マスターが慌てた声を上げる。でもボクは従わず、向かってくる星喰いに向けて、叫んだ。

「ダメなんですっ!! 諦めちゃダメだよ!! 全てに絶望して、石に飲み込まれちゃ!! そんな姿になってなお会いたい人がいるなら、その願いを捨てちゃダメなんだ!!」

声は届かない、その事実が、ボクの深い所に浸透し、己には無理なのだという暗い感情に変化していくのが分かった。
だけどせめて、この一言だけでも良いから、星喰い――いや、星喰いになってしまった者の心へと届いて欲しい。
マスターみたいに、誰かの心を救えるかもしれないのなら、ボクは、諦めたくない!

「お願いだよ、思い出して!!」

――その時、光が溢れた。

眩いばかりの光が、視界を端から奪っていく。

「!? え、」
「石が……! 天草、手を!!」

最早真っ白になってしまった世界で、唯一耳に届いたマスターの言葉に、ボクは手を伸ばす。
そして、体が軽くなるのを感じた。

#2

「マスター! 天草!!」

二人が星喰いと共に光に包まれたかと思うと、一瞬にして視界が晴れる。
咄嗟に腕を持ち上げ庇った目を開けると、淡く光る障壁が、星喰いの進行を遮っているではないか。マスター達は障壁の向こう側にいて、片膝を付いている。
彼の視線の先――前方にそれを張り巡らせ、胸元に抱えたままの聖書を握り締めるのは、さっきまでマスターの隣にいた彼ではあるが、彼ではなかった。

「マスターには届かせない――絶対に!」

普段は気弱そうに下げられている眉尻を吊り上げ、叫ぶ。さっきまで顔に不安を張り付かせていたのは何だったのかと問いたくなる程、天草が頼もしく見えた。

柱間はともかく、荊棘さんと見嶋さんも、流石に驚きを隠せないよう。かくいう俺自身も、だが。
荊棘さんが、呆然と呟く。

「セイバーの力を、覚醒させたのですか」
「あの土壇場でかよぉ。ヒヒッハハ、やるじゃねぇか坊主」

その言葉には反応を返さず、すぅ、と天草は息を吸った。十字架と聖書を、ぎゅうぅと大切そうに握り締めながら。

「――セラフィープレイ!」

そして高らかに叫ぶと、彼を中心とし輝く円が地面に描かれる。
その輝きは俺達を包み込むように伝染し、驚く事に奪われた力が体に戻って来る感覚を感じた。星宝石の力を回復させる――マスターの持つ星の欠片と同じ力、だろうか。でも、あれよりはずっと効力がある。

「力が……戻ってきた?」
「ごめんね、ボクの力じゃそう何度も使えないと思う」
「いや、十分だろ」

全回復、とはいかないまでも、ほぼ三分の二までは戻った守護石の力。変身を遂げたばかりでこれなのだから、きちんと修得した際には、頼もしいサポーターとなる事だろう。

柱間と荊棘さんが、構え直す。
マスターが後ろのオーブさんを見やり、問いかけた。

「オーブ、アイツは浄化まだ間に合う?」
「え? ――はい、まだ、ギリギリ変体しきってはいないと思われます。マスターの浄化の力を用いれば、元の姿に戻れるはず、かと」
「分かった」

戸惑いながらも返ってきた言葉に、マスターが僅かに笑みを浮かべながら、上着の袖を捲り上げる。いつからかそれが癖になっていたらしい、浄化作業を行う前の動作だ。
その返答を聞いた俺も、蒼剣を握り直し、叫ぶ。

「よし、攻撃を叩き込むぞ!! マスター、浄化の準備お願いします!!」
「了解!」

地面を勢い良く蹴り飛ばすと、離れていた星喰いとの距離を一気に詰める。デカい図体に上段からの袈裟、転じて横薙ぎ。
相手は応じようとするが、動作が遅い上、見嶋さんの全方向からの光球の雨が、足場を奪う。そこから更に柱間の棍が足を掬い、転倒させると、荊棘さんが渾身の力で大剣の袈裟を二撃、繰り出す。前衛二人体勢のままだったら、天草が変身出来ていなかったら、どこかしらで隙が生まれて反撃されていた。
耳障りな音で啼く星喰いが、俺達へ向けて反撃を試みる前に。

「――蒼井っ!!」

柱間が叫ぶように、己の名を呼んだ。
棍の振り下ろしを命中させ、仰け反った星喰いから離れていくと同時、俺は再び距離を詰める。

「うおおおおおおおぉっ!!!」

無意識に口をついた気合の声と共に、煌めくような軌跡を残しながら、蒼剣の斬撃を素早く、連続して叩き込んだ。

果たして――星喰いは、頭部の奇妙に光る宝石の明滅を鈍くさせながら、地面に倒れ込む。

マスター、と振り返れば、彼は既にその力を発動させていて。
青白い光が周囲に広がり、ぱちり、と弾ける音が響いた。

「純粋で無垢なる願いを、悲しい事に使っては駄目だよ。――安心して、君はまだ戻れる」

静かに、歌うように紡がれた言葉に乗せて。
どこまでも青く、寒色なのに優しさすら感じるその光が、星喰いを包み込む。

--やがて光は収縮し、人を形作る。
それは徐々に色を載せ、小さな子供の姿になった。

空中に現れた人間に、だが重力という枷が働き、突如落下する。
あわや地面に激突といった直前に、一番近くにいた俺の足は間に合い、その身体を受け止める。空手で鍛えた足腰が、思わぬところで役に立つとは。
そんなどうでも良い事を考えるのは早々に止め、腕の中の小さな子供を見下ろした。

子供はぶかぶかの、腕の長さより長いのではないかと思われる青いパーカーを羽織っている。幼い顔付きの、少女--だと思われる--は、先日会った春風琥珀と同じくらいか、もしかしたら彼女より小さい。
すぅすぅと呼吸をしてはいるが、深く眠っているようで、目を醒ます気配はなかった。

「いやぁ、良かった良かった。何とかなったねー」

頭上から聞こえた声に顔を上げれば、そこに見慣れないものを見付けて、俺は返事もせず固まってしまった。
相手はそんな俺の異変に気が付いていないのか、同じように片膝を付き身を屈めると、女の子の顔を覗き込んだ。

「女の子だったのかぁ。琥珀嬢より小さいのかな? でもどうしてこんな世界に来て、星喰いに……」
「--マスター……?」
「ん? 悠斗、どうしたの?」
「どうしたの、はこっちの台詞なんですが……何で、泣いているんですか?」

柄にもなく、呆然とした声音だったかもしれない。努めて普通であろうと問いかけた言葉は、揺れに揺れた。

マスターはいつも通りの笑顔を浮かべてはいるが、その目からは涙が零れていた。見ている間にも、一筋、また一筋と。
本人は気が付いていなかったのか、怪訝そうな表情で頬に触れる。

「あ、ホントだ……」

ごしごしごし、上着の袖で無理矢理それを拭うと、またいつものへらりとした笑顔を浮かべる。でも、どこか違う。どこか、が--。

「多分、力が抜けたんだよ。よかった、助けられ……て……」

ぐらり、揺れる身体。
マスター、と叫ぶ声は最後まで届く事はなく、彼の身体は地面へと倒れ伏した。

――