Biter02

#1

後ろを気にしながらの撤退戦には、中々神経を使う。
星喰いが追ってきていないか、新手が湧いて来ないか。それぞれが周囲を警戒しながら、オーブが言う教会まで逃げてきた。
バァンと教会の両扉を開け、全員が入ったのを確認すると、荊棘が素早くそれを閉める。訪れた静寂に、誰もが一先ず胸を撫で下ろした。

人ひとりいない、ただ広いだけの教会内。先日訪れた時にはもっと濃い瘴気が中を汚染していたのだが、ここは外よりは幾分か収まっているようで、気分は幾らか楽である。

「悠斗、黄太。どう?」

マスターが二人を案じ、声をかける。
呼び掛けられた二人は、元に戻った姿で軽くストレッチをしながら自身の体の調子を確認していた。
蒼井が僅かばかり顔をしかめ、口を開く。

「確かに、いつもより守護石の力が弱まっているように感じます。これがあの星喰いの仕業だと言うなら、かなりの力を持っているんじゃないですか?」
「俺も、一度目よりはダメージは少ねぇ。でもアイツ、俺達が近寄った直後から徐々に強くなってたぞ」
「近付いたら強くなる……悠斗達の力を奪って、自分の力へと転換している……?」

柱間の言葉に、マスターが顎に手を添え、考え込む姿勢になる。
そんな事が可能であるならば、有効な攻撃手段は物理ではなく、見嶋のような後衛の飛び道具だ。だが生憎、ここにいる面子では彼以外に後衛の手段を持たない。

意見を求め、マスターの視線は自然とオーブに向けられた。
全力疾走をしたというのに、彼女は息一つ切れた様子もなくその視線を受け止め、話し出す。

「――あの星喰いですが、マスター達の仰る通り、特殊な力を備えた者です。何らかの要因により星宝石の力が増幅され、通常の星喰いとは異なる力を持ったと推察します」
「って事は……今の俺達にはキツい相手って事?」

未知の能力を持つ星喰い相手に、こちらは変身する事さえ出来ない人間二人も抱えた六人。数で勝っているとは言え、確かにこれで挑むのは、無謀とすら思える。
確認するように問いかけられた言葉に、オーブは幾らか困ったような表情を浮かべ、やがて小さく首肯した。

「……はっきり言うのであればそうです。私は、あの者を捨て置く事を提案致します」
「オイオイー? アンタがマスターに星喰い退治しろって言ったんだろォ? それを放置しろって、一体――」
「千里」

納得がいかないとでも言うように切り返す見嶋の台詞を、マスターが止める。ばつの悪そうに前に出かけた体を戻し、ち、と小さく舌打ちしつつ彼は元の姿勢に戻った。ついでに横で動こうとしていた二人に向け、面倒そうに付け加える。

「どうせマスターちゃんが止めるんだから何も出来ねーよォ、執事サン。あとヘッドフォンの坊主」
「……!」
「アンタ、坊主は止めろっての」

荊棘は驚愕し、柱間が顔をしかめて呼び名の訂正を求める。
見嶋がオーブに食って掛かろうとした直前、二人は何かあれば彼を気絶でもさせようかと身構えていた。彼女の目の前にはマスターがいるので、当然と言えば当然の反応なのだろうが。

仕切り直し、と息を吐き、マスターはオーブに問う。

「それって、やがて俺達の前に更なる力を持って再び現れる可能性はないの?」
「……あるでしょう。恐らく」
「でも、今の俺達で倒せないと言うのなら、やっぱりオーブさんの言うように撤退した方が――」

今まで黙して聞いていた――恐らくは思考していた蒼井が、悔しげに導き出した最善を口にするが、それを言下し切る事は出来なかった。
それは何故か。

「ダメだと思います!」

と、同じく黙っていたはずの天草の声が、静かな教会内に響き渡ったからだ。
突然の声に、マスターや蒼井、オーブまでもが目を丸くして発言の主を見やる。
本人はそんな反応をされるとは思っていなかったのか、あ、えと、と先程よりも小さな声でどもると、やがて意を決したように顔を上げた。

「えっと、自分の身も満足に守れない奴が何を言ってるんだと思われるかもしれないけど、ボクは、あの星喰いを放置するのはダメだと思います」
「何でだよ? 変身出来る俺達でも敵わないって言われてんだぞ」
「それでも……それでも、ダメだと思います!」

直球で弱いと言われ不機嫌丸出しの柱間の反論にも、頑として否定する。理解出来ない、とばかりに彼の眉間にシワが寄り目つきが鋭くなるが、その視線も天草は怯えつつしっかりと受け止めた。

「天草。アンタがそう思う理由を教えてくれないかな?」

マスターの声が、静かに問う。

彼は穏やかに笑みを浮かべていて、その表情からは天草を疑っているような、問い質すような雰囲気は微塵も感じられない。喧嘩になるようだったら止めないとな、と密かに警戒していた蒼井は、これなら大丈夫か、と知らず込めていた力を抜いた。

天草は僅かに驚いたように目を見開き、恐る恐る口を開く。

「……泣いているように、見えたんです」
「何が?」
「あの星喰いが、か?」

速攻で声を上げた柱間を目で制し、蒼井が抜けた主語の是非を問う。

「はい。荊棘さんが間に入る直前、一瞬だけでしたけど……星喰いの目みたいなところが、光ったように見えたんです」
「星喰いに、涙が……?」
「星喰いって、俺達みたいに涙を流したり、血を流したりってしないんだよね?」
「……そのはずです。稀有な存在でもない、限り」
「だよね……そんな星喰い、聞いた事もないし……」

その時、蒼井は彼女がほんの一瞬だけ、僅かな驚愕と共に考え込むマスターに視線を投げたのに気が付いた。
周りの視線が発言する彼に集まっていたのに、横にいたオーブに目を向けていたのはたまたまだった。だというのに、その意味ありげな一瞬の行動は繊細に脳裏に焼き付き、己の頭に刻み込まれる。
他の者達と同じように、マスターに視線を寄越したと言われればそれまでだ。だがそれで片付けるには、生起した違和感の説明がつかない。
もやもやした何かを押し止め、蒼井は話に耳を傾ける。きっと、何でもない一つの無意識行動なのだ。そう言い聞かせた。

柱間が面倒臭そうに頭を振り、反論する。

「どうせアイツの頭にあった石が光っただけじゃねぇの」
「ボクもそれは思いました。でも、何故かその光景が、頭から離れないんです。だから、何とかしなきゃと思うんです。……ダメですよね、こんな理由」
「いや。ありがとう、天草」

マスターは立ち上がると天草の傍に近寄り、ぽん、と頭を軽く撫でる。
視線が集中する中――特に柱間や見嶋、荊棘のそれは鋭い――、慣れないであろう説明に苦心していた彼の双眸は、これ以上ないレベルで涙が溜まっているようだった。それでも必死に堪え、話してくれたのだ。
それに対しての「ありがとう」は、どんな言葉よりも天草の心に響くだろう。

彼はそのまま、オーブに顔を向けると申し訳なさそうに笑い、告げる。

「ごめんオーブ、俺はあの星喰いのところに戻るよ。泣いている声を無視する事はしたくない……それが例え、星喰いだとしても」
「……貴方の命を脅かす存在だと分かっていても、ですか?」
「うん。大丈夫、彼女は必ず戻ってくれるよ」

自信ありげにマスターは頷く。
その顔を暫し見つめていたオーブは、やがて分かりました、と呟き、

「貴方がそう言うのなら、信じます」

と、胸元に手を当てながら頷き返した。

そういう事になるだろうな、と予想していたセイバー達は、ならばと戦闘態勢を立て直しにかかる。奪われた守護石の力も、少し休憩したお陰で僅かにだが返ってきた感触があった。

だが蒼井は、出発する前にひとつだけマスターに聞いておきたいと思っていた質問を、投げかける。

「マスター。『彼女』って?」
「え? あの星喰いの――」

本当に、何気ない事のように返そうとしたのだろう。マスターは然程間を置かず答えを口にしかけ、ぴしりと動きを止める。

『彼女は戻ってきてくれる』。
あの星喰いのどこにも、そもそも星喰いという存在に性別という概念があるのかすらも分からない。なのに、躊躇いもなくそう口にした彼に、蒼井は疑問を抱いたのだ。

彼は暫くそのまま沈黙していたが――恐らく自分の発言を思い返している――、ゆっくりと、口を開いた。

「悠斗。俺、『彼女』って言った?」
「ええ。だから尋ねているんですが」

返ってきたのは答えではなく、確認。
用意していた返事をし、そのまま反応を待つ。

「……何でだろう……?」

しかし、ようやくの答えは本人にも知り得なかったようだった。首を傾げ、うんうん唸りながら考え込んでいる。
これは答えが出ない奴だ、と察した蒼井は、マスターにもう良いと伝え、頭を振った。

■  ■  ■

おまけ:拠点どうした

「ところで荊棘さん、拠点の指揮はどうしたの?」
「はい、あの後紫上様と山吹様が戻って来られたところに、オーブ様がいらっしゃったので、指揮はお二人に任せろと言われてしまいまして……」
「(荊棘さん、そわそわし過ぎて先生達が気を使ったんだな……)」
「そうなんだ。じゃあ大丈夫、かな」
「はい。私もマスター様の供をさせて頂きます」
「(……荊棘さんが嬉しそうならいいか……)」

#2

俺達は、再びドームへと向かう。

瘴気はより一層澱み、辺りを支配している。これ以上に酷くなってしまえば、今のマスターでは完全に浄化し切る事が出来ない可能性すら孕んでいる、とは本人談。
急がなければ、と逸る気持ちを抑え、先へと進む。

無言で歩き続けたお陰で、先程よりも早く例の星喰いに遭遇したドームの、中に入る扉の前に着いた。が、相手はどうやら何処かへと消えてしまったらしい。これは探すには骨が折れるな、と誰かが呟いたが、その通りだと思った。

「俺と荊棘さん、柱間が三方向をカバーするように見張りながら進みましょう。天草、無理はしないで良いからマスターとオーブさんを守るように。見嶋さん、どこか穴が空いたところのフォローをお願いします」

俺が指示を出し、各々がその通りの配置に付く。十分に警戒をしつつ、捜索を開始した。

「チッ、村崎を呼べば良かったな。アイツなら気配拾えたんじゃねぇの」
「村崎は生憎、連絡付かなかったんだよ。今もどこかで、仮面の星喰いを探しているんじゃないかなぁ」

柱間の舌打ち混じりの呟きに、マスターが苦笑しながら答えた。
俺達が彼に保護されるよりも早く接触していたという、村崎十織。何故かマスターを『マスター』と呼ぶ事はないのだが、何かにつけ手を貸してくれる彼は、俺や荊棘さんにとっても、頼りになる友人だった。
元から連絡手段が乏しいこの世界ではあるが、村崎はいつも回っているポイントがあって、そこへ赴けば大抵は遭遇する事が出来ていた。――のだが、今回は会う事が出来ず、諦めたのだ。

その会話に、ああ、と見嶋さんが反応を返す。

「あの一匹狼な坊主の事かぁ? 数日前に会ったけどよぉ、アイツもさっきの星喰いに苦戦してたみたいだぜぇ?」
「え、本当ですか?」
「マスターが、不思議アイテム持ってるだろ? あれさえあれば何とかなりそうなんだけど、って悔しそうにしてたぜぇ。その後どこに向かったかまでは、俺にも分からねぇけどな。ヒヒッハハ」

マスターの持つ不思議アイテムとなると、青い石と、星の欠片を模した飴の事だろうか。青い石の方はマスターの浄化に使って失われた気力を回復するもの、だったはず。
もう一方が、どういう原理かは全く不明だが、俺達の守護石の力が弱まった時――つまりは最終手段――に使うと、その力が僅かながらも回復する、という代物だ。拠点で休ませている風間が今も常に舐めさせられていると思われるが、それが何故星喰い討伐に必要なのだろうか、と考えたところで、思い至った。
相手は俺達の守護石の力を奪う。ならば、それより上回る力で一気に討伐してしまえば良いのだ。だから村崎は不思議アイテムがあればと考えたのだろうし、単身で向かっていたであろう彼には、どうする事も出来なかったのだ。

「じゃあ、マスターもいるし、人数もずっと多い俺達なら、十分勝機はある?」
「それがねー。葉一以外にも、清秋さんや蘭嬢にも渡したから、数がそんなにないんだ。持って十分かなぁ」
「ぐ……」
「補充出来れば良かったんだけどね。オーブ、これ余分に持ってたりしない?」
「すみません、私も持ち合わせはないですね……」

微かに見えた希望を、よりによってマスターが困りながら否定する。念の為とオーブさんにも問いかけるが、彼女の返事も俺達が望むものではなかった。
仕方のない事ではあるのだが、尚更不安が込み上げてくる。

「十分ありゃあ何とかなるんじゃねぇ? 作戦指揮は坊主の役目だろぉー、ヒヒッハハ」
「見嶋様、蒼井様に負担を課すような発言はお止め下さい。……とはいえ私めにも、有効な作戦を企てられる、という芸当は皆無ですが」
「蒼井、思い付かなくても気にすんなよ。結局、特攻すりゃ良い話なんだからな」

会話の端々から感じられる信頼が、俺の焦りを加速させる。
マスターのアイテムはいつもより心許ない、人数は多い、村崎の発言、ファーストコンタクト時の星喰いの能力。それらを総合し、より勝機がある、ひいては生存率の高い作戦を導き出す。
確かにこのメンバーなら、それに一番秀でているのは俺だ。だからこそ、彼らの言葉がプレッシャーにもなる。命を預かっていると言っても過言ではないこの役目なら、尚の事だ。
柱間の、ぶっきらぼうでいて「自分は失敗しても責任をお前に押し付けない」宣言は、正直有り難過ぎた。だから、俺は返事と共に礼を告げる。

「……ありがとう、柱間。大丈夫だ」

プレッシャーなんて、現実世界でも何度も味わってきた。だがここは異世界で、正解なんて誰にも分かりはしない。
だからこそ、確実に倒す為ではなく、極力仲間が傷付かず倒す手段を導き出し、提案する。

「とりあえず、アイツに遭遇したら柱間と荊棘さんで迎撃。俺と見嶋さんは、後方から様子を見て追撃。一分経ったら合図するから、柱間と荊棘さんのどちらかが俺と交代して、抜けた一人はマスターのスタードロップで回復。それをローテーションして攻撃をする、って流れが一番安全だと思う」

制限時間の十分少々で削り切るなら、攻撃の手を止める事は出来ない。守護石の力を奪われる事は回避出来ない、ならば攻撃力が弱る前に後退し回復を続ければ、せめて倒れる事だけは回避出来るはずだ。ダメージ蓄積と高い生存率を優先するなら、特攻よりはずっと良い。

「常に攻撃出来る奴を残す作戦か。了解」
「ただ、それでも守護石の力を全部回復出来る訳じゃないから、気を付けて下さい」
「畏まりました」
「それだと、俺は継続して撃ち込んでて良いって事になるか?」
「はい、見嶋さんは後衛ですから、俺と柱間を吹き飛ばした突進を受けでもしたら危ないかと」
「違いねぇな、ヒヒッハハ。ま、頑張って体力削ってやるよ」
「お願いします」

年下の子供の作戦なんぞ、聞きたくないの一言ではね除ける事だって出来るはず。それを受け入れてくれる彼らに感謝しながら、よし、と気を引き締めた。

――直後。
ずううぅん、と辺りに低い地響きが轟き、地面を揺らす。

「――!?」

ばっと振り返る。そこには、見違う事なく先程の星喰いが、俺達に目らしき宝石を向けて唸っていた。