怪我の話

「っ--!!」

ざく、と肉を切る嫌な音がした。
だがそれを受けたのは俺ではないし、隣にいる紫上先生でも、荊棘さんでもない。陽世もそんな様子は見られない。
じゃあ、と残った最後の可能性に、俺は肝が冷える思いがした。だって、この場にいる人物で残るのは。思い当たった人物がいるであろう方に視線を向けて、飛び込んできた光景に目を見開く。

そこにはマスターが立っている。いつもなら毅然として立っているはずの彼は、右腕を押さえてふらつく。ジャケットの二の腕部分が、ざっくり切り裂かれているのに気が付き、自分の予想が当たっていた事実を嘆いた。

「マスター様!?」
「マスター!!」

前線にいた荊棘さんと、比較的近くにいた陽世がマスターに駆け寄る。俺も駆け出そうとして、まだ星喰いが残っている事を思い出し、ギリ、歯軋りした。

「蒼井。私が手伝うから、取り敢えず片付けるぞ」
「分かりました、先生」

落ち着いて話すにも、まずは邪魔なコイツらを片付けてからだ。俺は蒼剣を構え、敵の真っ只中に突っ込んでいった。

   ■   ■   ■

「あああああマスターさんーーーー!!!!??? 何でそんな怪我しちゃってるんですかーーー!!!??」

拠点に戻ると、出発する時はまだいなかった天草や柱間、風間達が来ていた。
天草はマスターのジャケットが破れていて、更にその下の素肌がぱっくり切れているのに気が付き、そう叫んだ。大きめの双眸は驚愕の後、涙をうっすらと溜めていた。

「あはは、うっかり前に出過ぎてしまったみたいで……」
「ごめん、僕が止められたら良かったんだけど」
「陽世様も星喰いの対応をしていて、気が付くのが遅れてしまったそうで」

後半は陽世と共に後衛で雑魚を片付けていた荊棘さんが、後ろの状況を説明してくれた。俺達が倒し損ねた力の弱い星喰いが、マスター目掛け切り裂きを繰り出したのを、避けられなかったらしい。
マスター自身は変身も出来ず力も弱いので、力の弱い星喰いだろうと相対すると手も足も出なかっただろう。

と、心配そうにマスターの腕を見上げていたソウが、彼を見上げて口を開いた。

「コウ、いたくない?」
「え?」
「ソウ、痛くない訳がないだろ。天草、」

俺が本人より先に答え、良くお世話になっている天草に救急箱を持ってくるように頼もうと名を呼ぶ。

「救急箱で--うわっ!!」

だがその時点で取りに行っていたのだろう、天草が救急箱を慌てた様子で持ってきた。
危ないから歩いて良い、と声をかけようとした瞬間、天草は両足をもつらせがしゃーん!とコケる。

「お前、慌てて動くなっていつも言ってるだろ!?」

風間が放り出された救急箱をキャッチすると、盛大にコケた天草の手を取り、立ち上がらせている。

「大袈裟だなぁ、大丈夫だよ? ほらこの通り--」
「振り回しちゃ駄目です!! 悪化します!!!」
「取り敢えず処置をしておきましょう。それ、結構深手ですし」
「本当に大丈夫なんだけどな……?」
「お願いですから無茶しないでくださいいいぃ」
「マスター、それ以上言うと天草から水分が蒸発するからやめとけ」

不思議そうな表情で、あろう事か怪我した方の腕をぶんぶん振り回してみせるマスターに、天草の声がそろそろ本格的に泣き声に変わっていた。柱間がそう言えば、腑に落ちないと顔には書いたまま、天草の応急処置を甘んじて受け入れる。

治療をみんなで見ていて、でも、と風間が発言する。

「結構深手なのに、異世界ときたら病院すらないんだもんなぁ。いやあるけど、医者がいないし」
「蘭馬のお兄さんがいたら、良かったんだけどね」
「清秋様、どこに行ってしまわれたんでしょうね。蘭様が捜しておられると言うのに……」
「蘭さん、心配してるよなぁ」

病院がないという風間と陽世、荊棘さんの会話の横で、てきぱきと慣れた手つきで消毒し、包帯を巻く天草。藍馬さん達の名前が出た時、本当にな、と溜息を吐く。
そんなこんなしていたら、治療はあっという間に終わってしまっていた。

「よし、マスターさん! 今日はこれからずっとお休みです!」
「え、あと一ヶ所行くところがあるって」
「ダメです! 中止! 延期! お休み!」
「天草君、落ち着きなさい。でもそうだな、そうした方が良いだろう」
「でも」

天草がすごい勢いで止めるのを紫上先生が制し、彼の意見に同意だと告げても、マスターはまだ不服げだ。自分の事はてんで後回しにする人なのは知っているのだが、流石にここまで頑固だと頭を抱える。

「マスターが行くって言っても、ボク達は行きませんからね!」

天草、名案だとばかりに言っているが、その人は多分『じゃあ自分だけで』って言い出すぞ。

「なら俺一人で」
「何でそうなるんだよ」

そう予想していたのは俺だけじゃなかったようで、予想通りの答えに間髪入れずに突っ込んだのは柱間だった。一人で行ったところで戦えないだろうが、と正論を叩き付けるのも彼だ。

「マスター、腕も痛むでしょうし、今日はのんびり過ごしましょうよ。荊棘さんと天草に、なんか適当に作ってもらって」
「…………。悠斗まで……」
「みんな心配しているんです」
「……じゃあ、今日はここにいる」

ぼす、とソファに体を預け、そこにソウが飛び付いて行ったところで、諦めてくれた事に安堵しながら、俺達はようやく思い思いに過ごし始めたのだった。