セイバーズ・アクト 02

「さ、流石に撒けただろ……」
 どのくらい走ったのだろうか。自分と少女を抱えた状態で銃を構えられる訳がなく、化け物からの逃走に全力を費やしたのであろう日明が、こちらを下ろすと肩で息をしながら、その姿を変える。はひー、と気の抜けた声を出しシャツの襟元へと手風を送る彼に、疑問に思っていたことを問うた。
「《星喰いほしぐい》、倒さなくて良かったの?」
 あの化け物には、実は正しい呼び名がある。誰が呼び始めたのかは定かではないが、《星喰い》と、この町の住人は呼んでいた。夜に現れ、人を襲う化け物。襲われた人々は呑み込まれて眷属にされてしまうか、助かったとしても決まって感情が欠落し、そしてやがては同様に《星喰い》になってしまうと言う。一般人は《星喰い》に対して一切の対抗策を持たない。対抗出来るのは、日明のような一部の者セイバーだけなのだ。彼は両肩を竦ませ、そりゃ、と口を開いた。
「倒さなきゃだけど、それよりも一般人の安全確保が優先されてるからな。討伐はその後。連絡しといたし、他の《セイバー》が駆け付けてくれるだろ」
「そう……」
 あのままでは自分以外の誰かが危険なのでは、と思ったが故の問いだったが、冷静に考えてみれば、一般人を背後に守りながら戦うなんてのは、どんな強者でも無理があるだろう。ならば、あの状況で日明が逃走を選択したのも、間違いではないのかもしれない。
 そんなことを考えていると、腕の中の少女の体が身動ぎしたような気がして、視線を落とす。彼女は自分のほうを見上げていた。日明がひょい、と少女の視界に入る位置に移動し「大丈夫か〜?」と声をかけるが、それに少女はぴしりと固まってしまう。大きな目が、だれ、と訴えていた。
「怖い思いをさせてしまってごめんなさい、このお兄さんが助けてくれたの。でも、もう少し我慢してくれる? 貴女のお母さんも、必ず見付けるから」
「そうそう、お兄さんとお姉さんに任せなー」
 安心させようとしての発言だったが、少女はみるみるうちに形の良い眉をハの字にさせ、双眸を歪ませる。え、と思った時には目尻に涙が溜まり、耐えられなくなったそれが、静かに頬に流れていった。
「ママ、おばけに、たべられちゃった」
 ぴしり、と凍り付く。『おばけ』『食べられた』と幼い子供が形容するにはおおよそ怪奇なその言葉の羅列は、だが何を言わんとしているのか察しがついた。日明も同様だろう、子供向けの笑顔が崩れかけている。
「……おばけ?」
「ゴツゴツした、おおきなおばけがてをひろげたら、ぶわーっとくろいのがでてきて、ママ、たべられ、ちゃった……」
「……マジかよ……」
 つまり、こうだ。この少女は母親と一緒に歩いていた。だがそこに現れた星喰いに、母親は思わず娘を逃がすために手を離し、守ろうとしたのだろう。成すすべなく呑み込まれてしまい、星喰いが次に少女を襲おうとしたところを、自分が保護したと――。そんな場面を、この幼い少女目の前で見ていたのか。
「……日明」
「レジスタンス通じて警察預かり、かねぇ……」
 何とかしてあげたい一心で、日明に声をかける。彼は渋面を浮かべ、自身の金髪をかき乱しながら応える。自身の住所等のパーソナルデータをしっかりと話せない限り、少女を親元に返すことは難しい。もちろん、落ち着けばいくらか話は出来るだろうが、今やるべきじゃないのも確かだ。それでも何か、やれることはしてあげたい。
 ――その直後だった。ズウウゥン、と地響きを伴いながら、周囲に何かが現れたのは。
「きゃっ……!」
「なっ……!?」
 キイイイイイイィア、と喚くように啼き声を上げた三体の星喰いは、蜘蛛の脚を広げ威嚇する。少女を抱える腕に、力を込め直した。
「こんなところまで追っかけてきやがったのか……しつこいと嫌われるって!」
 いつもの口調に緊張感を滲ませ、日明が言う。退れ、と言わんばかりに自分と星喰いの間に入るが、直後ぎょっとしたように目を見開いた。
「!? カーネリアン・・・・・・……!? 嘘だろ!?」
「日明?」
 いつもならすぐに変身するのに、と怪訝に思い名を呼ぶと、彼は僅かにこちらに向け、苦々しさと申し訳なさを混ぜこぜにしたような表情を浮かべていた。そしてある意味、死刑宣告のようにも思える言葉を発する。
「……ごめん。ガス欠した……!」
 ガス欠。車両で言う、燃料が尽きて止まってしまうこと。それを守護石に当てはめると、――ぞわり、恐怖が脊髄を駆け抜ける。つまり、今自分たちには星喰いに対抗出来る力が、ない。丸腰だ。
 日明が周囲を見渡し、ごみ捨て場であろう場所に立て掛けられているデッキブラシを手に取ると、まるでそれが剣であるかのように構えた。
「ここは俺が食い止めるから、カナはその子を連れて出来るだけ遠くへ逃げろ。救援セイバーも近くにいると思う」
「そんな……!」
「力は今ないけど、こいつらの特性なら分かる。下手はし……ねぇ……」
 眼前の星喰いを見据えたままの日明の言葉が、徐々に失速していく。彼の視線の先を追うと、数体の星喰いがわらわらと集まり――仲間を、脚まで残さず喰い始めた。
「……は……?」
「っ……」
 それぞれの硬度を失う代わりに、まるで粘土でも捏ねているかのようにボコボコと境目を消しながら、数体の星喰いは一体の大きなそれに混ざり合っていく。その様があまりにも気持ち悪く、せめて少女が見てしまわないよう、咄嗟に彼女の顔を自身の胸元に寄せた。ぼりぼりと汚い音が静かな住宅街に響き渡り、まるでそれが「次はお前たちだ」と言っているような錯覚すら覚える。
 やがてそれは、先程まで見ていたものとは全く異なる、アメーバ状の巨体へと変化し。でろりとした泥の手を広げ、底知れない闇が続いているような口を大きく開けた。《セイバー》でなくとも、星喰いの知識がなくとも分かる。これは、思わしくない展開だ。
「おいおい……《ランク3》とか、聞いてねぇよ……!」
 汗を頬に流しながら、吐き捨てるように日明が言う。だが彼の意思は変わっていないようで、逃げようという素振りすら見せずにデッキブラシを構えたままだ。
 逃げましょう、とスーツの裾を掴もうとして、ふと彼の胸元に目が行く。ぽぅ、と淡く、赤みの強い光を帯びながら宙に浮いている、一粒の石。何故石が宙に浮いているのかと疑問に思ったが、先程日明が口走った一言を思い出し、縋るような思いで少女を抱えたまま、それに手を伸ばす。
「っ、カナ!?」
 日明は自分のその行動を見て驚いただろう、顔は見る余裕はなかったが、驚いたような声音で自分の名を呼ぶのが聞こえた。――お願い、助けて。そう強く願ったその時、電撃が走ったような音と共に、周囲が一瞬にして光に包まれた。闇の中にいた自分たちの目は、突然の眩いそれに思わず目を瞑る。
 一瞬か、それとも。瞼の向こうの光はやがて徐々に収まり、元の闇が戻ってきた。
「びっくりした、一体何が……っ、え?」
「日明……それ……」
 日明が目を庇っていた腕を下ろそうとして声を上げ、何事かと視線をやると、自分も同じように驚愕することとなった。光が発生する前と後で、明確に変わったもの。それは彼の恰好が、再び《セイバー》の姿になっていたこと。尽きていたはずの守護石の力が、復活したとでも言うのか。
「――いや、考えるのは後! カナ、下がれ!」
 呆気に取られている場合ではない、と出された指示通りに少し後退すると、日明が腰のホルスターから拳銃を抜き、即座に数発発砲。星喰いの頭を的確に撃ち抜くが、粘土状になった相手の体には大したダメージにはなっていない。しかし、それで良いとばかりに彼は口の端を吊り上げ、怯んだ星喰いに背を向けこちらに駆け寄ってきた。先程のように少女と自分を素早く抱え上げると、再び全速力で星喰いとは逆へと駆け抜け始める。
「えっ、日明!?」
「《ランク3》は俺一人じゃ敵わねぇ! だから――」
 怒り狂っているのか、星喰いが粘着質な体を滑らせるようにして追いかけてくる。見た目に反して素早い動きをするそれが、体の一部を伸ばしてこちらを捕らえようとしていたが、それがこちらに届くことはなかった。ヒュルルルル、と頭上から風切り音を上げながら何かが飛来し、それを阻止したからだ。
「山吹くん、無事!?」
「まさかの《ランク3》とはねぇ……良く生きてたねぇ、おたくら」
「御神サン、柘の旦那!」
 円に似た形状の刃が地面に刺さり、その近く目掛けて小さな弾けた音が炸裂する。声とともに日明と星喰いの間に降り立ってきたのは長髪の女性と、くたびれたコートを着た男性。やり取りからして日明と知り合い――ということは、救援として来てくれたセイバーなのだろう。
 良かった、助かったのだ。そう安心し気が抜けたのか、自分の意識はそこで途切れてしまったのだった。