騒めく日常01

「山吹さん達が帰って来ない?」

 情報交換を終えて数時間後、浄化作業を終えて帰還すると、不穏な雰囲気が室内には漂っていた。怪訝に思った蒼井が代表して問いかけ、待機していたセイバーから返ってきた答えが、それである。

「ええ、数時間前からよ」
「正確には十二時間前、くらいからでしょうか」

 拠点に残っていたのは、待機要員の藍馬蘭と紫上鏡一、星喰いの殲滅を終えて先に戻っていた荊棘従道の三人。
 繁華街近くに現れた星喰いが、研究所のある方へと逃げた。そのため、たまたま居合わせた山吹と暁が後始末に向かったのだが、半日経っても帰って来ない。その頃に別のエリアで見回りを終えた天草と陽世、風間に事の次第を話すと、三人が捜しに行ってみる、と言って出ていった。そして、荊棘が戻ってきてから――未だ誰も帰って来ない、というのが現在の状況である。

「あのホストの兄ちゃんやカザだけならともかく、天草に陽世までとなると、どうもキナ臭ぇな」
「きなくせぇ?」
「こらソウちゃん、柱間君の真似をしないの。……みんなと連絡さえつけば、まだ安心なのだけれど」

 パーカーをすっぽり被った少年が、腰掛けたソファに深く座り直す。蒼井と共に外に出ていたセイバー、柱間黄太だ。
 彼に続いたのは、ソウと呼ばれた齢十歳程の少女。彼女も同じくパーカーを被り、その隙間から蒼い長髪を覗かせている。
 女の子に相応しくない言葉遣いを真似するソウをとがめる藍馬蘭。車椅子に座っていて自由に動けないから、と拠点の連絡係を買って出た彼女が状況を不穏に感じたのが、今回の発端であるらしかった。

「山吹さん達が向かったのは、最近また瘴気が濃くなってきたって言っていた人工林の方面ですよね? 先生」
「ああ。マスターが帰ってくるまで待機をするべきだと止めたが、深追いはしないと言い残して行ってしまった」

 答えた眼鏡の男は、蒼井の高校に所属する教師、紫上鏡一である。やはり無理にでも止めれば良かったと思っているのだろう、その表情は苦虫を噛み潰したかのようなもの。

「山吹と合流出来ているのならば、私も安心出来るのだが……捜しに行くと彼らの二の舞になりそうな予感がしたので、マスターが帰ってくるのを待っていた、という訳だ」

 紫上の言葉を受け、蘭が不安そうな表情で、視線を投げる先。そこに座るマスターは胸元にあるループタイの留め具を一撫でしながら、発言した。

「今すぐに捜しに行こう。みんなが心配だ」
「簡単に言いますけど、今日はもうだいぶ浄化作業をした後ですからね? 疲労も溜まっていると思います。そこのところちゃんと分かってますか? マスター」

 蒼井は予想していた彼の発言に、間髪入れず用意していた反論をぶつける。こちらの世界でも一応時間の概念は存在するらしく、腕に着けていた時計はこの繁華街の中であれば、正しく時を刻んでいる。この常夜の世界からすれば日没も季節も関係なく出かける事は可能であるが、だからこそ、疲労が溜まった状態での探索は控えるべき、と発言したのだ。

「確かに……」
「ですが、捜すのなら早い方が良いかと。蒼井様、紫上様」

 マスターへと忠誠を誓う執事、荊棘従道。紫上と同じく黒髪に眼鏡をかけた男だが、鋭い瞳から抱く印象に反し、物腰は穏やかである。
 彼にしては珍しく、普段通りにマスターの意見を支持する言葉を口にする。彼自身の身の安全を保証出来ないと判断される状況であれば、いつもなら咎めるような発言をしていたはずである。今回もそれを期待していた蒼井は珍しく思いながらも、反論を諦め両手を上げた。マスターと荊棘の二人に反対派に回られてしまえば、従う他の選択肢がない。

「分かりました、捜しに行きましょう。結構時間が経っていますし、山吹さん達のほうは特に心配です。紫上先生は、蘭さんと残っていて下さい」

 紫上は捜索に回るつもりだったのか、蒼井の発言に口を開きかけ、やがてそうだな、と同意した。
 生徒達の安全を第一に考える、ある意味教師の鑑のような人物ではあるが、反面状況把握をする頭の回転の速さも持ち合わせている。蒼井と荊棘に次いで浄化作業を続けている柱間までがこの拠点から再び離れる以上、万が一に備えて数人のセイバーは残っていた方が良い。ましてや藍馬蘭は車椅子での移動を余儀なくされている、そこに敵が襲ってくれば大変危険だ。

「いなくなったセイバーが戻ってきた時に不在では困るし、藍馬さんの護衛役も必要だな」
「紫上先生、私の事は放って行かれても宜しいですよ? 生徒のみんなが心配なのでしょう? 護衛なら、もう少しすれば他の方々もいらっしゃるでしょうし」
「いえ、蒼井がいれば大丈夫でしょう。頼んだぞ」
「はい。みんな、急ごう」
「だな。面倒くせぇって言いてぇけど、俺達は所詮アンタを守るセイバーだしな。オラ、さっさと準備しろよ」

 ソファから立ち上がると、柱間はフードの上から頭を掻きながら言う。マスターを相手にしても変わらないその態度に、言われている本人は苦笑こそすれど怒る事はない。

「相変わらず辛辣だね、黄太」
「こーた、しんらつ!」
「どうせ行かない訳ないだろ、超が付くお人好しのことだし」
「……言えてるわね」

 クス、と噴き出した蘭が呟く。どうやら、マスターに抱いていた印象は皆同じのようだ。その証拠に、荊棘がマスターの後ろで僅かに首肯していた。唯一それを共有出来ない本人は、困っているのか笑っているのか、微妙な表情で蒼井達を見回している。

「よし、じゃあ行こう。荊棘さん、その場所へ案内頼める?」
「承りました。準備が整い次第、下で集合としましょう」
 そう声をかけ、準備をする為に部屋を出た蒼井は、気が付かなかった。荊棘の双眸が、すぅ、と鋭利な刃物のように細められたことに。

   ■   ■   ■

 一行がやってきたのは、繁華街からそう遠くはない郊外の人工林区域。やや間隔のある木々の間から見える先は、瘴気と闇の不可視の壁に閉ざされていた。
 星辰高校がここから見えるが、建物も同じく闇に紛れていて、ひっそり息を潜めている。それが逆に不気味であり、この先を進むには、結構な覚悟が必要だ。
 周囲を警戒しながら、荊棘が口を開く。

「星喰いの目撃証言は昆虫型が二体、ゴーグ型が一体のみでしたので、山吹様達なら大丈夫だという判断で、こちらの見回りをお願いしたのです」
「……どう見ても奥に入って行ってるよな。ホストの兄ちゃんと、ばかつきくらいのゲーム好きなら」

 まるで童話に出てくるような魔女の森を思わせる、不気味さを纏う人工林。蒼井には良く分からないのだが、柱間がそう評価するくらいには怪しい――というか、ゲーム好きからしたら格好の探索ポイントらしい。
 動物といえる存在は生息しておらず、星喰いの巣窟であろう事は容易に予想出来るので、足を踏み入れるのは躊躇われる。だが、もしこの先に戻ってこない者達がいるのなら、進まないという選択肢はなかった。
 蒼井が、いつ敵が飛び出して来ても対応出来るように、掌に守護石――サファイアを呼び出す。周囲の雰囲気で察した他の者達も、各々警戒を強める。

「柱間と荊棘さん、しんがりを頼みます。ソウ、こっちに来い」
「了解」
「分かりました」
「はーい」

 マスターを中心とし、蒼井とソウが前方へ、柱間と荊棘が後方に移動する。どこから星喰いが襲って来るか予想がつかない場合、すぐに全員が応じる事が出来る陣形で、最大限注意して進むべきだ。
 三者三様の返答をもらい、意を決して人工林の中に足を踏み入れ――ようとした、その瞬間。

「――!?」

 ゾワリ、と背筋に何かが走る。悪寒でも戦慄でもない。これは、殺気だ。

「――来る」

 マスターが、静かに口を開いた。
 彼を肩越しに一瞥すれば、見ているのは俺達の前方――瘴気のカーテンで視界が遮られている、そのもっと先。
 キャキャキャキャキャ!と不気味な声を上げながら現れたのは、数体のカオスグリフォン。そいつらを引き連れたかのように中央に立つ『何か』。
 明らかに人ではない。だがシルエットだけを見れば、それは人だった。灰色の皮膚に食い込むように浮き出ている血管、顔を覆い隠すように着けられている仮面。両腕には、縫い合わせられたかのような鳥の羽根が生えていた。
 仮面の下の口は唾液を撒き散らし、おぞましい笑みを浮かべている。どこが鼻なのかすら分からないぐちゃぐちゃな顔をマスターに向けたまま、その口が、開かれる。

『憐れナ子ヨ。足掻けバ足掻クほど、そノ先は絶望へト続くのダ』
「――!? こいつも話せるのか……!?」

 星喰いは、基本的に人語を話せない。そもそも思考能力を司る脳の機能があるかすら謎だが、爬虫類の姿を模したそれは、揃って耳障りな声を上げるのみだ。
 だが、行動エリアが広がり、浄化が進むにつれて現れるようになってきた大型の星喰いの中には、聞き取り辛いものの人語を話すような奴らもいた。この人型の星喰いも、その一匹なのだろうか。

『絶望しロ。そシて、我が血肉トなるガ良イ』
「まさかコイツ、例の仮面の星喰いか?」

 柱間が、じりじりと距離を詰めてくる星喰い達を睨み付けた。ここにはいない村崎十織というセイバーが、ジュエルマスターと別行動してでも探しているという《仮面の星喰い》。おぞましい程の瘴気を纏うコイツがもしや、と彼は思い至ったのだ。
 しかし、それに否を唱える声が上がる。

「……違う。確かに仮面を着けているけど、あれは出来損ないだ。多分、千里達が言っていたほう」
「出来損ない?  どういう……」
「来ます!」

 マスターの言葉に質問を返すと同時、荊棘さんが切羽詰まった声で注意を促す。浮上した疑問は置いて、ひとまず目先の敵の撃破に集中する。

「サファイア、応えろ!」

 蒼井は黒髪ではなく深い海を思わせる蒼髪、カッターシャツにスラックスだった服装に姿を変え、腰紐に吊るされた鞘から剣を抜き、構える。何の変哲もない刀身が、一瞬にして光の波を帯びた。
 他のセイバー達も変身を済ませ、マスターを後ろに下がらせながら、星喰い達と対峙する。そんな彼らを嘲笑うかのように、人型の星喰いはニタァと舌舐めずりをし、右の腕を持ち上げた。
 そして人差し指をゆっくり、蒼井と荊棘の間――マスターに向けたのだった。

「ソウ! マスターから離れるなよ!」
「まかせてー!」

 マスターの護衛をソウに任せ、蒼井と荊棘、柱間が動く。雑魚の星喰い、カオスグリフォン共を先に片付ける判断を下したのは、数でこちらが圧倒的に負けているからだ。
 敵へと距離を詰めながら、蒼井が前方の柱間に向けて声を飛ばした。

「柱間! 先にカオスグリフォンの数を削るぞ!」
「りょーかい」

 柱間は走りながら手の中の棍を返し、上段に構えると、すれ違い様にカオスグリフォンの一体を凪ぎ払った。返しの一撃でもう一体の脳天を殴り、再起不能にさせる。
 蒼井も剣を振るうが、鉱石のような体相手では柱間の棍のようにはいかない。その為、ダメージを負わせてから柱間のほうへ行くように誘導した。
 同じ剣ではあるが、荊棘の剣は蒼井のそれよりも重い。斬ると言うよりは、重量を利用して叩き斬る攻撃を主とするため、攻撃力も高い。前方の二人が討ち漏らした星喰いを、難なく斬り伏せている。
 戦う力を持たないマスターを守りながらの戦闘では、前後の戦力が均一でないと厳しい。この四人で一番攻撃力が高い荊棘と、攻撃力は低いものの立ち回りが軽いソウを組ませたのは正解だったようだ。

「お二人共、右です!」
「――!?」

 突然耳に飛び込んできた荊棘の声と、その方向からの殺気に、思わず体を捻る。一瞬前まで体があった場所を通り過ぎたのは、人型の星喰いの爪。勢いがつけられたそれは、近くにあった木の幹をいとも簡単にねじ曲げてしまった。あれを喰らっていればただでは済まなかった、と蒼井はごくりと喉を鳴らす。

「蒼井! そいつ、一対一サシじゃやべぇ!」
「そんな事百も承知だ!」

 羽根を生やした腕が、抉り取った木の幹をぐしゃりと握り潰す。まるで、次はお前がこうなる、と暗示されているように、蒼井には思えた。
 柱間がカオスグリフォンを仕留めながら叫んだが、蒼井は人型の星喰いに、蒼剣の切っ先を向けた。雑魚を片付ける間に攻撃されては、危険度が増す。誰か一人は奴を引き付けておかなければならない、と判断し、足を踏み出す――。

 ギィン!!

 ――直前。どこからか、金属音が響き渡る。
 人型の星喰いが耳障りな悲鳴を上げ、蒼井達から距離を取る。何事だ、と音源を探すと、そこには今までいなかったはずの人物の姿があった。

「拠点にいないから追いかけて来てみれば……もう少し慎重に動けないのか、あんた達は」
「黒冬!?」

 現れたのは、黒冬和馬。村崎と同じ、単独で行動するセイバーの一人だ。
 短い黒髪に赤い目――マスターと似たような容姿を持つ彼は、レイピアに付着した汚れを軽く払うと、切れ長の瞳をこちらに向けて言った。