前日譚01

 星が瞬く空は、遠くで火事でも起きているのか、赤黒い。電気も通じていないオフィス街は以前訪れた時と同様、僅かな星の光を受けて黒いシルエットを纏っている。それはビルの形も相まって、墓標のように見えた。

「……いつ見ても、暗いな」

 窓ガラスが割れて無惨な姿になっているビルのひとつ、比較的広範囲を見渡せる場所に身を潜める少年は、その風景に蒼い目を向け、ぽつりと漏らした。

   ■   ■   ■

 自分たちが穏やかに暮らす世界が《現実世界》とするなら、ここは《異世界》――この常夜の世界を、暫定的に示す呼称である。
 荒廃した地上、いつまでも闇夜に包まれた空。人ならざる者が蔓延る、住み慣れた街。現実世界と同じような地形や光景を持ちながら、全く異なる様相を呈している『こちらの世界』は、『あちらの世界』とは密接に連動しているようだ。こちらで建物が焼失すればあちらでは火事が起きるし、季節が変われば、空は常夜のままだが気温は変わる。この世界にやって来た者たちのほとんどが、その様相に最初は戸惑う。
 そして、どうやって現実世界あちらから異世界こちらに誘われるのかは、ここに来てから随分経った今でも、はっきりとしていない。
 いわく「路地裏を歩いていたら迷い込んだ」。
 いわく「店の裏口がここに繋がっていた」。
 いわく「正体不明のデカブツに落とされた」。
 出会ったセイバーに問うても皆、おおむねこのような回答で、共通しているのは『気が付いたらこの世界に足を踏み入れていた』くらいの曖昧さなのである。
 瓦礫から漏れ出す僅かな明かりだけが頼りの、暗がりのビルのフロアに立つ少年――蒼井悠斗も、彼らと似たような経緯で《異世界》に足を踏み入れた一人だ。本来であれば、星辰町にある星辰高校に通う、極めて普通の高校生。それが名乗るべき所属だが、この世界では意味を成さない事実。
 何故『意味を成さない』のか。それは、ここが国の法やら倫理やらの抑圧の範囲外である場所だからだ。ここで名乗るべき所属はそう、《セイバー》であるか否か。《ジュエルマスター》の加護の許にあるかどうか、だろうか。現実世界から異世界へと招かれた者たちは、それぞれが持つ《守護石》の力を使い変身し、通常よりも高い身体能力を得る事が出来る。それを使って、人ならざる者――『星喰い』と呼ばれる奇妙な化け物と戦う日々を余儀なくされていた。《ジュエルマスター》と呼ばれる者が告げた、『絶対に元の世界に帰す。だから、俺を助けて欲しい』という言葉を信じて。

   ■   ■   ■

 風の音しかなかった街に、突如どこからか大きな衝突音が響いた。現在いるビルからそれ程遠くはない方角より、続けてガラスが割れる音がする。蒼井は音源が徐々に近付いてきている事に気が付くと、それの細かな違いを見極めて、あとどれくらいでここに至るのかを予測。この街は障害物が多い事も考慮すると、大体三十秒くらいか。
 答えが出ると、体内時計でカウントを開始しながら、自身がいるオフィスの割れた窓の方へと歩を進める。散らばったガラス片を踏み締めると、ぱきりと音が鳴った。
 鼓膜が、破壊音とは異なる音を拾う。

「――コウ!」

 それは、蒼井にとって聞き慣れた人物のもので。割れた窓ガラスの影から、聞こえてきた方角の様子をうかがった。
 眼下に続く舗装された道を、全力で東に向かって駆けていく人間が二人。どちらも成人した男性で、派手なスーツを纏った金髪の方は、右手に持った拳銃を構え、背後を振り返る。
 二人を追いかけているのは、漫画に出てくるような龍の姿をした何か。この付近に出現し始めたと情報があった星喰いはあれか、と蒼井はひとり納得する。相手が爬虫類を模した量産型ならともかく、存在すら曖昧、伝説上の生き物だと異国の地で伝えられている龍が現れたとくれば、この世界にいくらか慣れた者たちでも不安を抱くであろう事は、想像に容易い。

「って、もうだいぶ追い付かれてんじゃねーか!」

 言いながら、右手で腰のホルスターから引き抜いた拳銃の引き金を引き、発砲。弾は追いかけてくる星喰いの体に命中するが、そこは装甲の硬い部分なのかキィン、と音を立てて跳弾し、横の建物のガラスを割った。
 背中の剣の柄を握り、鞘から抜く。大きな音を立てないよう窓枠に歩み寄り、踏み越え、――跳躍。落下しながらもしっかりと着地先の星喰いを見据え、剣先を寸分違わず狙い定めた。

「――やああぁっ!!」

 剣は星喰いの額に命中し、バキィ!と何かが砕けたような音がした。星喰いは鳴き声とは称しがたい声を上げ、その巨体をふらつかせる。
 攻撃は完全に不意討ちのうえ、降下の勢いと重力をも載せた渾身の一撃だ。鉱石で出来た身体にヒビが走っており、ダメージは相当入ったと思われる。が、油断はならない。着地と同時に地面を蹴り、すれ違い様に袈裟を放つ。ぐぎゅあ、と妙な声を上げた星喰いが、ふらりと体を揺らし地面に倒れ伏す。

「マスター、浄化を!」

 向こうからすれば突然蒼井が降ってきた、という状況である。予想通り、黒髪の青年――追われていた二人のもう片割れだ――は、ぱちくりと目を丸くさせていた。それを駆り立てるように行動を促すと、はっと頷いて星喰いに駆け寄り、両手を掲げる。そして一瞬後、稲妻のような音を響かせながら、眩しいばかりの青い光が周囲を包み込んだ。

「――この辺りは、もう大丈夫そうだね」

 からん、と乾いた音を立てて地面に落ちた青い石を拾うと、黒髪の青年はくるりと蒼井に向き直り、へにゃりと顔を綻ばせる。
 《ジュエルマスター》。セイバーたちに力を与え、星喰いたちの星宝石を《浄化》する力を持つ、その割には戦闘能力はからっきし、という存在。それが、この黒髪の青年であった。また、逃走中にもう呼ばれていた『コウ』という名も、彼を指し示す。もっとも、そう呼ぶのは少数であるが。

「ありがとう、悠斗。お陰で助かったよ」
「どういたしまして。山吹さんもお疲れ様でした」
「お疲れ、ゆーと君。まさか上から降ってくるとは思ってなかったわ。いつからあんなとこに?」

 いつの間にか変身を解き、派手とは行かないまでもそれなりに目立ちそうな色合いのスーツを着た青年となった男――山吹日明も、蒼井に礼を言う。彼も仲間の一人であり、同じくマスターを守らんとするセイバーである。

「たまたまですよ。隅から隅まで探していたら、大きな破壊音が聞こえたので」

 蒼井の言っている事は、本当だ。別行動をしていてオフィス街を彷徨いていたら、たまたま二人が追いかけられているところに遭遇したのだから。たまたまねぇ、と山吹は蒼井の言葉をやけに意味ありげに呟くも、特に何も言わずにマスターに向き直る。

「さて、コウ。どうするよ?」
「うーん……一段落した事を、辻村さんたちに伝えるべきかな」

 オフィス街に力の強い星喰いがいる、と情報をもたらしてきた者の名を挙げ、マスターは答えた。確かに、安全のため身を潜めてくれていると思われるが、セイバーの中には正義感の強い者も多くいる。いてもたってもいられず飛び出している者がいないとも限らない――現時点での最優先だと思われた。

「じゃあ拠点行くかー。今って○×ビルにいるんだっけ? あそこのヒトたちもだいぶ不安がってたっしょ」
「ええ。だから、取り敢えずもう大丈夫だと伝えましょう」

 少なくとも、この世界における暫しの平穏は守られたはずだ。三人は、目的地へと足を向けた。