Faker01

#1

西暦二○××年四月十日午前十時三十分 異世界の何処か

「マスター様、淹れたての紅茶です。どうぞ」
「あぁ、ありがとう」

カタン、とテーブルの上にマグを置き言うと、マスター様は微笑みを浮かべ礼を口にした。

私は今、今まで生きてきた現実世界ではなく所謂“異世界”にいる。
ここは、どんよりとした瘴気と空気により一日中暗い。そもそも『一日』という概念が存在するかさえも曖昧で、はっきりとしない。

何故そんな場所にいるのかと問われれば、私は迷いもなく答えられるだろう。『マスター様の側に仕えるのが、執事というものです』と。
現実世界から突然ここに飛ばされた時には驚いたが、目の前にいるマスター様に出逢ってからの日々は現実世界では手に入らぬものばかりで、魅力的だった。――現実世界での全てを捨てていい、と思える程に。

「何をしていらっしゃるのですか?」
「んー……ここ最近の星喰い討伐データを見てたんだ。悠斗が纏めてくれてた分」

バサバサと紙束を振るマスター様は、やや困った表情で答える。紙が立てる音は、私達が討伐してきた星喰いの多さを物語っていた。

「それが、どうかしたのですか?」
「うん。データによると、トンネルの辺りから星喰いの力が強くなって来ているんだ。ただの気のせいだと思うんだけど、やっぱり気になってね……」
「そういえば、そこからですね。辺りに漂う瘴気が強くなっていたのも」

私は話に上がった場所での討伐戦に参加していた。トンネル内に入るなり吐くような気持ち悪さを催し、遭遇する星喰い達に何度足を取られたか分からない。
マスター様は頷き、更に表情を険しくさせる。

「人語を喋りかけた奴もいた。ここから先、一体どんな星喰いと対峙する事になるんだろうね……」
「ですがマスター様、ご安心を。貴方様の身は、私や他のセイバー達が必ずや守ってみせますから」

私は彼の不安を少しでも払拭出来るよう、右胸に左手を当て恭しく頭を下げる。
マスター様はきょとんと呆けたのち、ありがとう、と笑った。

#2

西暦二○××年四月十日午後十二時00分 県立星辰学園高等部屋上

音楽が好きだ。
まぁ、勿論見境なく聴く訳じゃない。気分によって今日はJーPOP、今日は洋楽……と変えたりもする。気に入っているアーティストの新譜に飛び付いた日には、一日中それだけを聴く時もある。最近の音楽プレーヤーには便利な機能も満載で、益々手放せない要因のひとつだ。

こうやって近所の電気屋で奮発して買った高音質のヘッドホンを頭にかけていると、周囲の雑多な音は全て何処かに去って行く。まるで、自分が世界から切り離されたかのように、音楽の世界にのめり込んで行ける。そんな気分を味わえる時間が、好きだ。
英語はそんなに得意ではないが、洋楽も邦楽もそれぞれに良さがあり聴いていて飽きない。
心地よい音楽を聴きながら惰眠を貪るのは、オレの好きな時間だった。

だけど、それを阻止する手は存在する。

「黄太! またこんな所でサボってる!」

オレの頭から奪い取ったヘッドホンを手に、逆さまの鳥谷茜が眉を吊り上げていた。
折角、ひょんな事から手に入れた合鍵を使って侵入したこの屋上でいい気分で寝ていたと言うのに。一体この女は何処から入ったのだろうか。
安眠を邪魔され、オレ――柱間黄太はずり落ちていたパーカーのフードを頭に被せながら口を開く。

「おめぇ、何でここにいるんだよ」
「何でじゃない! 黄太、また雨宮先生のいない時に保健室で寝てたでしょ! いい加減にしないと、雨宮先生が泣いちゃうじゃない」
「バレてなきゃ良いだろ」
「そういう問題じゃない!」

腰に手を当て、いかにも怒っていますといった調子で喚く相手を前に、オレは溜息を吐いた。あぁ、面倒臭い。
取り敢えずヘッドホン返せよ。

「黄太、話聞いてる!?」
「あぁ、聞いてる聞いてる」
「あんたって奴はぁ~……!!!」

鳥谷が拳を振り上げる。と、そこで動きを止めた。

「……? どうした?」

あまりにも動かないので、オレは流石に問いかけた。心配とかじゃなく、ただ何となく。
鳥谷はその問いにゆっくりと顔をこちらに向け、言った。

「…………ねぇ黄太。ここって、現実世界だよね」
「はぁ? 何言ってんだ、当たり前だろ」
「現実世界には、星喰い来れないんだよね?」
「マスターがそう言ってんだから、そうなんだろ。頭打ったのか?」
「じゃあさ、」

突然動かなくなったと思えば、今度は意味不明な質問ラッシュか。
正直面倒に思いつつも答えていくと、鳥谷は人差し指をある一方に向けた。

「じゃあ、あれは――何?」

同じ頃。

「おいおい、あれ……!!」

風間葉一と俺――蒼井悠斗は、教室で持参した弁当を食べている所だった。風間は購買部で購入した焼きそばパンだが。
突然立ち上がったと思うと、風間は空の一点を指差し、青い顔をして声を上げる。
俺はと言うと、それを認めた瞬間何故アレがこの世界に、と疑問で頭が一杯になっていた。

「あれ、戮……だよな……!?」

先日の、異世界の研究所で行った星喰い討伐戦が脳裏に蘇る。
今まで明確な思考を持たなかった星喰い達とは異なり、戮は人語を喋り俺達を戦慄に陥れた。
戦闘も今までより激化し、天草や雨宮先生がいなければ負けていたかもしれない――その星喰いが、現実世界にいるはずの俺達の視界にいる。恐怖を覚えない訳がなかった。

そもそも――この世界に、星喰い達はやってこれないのではなかったか。マスターの力と守護石の力で世界を行き来する俺達と違い、星喰いはそんな力が存在しないのだから。

取り敢えず、早急にマスターに連絡を取る必要がある。
俺は風間に外から目を離さないよう指示すると、自分が所有している携帯とは違う、虹逆世界によってカスタマイズされた端末を鞄から出した。仕組みがどうなっているのかは知らないが、これなら現実世界と異世界で連絡をし合える。
震えそうになる指でマスターの名を呼び出そうとして、固まった。

メールが一件、マスターから。
題名はなく、本文に一言。

『Faker』

#3

西暦二○××年四月十日午後三時ニ十五分 ビル街○○営業所内

今日の仕事も、大分怒られてばかりだ。
菫透真は盛大に溜息を吐き、とぼとぼ廊下を歩く。

今日の担当ではタイピング間違いでとんでもない打ち間違いをするし、お茶を上司のズボンに盛大に零してしまうし、大切な書類をばら撒いてしまうし。本当に、今日は厄日かと思う。

だが、原因が思い当たらない訳ではない。昼間窓から見えたアレを思い出す度に、頭の中が真っ白になってしまったのだ。

「先輩達、見てたかな……」
「何をですか?」
「おわぁ!?」

突然背後からかけられた声に驚き、僕は体を文字通り飛び跳ねさせた。その際近くにあった自動販売機の隣にあるゴミ箱に向こう脛をぶつけ、痛みにうずくまる。ああもう、本当に厄日だ。
話しかけた当人は、そんな僕を見て呆れたように頭を掻いた。

「……話しかけただけでそこまで派手にやられると、話しかけ辛いんですが」
「夏野先輩……お気になさらず……」

そもそも背後から話しかけるから、というちょっとした不満は置いといて、目尻に涙が溜まるのを堪えながら相手を見やる。
夏野太陽――僕の先輩で、行きつけの花屋の娘さんの兄だ。

「ところで、菫君。見たと言うのは?」
「あ、はい。先日の星喰い討伐戦、ご存知ですか?」
「あぁ、昼間のアレですね。私も見ていました。多分、辻村君も知っていますよ」

確か夏野先輩は参加していなかったと思いそう切り出せば、それだけで本題を察してくれた。僕と違って良く頭が回るのを羨ましく思いながら、首を傾げ発言する。

「どういう事なんでしょうね……マスターはこの世界に星喰いは来れないから大丈夫だと言っていたのに、あんな強い奴がいるなんて」
「分かりませんねぇ。けど、考えれば分かる事かと」
「え?」

余程トボけた顔をしていたのだろう、夏野先輩はひとつ咳払いをして疑問に答えてくれた。

「思い出してみて下さい。一番最初に戦った星喰いと先日の星喰い、明らかに違いがあります」

言われて、僕は自分が最初に戦った星喰いを思い出した。確か、ニムバスタワーと呼ばれた鉱石そのもののような星喰いだった。
それと先日の戮。比べて最初に思いつくのは、威嚇行為――即ち『言葉』だ。
ニムバスタワーが獣のような叫びを上げていたのと違い、戮は人語を発していた。それは、明確な進化と言えた。

「……進化している、って事ですか?」
「進化と言えるかは分かりませんが、知能面に限って言えばそう言えます。つまり、星喰いの餌である瘴気や負の感情が増加している……といった所でしょうか」

日頃の浄化活動でそういったものは減少させてきたはずだが、いかんせん人手が足りなさすぎる。人の負の感情など、たかが数十人で抑えられる訳がないのだ。
だから、マスターは異世界にいるのだと笑って言っていたのを覚えている。

「じゃあ、まさか……」
「あなた達、大変よ!!!」

僕が脳裏に浮かんだ可能性を口にしようとしたその時、辻村先輩の声が響いた。
嫌な予感が、した。

#4

西暦二○××年四月十日午前十二時五十七分 繁華街

「ねぇねぇ、あの人超イケメンじゃない?」
「うわぁ、私すごいタイプ!」

そこかしこから聞こえてくる女性達の声を軽やかにスルーし、山吹日明こと俺は繁華街の街を歩いていた。

仕事は夕方からなのだが、ついでに今日発売するゲームを引き取りに行こうと思い家を早めに出たのだ。
ホストたるもの、家から一歩出ればそこはもう舞台。目的が何であろうと、身嗜みには予断を許さない。

「――んお?」

前方から歩いてくる人物の中に見知ったものを見つけ、俺は軽く手を上げる。

「よぉ、そーやじゃねーの」
「あ、日明さん!」

出会ったのは、学ラン姿の暁宗谷だった。手には何やら鞄を持ち、チャックの隙間からスケッチブックが覗いている。

「こんな時間にこんなとこ彷徨いてんじゃねーよ、不良か?」

この時間は、学生である彼は授業を受けているはず。妙な所で出くわした事を茶化せば、暁もケラケラ笑って応じた。

「違うって! オレのクラス、美術でこの先の公園でスケッチ大会するんだよ」
「あーナルホド。うーん、若いっていいねぇ」

言われてみれば、遠い昔美術でそんな事をやった気もする。壊滅的な画力で、色んな意味でクラスの人気者になってしまった事まで思い出してしまい、僅かに顔を引きつらせる。

そんな俺の心情を知らない暁は、何言ってんだよと突っ込んできた。大人には色々あるのだよ。

「日明さんだって若いじゃん。にしても良い天気だよな!」
「おー、思い切ってスケッチしてこい。そんでサボってこ……」

暁に釣られて、空を見上げる。

今日は天気予報でも快晴だと言っていた。正にその通りで、この時期なのに汗ばむ位には気温が高いのだ。

と、ふと上空に何か黒い点が見えた。

一瞬飛行機か何かだと思ったが、点は次第に大きくなっていく。そして、その全容がはっきり見えてくると――。

「――!? おいそーや、あれ!」
「へ? ……な……!?」

暁に上を見るよう差し示すと、愕然とその点を見つめた。

この前殲滅したはずの星喰い、戮。
あれは間違いない、あの異世界で俺達が倒したはずの星喰いだった。

星喰い――戮は繁華街上空を滞空し、品定めするかのように街を歩いていた人間を見る。突然現れた怪獣に瞬く間に人は混乱に陥り、バラバラに逃げ始めた。

戮はそのまま上空に浮上し、そこから繁華街を見下ろす。

「な、何で星喰いが現実世界に……!?」

俺は思った事を率直に口にした。暁も動揺しつつ、とりあえず身を隠す。

「分からねぇ、けど……このままじゃヤバイぜ!?」
「だからってどうするんだよ。こっちじゃマスターいねぇし、俺らは変身出来ねぇ。オマケに相手は、変身したセイバー数人がかりでようやく倒した星喰いだぜ」

そう、問題はそれだ。
マスターがいなければ、俺達はセイバーとしての力が使えない。現実世界では、ただの非力な人間でしかないのだ。
例え変身出来たとしても、たった二人じゃあの星喰いには勝てない。

「…………」

暁が黙り込む。多分、頭では分かっているのだろう。
さーてどうしようか、と俺も頭を回転させる。戮が現れた時人間達を見ていたのは、恐らくセイバーか否かを見極める為だろう。
ならば、このまま身を隠しつつ誰か仲間と合流して、異世界に原因を突き止めに行くのが最良か。

「…………ダメだ……」

ふと、暁の口から声が漏れた。
その言葉の真意を察した俺は「阿呆!」と言いつつ腕を暁に伸ばしたが、時既に遅し。
俺の手を掻い潜った暁は星喰いの視界に入る大通りに出、声を張り上げながら駆け出した。

「このまま放っておけねぇ!!!」
「あ、ちょ、おいっ! ――ったく、ほんと若いってのは!」

走り出した暁を追いかけ、俺もヤケクソになって大通りを突っ走る。あいつが何処に向かっているのかは分からないが、とにかく追いかけなければならない。

戮が俺達を見て、嬉しそうに蠢いた。

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視点:荊棘従道、柱間黄太、蒼井悠斗、菫透真、山吹日明