Biter04

突然涙を流しながら倒れたマスターを、俺達は慌てて拠点に運び込んだ。
だが拠点に着いた後、結構時間が経ったというのに、彼はまだ眠り続けている。

狼狽する荊棘さんを落ち着かせるのも大変で、今は戦闘の疲れを癒す為に休んで貰っている。天草も先程までここにいたが、眠そうに目を擦っていたので、休めと無理矢理就寝させた。
見嶋さんはあの後、ふらりとまたどこかへ行ってしまった。

そして、マスターが眠るこの部屋には、今は俺と--オーブさんが、残っている。

「…………」

オーブさんは、初めて会った時に見せていた毅然さとはかけ離れた、そわそわと落ち着かない様子で、座ったり立ったりしている。時にマスターの顔色を窺ったり、起きていないと分かるやすとん、とまた座ったり。
一度見かねて休みますか?と声をかけたが、大丈夫だと返され、以降ずっと同じ調子だ。
彼女もまた、彼を『マスター』と呼ぶ者。故に、心配なのだろう。何せ、何故倒れたのか未だにはっきりしていないのだから。

果たして、目覚めるのか。
目覚めたとして、そこに在るのは以前と同じマスターなのか。
疑問は尽きず、その不安が彼女を--そして俺やセイバーの皆にも襲いかかっているのだ。

そういえば、と俺はオーブさんを一瞥する。
マスターが初めて目覚めた時に傍に立っていた、という女性。どこか浮世離れした容姿を持ち、星喰いやこの異世界の事について、俺達以上に持ち合わせている人物。
彼女ならマスターの記憶がない理由を知っているのではないか、と思い問いかけた事があるが、ふたりが出会った時には、既に記憶を喪失していたそうだ。
だが、その表情は心配以外にも、何らかの感情が渦巻いているように見えて。気になってはいるものの、聞かずじまいである。

「--ん……」

ふと、俺でもオーブさんでもない声が、耳に届いた。
瞼を震わせ、緩慢な動きで赤い双眸が現れる。ぼんやりとしていたようだが、すぐにそこに光が戻り、視線が俺とオーブさんを捉える。

「オーブ……と、悠斗?」
「マスター、目が醒めましたか?」

ゆっくりとした動作で上半身を起こし、俺どうしたんだっけ、と首を傾げているマスターの姿に、倒れる前の記憶がないのだと察した。
俺達の心配も知らないで、と呆れ返りながら、それは言及せずに疑問への答えを口にする。

「あの後倒れて、丸一日眠っていたんです。無茶も程々にしてくださいよ」
「え、そっか……ごめん」
「全くです。他のみんなも心配していました。--オーブさんも」

くるり、とオーブさんに話を振れば、彼女はびくりと体を震わせる。
あの、えと。傍目から見ても狼狽えているのが分かる動作で俺を見て、マスターを見て、また俺に視線が返ってきたので、どうぞ、と促した。

「……体調はいかがですか、マスター?」
「大丈夫、心配かけてごめん」
「どうぞ、ご無理をなさらずに。自愛なさってください」
「そうする。……ところで、あの女の子は?」
「彼女は、まだ眠ったままです。怪我も特にないので、ただの疲労かと思います」
「そっか、良かった。みんなも無事なんだね?」
「倒れたのは貴方一人ですよ」

オーブさんの気遣いにも、軽く一言。自愛しろ、に了承の言葉を返したが、きっと、否十中八九またやるのだろう、と思った俺は、こっそり溜息を吐いた。
何で倒れちゃいけないはずの貴方だけが倒れる事になっているんですか、と言いたいが、堪えようと試み。結果、堪えきれていない台詞が口を突く。

「で、今回無茶をしたのは何故ですか?」
「無茶?」
「アンタ無茶してないと思ってんのかよ!? 星喰いに狙われたらあれだけ逃げろっつったのに動かず迎え撃つとかどう見ても無茶だろ、元にぶっ倒れてるくせに!! 天草がセイバーの力を使えたから助かったものの、あのままだったらまず間違いなくアンタ殺されてるんだからな!? というかその分だと反省もしてないな!? アンタが倒れた時俺達がどれだけ焦ったと思ってんだこの鈍感!! 一度時間をかけて説教しても良いんだぞ!?」
「あ、蒼井様、落ち着いてください!」
「うん、えーと、その点についてはごめんなさい?」
「疑問形!!」

思わず素でタガが外れたように捲し立ててしまったが、反応が予想通り過ぎて気が抜けてしまい、はー、と一息吐いて頭を振った。
本当にこの人は、と呆れの感情しか浮かんでこないのだが、今更である。

しかし、マスターはそこで「でも、」と言葉を続けた。

「呼んでる、と思った」
「は? 誰にです?」
「分からない。けれど、俺が呼ばれていると思ったし、確信もあった。だから助けなければ、って。まぁ、水樹のお陰で気が付いたようなものだけど」
「それはーー」

どういう事だ、と続けようとしたその直後、部屋の外からバタバタと忙しない足音が耳に届いた。

「ま、マスターさああああぁん!!!」

バタン、と開かれた扉の向こうから現れたのは、件の天草水樹その人。全力で走ってきたのか、大きく肩を上下させながら息を整える。

「天草? 女の子を見てたんじゃ?」
「あの、ボクもビックリしたんですけど! その、えと、み、見てください」

天草が両手を差し出すので、つられるようにして視線をやる。
するとそこには、小さな生き物が乗せられていた。丸っこいフォルム、青みがかった灰色に少し濃い目の一本線が目立つ体毛、寝かせたり立たせたりする耳、大きな目。俺には見覚えがある生き物だった。

「鼠……いや、ハムスター?」
「なにそれ?」

案の定疑問を口にしたマスターに、ええとですね、と解説をする。

「鼠と同じげっ歯目に分類される生き物なんですが、この世界だと似たようなものが見当たらないから、例えようが……。この毛の色合いは、確かブルーサファイアと言ったような。でも、何でこんな所に?」
「それが--、!?」
「え」

天草が説明しようと、口を開いた瞬間。
ハムスターを中心にして光が溢れ、視界を埋め尽くす。

--光が止むと、

「ふあぁ」

そこには紛れもなく、俺達が保護した少女が、眠そうに目を擦りながら座っていたのだった。

「…………えええええーーーーーー!!?」

   ■   ■   ■

「はーびっくりした……セイバーって動物でもなれるものなんだな……」
「守護石を持つ者なら、動物であっても変身は可能です。その知能は、人間に換算した年代のものに近いと思われますが……」

俺とマスターの絶叫を聞き付けた、拠点の他の場所にいた皆も交え、元中華店側の部屋に移動したのはつい先程。
荊棘さんが用意してくれたティーポットから紅茶の香りが周囲に漂う中、俺達は『彼女』について話をしていた。
暁が、変身してからずっとマスターにくっついている女の子を見やり呟くと、オーブさんが説明する。いや、それもうちょっと早く言って欲しかったのですが。

「しかし、動物である彼女が、星喰いに変質していた理由は……? 動物の中でも、知能は高いものも存在しますが、ハムスター……とりわけげっ歯目類は、その域ではなかったように記憶しています」

紅茶を淹れながら、荊棘さんが疑問を提示する。
確かに、げっ歯目は犬や猫よりもずっと知能が低いというのは、割と知られている事柄である。俺自身は守護石は人間にしかないものと思っていた為、かなり驚いてしまったのだが。
その答えは、ひとつ頷いた後にオーブさんが答えてくれた。

「星宝石にとって、『人間』か『動物』か、はあまり意味を持ちません。『願い』を持つか持たないか、です。星宝石が一際強い『願い』に感応し、その力を増幅され過ぎた守護石または星宝石が暴走する事を、私は『堕とされる』と呼んでいます」
「琥珀の時と似たようなケースで、こいつの場合はそれより酷くて、星喰いになりかけていたって事?」
「はい、その認識で間違いないかと」
「つまり、このチビは願いを持っていたってことか」

フードから青い髪を覗かせた女の子はまだ小さく、恐らく俺達よりもずっと年下だ。というより、ハムスター自体が他の動物に比べて寿命は短いが故、この姿を取っているのだろう。
こんな小さな体でどうやって異世界に来て、何故守護石を堕とされてしまっていたのか。どんな願いを持っていて、石に目をつけられてしまったのか。
--そうまでして戦力を得なければならない程に、この異世界の穢れは酷いのだろうか。

うーん、と俺達が頭を悩ませているのを見て、少し困り顔をするマスターは、ふと思い付いたように、自分の傍にいる女の子の顔を覗き込んだ。

「ね、名前は?」
「……なまえ?」

女の子はマスターの問いかけに、こてんと首を傾げる。んー、うーん?と唸りながら考えているようだが、なかなか答えは出てこない。
やがて、肩を落としたままぽつり、と呟いた。

「なまえ、しらない」
「そっか……困ったね?」
「名前がないと、呼べないですよね」

天草も、困った顔でうーんと考える姿勢を取った。ハムスターに自分の名前を覚える知力があったかは定かではないが、確かにないと不便である。
すると、暁が名案だとばかりに発言した。

「綺麗な蒼髪だし、悠斗の蒼(アオ)でよくね?」
「止めろ、どっちが呼ばれてるのか分からなくなるだろ。せめて音読みにしろ」
「音読みってーと『ソウ』か。丁度良くね? マスターの『コウ』と『ソウ』、お似合いじゃーん」
「え。採用なんですか」

冗談に返したつもりが、山吹さんにはそうコメントされ、荊棘さんもそれは良いですね、とばかりににこにこ頷いている。それで良いのか、皆……と突っ込む気力すらなく、俺は頭を抱えていた。

自分の話だと分かっていたのか、女の子はこてんと首を傾げ、ソウ?と呟きながらマスターを見上げる。視線を受け止めたマスターが、彼女の頭をフード越しに撫でながら、頷いた。

「うん。アンタの名前はこれから『ソウ』だよ」
「……ソウ。ソウは、ソウ!」
「で、俺はコウ」
「コウ?」
「うん。よろしくね」

そんなやり取りをして、最後にはとても嬉しそうにマスターの名を呼びながら飛び付く女の子--ソウの姿を見ながら、まぁ良いか、と俺は最後に溜息を吐くのだった。