いってきます

修行に行く、と口にしたのは、兄弟が先だった。

「僕、明日から行く事になったよ」
「……そうか」

より強くなるための修行。安全ではないし、むしろ危険が常に付きまとう。
こうして俺に報告に来たのは、現在の近侍であると同時に、信頼されているからなのだろうか。この本丸での近侍は、俺と兄弟が適宜交代して請け負う事になっている。

俺の反応になのか、兄弟はふ、と笑顔を浮かべて、困ったように眉尻を下げる。

「近侍、交代出来なくなっちゃうから迷惑かけるけど。でも、僕を信じて待っていて欲しい。僕は、またここに帰って来るから」
「信じない訳がないだろ。兄弟は堀川派で一番しっかりしているしな」

何を今更、と言外に意味を含めつつ、息を吐きながら答える。
と、兄弟は何やら口をつぐみ、落ち着かないように視線を反らす。

「…………」
「兄弟?」

首をかしげながら声をかける。
兄弟はんー、えーと、と呟くと、やがてそれを口にした。

「あのね。――ごめんね」
「? 何故謝る?」

俺は兄弟に何かされただろうか。
突然の謝罪に頭を捻り、考える。先日共に出撃した時、先に兄弟が倒れてしまった事だろうか。でもあれは敵の集中放火を浴び、打刀の俺よりも耐久が低い脇差ではとても耐えられるものでは――。

返事もせず考え込んでいるのを、怒るどころか「ああっごめんね、違うんだ!」とはっとした顔で否定しながら口を開く兄弟に、俺は視線を戻す。

「僕が来た頃……陸奥守さんとか、真贋の事で、兄弟や獅子王君に迷惑をかけたでしょ? その時のこと、謝ってないなと思って」
「…………」

当時の記憶を引っ張り出す。
先に陸奥守がいたこの本丸に堀川が来た時、敵対する主が持ち主だった二人が、盛大に互いの主の事を口に出し、揉め事を起こした。確か獅子王が間に入り、とりあえず休戦という事でひとまずの解決となったはずだ。
しかも、兄弟にとっては尚悪い事に、その時の部隊長は俺で。
自分が本当に堀川国広の作なのかすら分からない彼は、陸奥守との喧嘩もあって、動揺を隠せず挙動不審だった。

直後にやって来た、彼にとっては当時唯一無二の同じ新選組の刀だった加州清光のお陰で事なきを得たが、その後もしばらくは、俺に対してもよそよそしかったのを覚えている。

そこまで考えて、ふ、と疑問が頭を過る。
今更そんな事を言い出したと言う事は――。ひとつの理由に思い至り、俺は兄弟の額を小突いた。

「あいたっ」
「そういうの、フラグというのだと、主が言っていた」

小突かれた額を押さえながら、俺の言葉に兄弟があ、知ってた?と言わんばかりの顔をする。居心地が悪そうにしているので、俺は溜息を吐き、続ける。

「今更だろ。俺は別に気にしていないし、これから気にする予定もない。恐らく兄弟も同じ気持ちだろう。ただ、アンタを――堀川国広を、信じている事だけは確かだ」

そして最後に、今度はほとんど痛みを感じないであろう力で、もう一度額を小突いた。

「だから、ちゃんと帰ってこいよ。今は修行に行っているが、兄弟と一緒に待っているから」

山に修行に出てしまっている山伏国広は、兄弟の旅立ちの見送りが出来ず残念に思うだろうが。帰宅予定は二日後であるし、出迎えをする事は出来るだろう。

兄弟は大きな双眸をぱちくりと瞬かせ、やがてうん、と小さく頷いた。

翌日早朝。
まだ起き出してくる刀も少ない時間帯に、俺と旅支度を済ませた兄弟は、本丸の門の前に立っていた。

「じゃあ……」
「待て国広」

門を潜ろうとした兄弟に、突然かけられる第三者の声。
ばっとそちらを振り向くと、薄い寝間着のままで和泉守兼定が立っていた。若干不機嫌そうな表情なのは、眠いからか。

と思っていたら、兄弟が目を見開く。

「!? 兼さん!? 何で――」
「俺は言ってないぞ」

ああ、この反応は和泉守に修行の事を言っていないんだなと即座に気が付き、先手を打って無罪を主張する。てっきり伝えているものだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。

和泉守はがしがし自分の頭を掻きながら、あのなぁ、と呆れたように口を開いた。

「お前の相棒を何年やってると思うんだよ。んなもん勘で分かるっての」
「えぇ~?? 上手く隠せたと思っていたのに……僕もまだまだだなぁ」
「それはともかく。――国広、しっかりやれよ。帰り、待ってるからな」

和泉守が兄弟に歩み寄り、短い黒髪を激励するかのように撫でる。兄弟は一瞬体を硬直させたものの、直ぐに笑顔を浮かべて答えた。

「……うん。兼さんも、兄弟や歌仙さんに、迷惑かけちゃ駄目だよ」
「かけてねぇ!」
「大丈夫だ。和泉守の事は任せろ」
「切国!? お前な……」

ビシッと親指を立てて宣言すると、和泉守が解せぬと言った微妙な笑みを浮かべ、それを見た兄弟がまた笑う。
そして、うん、と大きく頷いた。

和泉守の手から逃れ、俺達から一歩、また一歩と離れる。門の直ぐ下で一度くるりとこちらを振り向き、

「じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
「おう。気を付けろよ」

そうして、兄弟は修行の地へと向かっていった。

兄弟の背中が消えるまで見送った後、和泉守と本丸の縁側に戻ると、こんな時間だと言うのに三日月と獅子王、薬研が座っていた。
三日月と獅子王が寝間着で、薬研だけが何故か既に内番服を纏っている。

声が聞こえる距離にまで歩みを進めると、三日月が行ったか、と声をかけてきた。俺と和泉守は同時に首肯する。

「ったく、んな大事な事黙って勝手に行こうとしやがって……」
「堀川も負けず嫌いだからなぁ」
「言えなかったんだろ、和泉守に。堀川も」

兄弟と同期の薬研が苦笑気味に言うと、古株の獅子王も同意する。和泉守はどういう事なのか、と問いかけるが、二人は内緒だと笑った。

「で、説明しなくて良かったのか? これから起きてくる短刀達とか、長谷部とか、堀川がいないと色々やりづらいだろ」
「何とかするさ。それくらいの面倒は負う」
「おお、我が総隊長殿は頼りになるなぁ」

和泉守の懸念ももっともで、兄弟はこの本丸ではもっぱら家事や短刀達の世話役になったいる。彼がいないと知った関係者らの動揺は、簡単に想像出来た。
こちらの事は構わず、安心して修行に行けと言ったのは自分だ。これからその面倒を、どう処理するか。
くすくすと笑って言う三日月に茶化すな、と視線で言うが、どこ吹く風と受け流され、溜息を吐く。

「夜戦部隊は、兄弟が第一に入る時と同様に薬研が部隊長をやってくれ。家事とかは……歌仙や燭台切には悪いが、三日の辛抱だ。一期や短刀達にも、手伝ってくれるよう頼んでみる」
「了解」
「俺も手伝うかなぁー」

のんびりとした二人の声を聞きながら、俺はそろそろ揃ってくるであろう刀達にどう言ったものかな、と考えを巡らせていた。