セイバーズ・アクト 01

 星辰と石神。ふたつの町は、今や荒廃した姿を晒していた。
 石から生まれた異形の怪物は人々の精神を喰らい、自らの糧とし、星喰いに呑まれた人間は、正常な者を喰らおうと襲いかかるようになってしまう。町の人々はそれを恐れ、救世主を求めた。
 そこに現れたのは、異質な力を振るい星喰いを倒す力を持つ者たち。力の象徴として剣を掲げた彼らを、町の人々は、畏敬の念を込めて《セイバー》と呼ぶようになった――。

 明かりが少ない、夜の街に沈むビルの屋上。その影は、じっと何処いずこかを眺めていたかと思うと、さっと姿を消す。
 満月が近い月明りは、その影が持つ星宝石に強い輝きを放たせた。

   ■   ■   ■

 ほとんどの人は好んで通りたくもないであろう、昼間だったとしても薄暗い細い路地へ、躊躇いもなく足を踏み入れる。こんな時間に女性と女の子のふたりが通るようなところではないが、背後から迫るおぞましい化け物は、その体躯のお陰で通れないはず。キイイイイイイィア、と。
 鳴き声からして、化け物の数は二体。いや、数の問題ではない。何故なら、アレ・・に対する力を自分は持たないのだから。少し走って、背後の様子を見るために足を止める。
「お姉ちゃん……」
 ふと、腕の中にいる少女が声を上げた。見ると、大きくて丸い目を不安そうに揺らがせ、自分を見上げている。親とはぐれた上に、化け物に遭遇してしまった幼い少女。不安になるなと言うほうが酷だ。出来るだけ安心させられるよう、努めて笑顔を浮かべて、呼びかけに応じる。
「大丈夫だから。少し、静かにしててね」
 落ちないようにしっかり自分に掴まっていてね、と言うと、少女は不安そうな顔のままこくんと頷き、おずおずと自分のジャケットを掴んでくる。触れ合う面積が増えたことで伝わる、僅かな震え。せめてこの子だけでも逃がさないと、と改めて決意しつつ、一度だけ力強く抱きしめると、キッと前を向いてまた駆け出した。自分だけじゃないのだ、まだ諦める訳にはいかない。
 複雑な路地を離れて大通りに出れば、誰かしらが見付けてくれる確率は高いはず。一目散に足を動かす。あと、少し。止まりそうな足を必死に動かし、目指す出口が目の前に差し掛かった、その時。
「――っ……!」
 ぬるり、と進行方向を遮るように現れたのは、先程逃げ回っていたものと同じ形の化け物。紫色の鉱石から、蜘蛛のような細くて長い脚を生やしたような造形のそれ。顔どころか目もないというのに、見付けた、と嫌らしく笑われたような気がした。もう逃げ場はない。化け物の脚が、スローペースでこちらへと向かってくる。両足が地面に縫い付けられたかのように、動かない。腕の中にいる少女を、謝罪の代わりに強く抱き締め、両目を閉じる。万事休す。
 ――パァン。何かが弾けたような音が、路地に響き渡った気がする。直後、金属同士がぶつかる音と同時に化け物の耳障りな叫び声が響いた。しかし、待てども自身の体に衝撃らしきものは全く来ず、恐る恐る両目を開く。視界を横切ったのは、赤い模様が描かれた黒いスーツのジャケットの裾だった。
「あ、」
「――まーったく。女のコを追いかけ回すとか、最低野郎のすることだぜ」
 そんな軽口を叩きながら、タン、と自分の斜め前の地面に降り立つのは、金髪の男性。黒いジャケットの袖に腕を通さず肩にかけ、左手に何らかの宝石が埋め込まれた白い拳銃を持っている。――本来であれば最寄り駅の近くで合流するはずだった、幼馴染の山吹日明だ。
 へなへなと体から力が抜けて、地面にへたり込む。助かったのだ、何故なら彼は《セイバー》――化け物を倒す力を持つ者なのだから。彼は肩越しにこちらに目を向け、控えめに口角を吊り上げる。
「日明」
「あまり危険なことをするんじゃないぜ、カナ。ったく、一向に駅から出て来ないと思ったら」
「……ごめんなさい」
「良いよ。その子を助けようとしたんでしょー? だったら仕方ない」
 自分の腕の中でいつの間にか意識を失っている少女を指し示し、日明は言う。最寄り駅の改札を通った後、彼と合流する前に親とはぐれたらしい彼女を発見し、親を捜していたところに化け物と遭遇してしまったのだが、そんなことは説明せずとも見通されてるらしい。大体察されてしまっていることに、申し訳なさを感じる。
 日明がぐるりと周囲を見渡す。自分を襲おうとしていた以外で、逃げていた時に聞こえていた遠吠えの主と思われる同種の化け物まで集まっている。音が重なり、不快な重奏を奏でていた。
「さて、雑魚が増えないうちにここを立ち去りたいところだけど……カナ、立てる?」
「……ごめんなさい。腰が抜けてしまったみたい」
「オッケー。じゃあ、ちょっと失礼しますよっと」
「え? ちょ、ちょっと……!」
 どこまで足手纏いなんだか、と自虐しながら正直に告白すると、日明は素早く自分の隣に駆け寄り、腰を屈めた。一体何を、と意図が読めず、気が付くと宙に浮いた状態――つまり、彼に気絶した少女ごと抱えられた状態となっていた。
「だ、大丈夫なの!? この子だけならともかく――」
「へーきへーき。それより口閉じて、歯を食いしばったほうが良いぜ! 舌噛まないようにな!」
 《セイバー》は、守護石から得られる特異な力により身体能力が強化されるとはいえ、成人間近な女と少女の二人分である。降ろして、と言う間もないまま、日明が化け物がたむろっているのとは逆のほうへと向かって駆け出した。
 身体強化した他人の足によって、想像以上に早く流れる景色。いっそ目も閉じていたほうが良いのではないか、と逡巡し。ふと、視界に違和感を感じた。
 夜の星辰町、しかもこの近辺は比較的住宅街で、この時間は化け物を恐れて電気を落とすところも多い。だというのに視界が捉えたのは、電光掲示板の光でも、ネオンのLEDでも何でもない、例えるならカメラのフラッシュのような一瞬の輝きだった。
「……?」
 その違和感はあっという間に視界から外れ、確認不可能となる。それとも見間違いか、あるいは気のせいだったのか。