オンライン・ワールド05

 調査開始当日。俺たちは、くだんの町の入口にいた。あくまで調査なので、コウは生方さんたちに預けて留守番である。
 辛うじて地続きになってはいるが、折れて今にも倒れそうな電柱に括り付けてあるプレートの文字を見て、それがどの場所なのかをようやく把握出来る程には、ここもどこかの地域とぐちゃぐちゃに繋がっている。まるで自分たちが小さくなって、適当に組み上げられたジオラマの中に立っているような気分だ。――『石神町○○地区』。覚えのある地区名ではあるが、その五十メートル先の電柱には、全く違うそれが書かれたプレートが、風に揺れて不気味な音を奏でている。
 と、軽い機械音が耳に届く。誰かに話しかけられている合図で、紫上先生と俺は聞き取りやすくするために耳を押さえた。
『あ、紫上センセに辻村サン? あのさ、ちょっと聞きたいんだけど』
「何だ?」
『何かしら』
 話しかけてきた声の主は、山吹日明その人。紫上先生と、別の箇所で探索している辻村さんが問いかける。するとえーと、と少し困惑したような、戸惑ったような声音で言い淀んだ。聞いて良いかどうか迷っているような、少しの間。
『その……どっちか、石神の風景が見えてたりする? こっち、星辰の地区っぽいんだけど……俺やカナの実家がある辺りなんだよね、多分』
「私たちがいるところは間違いなくそうだな。……何か、心当たりがあるのか?」
『こっちも、少なくとも星辰のオフィス街近辺ではないわね』
 紫上先生と辻村さんがそう答えると、山吹さんは「やっぱりかー」と何かを納得したような声を上げた。紫上先生は俺と顔を見合わせ、軽く首を傾げる。
『ちょっと、山吹君。やっぱりって、どういうこと?』
『えっと……推測だけど、恐らく話をしてくれるNPC、そっちだと神社にいると思う。《祖の神》が関係してるんでしょーよ』
「《祖の神》……とは?」
『それは――……ん? ちょっと待って』
 そう断ってから、山吹さんの声が一旦遠のく。恐らくだが、会話の中に混ざれないカナリアさんに話しかけられたのだろう。コウや彼女のアバターは、何故か思念会話が出来ないそうなのだ。
 暫くして、ごめんごめん、と彼の声が再びクリアに聞こえるようになる。通話モードに切り替えたのだろう。
『取り敢えず、神社か寺! 辻村サンたちもそれっぽい建物を中心に探してみて。話聞くだけなら、いけると思う』
『はいはい。よく分からないけれど、了解したわ』
 思念会話はそこで終了し、結局《祖の神》は何なのか分からぬまま。俺と紫上先生の顔を見て、会話に参加していなかった柱間と風間が怪訝そうに、コウが不思議そうな顔で声をかけてくる。
「何だって?」
「分からない。けど、取り敢えず神社か寺をアテに探してみて欲しいってことくらいか」
「祠の次は神社か寺って、いかにもいわくつきだな……」
「なんだ、コエーのか? カザ」
「こ、怖くねーし」
 身震いしながら言う風間に、柱間はニヤニヤと笑いながら問う。彼らのお約束とも言えるやり取りなのは、この世界で共に行動しているうちに分かった事だ。それを咳払いで中断させ、紫上先生は進行方向に視線を向けた。
「では三人とも、そろそろ動こうか」

 幸運にも、そのフラグを担っている場所はすぐに見付かった。住所が記載されていたプレートがあった場所からさほど離れていない、いかにもといった雰囲気のエリア。覆い隠されるように植え込まれた木々の向こう、開けたところに建てられた神社の門にいたNPCに声をかけると、クエスト進行のアイコンが現れ、中に案内されたのだ。山吹が示した通りである。
 本殿へと続く石畳に立っていたのは、ここを取り仕切っている住職らしき初老の男性だった。彼もやはりNPCであり、案内してくれた男性のアイコンがそちらに移る。あとは彼に話しかければなるようになるはずだが、さてどう聞いたものかと思考し、問う。
「星辰と石神を分かつ山の中腹にあるという、ほこらについて教えてください」
 ――ぴしゃり、と彼がまとう空気が強張る。心なしか、周囲に立っている者たちの表情にも緊張が走ったような気がした。言葉を間違えたか?と冷や汗を掻く蒼井をよそに、住職の男性は緩慢な動作でこちらを見上げる。やがてふむ、と何か納得したように頷いてから、口を開いた。
「あの祠は、容易に近付いてはならんのだよ」
「何故でしょうか。その理由を教えて頂いても?」
 突き放すような物言い。だが間髪入れずに、紫上先生がそれを何とかと言わんばかりに問いかけ、暫しの沈黙が周囲を包む。
「……少しばかり、昔話をしようかの」
 やがて住職の男性はそう言って、近くの若者たちに修行に戻るようにと指示を出す。彼らが返事をして周囲に散らばるのを見届けると、彼はひとつ息を吐き、話し出した。
「この地には、かつて二柱の神が降り立った。《星の龍》と《祖の神》と呼ばれたそれは対となって存在し、この地を守っていたのだ」
 彼はどこか、明後日の方向を見やる。
「だが、《祖の神》は人間たちの欲望を利用しようと自らを小さく切り分け、それを彼らに植え付けた。見初められた者は、増幅された欲望に狂い、やがて感情のない人形と化した。我々人間は、神の怒りに嘆く者、神を止めようと立ち上がる者と分かれた」
 神の種子によって植え付けられた力で、感情のない人形と化す――つまり『神のみが操れる手足となる』ということか。嫌な悪寒を感じた気がしつつも、男性の言葉に耳を傾ける。
「《星の龍》はそれでも人間の可能性を信じ続け、傀儡と化していく人間を救うために、神を止めようと立ち上がった者たちの前に現れた。自らの鱗を分け与え、彼らに、狂ってしまい我を忘れた祖の神との対抗手段を授けたのだ」
 ふと、住職の男性は右手を掲げるようにして上げ、言葉を紡いだ。
「その龍の鱗を賜った者たちの子孫――それが、この集落の人間。そして、星辰の地に《星の龍》を祀る祠が作られ、ここ石神の地には《祖の神》を鎮めるための祠が作られたのだ」
「祠が、二つ……?」
「残念ながら、限られた集落の者や星の龍に認められた者たちの子孫以外は、立ち入る事すら許すことは出来ない。迷える者たちよ。繰り返す、あの祠には近付いてはならない。さすれば神は、お怒りを鎮めるまでお前たちを追いかけるであろう」
 そう締め括ると、住職の男性はこれで終わりだと言うように歩き去る。それと同時に、まるで金縛りにでもあっていたかのように重かった体が軽くなるのを感じたのだった。