オンライン・ワールド04

 繁華街から拠点にしている校舎に戻るなり紫上先生を捕まえると、俺は狭間さんと金堂さんから聞いた話を詳細に伝えた。出所はともかくとして、それっぽい噂を聞きつけたなら共有するように言われているからだ。
 すると、柱間からも似たような噂は上がっていたようで、真偽の程はともかく、一度調べてみる必要があるんじゃないかと考えていたところだったのだそうだ。ただし、関係しているエリアは広大。初めの頃よりはこの世界に順応した者も増えてはいるが、それを考慮してもまだ足りないだろう、とは紫上先生の意見であり、俺もまた思っていた事だった。であれば仕方ない、と打ち出された案。それは単純に人手を増やす、即ち志を同じくする者に協力を頼む事。
 それを引き受けてくれるであろう当てを頼るべく連絡を取り、翌日、俺と紫上先生は『市街地』エリアのとあるカフェへとやってきたのだった。
 面倒な話だが、この世界に閉じ込められてから、様々な諍い事が起こっている。先の見えない恐怖から暴走する者、何らかの要因から発生する事しか分かっていないアバターの不調。そして、主に現実世界に不満を持つ者が起こす、帰還拒否運動。この世界に閉じ込められた者の中にはこの事件を「幸運だ」と考えている人間がいて、その者達が、現実世界に帰還しようと躍起になっている者達をあざ笑うかのように、悪質な邪魔をしてくるのだ。自分のような人間には全くもって意味不明な思考なのだが、柱間や暁には分からないでもないらしく、その話を聞いた時には二人とも何とも言えない微妙な表情を浮かべていたのを覚えている。
 そういった者たちに動きを勘付かれないよう、路地裏の、雑誌で穴場と紹介されていそうなカフェで作戦会議めいたものを行うのは、現実世界への帰還を目指す者達の中では暗黙の了解となっていた。
 からんころん、と耳触りの良い鈴の音を鳴らし開かれる扉。NPCの歓迎の声を聞きながら、目的の人物の姿を捜――
「おーい、センセに蒼井少年、こっちこっち~」
――す前にかけられた声に顔を向け、振られた手に応じた。手を振っていたのは派手な金髪の男性。六人掛けのボックスシートから少しだけ立ち上がり、半身だけこちらに向けていた。
 目的の相手を見付けた俺たちは、足早にそちらに向かい、ご無沙汰しています、と軽く会釈をする。空いている席の向かいをどーぞどーぞと勧められ、紫上先生もそこに腰をかけた。
「相変わらず楽しそうだな、山吹」
「やー、久々に顔見知りに会えて嬉しいんだぜ。街中はどこも張り詰めてるからなぁ」
「……違いない」
「俺は、それを分かっていてなお、一緒に来られたのに驚いているんですけど。――カナリアさん」
「こんにちは、蒼井君」
 へらへらと笑みを浮かべている男性、山吹日明さんの隣にいる女性に目をやる。本来であればこんなところにいるべきでない人物だが、彼女は平然と手元にあるコーヒーカップを手に取りつつ、挨拶を口にした。
 長い黒髪を赤いリボンと飾り紐でひとつに結いた彼女は、カナリアさん――もとい、美怜夏名里さん。俺たちが保護した少年――コウと同じく、《星喰い》に干渉する力を持ったアバターである女性だ。
 中ボス程度の敵に追いかけられていたところを、星喰い討伐で通りかかった俺達が助けたのがきっかけで、情報共有を定期的に行うようになっていた。今では彼女と山吹さんを中心としたグループが、自分達以外で現実世界へ帰還する方法を探っている集まりのひとつでもある。
 左手に顎を乗せつつ、右手でアイスコーヒーが入ったグラスを緩く揺らしながら人差し指を上げ、山吹さんがホントそれ、と呆れた表情で同意を返してきた。
「俺たちは残ってたほうが良い、って言ったんだけど、どうしても付いてくるって聞かないんだもんよー」
「当然じゃない。仮にもまとめ役を任されているのに、その当人が行かないなんて」
「いや、そのまとめ役が一番狙われる立場だから言ってるんだけど。カナがいなくなるほうが、下手すりゃ取り返しのつかない損失になるんだぜ?」
「そのための護衛でしょう?」
「……へーいへい。張り切って頑張らせて頂きますよ」
 カナリアさんの、疑いようもない本心からの言葉。それを向けられた山吹さんは納得はいかないが、と言いたげな表情でひとつ溜息を吐き、アイスコーヒーのストローを口に咥える。言っても意味がないと思っているのだろう、顔には諦めが浮かんでいた。
 そんなやり取りを見ながら俺と自分の飲み物の注文を済ませた紫上先生が、だが、と話に加わる。
「山吹一人で大丈夫か? いつも相手が一人とも限らないだろう」
「あ、俺だけじゃないよ。ほら」
 つい、と右手の人差し指の方向を変え、俺たちの視線はそちらに移る。先程は気が付かなかったが、向かいの二つ向こう側の席に、見知った同世代の顔が並んでいた。向こうも視線に気が付いて、軽く手を振ってくる。
「村崎と、生方さん?」
「そ、念のため来てもらったんだぜ。夕紀さんは留守番、宗谷とリシアは哨戒」
「アイツ、ちゃんと仕事してるのか……」
 暁はくだんの騒動の後、事情を知っている者も必要だろうとカナリアたちに合流したのだが、どうやらしっかり働いているらしい。安堵するように呟くと、彼女がとんでもない、と言いたげに答えてくれた。
「事情を知っている暁君がいてくれて、心強かったわよ? 貴方たちがいなかったら、私も今頃どうなっていたやら」
「そーそ。ゲーム話にも花が咲くしなぁ」
「それは私はついていけないんだけど……。貴方たちのほうは? コウ君はお留守番?」
「ええ。念のため、柱間や星辰学園の先生方に預けてきました」
 コウは基本的に、星喰いを相手にしないと予想される場合は自分たちに同行させていない。ギベオンの目的が不透明な現状で迂闊に行動を共にさせることは、危険が付きまとう。《星喰い》を正常化させる事により《セイバー》である自分たちにリソースを割かせ、ギベオンの力を削ぐ事が目的である以上、それを正常化出来る手段を持つコウは切り札となり得る。であれば、相手が考える事は容易に想像がつく。
 故に、同じ立場であるカナリアがこの場に同行しているのは、実はとても危険なのだ。だからこそ俺はそれを気にしたし、山吹さんも咎めはしたのだろう。彼女の頑固さに、負けてしまったようだけれども。
「じゃあこれ、今日作ったのだけど、渡してくれるかしら。喜ぶと思って、持ってきたの。口に合えば良いのだけど」
 ごそごそと横に置いていた紙袋を向けられ、俺はそれを受け取りつつ中を覗き見る。どうも色とりどりの包装紙に詰められたお菓子のようだ。
 この世界での料理は、色々と簡略化されていて現実世界ほど手間はかからない。かからないのだが、その状況でも最大限の手間暇をかけて作られたであろうそれ。良ければ蒼井君たちもどうぞ、と一言付け加えられ、礼を言う。
「で、本題よ。申し訳ないのだけど、相変わらずマスターキーの行方についての情報は、進展がないままなの」
「ギベオンのヤツ、なかなか尻尾見せないよなぁ。紫上センセたちは何かあったんだろ?」
「マスターキーの行方については変わらずですが、こちらでは、気になる噂を聞きました。先日の話ですが――」
 話を振られたので、俺が主軸となり、先日の狭間さんと金堂さんから聞いた事を掻い摘んで話し始める。ところどころ紫上先生が、補足として言葉を挟む。相手は完全に聞き手に回ったようで、その間相槌以外の言葉は発しなかった。
 ――やがて全ての説明が終わり、「という事なんです」と俺の話の締めを告げると、二人はうーんと唸りながら口を開いた。
ほこらと、NPCのお話――……ね」
「明後日辺りから、それを調べてみようと思っていてね。でも、話ではどうもレイドの敵が待ち構えているようだから、用心に越した事はないかと、君達にも声をかけたと言う訳だ。情報収集するにしても、人手は欲しい」
「俺たち以外に人手は?」
「予定しているのは、俺たち星辰の生徒数人程度ですかね。あとは、辻村さんたちにも声をかけようと思っています」
「辻村さんたちもかー。なるほどね」
 辻村さん――辻村咲希を始めとした、オフィス街で就業している社会人グループもまた、現実世界への帰還を望み、行動している。声をかければ二つ返事で了承してくれるだろう。
「俺たち含めて、大体二十人届くか届かないか、くらいってとこか? 探索エリアが割と広いし、まぁそれくらいは必要か」
「そうね。あくまで調査でもあるし、人手はあるに越したことはないわね。そういうことなら是非、協力させて頂きます」
「すまない。本当に助かる」
「まず調べるべきは、その周辺がどうなってるかだよなぁ。どの地区が連結してるんだろ」
「これまでも、連結している地区に関する事象が起きるようになっていましたからね……」
「祠ってくらいだし、石神のどこかじゃない?」
「石神のどこかに、星辰の何かがくっついている可能性も無きにしもあらず、だな」
 星辰学園の校舎に、石神の小さな山がくっついたように。規則性は良く分からないが、エリアの一部が別の場所にすり替わっている可能性も否めない。
 出発する前に、多少の情報収集は必要だな。そう考えながら、俺たちは明日の調査に向けて細かい事項を確認していくのだった。

 空の暗さこそ変わらないが、話に区切りがついた頃には既に日が暮れる時間となっており、最後に待ち合わせ場所と時間を決めてお開きとなった。紫上先生が支払いに向かい、入れ替わりに別の席にいた村崎と生方さんがこちらに歩み寄ってくると、カナリアさんが手短に話をし、よろしく頼むわね、と締め括る。
「もー、カナリアの頼みなら頑張るけどさぁ! 本当に私で大丈夫かなぁ?」
「大丈夫よー。すみれちゃんの歌、俺超好きよー?」
「うわぁんありがとね日明さん! 頑張るよぉ!」
 あわあわしながら受け答えする生方さん――生方すみれさんは、星辰にある大学に通う傍ら、そこで知り合った友人らと、バンドのメンバーとして活動しているのだそうだ。会話が終わったのを見計らって、俺は問いかける。
「生方さんに、《エンチャント》お願いしているんですね」
 この世界には、魔法を得意とするクラスが用いるバフ魔法とは別に、『周囲に響き渡る歌』によるステータス変動効果が存在する。それが《エンチャント》だ。聴いている歌は、時に自身の気分の変動にも関わる事がある。それがこの世界の要素として実装されている、と聞いたのは、紛れもなく目の前にいる彼女からだった。この話を聞いた時、俺たちは妙に納得せざるを得ないと感じていたのも記憶している。
 調査に出かけた先で、壊れたラジオやら電波塔など、何らかの媒体により音楽が聴こえていた場所で星喰いと戦った時、体が軽く感じたり、またその逆といった事も少なくなかった。当時は何故なのか、疑問に思ってはいたのだが。
 しかし、それによってこちらの調子が変わるのであれば、システム側にいる星喰いが絶対的有利である。それを覆す手段、それは『自分たちで音楽を演奏する』事だと仮定、実際に実行し、証明したのがカナリアたちなのだ。ただし、音楽を演奏している者はその間無防備となり、戦力として考えるのは難しい。護衛をつけるにも人数が多い時でしか叶わないため、恐らくはレイドボス戦以外はそこまで必要ない、と結論付けたのは、紫上先生だった。俺も、それに異論はない。が――。
 俺の問いに、ええ、と微笑みながら、彼女は答える。
「大学でバンドをしていたのを見ていたから、頼むなら彼女しかいないかなって。そちらは?」
「未だにゴリ押しです」
「……それで戦えるなら良いけどね。でも、」
「分かってます。この世界のシステムとして存在する以上、このままではいけないってことは。絶対頼らなければならない時は、いつか来る」
 でなければ、そういったシステムが存在する意味がない。恐らくはレイド戦、いや、もしかしたら道中での星喰い相手にも敵わなくなる時は来るだろう。まだ考えたくない事ではあるが、不穏な噂も聞こえてくる以上、あまり先延ばしして良いものではない。
「……考えなきゃ、いけないんだよぁ……」
 目の前に積まれている問題は多い。だが時間の感覚も薄いこの世界である、ゆっくりひとつずつ解消していくしかない。喫茶店のそばに植えられた草花が、風に煽られてゆらゆらと揺れていた。

 山吹さんたちと明日以降の予定を確認し、喫茶店の外で別れると、俺と紫上先生は星辰学園に戻る道を歩いていた。オフィス街の面々には明日約束を取り付けてあるので、今日の予定はもうない。
「ねぇねぇ、そこのお二人さん! 前線で戦ってるっていう、現実世界帰還志願の人? さっき喫茶店で、現実世界がどうのって話をしてたよね?」
 不意に声をかけられ、見るとローズブラウンの髪色の女の子が、紫上先生とは反対側の、自分の隣を同じスピードで歩いていた。何となく見覚えがあるような気がしたが、すぐには思い出せない。
「それがどうかしたか? 悪いが、私たちは急いでいて――」
「あ、えっと、違うんです! 別に他意はなくてっ」
 『現実世界帰還志願』。そういった問いが出てくると言う事は、彼女もまた『現実世界』に生き、この『電子世界』に巻き込まれた一人なのだろう。
 とはいえ、その括りはあまり良い言葉ではない。俺には気持ちがあまり分からないが、この世界に望んで残りたいという人の集団というものが存在しているらしく、彼らに目を付けられれば大変面倒臭い事になる可能性があるからだ。
 ただ、彼女からそのような輩の気配は感じない。かと言って気軽に肯定を返す訳にもいかない。紫上先生もそう考えたのであろう、問いに問いで返した。すると次の瞬間、彼女は事もあろうか、俺や紫上先生にとって予想外な事を言い放つのだった。
「お願いがあるんです! ――ユイも、仲間に入れてください!」
「「は?」」