オンライン・ワールド03

 星喰いを倒したのは学校の校舎からも確認出来ていたようで、俺達が戻るとまず先生達に労われ、クラスメイトから戦闘の感想を求められた。予想はしていたものの、それよりも優先すべき事があると断り、まずは保健室へと向かった。少年の姿に戻ってから、目を覚まさない少年を休ませるためだ。
 残っていた先生達が気を回してくれていたのだろう、保健室に着くと、校医である雨宮先生が出迎えてくれた。怪我はないかと問われたので、「怪我はないが、気を失っている子供を保護したのでベッドを貸して欲しい」と紫上先生が答え、寝かせたところで、俺達はようやく安堵の息を吐いた。
「いや~、なんかいろいろあったなぁ……」
「本当にな……」
 暁の気の抜けた声を咎める者はいない。星喰いという人外相手に、人生で初めて命を賭けて戦闘をしてきた後なのだ。四人全員、神経を使った事もあって疲れ切っていた。
 とはいえ、確認しておきたい事もある。俺は保健室の中で唯一立ったままのオーブに向き直り、声をかけた。
「オーブさん。最後のあの青い光、何だったんでしょうか? 《浄化》、って仰っていたと思うんですけど……」
 あの光を見た直後の、彼女の言葉を思い出す。何か知っているような驚き方だと判断するには十分だ。彼女は頷くと、そうですね、と前置きしてから話し始めた。
「話しておくべきと、私も考えておりました。――バグである星喰いは、本来であれば《浄化》と呼ばれる、クローラーとしての機能を再構築する作業を行えば、正常な状態に戻せるのです。ですが、それに限らずクローラーに干渉する事が出来る力は、私達AIでも限られた者しか使えません。そして、同じ《浄化》でも、削除に関してはパトロールAIならば使えますが、先程のそれは最高の権能クラスでなければ使えないものです」
 最初に説明してもらえなかったのは、その時点で《浄化》するための手段にアテがなかったからか。ひとり納得し、じゃあ、とパーテーションの向こうで寝かせられている少年のほうを見やる。それだけで何を問われようとしているのか分かったのだろう、ええ、と続けられた。
「初めは貴方がたと同じ、現実世界の人間かと思っていましたが……NPCでもなく、恐らくはAI、私と同じ存在ですね。しかも、《浄化》が使える程の権能を持っている……。申し訳ありませんが、これ以上究明するには、今一度時間が必要かと思います」
 ネットワーク全体のセキュリティを統括する自立型AI、と名乗ったオーブですら「時間を要する」と判断する程に、《浄化》を使えるアバターというのはイレギュラーな事態なのだと察する。
 本来、バグである《星喰い》を始末するための自浄作用が働くプログラムが組み込んであるはずのこの世界で、それが動かずに《星喰い》が蔓延している。そして、動いていないはずのその力を使えるアバターが存在する。そこまで考えていると、紫上先生が口を開いた。
「それだけ貴重で、根幹に関わる力なら……この世界で、星喰いに干渉出来る力を持つ人が、マスターキーを持つアバターである可能性は?」
「……はっきり断定は出来ませんが、その可能性も考えられるかと」
「だとするなら、オレたちのやる事は決まったな」
「なんの手掛かりもない状態から、捜すべきものの目印が決まった、ってくらいだけどな。でも、間違いなく進歩ではあるよな」
 辺りにいる一介のAIが星喰いに干渉する事は出来ない。それが出来るのはオーブさんを始めとした、最高の権能クラスを持っている者だけ。しかも、彼女の話では力を使える者は限られていると言うのに、彼女の認知外である少年がそれを使えている。確かに、特別な何かがあると判断するには、十分だ。手掛かりもない状態で、広大な空間にある砂の中から一個の石を探すよりは、いくらか対象が狭まる情報であるのは間違いなさそうだった。
 ところで、と紫上先生は再びオーブさんに問いかける。
「その《浄化》は行ったほうが良い事と捉えればよろしいのだろうか? 逆に、控えたほうが良かったりはしないのだろうか?」
「《浄化》の力を使えるのであれば、行ったほうが良いのは確かです。《星喰い》のリソースは、貴方がたのアバターのそれより大きく取られてしまいます。あれの数が減れば、それだけ《セイバー》……貴方がたへとリソースが割けるようになり、この世界で戦うのに有利になれるかと……」
「使えるのであれば、ねぇ」
 柱間がぽつり、と反芻した理由は、聞かずとも分かった。先の戦闘で、少年が青年になって行使した《浄化》の力は、とても彼自身が望んで使ったようには思えなかった。恐らくは何らかの要因が引き金となって行われたように見えたが、それが何なのか皆目見当がつかない以上、使えないも同然だろう。
「紫上先生ー? 目を覚ましましたよー……な、何ですかこの空気」
 嫌な沈黙が落ちかけたと同時、パーテーションの向こう側から顔をひょっこり覗かせたのは、雨宮先生。場の暗い空気に慄いて、僅かに後退る彼にすまない、と紫上先生が謝罪を返す。そして、全員で寄るのも怖いだろうと事前に打ち合わせていた通り、自分と紫上先生だけが腰を上げ、そちらに歩み寄る。
 少年はまだぼんやりとしている様子だが、こちらの足音に僅かに顔を動かしたようだった。改めて顔を合わせてみると、やはり自分よりも更に幼い印象を抱かせる。子供らしい、赤く丸い目は不安そうな色を浮かべ、ゆらゆら揺れている。こちらを見た時の一瞬だけ、その目が大きく見開いたように見えたのは気のせいだろうか。紫上先生に促され、出来るだけ怖がらせないよう声をかけてみる。
「大丈夫か? どこか痛いところはないか?」
「……だいじょうぶ」
「そうか。どうしてあそこにいたんだ? お父さんやお母さんは?」
「分かんない。気が付いたら、あそこにいた」
 自分の見間違いではない限り、少年は『少年』ではない可能性もあるのだが、一応そう問いかけてみる。だがそれにも彼は首を横に振り、俺は紫上先生と顔を見合わせた。
 ただの迷子ではないだろう。嘘をついているようには見えないが、では「気が付いたらあそこにいた」という言葉の意味をそのまま受け取ることになる。
 と、言うことは。嫌な予感がした。そうであってくれるな、と半ば願うように、俺はその問いを口にした。
「……じゃあ、君の名前は?」

「えぇ? 名前が分からない?」
 俺の願い虚しく少年から返された答えを、風間が反芻させる。
 「歩いても大丈夫」と雨宮先生から許可を出されたため、少年を連れて、パーテーションから暁達が集まっているテーブルに移動し、話を続ける。少年は始めこそ知らない人間の多さに驚いたようだが、怖がることもなく大人しくついてきてくれた。
「これ、俺たちと同じ現実世界の人間ならあれだろ。『記憶喪失』」
「そう思うよなぁ……」
 記憶喪失といえば、自分たちだって同じではある。しかし、あくまでこの世界にやって来るまでの記憶がすっぽり抜け落ちているだけで、現実世界で自分たちがどんな生活を送っていたのか、家族や友人の顔、そして何より自分の名前ははっきりと覚えている。だが、少年はそれすら分からないと言った。自分たちと同じ原因ではなさそうだ。
「やはり、先の《浄化》の力が使えたことも踏まえると……彼は現実の人間の意識ではなく、AIと思ったほうが良さそうですね」
「えーあい?」
 彼女もそうだが、首をこてんと傾げてオーブの言葉を繰り返す少年を、改めて見返す。AI――つまり、人工物なのだと言われても、俺には二人がそうなのだとは、どうしても思えなかった。感情を表に出さないオーブはともかく、記憶喪失とはいえ少年のほうはあまりにも、『人間の子供』と相違なさ過ぎないだろうか。その方面に詳しそうな暁に、率直にそう問いかけてみる。
「AIが記憶喪失なんてあるのか?」
「あるにはあるさ、『記憶喪失の少年』って設定で出せば良いだけだし。記憶喪失の少年が実は、なんて展開、漫画でもゲームでも腐るほどあるよ」
 そんなやり取りを交わす横で、オマエさぁ、と柱間が少年の顔を覗き込むようにして、声をかけた。
「何かしら覚えてることとかねぇの? 小さいことでも言ってみな」
「え、えっと……」
 視線を向けられて怖じ気ついたのか、少年が口をつぐむ。直後、
「こらぁ! 『コウ』になにするんだ!」
「うわっ!?」
と、ここにいる誰でもない、第三者の声が周囲に響き渡った。あまりにも突然の事に全員が、少年ですら「ふえ!?」と声を上げて驚愕する。
 声の主は、少年の上着のフードからもぞもぞと顔を出す。そして彼の肩に移動すると、丸い目を柱間に向けた。
「な、なんか喋った!?」
「なんかじゃないもん! ソウはソウだもん!」
 ぷくぅ、と小さな頬を膨らますそれは、現実世界で言うハムスターのような生物だった。拳大の大きさしかないその体を現すと、小さな耳をぴんと立て、今にも牙を剥いて飛び掛かってきそうである。
 動物が喋るという非現実を前に固まる場に、動じる事なく動いたのはオーブだった。ハムスター(仮)に向かって、平然と話しかける。
「貴女は……もしや、《ナビゲーター》ですね?」
「ぴんぽん! ソウは《ナビゲーター》! みんなをみちびくやくめをになっているのだ!」
「ナビゲーター……?」
「《ナビゲーター》とは、彼女の言うように、この世界の者を導く役目を担うAIの呼称です。ただ、バグの自浄作用プログラムと同様、今回の事件の少し前に関連するそれが強制停止され、今は動いていないはずなのですが……」
「な、なるほど? いや、そ、それより……」
「お前今、コイツの名前呼ばなかったか?」
 聞き間違いでなければ、自身を≪ナビゲーター≫と称したこの生き物は、少年の名前らしき言葉を叫んではいなかっただろうか。それを確認しようとしたが、柱間がいち早く問いかける。彼女(?)は逆立てていた全身の毛を収め、何故そんな事を問うのだと言いたげに答えた。
「なまえ? よんだよ?」
「この子の名前、『コウ』って言うんだな?」
「うん、コウは『コウ』。ソウはコウについてろ、っていわれたの」
「言われたって……誰にだ?」
「『ヒスイ』と『コク』に!」
 当然、知らない名だ。ちら、とオーブに視線を向けるが、彼女も知らないのか、首を横に振るだけ。納得は出来ていないが、ソウがあまりにも自信満々に言うものだから思わずそうか、と返す。いや、だが恐らく――記憶がないと言っている少年の貴重な手掛かりだ。少年のほうに顔を向けて声をかけようとして、飛び込んできた光景に目を見張る。
 少年の両目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れている。突然泣き出したとしか思えないそれに、今度はオーブですらも、全員が動揺していた。
「え? お、おい?」
「どっどど、どうした!?」
「え、ええっ!? ソウがわるい? ソウがわるいのっ!?」
「え? え、ち、ちがう……ごめん、違うんだ」
 柱間ですら困惑した声を上げ、風間とソウが狼狽える。あわあわ狼狽える声に、当の少年は慌てて自身の顔を服の袖で拭いながら、首を横に振る。とはいえ涙がすぐに止まるはずはなく、「ゆっくりで良い」と紫上先生が落ち着かせ、見守っていた雨宮先生は備品に蹴躓きながらも、保健室に常備しているフェイスタオルを彼に差し出していた。
「ごめん……なさい。自分が『コウ』だって言われても分からないし、『ヒスイ』ってのも全く思い出せないんだけど……何だろう、胸が痛くなって、……気が付いたら、涙が出てきたみたい」
「そうか……」
 記憶がなくても名前を聞いただけで、涙が出る程に強烈な感情が感じられたと言う事だろう。それは、少年と『ヒスイ』という存在に何らかの関係があるという証明に違いはなさそうだ。
 と、紫上先生が、今日のところはこれで終わりだと言うようによし、とひとつ頷いた。
「『ヒスイ』という者の事はともかく……取り敢えず、君は私達と一緒に居たほうが良いだろう。保護者もいないのでは、この先危険が付きまとう」
「わかった、……じゃなかった。ええと……分かり、ました?」
「別に畏まる必要ねぇよ、オマエが敬語で話せるとは誰も思っちゃいねぇから」
「そうそう! 無理に直さなくても良いぜ!」
「この兄ちゃんは怖いかもしれないけど、オレとかこっちのとか、話しやすいヤツに声かけりゃ良いからさ」
「だーれが怖いって? カザ」
「あでででキマってる、キマってるから! ギブギブ!」
 鮮やかな流れで柱間にプロレス技をかけられ、風間が机をバンバン叩き降参の意を示す。仲が良いのか悪いのか、良く分からない二人である。しかし、先程まで涙を流していた少年は、その光景に俺と異なる印象を持ったようで。未だ涙を滲ませた両目を細めながら小さく笑い、ありがとう、と礼を言うのだった。

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 これが、俺達がこの世界に閉じ込められた日の話。
 絶望の日々の、始まりだった。