オンライン・ワールド02

「うっへぇ〜……でけぇ……」
 隣に立つ暁が、右手を額の上に当てながら視線を上に上げ、気の抜けた声を上げる。状況は切羽詰っているというのに呑気だよな、と昔から変わらぬ悪友に対し、溜息を吐いた。
「暁、気を引き締めろ。死んだら永遠に現実に帰れないんだぞ」
「いや、それは分かってるんだけどさぁ。あまりに非現実的過ぎて震えてる」
「お前の場合、『恐怖』じゃなくて『興奮』の震えだろ、それ。武者震いって奴」
「流石悠斗、正解」
「俺はお前のその楽観さが羨ましいよ」
 はぁ、と溜息を吐いて、恨みがましく視線を向けるが、当の悪友はどこ吹く風とそれを受け流した。
 現在蒼井と暁がいるのは、学校があるエリアを少し出たところにある、石神山の麓。巨大な黒い《星喰い》がいる場所から数百メートル――相手の警戒区域外ギリギリから離れたところで、合図があるまで待機しているのだった。
「だって割と憧れてたんだもん、仮想現実RPGゲーム。現実世界への帰還がかかっている以上真剣にやるけど、この願いが叶ったのは嬉しくて仕方ねぇ。それにほら、この格好! いかにもゲームらしいじゃん!」
「ああそう……」
 最早相手は何を言ってもこのスタンスを崩す事はないだろう、と諦め、自身の格好を見下ろした。
 今の『蒼井悠斗』という自分の身体――アバターは、普通の制服の姿ではなく、まるでゲームのキャラクターのような、鮮やかな衣装を纏っていた。青く縁取った黒のコートを羽織り、髪は澄んだ蒼色。手元には、宝石のように美しい輝きを放つ剣。暁は地毛をもっと明るくしたような赤髪と、同じく石が埋め込まれた大仰な手甲を装着している。確かに、ゲーム好きである暁なら喜びそうな格好であった。
 この姿であれば星喰いと戦える、とオーブさんに説明され、ここに来るまでに遭遇した星喰い数匹でウォーミングアップを図ったものの、慣れない戦闘はあまりにもぎくしゃくしていた。技を出せばシステム的なものが働いて自動的に体が動くとは言われたが、使うには体力とは別のポイントを使わなければならないし、まだ初期並みのステータスのアバターが連発出来るはずもない。必然的に通常攻撃で撃破しなければならないが、それに至っては自身のセンスがものを言う。その上、『雑魚の星喰い』と説明された化物相手でも、まだ恐怖心のほうが勝る。少しでも傷を負うと、現実世界の自分は無事でいれるのだろうか。そんな疑問が、足を引っ張る。
 本当に、こんな大きな星喰いを無事に倒せるのだろうか? 俺は自身に湧き上がる不安を振り払うように、首を大きく横に振った。
「まさか、こんな事になるなんてな……」
 そして暁と同じように、景色に紛れ込む星喰いをじとりと見上げながら、数分前のやり取りを思い返す。

 張り詰められた空間をものともせずに声を上げたのは、柱間だった。当然だろ、と言うように肩を竦め、オーブさんの視線をそのまま弾き返すかのような目で。
「決まってるだろ。それしか方法がないならやる。じっとしているのは性に合わねぇ」
「オレも! へへ、気が合いそうだなお前」
 彼の背後から飛びついて行く暁は、初対面の相手だというのに嬉しそうに首に腕を回し、にこにこと笑っている。いってぇ、と漏らした柱間は、きっと目を細めて相手を睨み付ける。
「何すんだよ! つかお前、うちの学校のじゃねぇだろ」
「悠斗と同じ学年なら同い年だろ? オレ、暁宗谷。石神高校の二年。よろしく!」
「同級生かよ……」
 しかし、そんなキツめな対応にも全く引ける事なく応じた暁に、柱間のほうが諦めたように頭を振った。
 そのやり取りを横目で眺めていた風間は、うーんとひとつ呻いた後に、ぽつりと呟くように言う。
「俺は……止めとくかな……」
「あ? 何怖じけついてんだよ、カザ」
「いや普通に考えたら躊躇うだろ!? ここでの死が現実での死って言われたら!」
 それはそうだ、風間は何も間違ってはいない。むしろ、何故この二人がこうも簡単に現状を受け入れ、戦うと言っているのかのほうが、俺には不思議だった。あまりにも勢い良く答えられたからか、柱間は少したじろぎつつもふむ、とひとつ頷き、「カザ」と彼の肩に手を置きながら声をかけた。表情からしてまともな事を言うつもりがないと分かっているのか、風間はなんでしょう、ととても面倒臭そうな顔をしている。
「人間な、死ぬ時はどこでだって、一人なのは変わんねぇんだぜ」
「せめて暖かい布団の中で安らかに死にたいわ!」
「その暖かい布団に帰るために、戦うしかないって言われてるんだぜ」
「うっ……わーかったよ! やるよ! やります!」
 良いのか、そんなノリで。と思わなくもなかったが、風間は完全に柱間に屈服し、協力に回るようだった。
 そんな様子を眺めながら考え込んでいた紫上先生は、そうだな、と呟く。自分以上にこういった空想事には疎いであろう彼はどうするのか。
「私は教師だが、それ以前に、子供達を守る義務を背負う大人でもある。自身の恐怖に恐れている場合ではない。……しかし、子供達まで戦いに巻き込む事は……」
「相手は数千、いえ数万、それ以上のバグの大群です。無尽蔵とも言っていい……そんな数を相手に貴方一人では、すぐに力尽きてしまいます。それに、一人では太刀打ち出来ない敵も存在します」
「と、言うと?」
「敵の中には、四人以上でなければ戦う事すら出来ない、特殊な星喰いが存在します。そしてあれは、正にその特殊な個体なのです」
 オーブさんが『あれ』と指し示すのは、石神山の隣に鎮座する塊。つまり、星喰いの事。
「複数じゃないと戦う事すら出来ないって……」
「《レイド》か」
「「《レイド》?」」
 柱間の発言に、俺と紫上先生の言葉が重なる。唐突にゲーム用語らしきものを口にされても、最近ではあまり触れていない俺には何の事だかさっぱりである。それに答えたのは、暁。
「MMORPGゲームで良くある要素だよ。一体の敵を相手に、複数のプレイヤーで戦うバトルシステムの事。前衛、後衛、サポーターの連携が肝になるんだ」
「その通りです。《星喰い》には種類がありまして、通常の戦闘にて討伐出来るタイプと、あれのように複数単位で挑まなければならないタイプが存在します」
「成程。それならば仕方ない、と言う事か……」
 俺と同じくゲーム事情には明るくない紫上先生が、納得して呻いた。
 そして全員の目が、まだ何も表明していない俺に集まる。いくらか思考を巡らせて何を言うべきかと思ったが、結局は思った事を素直に口にする事にしたのだった。
「……俺は正直、現状すらまだ半信半疑です。死ぬって言うのにわざわざ危険を犯すのも、本当は馬鹿のやる事だと思います。でも、困った事に俺もその馬鹿なんですよね」
「素直にやるって言えよ悠斗」
「うるさいばかつき。――という訳で、俺もやります。自分の身に起こっている事を、この目で見極めるために」

 その後、紫上先生が他の教師を説得している間に俺達は生徒達に決して外に出ないように説き伏せ、石神山の麓にいる星喰いを討伐しにやって来たのだった。
 石神山は、中腹辺りに地元の人達がせっせと拵えた広場があり、子供でも気軽に登っていける、木々が鬱蒼としていない山である。だがそれと同じ大きさの怪物となると、距離があるというのに軽く見上げられるくらいの差は、自分達とあった。
 と、どこからかピピッと電子音が響いてきた。俺は右手で右耳を軽く押さえつけ、口を開く。
「はい。こちら蒼井」
『こちら風間! 星喰いの警戒範囲外ギリギリに到着したぜ』
『こちら紫上。同じく到着した』
『あれは《トライポッドパーピュア》。普段は脚を折り畳んで静かに蹲っているのみですが、近寄ったら最後、その長い脚で切り裂きを放ってきます』
 自身の応答から数秒足らずで、近くにはいない者の声が頭に響く。この世界で行える内部通話らしく、オーブが触れる事が出来る範囲を介し、パーティであるアバターの回線を、擬似的に繋いでくれているのだそうだ。
 そもそも、ステータスメニュー――暁が言うには、プレイヤーの詳細な情報を表示させたり、コマンドを行うものなのだと言う――がないのにパーティが成立しているのかどうか、という疑問があったが、それをオーブに問うてみると、内部的にはいちパーティとして成立している状態になっているのだと言う。目で確認出来ないのが些か気にかかるが、彼女が嘘を吐くとも思えない。
 そういう訳で現在、俺と暁、風間と柱間、紫上先生とオーブさんと三つに分かれ、星喰いの警戒範囲外に立っているのだった。
『弱点は身体にある紫色の石です。まず脚を攻撃して、体勢を崩させるのが最良かと』
「確かに、ジャンプしたって届かねぇもんなあれだと」
『では、私が囮を買って出よう。柱間と風間はその後に――』
『!? ま、待ってください!』
 と、その時。俺達の目には、捕捉していた星喰いらしい塊が、もぞり、と身動きをする光景が映っていた。折り畳まれていた数本の細い脚が完全に伸び、丸まっていた時より二倍はあろう高さの塊が立ち上がる様は、恐怖を覚えるには十分だった。これにはオーブさんも予想外だったようで、俺は初めて、彼女の慌てたような声を聞いた。
『目標が動いて……!? 何故!?』
『おいアンタ、警戒範囲外であれば動かないんじゃなかったのか!?』
『そのはずです! 本来であれば、この距離で動くはずが……!』
「あるいは、誰かが星喰いの警戒範囲に入ったとか? 風間、そっちの距離どう?」
『俺も黄太もさっきから動いてねぇ! そっちは?』
「オレも悠斗も同じだ」
『私達も、先程から場所を移動していないのだが……』
 内部通話で皆のやり取りを聞きながら、俺はふと星喰いの紫の石――あれは目なのだろうか――が何かを気にするかのように彷徨っているのに気が付く。その方向はこちらでも、ましてや柱間達が潜んでいる場所でもない。という事は、こちらの事はまだ気が付いていないのかもしれない。
 だが、それなら何を見ている? いや、何を探している? それを考えようとして、脳裏に数十分前の言葉が反芻された。
 ――ご安心ください。あのモンスターは、警戒範囲に誰かが入らない限り、動く事はありません。
 ――つまり、何も知らない誰かがモンスターの近くに踏み入ってしまった場合、こちらにも危険が及ぶという認識で間違いないだろうか?
 ――……否定は出来ませんね。
 そうか、と気が付いたと同時、俺は耳に手を当てて全力で叫んでいた。その仮説が正しければ、時間の猶予は一秒たりともなかったからだ。
「みんな! 近くに、俺達以外の誰かがいないか!?」
『何!?』
『え!?』
「あっ」
『……そういう事か!』
 説明する暇も惜しい、と行った俺の奇行により、紫上先生や風間は面食らったような声を上げたが、柱間と暁は瞬時に把握したようだった。こちらから様子を見る事は出来ないが、返答もそこそこに声が途切れる。
「――悠斗! 人!」
 そして暁が、右手の人差し指をとある方向に向けて俺を呼ぶ。データの世界でも視力が良い悪友に今は感謝しながら、俺は確認もせずに手元の剣を構え、地面を蹴ったのだった。

 俺達のアバターの身体能力は、身を低くして(それが案外難しいのだが)走れば五十メートルなら一気に駆け抜けられるし、助走ありの跳躍なら一メートルくらいなら跳べるという、現実世界ではあり得ない身体能力に設定されているのだそうだ。
 だがそれは、レイド戦闘対象の星喰い相手では些細な強化に過ぎず。故に俺は、敵の脚を全力で跳ね除ける事が精一杯であった。正に今、子供に向かって振り下ろされようとしていた脚を、蒼剣で一度受け止めてから弾き返す。
 それでも大きな相手には有効打だったようで、星喰いは平衡バランスを崩してよろける。そこに別地点で待機していた柱間が、棍ですかさず追撃をお見舞いしていたのは、流石と言わざるを得ない。
「大丈夫か!?」
 背後に庇っていた、星喰いに襲われていた相手を一瞥して声をかける。自分よりも幼い子供は、びくりと肩を震わせてからうん、と頷いた。
「大丈夫なら、取り敢えず退がって! 危ないから!」
 子供を退がらせ、星喰いに向けて蒼剣の切っ先を向ける。本当なら不意を突きたかったのだが……思わぬ事態に動かざるを得なかった手前、最早正々堂々、真正面からやるしかない。俺は頭に空いている左手を当て、内部通話を起動する。
「こちら蒼井! 襲われてた子供は守った! ここからの脱出経路を確保したい、星喰いを誘導出来るか!?」
『良くやった、蒼井!』
『蒼井様、そこからであればもう倒したほうが早いかもしれません。あの星喰いは≪ニムバスタワー≫――私達からすれば大きな敵ではありますが、倒せない敵ではありません。あと数回殴れば、完全に体勢を崩すはずです』
「と、言われても……!」
 すぐに返ってきたのは、紫上先生の称賛とオーブさんの提案。戦い慣れていない上に、子供を守りながら戦うなど高度な事が出来る訳がない、と反論しようとした瞬間に、別の声が会話に割り込んできた。
『蒼井! 子供を守る事だけ考えてろ! 星喰いはこっちでどうにかする!』
『お前だけに良いカッコさせられっかよ!』
 遠くにいる二人を見ると、視線に気が付いたらしく、強気な表情を浮かべて頷くのが見えた。遅れて少し離れたところに着地した暁が、何故か嬉しそうな顔をして口を開く。
「アイツらも、存外負けず嫌いなんだな」
「今どういう状況か分かってるのか? 風間達も、お前も」
 呆れた、と溜息をひとつ吐きそうになったが、それこそ今の状況でやるものではないと思い直し、内部通話に向けて分かった、と返答する。その流れで、オーブにどうすれば良いのかを問うと、彼女ははい、と言って続けた。
『現在取れる手段としては、星喰いに止めを刺す以外ありませんね。身体に埋め込まれている宝石が、あれの弱点です。蒼井様は子供の保護を優先に、他の方々で討伐するのを提案致します』
『よし。蒼井、お前は子供を連れてこちらに退がってくれ。入れ替わりで私が前に出よう。柱間、風間、暁は援護してくれ』
 紫上先生の指示に、それぞれの言葉で了解が返るのを聞きながら、俺は少年の様子を盗み見た。
 短い黒髪の少年。身長や顔つきから、少なくとも十歳程度かと思うが、雰囲気はだいぶ幼い気がしなくもない印象がある。赤くて大きな丸い目は、怯えというよりも困惑の色が濃い。親でもない人間が突然現れたのだ、仕方ない反応だろう。
 少なくとも、自分の記憶にある人々とは一致しない。やはり、この電子の世界に巻き込まれてしまったひとりだろうか。近くに親は、と考えかけたところで、目の前の星喰いに意識を戻しながら、不安がらせないように声をかけた。
「悪いけど、少し大人しくしててくれるか?」
 こくん、と返事の代わりに首を縦に振られたのを見て、俺は蒼剣を右手に構える。
 自分だけであれば、無理してでも星喰いの攻撃を避ける事は出来た。だが今は、何も知らない子供も傍にいる。一瞬の判断にかかる自分の責任の重さに足は震えそうになるが、そうも言っていられない。
 柱間、風間がレイドボスの脚を二人で押さえつけ、そこへ暁が一発お見舞いする。隙があれば俺も攻撃に加わりたいところだったが、今最優先すべきは子供の安全の確保だ。取り敢えずまずは、この子供を連れて星喰いから距離を取るのが先決。ニムバスタワーが三人に気を取られているうちに距離を取り、紫上先生がいる場所まで後退、
「っがあ……!」
「――風間!!」
 吹き飛ばされた風間が、俺と子供のすぐ近くの地面に叩きつけられた。彼の手から離れた槍が、地面の石とぶつかりカラカラと音を立てる。
 曉と柱間も反応が遅れ、ニムバスタワーの敵意が、完全に俺と子供のほうへと向けられていた。赤い光を怪しく明滅させながら、蜘蛛に似た脚を振り上げる動作を見せる。
「こいつ……!」
 とっさに攻撃に転じようとして、肩を引っ張られる。油断していた訳ではなかったが、抵抗する暇もなく。後ろに下げられた自分の入れ替わりに前に出た人物を見て、俺は両目を見開いた。
 それは後ろで庇い続けていた少年ではなく、自分よりも幾分年上に見える青年だった。彼はす、と両手を掲げる。すると、その両手から眩い青い光が放たれ、バチバチと音を鳴らしながら、見えない電線を伝う様に星喰いに向かっていく。
『《浄化リストア》……!?』
 オーブの驚いたような声が、脳に響く。彼女にとっても、予想外であったのだろう。
 青い光に包まれた星喰いは、抵抗しようとしたのかもぞもぞと脚を動かすが、青い光はそれを許さない。みるみるうちに星喰いごと質量を減らして行き、――やがて、小さな光が一際強く輝いた後、消えてしまった。
「え、ど、どうなったんだ?」
『……目標、無害化を確認。取り敢えず、危機は去りました』
『何だったんだ、今のは……?』
 叩きつけられた衝撃から回復した風間の困惑を隠せない発言に、オーブさんが淡々として答える。ひとまずの危機は去ったという事だろうが、紫上先生同様、今目の前で起きた事が理解出来ている者はいないようだった。
「あ、あの――」
 俺が青年に声をかけようとしたところで、彼の身体が、ぐらりと揺れる。慌てて受け止めたその一瞬、視界にノイズが走り、思わず目を閉じた。
 瞼の向こうから感じる眩い光。あまりに眩しく、それが消えるのを待ち目を開けると、最初に助けた少年が、目を閉じていたのだった。