オンライン・ワールド00

「あら、蒼井クン」
 散策に必要なアイテムの買い足しのため繁華街の一角を歩いていると、聞き覚えのある声が俺の名を呼ぶ声がした。
 くるりと顔をそちらに向けると、短い黒髪を無造作に放ったままの格好の男性が、露店の前で屈み、こちらにひらひらと手を振っていた。その露店の店主も、彼と同じようにこちらに視線を向けている。
 知らない相手ではないが、注目されておいてスルーする訳にもいかないので、俺は二人に近寄り、口を開いた。
「狭間さん、金堂さん。ご無沙汰です」
「変わりないようやなぁ」
「ご丁寧にどうも〜」
 黒髪の男は狭間真字女、そして露店の店主は金堂秋乃。狭間さんの足元にある空き缶の灰皿の煙草を見る限り、商品を挟んで、何やら長い時間話していたようだった。
「蒼井クン、どっかの店に用事? それとも別で急いでたりする?」
「いえ、特定の店に、という訳ではありませんが……何かありました?」
「いろいろ仕入れとるよ。物品も、それこそ情報もな」
 二人に倣って膝を地面に付き問いかけると、金堂さんがにやりと笑って答えた。物品はともかく、情報については興味がある。
 彼は元々現実世界で露天商をしていたのだが、この世界に閉じ込められた後に、兼業としてアイテムの販売も始めたのだそうだ。つまり、俺達のように、この世界で活動する人々の情報が集まりやすい立場にある。彼の情報に助けられた事も、一度や二度ではない。
 一方、狭間さんは一体どこで何をしているのかさっぱり把握していないが、金堂さん並に情報収集の手は早い。見た目のイメージと、最初のゴタゴタもあり初めは疑ってかかっていたのだが、人を見かけで判断してはならないな、とほんの少しだけ、反省したものだ。
「今狭間と話しとったんやけど、北側のエリア……星辰と石神を分かつ山があるやろ? その中腹辺りに、妙なもんを見付けた連中がおるんやて」
「妙なもの?」
「そうや。何でも、現実世界では見た覚えのない、ほこらのようなものがあったとか何とか。まぁ、俺達が知らないだけで、現実世界にも存在するのかもしれんが。んで、その近くの町にいるNPCがな、『山にある祠には近付いたらいかん。飲み込まれる』言うとるんよ」
「NPCが?」
 ノンプレイヤーキャラクターNPC、つまり俺達のような『電子世界に閉じ込められた人間』ではない、『元からこの世界にいた人間』の事。
 『電子世界』――そう、ここはデータの世界なのである。現実世界と似たような作りをしているくせに、この世界は俺達の住むそれとは異なるものだ。あらかじめ用意されていた台詞などを話す人間が大半ではあるが、時折その中に重要な情報が紛れ込んでいる事もある。俺達はそういった情報を集めて、その真偽性を確かめる活動を行っていた。『現実世界へ帰るのに必要な探し物』をするために。
「そ。だからなおさら怪しいよねぇ、ってアキちゃんと話してたとこ。この世界の事は、迷い込んだ人間よりもNPCのほうが詳しいからねぇ。しかもその周辺を調べてみたら、星喰い共もしーんとしてるって話よ? 多分だけど、レイドエリアって奴じゃないかなー、ってね」
 普通、遭遇する敵――星喰いは、俺達と同じか、それより低い大きさのものが大半だ。だが、特定の箇所――それがレイドエリアである――に現れるそれは、俺達よりも大きな図体をしており、とても一人では倒せない程の体力を有している個体が存在する。それを相手にするには、俺達以外の協力者が必要になってくる。
 だが、しかし。それよりも気になるのは。
「……それを俺に教えたってことは、何を求められてるんです? あいにく、手持ちは必要物資ぶんしか持ち合わせていないんですが」
 この世界では、情報も立派な商品である。自分達だけでは到底集めに行けないようなところのそれを、時には危険を犯してまで拾いに行って貰っている以上、その行動に対して何かしらの礼をすべきである、とはここに来てから教わったものだ。
 それを、いやにあっさり開示した二人に、俺は怪訝な表情を向けていたと思う。狭間さんがいやいや、と手を振りながら答えた。
「求めてるとかまさかぁ、そんな裏があるようなことはしないしない。ただね、蒼井クンや十織クンのような、根が素直で真面目な子に教えたらどう動くのか……好奇心旺盛なボクは、興味津々なだけだよ」
「白々し過ぎて鳥肌立つわ、オマエそれが怪しいんやないか。騙されるんやないで。俺はコイツみたいにやましい気はなく、単に情報提供のつもりやで? 若者をイジメるような趣味はないしな。……ただなぁ」
 金堂さんは一旦そこで言葉を区切り、口元にあった水煙草の吸口から煙をくゆらせる。
「《祠》や《鳥居》っつうもんは、その道歩んでるモンからしたら、別の意味を持つ。例えば……『神域と現世を繋ぐ扉』、とかな? この電子の世界の神域と言えば、それこそ俺らが探しとる《コントロールパネル》を指す、と考えられんこともないからなぁ」
 その道?と問いかけようとし、金堂さん、そして狭間さんの経歴を思い出す。成程、彼らが気にかけるのも分かったような気がした。
「……ありがとうございます。持ち帰って、紫上先生に相談してみます」
「あらま、好感触?」
「まぁ、単純に気になるお話ではありますし。それに、時間が過ぎるのをぼうっと待つよりは、僅かな手掛かりを当たったほうがずっと良いですしね」
「狭間と違うて真面目やなぁ」
 こんな後輩が欲しかったわ、と金堂さんは狭間さんを一瞥しながら言い、密かな情報交換はそこで終了となった。

 せめてもの情報提供のお礼に、と当初の予定だったアイテムを数点購入し、金堂さんと狭間さんに挨拶をして繁華街の出口へと足を向ける。新たに仕入れた情報を吟味し、必要であれば作戦会議かな、とこれからの予定を思い浮かべながら、俺は帰路に就くのだった。

   ■   ■   ■

 ここは、広大なネットワークの海に広がる世界。
 現実世界と何が違うのかと問われると、まず空が恒常的に夜空になっている事、そして『大地の端』にオーロラのような光の壁が走っている事を挙げるだろう。夜空、と称しはしたが、それは正確に言うなら電子の空で、正常に投影されていない。不穏、と言うならば、砂嵐が映されたテレビの画面にも似たものがある。また、世界の端のその壁の向こうに何があるのかは、恐らく誰も知らない。

 何故、こんな世界にいるのか。現実世界で生きていた星辰町や石神町に住む人々がこの世界に閉じ込められた理由は、全てが変わってしまったあの日まで遡る事になる。