騒めく日常04

「マスター!」

 撤退か、応戦か。蒼井が言外に疑問を込めマスターを呼ぶと、彼は少しも悩む素振りを見せずに答えた。

「みんな、日明達の体力を削るか気絶させるかして、俺の側に連れてきて」
「な、マスター様!? 何を言って――」
「近くに連れてきてくれれば、守護石を浄化出来る。それが一番早い」

 荊棘がその発言に反論しようとするが、それよりも早くマスターが続けた。確かに最善であるが、同時に浄化の要である彼自身を攻撃される危険性も高まる。出来れば他の策にして欲しいと思ったが、その指摘を俺がするより先に、黒冬が口を開いた。

「あんた、自分の立場分かってるの?」
「分かってるからこその、提案だよ? 俺しか持ち得ない浄化の力で、堕ちたセイバーを助けるっていう」
「ジュエルマスターしか持ち得ない浄化の力を嫌い、その石を狙うあいつらが、あんたを殺したくてウズウズしてるってのに?」

 堕ちたセイバーを救う為に危険に飛び出すと発言するマスターと、奴らは彼だけしか持ち得ないものを狙っているのだと事実を突き付ける黒冬。
 堕ちたセイバーが辿る末路は、考えるまでもない。確かに救う為にはマスターの力が必須ではあるが、かと言ってその命は、救う対象に狙われている身。そう簡単に分かりました、と了承出来る事ではない。
 しかし、黒冬は付き合いが浅い故に、分かるはずがなかった。マスターが、その事実を知った上で尚、折れるような人ではない事を。

「それでも、だよ。俺はみんなを見捨てない。――見捨てたくないんだ」

 ぶつかり合う、紅と紅。向かい合った二人の視線はしばらく互いを見据え、その向こうにある相手の真意を読み取ろうとしている。黒冬のそれは懐疑心で塗り固められているが、マスターは全く動じていないように見える。
 ――先に降参したのは、黒冬だった。はあぁと大きく溜息を吐くと、頑固者、と小さく呟いた。

「蒼井、か荊棘だったか。あんた達が決めて。こいつは何を言っても聞かない」
「私はマスター様の意向に従い、全力でその御身をお守りする所存です」

 荊棘は大剣を構えたまま、賛成の意を口にする。これで自分が反対すれば少しは考え直してくれるだろうか、と蒼井は考えたが、すぐに否、と首を振る。マスターは一度懐に入れればその仲間を第一に案じ、危機に陥れられれば手を伸ばさずにはいられない。共にいるセイバー達が、いつかそれで彼自身が傷付くのではないか、と密かに心配になる程には。
 ならば、蒼井が取れる判断はひとつ。

「見たところ、天草と風間の二人、山吹さんは単独で動いているようです。荊棘さんと柱間は、山吹さんと風間を引き付けてください。その間に、俺と黒冬で天草を捕らえます。今さっきので本当に堕ちたとするなら、瘴気が抜けるのも早いかもしれない。……賭け、だけど」

 天草を孤立させる為には、組んで動いているように見える風間を引き離す必要がある。黒冬に風間を任せる事も考えたが、彼の相手は、良く組まされて浄化作業を行っている柱間が適任だ。
 天草の守護石の汚染がまだ浅いなら、賭けは勝ち。だが、先程の挙動がこちらを油断させる為の演技だったなら、負ける。采配も、狙う順番も、全てが賭けだった。
 そして、そう指示をした事により、蒼井自身もマスターの意見に賛成すると言ったも同然であった。柱間もそう判断してくれたようで、了解、と真っ先に声が返ってくる。

「その時はどうにかする、任せろ。……気ぃ付けろよ、アイツら普段と比べ物にならねぇ力してやがる。油断すると、武器を折られる」
「分かった。ソウ、マスターを頼む」
「がってんしょうち!」

 全員の了承を確認し、蒼井は黒冬の隣に移動すると、蒼剣を構えながら前を見据えた。
 山吹が少し離れた位置、風間の後ろに控えるように立つ天草。彼らを引き離す為の指示をしようと口を開くよりも先に、黒冬が策は?と声をかけてきた。

「天草は守護石の力と、それによる障壁の防御力が高い。でも障壁は扇状に前方しか張れないから、挟み撃ちをかける」
「俺が前?」
「いや、後ろを頼みたい」
「分かった」

 返事をするが否や、黒冬は天草に一気に間合いを詰める。予想通り、天草は回り込もうとする彼を邪魔しようと障壁を展開し、それを補佐するように風間が動こうとした。

「テメェはこっちだぜ、カザァ?」

 黒冬に接近される前に、その直線上に柱間が割り込み槍を受け止める。チ、と風間は舌打ちすると共に、一歩後退せざるを得ない。
 その間に蒼井は、防御されるのを分かっていながら、天草の障壁へと蒼剣を全力で振り下ろした。青い半透明な壁が波打つように揺らぎ、空気の振動を表す。ガキ、ガキィと宙を叩いているとは思えない音を立てながら、間髪入れず幾重にも斬りつけた。

「……っ」

 天草の表情が崩れる。この障壁は強固ではあるが、その実持続時間には難がある。こうして敵の攻撃を受け止めれば受け止める程、彼自身の力も削られ、障壁の強度も弱まるのだ。一気に狙われると不利になるその弱点をカバーするべく充てがわれたのが風間であり、そのサポートを失えば、天草は丸腰も同然。
 本来、天草水樹のセイバーとしての力は《治癒》に分類されるものであり、心優しい彼自身の『想い』を体現したかのようなそれが、戦闘向きであってはならないのだ。
 やがて、許容ダメージを越えた障壁がバシュン!と音を立てて消え去る。すぐに新たな障壁を展開しようと天草が俺から距離を取るが、その先には既に回り込んだ黒冬が立っていた。

「悪ぃな」
「――かはっ……!」

 謝罪と共に、天草の腹にストレート一発。天草は肺から押し出された空気を一気に吐き出し、数歩ふらつくと、糸が切れたかのように地面に倒れ込む。

「黒冬……少しやり過ぎじゃないか」
「だから謝っただろ? 加減が分からなかった」

 変身した状態であれば多少頑丈になっているとはいえ、先程の容赦ないストレートを思い出すだけで腹が痛くなってくる気がする。ドラマに良くある、首の後ろを手刀で叩いて気絶させるような芸当は出来ない以上、最善ではある。レイピアの柄で殴らなかったのは、無意識の温情だろう。
 しれっと答えた黒冬に柱間の援護を頼み、気絶した天草をマスターの元へ連れて行こうと、彼を肩で支えた、その時。強い匂いが、鼻を突いた。

「勇者気取りかよ、蒼井君?」

 荊棘が押さえてくれているはずの相手の声がすぐ横から聞こえ、咄嗟に蒼剣を右に凪ぎ払う。が、手応えはなく、ひらりと花びらが宙を漂っただけ。
 斬撃をひらりとかわしていた山吹は、着地してすぐにそこを飛び退いた。刹那、荊棘の大剣が空を斬り、地面を抉り取る勢いで振り下ろされる。薄ら笑いと怒りが混ざったような表情で、口を開く。

「邪魔すんなよ」
「そうはいきません。マスター様のご意思ですから」
「マスター様マスター様って……本当に主大好きだよなぁ、あんた。けどさぁ、俺にも譲れないもんがある訳。だから――」

 拳銃を掲げ、かちり、と撃鉄を下ろし、引き金を引かれる、その瞬間。場を通り抜けた叫び声が双方の動きを止め、山吹は緩慢な動きでそちらを見やる。
 皆の視線の先では、柱間が倒れ伏した風間を地面に押さえつけ、黒冬が暴れないように両手を背中に回して封じていた。風間は拘束から抜け出そうと暴れているが、あれでは敵わないだろう。

「ちぇ、カザ君もやられちまったか」
「あとは貴方だけですよ、山吹様」

 あまり残念そうではない表情で宣う山吹に、変わらず警戒を続けている荊棘が言った。蒼井は彼のその余裕が気になり、再び感じた違和感を無理矢理頭から振り払い、いつでも動けるように構えを取る。

「――本当に、俺だけだと思う?」

 直後。山吹の背後の壁が崩され、そこから奇妙な声を上げる何かが飛び出してきた。

「っ!?」
「先程の星喰い……!」

 それは見間違うはずもない、地上で逃げたと思われた人型の星喰いだった。裂けたように見える口を大きく開け、耳障りな声でセイバー達の鼓膜を震えさせる。

「ほれほれ、地上に戻らなくて良いのかぁ?」
「……!!」

 山吹の言葉の意味を理解し、一同はさっと顔を引き攣らせる。
 相手の言う通り、ここは地下の空間。壁が壊されたとなれば、いつ地下遺跡の崩壊が始まってもおかしくない。しかし、それは目の前の山吹を逃がす事、他の未だ見付からないセイバー達の手がかりを失う事と同義。蒼井は一瞬迷い、考え、――決断を下す。

「マスター! 一旦退きましょう!!」
「で、でも…!!」

 蒼井が下した決断は、『撤退』。ここで全員倒れる訳にはいかない、撤退して態勢を立て直す必要があると判断した。
 相手の狙いはマスターの持つ《星宝石》。ならば、山吹という絶好の交渉手段を敵が手放すとは思えない。未だに姿が見えない暁と陽世も、捕まっているとすれば同じだろう。
 逃げ切ればまだチャンスはある、だがマスターは予想通り躊躇いを見せた。

「悔しいが、今はあのヤローの言う通りだな。このままじゃ、俺達も地下遺跡ここと一緒に生き埋めだ」
「マスター様、今は耐えましょう。形勢を立て直すのが先決です」
「……分かった……」

 二人の援護に、ようやくマスターも撤退を了承する。
 風間を荊棘が、天草を柱間が抱え、蒼井とソウが先頭を、黒冬が殿しんがりを走る。敵に背中を見せて逃亡するこちらを、意外にも山吹は追って来ようとはしなかった。

「ははっ、やっぱりそう来るか! 情けねぇな、ジュエルマスター!」

 代わりに鼓膜に響く、呪詛にも似た言葉。山吹が可笑しそうに嗤う声が、精神的に追撃してくる。

「お前のその星宝石は、いずれ俺達がきっちり頂きに行くからよ。それまで大事に持っとけよ?」

 彼はその言葉を最後に、星喰いを伴って、崩れ行く地下遺跡の瓦礫の向こうへと消えていった。

 ガラガラガラ、と地下遺跡が完全に崩壊する様を見ながら、何とか逃げ切れた蒼井達はひとまず荒れた息を整える。そして、全員いるかを確認すると、マスターに問いかけた。

「マスター、天草と風間は?」
「水樹の方は大丈夫。やっぱり、堕とされてからそう時間経ってないね。意識がないだけかもしれない。葉一は、見てみないと分からない……」

 やはり、といった答えが返ってくる。風間を気絶させてからそう時間がなかったので、それは仕方のない事。ひとまず瘴気が濃い場所から離れれば、ある程度は薄まるだろう。

「……マジかよ」
「柱間?」

 柱間の驚愕の声が聞こえ、問いかける。彼は腕に着けた時計を確認していたらしく、視線をそれからこちらに向けると、渋面そのままに答えた。

「遺跡に入った直前に時間見ておいたんだけどよ。三十分もいなかったみたいだ」

 三十分程の戦闘だったのか、と時間の感覚を取り戻す。

「一旦、拠点に戻ろう。黒冬、一緒に来て欲しいんだけど、構わないか?」
「分かった」

 意外とすんなり同行を了承した黒冬を連れ、蒼井達は自分達の拠点へと足を急いだ。

  ■   ■   ■

 拠点に辿り着くと、待機していた蘭が出迎えてくれた。

「お帰りなさい。……無事では済まなかったみたいね」

 一行の疲労具合で即座にそう見抜いた蘭が、「でも、お疲れ様」と労いの言葉をかけてくる。それだけで、無事戻ってきたのだ、と気を抜く事が出来た。いつ追ってくるか分からない状況で、気を張ったままだったのだ。
 物音を聞き付けたのか紫上も建物内から現れ、マスターに伝言があると口を開いた。

「疲れているところ申し訳ないが、オフィス街に詰めているセイバーから先程連絡が来た。――山吹が見付かったそうだ」
「……えっ……?」