騒めく日常03

 十分に警戒しつつ侵入した地下への階段は、真っ暗だった。
 明かりというものがほとんどなく、足元にある鉱石が、足元灯のように微かに赤く、地面を照らしている。地下だと言う事実を忘れる程に不気味に光るそれを、一体どこから射し込んでくる光が照らしているのか。はたまた、別の何かの要因によって光っているのか。蒼井達には、皆目見当もつかない。

「どんどん下に降りて行くね」
「随分歩いただろ。地下何階だ?」
「流石にそろそろ、広いスペースに出てもおかしくないとは思……あ」

 先頭を歩いていた蒼井の視界が、急に拓ける。
 果たしてそこは、ただの薄暗い洞窟の続きではなかった。歩いてきた階段が人工のものであった時点で予想してしかるべきだったが、一同の予想を上回る広さの空間が、そこには広がっていた。
 規則的に削られた石で組まれた柱が地上を支え、同じもので組んだであろう壁が、ひたすら続いている。地下、と言うよりは。

「普通の地下じゃねぇな。下水道でもねぇ……まるで遺跡だな」

 柱間が皆の思考を代表するかのように、思い至った事をそのまま口にした。下水道なら水の流れがあるはず、普通の地下であるならここまで整備されていないのはおかしい。完全に人の手だけで作られたような、と表現すべきか。
 荊棘は周囲を見回し、はて、と首を捻る。

「こんな場所に、地下遺跡とは……やはり、ねじ曲げられた空間が繋がっていると考えるのが妥当でしょうか」
「私有地にあったなら話は別ですが、少なくとも星辰町の皆が入れる場所に、こんな地下はなかったはずです」
「みんなも知らないと言う事は、日明達、迷っちゃったのかな」

 セイバー達が元いた世界――『現実世界』の事を知らないマスターが、蒼井や荊棘の言葉を受け、そんな事を言った。荊棘が頷き、恐らくは、と同意する。

「先程の入口から降りてみたは良いものの、何らかのトラブルが起きて迷ってしまった、と言った所でしょうか」

 蒼井の推測も、荊棘のそれと概ね同じである。――同じではあるが、どうしても腑に落ちないのだ。
 山吹日明は、ホストという職に就いている為人当たりも良く、軟派な性格をしている。そこから何かと誤解されがちではあるが、彼の本来の気質は真逆ではないか、と思う事が多々あったからだ。
 おちゃらけた態度を取りながらも、その瞳の奥ではほの暗い何かが渦巻いているような。そんな一面を垣間見ているから、納得出来そうで出来ないという矛盾の思考を抱いている。
 考えてても仕方がない、と蒼井は思考を取り敢えず脇に置き、口を開いた。

「俺達も分かれると危ないですね。極力固まって行動しつつ、山吹さん達を捜しましょう」
「うん。早く見付けないとね」

 天然の足元灯があるとはいえ、視界はとても暗い。やむなくライトを起動しようと端末を起動したついでに、腕時計を一瞥した。
 この世界では磁場の影響が極端らしく、場所によっては端末も、時計すらも意味をなさない。電波を使わない機能なら何とか使えるが、電話は不可能。日付も、液晶に表示されているそれが本当に正しいものなのか分からなくなった。
 液晶を一瞥した蒼井はその一瞬だけ、意識を警戒から逸らしていた。

「誰を捜すって?」
「――マスター様っ!!」

 声が聞こえて、刹那。
 発砲音が周囲に響き渡り、目の前には尻餅をついたマスターと、腕を押さえ蹲った荊棘がいた。

「荊棘さん!?」
「大丈夫、掠っただけです……!」
「――っ!? 何だコノヤロ……!!」

 掠っただけとは言うが、彼の引き裂かれたコートの隙間からは、痛々しい赤い線が覗いていた。
 発砲音、直線的な掠り傷。先程の一瞬で何が起こったか蒼井には察しがついたが、まさか、とすぐには信じられなかった。
 そして追い討ちをかけるように、最初の声の主が現れる。

「ちぇ、当てるつもりだったのに避けられちまった。やっぱゲームと現実は違うって事か」
「日明!?」
「山吹様……!」

 端に赤い模様が刻まれた黒いジャケットと、同色のワイシャツを着た、金髪の青年。黒と赤のコントラストが映えた派手な服装は、見間違うはずはない、蒼井達が捜していた山吹日明その人だった。いつもと異なるのは、胸元のポケットに差している花だろうか。
 だが、様子がおかしい。そもそも、彼は何故自身のマスターである青年に向けて発砲したのだ、という疑問が浮かぶのだ。
 そう、銃弾は荊棘に向けたものではない。《ジュエルマスター》たる青年に向けて発砲されたもので、それにいち早く気付いた荊棘が彼を突き飛ばし、だが避け切れずに腕に攻撃を受けたのだろう。
 山吹は、左手に持つ銃をくるくる回しながら、口許に笑みを浮かべた。いつもの人好きするような笑顔ではない、見る者に恐怖を与える類いの笑みだ。向けられた双眸は、まるで彼の星宝石をそのまま表しているかのように、どんよりとした瘴気で濁っている。
 ふと蒼井は、恐怖と共に妙な違和感を覚える。何かが違う。頭が、視覚が、己にそう伝えている気がする。だがその違和感の正体を突き止めている場合でもなければ、考え込んでいる暇もない。いつ襲われても受けられるよう、蒼剣の柄を強く握り締めた。

「堕ちているな……先程の星喰いと、瘴気のせいか」
「どういう事だよ?」

 黒冬の呟きに、油断なく棍を構えたままの柱間が問いかける。

「そこのチビ助が察知するくらいの濃度の瘴気。ジュエルマスターがいれば平気だろうが、セイバー達だけではすぐに堕ちてしまう。危険だと判断して戻ろうとした時、先程の人型が入口の方でたむろしていたとすれば」

 黒冬はそれ以降続けなかったが、何を言おうとしたかは分かる。少し歩いただけでも、不穏な気配を感じる地下遺跡。すぐにでも戻って救援を呼んだ方が良いと判断し外に出ようとしたが、先程の人型の星喰いが入口周辺を彷徨いていて出られなくなっていた。ジュエルマスターがいない場合は、未知の星喰いに遭遇したとしても応戦を避けろと言われていたから、山吹はどうするべきか判断を迷っただろう。その間にも守護石は瘴気に汚染されていて、時間が切れてしまった、とすれば。

「じゃあ、他のみんなも」
「堕ちている、と思った方が利口だろうな」
「正解」

 蒼井でも黒冬でもない、まして共に人工林に足を踏み入れた誰でもない第三者の声が、背後から耳に入る。反射的に振り返ると、声から予想した通りの人物が、身体に濃い瘴気を纏わせて立っていた。遅れて山吹達を捜しに出て行ったと聞いていた、風間葉一だった。

「カザ……テメェ」

 蒼井より少し後方にいた柱間が、ギリィ、と歯軋りしながら相手を睨み付ける。そんな怒りに満ちた視線を向けられていると言うのに全く動じない風間は、くるりと槍を回転させ一気に距離を詰めてきた。

「っ……!?」

 風間の突きを棍で右側へと受け流した柱間は、目を見開き一歩後退する。衣服の布を割かれただけで済んだようだ。

「蒼井君!!」

 蒼井は、己を呼ぶ声に気が付く。山吹と風間が立つところから、丁度直線上の反対側に、捜していた声の主はいた。
 声の主――天草水樹は顔面蒼白としていて、ガタガタと体を震わせている。二人と異なり、瘴気を纏っておらず、瞳も濁っていない。何より先程の声は、彼が必死になり過ぎて上げる時のそれだった。

「天草? お前、正気なのか!?」

 何があったのか状況を把握する手段が見付かった、と思ったのも束の間。天草は頭を手で押さえ、冷や汗らしきものを頬に流しながらも、地面を指差して答えた。

「逃げて……! ボクももう、」
「天草!?」

 だが、切羽詰まったその言葉が、最後まで音になる事はなく。

「やだ、イヤだ! あっち行け、ボクは――うわあああああああぁっ!!」

 両目を閉じて苦痛の表情で叫んでから、ぷっつり糸が切れたかのように体を脱力させる。そして、

「――なんて、言うと思いました?」

 ニタァ、と普段の彼からは想像もつかないような、粘着質な笑みをこちらに浮かべ、言った。それは山吹と同一の類いの、邪悪なものだ。

「っ……!!」
「隙アリ!」
「チィッ」

 目の前で『セイバーが堕ちる』光景を見てしまった蒼井に動揺が生まれ、その隙を狙って風間が動く。が、それは横から割って入った黒冬に阻止される。風間の槍をレイピアで受け止めながら、蒼井の首の後ろを引っ張り強制的に後ろに下がらさせられたのだ。

「ぼけっとするな。呑まれるぞ」
「わ、悪い」

 忠告に、素直に謝罪と感謝を込めて返し、気を引き締めて構える。天草の先程の様子が演技だったのかどうかは定かではないが、今現在は『マスターを狙う敵』の一人になってしまった事は間違いなさそうだ。
 コツ、と革靴と石畳が接する音が、周囲に響く。山吹が、くるくると器用に銃を弄びながら、一歩一歩歩み寄ってくる。

「俺さ、分かっちまったんだよ。俺の望みって奴。それを手に入れる為にはさ、お前の《星宝石》が要るんだってさ。だから――寄越せよ、それ」
「……それ? って何の事?」
「それだよ、それ。お前の《星宝石》」

 誤魔化すように、マスターが問う。が、銃口は迷いなく指し示していた。その射線上にある彼の胸元――ループタイを留める、碧緑色の石が嵌まった留め具を。
 マスターが、この異世界で目覚めた時から持っていたと言う、ただひとつの私物。もしかしたら、《ジュエルマスター》と名乗る青年の存在が何なのかを示すかもしれない、唯一のもの。それを、山吹は寄越せと言っているのだ。
 浄化した際に星喰いが遺して行く星宝石もマスターは持っているが、それらと比べると、留め具に嵌められた石は大きさも異なる。本当にそれが、マスターの持っている中で一番力がある《星宝石》なのか、今の蒼井には判断がつかなかった。
 思い返せば、普通の星喰い達もセイバーの守護石には目もくれず、ひたすらマスターを狙う。堕ちたり星喰いになった者は、もしかしたら星宝石の個々の力の強弱も分かってしまうのかもしれない。
 蒼井がそんな憶測を立てているうちに、山吹はまた一歩、歩み寄る。荊棘と黒冬はそれに合わせ、じりりと警戒を強めた。だと言うのに、狙われている当の本人は普段とほとんど変わらない調子で、困ったように笑みを浮かべる。

「…………これは、渡せないよ。俺の、大切なものだから」
「だろうなぁ? なら、力ずくで奪――」
「それにアンタは、星宝石に頼って自分の願いを叶えるの、好きじゃなかったんじゃないかな」

 相手が言い終わらない内に紡がれた言葉に、何故か山吹はピクリ、と妙な反応を見せた。目を見開き、挑発的な笑みを消した口は、何かを発しようとしている。
 ――だが残念ながら、その反応は一瞬で何処かへと消え去った。むしろ先程までよりも激昂した様子で、山吹は手に持った拳銃の銃口をこちらに向けてくる。

「んな事、知るかよ!」
「マスター様、お退りください!」
「コウをいじめるのはだめっ!!」

 放たれた銃弾を大剣で弾きながら、荊棘がマスターを退がらせる。その先にいたソウが彼を守るように前に出て、威嚇なのか両手を前に出した。