前日譚02

 道中出くわす昆虫型の星喰いを倒しながら、三人はオフィス街のとあるビルへと辿り着いた。龍型の星喰いとの交戦地点から然程離れておらず、歩いて三十分程か。高層ビルが並ぶ街の中にあるにしてはいくらか階数が少なく、こぢんまりとしたそれ。子会社が借りている建物だと思われるが、案内板らしきものは破壊されたのか残っておらず、何の会社なのか定かではない。

「あ、マスター君!」
「――菫さん、後ろ!!」

 入り口に立っていたのは、おどおどした表情で腰を引かせつつ、それでも雑魚の星喰いと対峙していた男性。マスターの姿を視界の端に認識し、目の前に敵がいるにも関わらず、安堵したかのような声を上げる。それは敵にとって絶好の隙であり、背後にいた星喰いは、男性に向かって鋭利な脚を突き出そうとしていた。
 それに気が付いていた蒼井が瞬時に変身し飛び出そうとする刹那、銃声と同時に星喰いの体が砕け散り、地面に散らばる。あと一瞬遅ければ背中を貫かれていた男性が、ひぇ、と声を出して青ざめた。

「すーみーれーさん? 星喰いの前で油断しちゃいけないでしょーよ。ヒヤッとしたぜ」

 いつの間にか変身していた山吹が、やれやれと肩を竦めながら銃をホルスターに仕舞う。先程の一瞬で変身し、星喰いを狙い撃ったらしい。菫さん、と呼ばれた男性は、礼を言ったのち、困ったように頬を掻いた。

「うう……分かってるんだけど、マスター君が来たと思ったら油断してしまって。情けないね、あはは」
「気を付けないと駄目だよ?」
「うん、肝に命じておくよ」
「お礼は辻村さんへのアピールで良いぜ?」
「ええ、それは」
「菫さん、どうして外に? 危険だから中にいて欲しい、とお願いしたじゃないですか」

 男性――菫透真は、このオフィス街にある会社に勤めるいち会社員だった。ひょんな事がきっかけで変身する事は出来たものの、蒼井や山吹ほどにはこの世界で戦い慣れていない。なのに何故こんな無茶をしでかしたのか、と蒼井が問うと、彼はばつの悪そうな顔で答えた。

「あー、うん……。君たちが危険を冒してるのに、自分だけじっとしてるなんて出来なかったんだ。少しでも、力になりたくて。……でも、死にかけてたらダメだよね。自分の力量を見誤ってたよ」
「下手すると死んでましたからね。無茶だけは控えてください」
「あはは、厳しい。ありがとう、蒼井くん」
「俺は怒ってるんですけどね?」

   ■   ■   ■

 星喰いも片付いたし立ち話もなんだから、と促され、四人はすぐ背後のビルの中へと入った。エレベーターは使えないので階段を使い、二階に上がる。
 すぐに見えた扉を開けると、オフィスとして使われていたであろう部屋があり、そこに数人の人間、いやセイバーがくつろいでいた。

「マスター? 珍しいな、君がこちらに顔を出すのは」
「こんにちは、黒破さん。今日は辻村さんの頼みで、この近くの星喰いの討伐をしてきたんだ」

 こちらに気が付いて声をかけてきたのは、スーツ姿の男性。胸ポケットにある煙草の箱を手に取ろうとした格好で動きを止め、そのままこちらにひらりと手を振った。マスターがそれに応じ、三人がここに立ち寄った理由を話す。
 本来、蒼井や山吹が拠点とするエリアは繁華街のほうで、拠点もそちらに構えている。ここは、浄化が済んだエリアが再び星喰いに汚染されないよう監視する、第二の拠点と言うべきだろうか。
 二人がマスターと遭遇を果たした頃は、まだ現実世界から迷い込んでしまった人はそう多くなかった。だが浄化を進めるにつれて合流するセイバーも多くなり、大型の星喰いを討伐した後でならマスターがいなくても大丈夫だろうという判断をした事も相まって、有志を募って監視するグループを置く事にしたのだ。黒破軍司と菫透真、そして辻村咲希がこの拠点のリーダーに当たる。
 黒破が、合点がいったかのように頷く。

「ああ、例の龍のような姿をした星喰いか。して、帰ってきたという事は?」
「ゆーと君が見事仕留めましたよっと。それはもう、まるで正義のヒーローみたいだったぜ!」
「山吹さん、盛り過ぎです」
「それは見たかったね。さしずめ、参謀役も担える万能ブルーか」
「黒破さんまで、止めてくださいよ……」

 蒼井は山吹の誇張された発言を訂正しようとするが、存外ノリが良い黒破までそんな事を言い出し、頭を抱えながら溜息を吐く。

「ほおう。ひいろう、ねえ」
「珠子おばあちゃん、翠嬢、こんにちは」
「マスターさん、こんにちはぁ」

 そんなやり取りを拾ったのは、近くにいた老齢の女性、石神珠子。間違いなく、この世界に誘われたセイバーでも最高齢の人物である。
 マスターが笑顔で挨拶を口にするが、何故か応じたのは彼女ではなく、以前に彼女の孫だと紹介された石神翠だけ。彼女は人数分のお茶を載せたお盆を持っていて、それをこの場に集まったセイバー全員にひょいひょいと手渡して行った。

「マスター! 村崎君が来たわよ。貴方に話があるみたいだから、連れてきたわ!」

 そんなやり取りをしていると、先程蒼井たちが入ってきた扉が勢い良く開けられ、髪の長い女性がオフィスに現れた。この拠点の仕切り役の一人でもある、辻村咲希だ。背後には菫の他に二人の人間を従えていて、それが珍しい組み合わせだったのもあり、一同は驚きの声を上げた。

「村崎、と千里?」
「よーぅ、マスター。今日は蒼井の坊主と山吹サンが護衛かァ?」
「見嶋、何でお前がここにいるんだよ……」
「俺はどこにでも行くぜぇー? まぁ、今日はこの坊主の付き添いだけどな」
「話したい事があって繁華街に行ったら、捕まってしまって……。そして何故か一緒に来る羽目に……」

 村崎十織と一緒にいたのは、見嶋千里だった。村崎がげんなりとした表情で手を振る一方で、見嶋はけらけらといつもの怪しい笑みを浮かべている。大方、その道中で村崎に根掘り葉掘り質問責めにしていたのだろう。山吹が嫌悪を全く隠していないのにもお構いなしである。
 蒼井や山吹と違い、マスターの傍を離れて行動するセイバーも少なくない。二人がその最もたる例で、彼らともこうして時に会い、情報の共有を行うのが常となっていた。

「私達は聞いてても大丈夫なのかしら?」
「うん、むしろ聞いていた方が良いと思う。黒破さんも」
「ふむ、分かった」

 退室の必要があるか、と気を使った辻村の問いに応えたのは村崎で、ここのみんなにも関係のある事だから、と続けた。わざわざマスターを捜し、不在にしていた繁華街、そして外出先のオフィス街にまで出向いてきたのだ。余程の事情があるらしい、と容易に想像が出来た。

「さっき見嶋……さんにも聞いていたんだけど、最近、いろんなポイントで星喰いの亜種が確認されてる。ここや繁華街以外で動いているセイバーにも聞いた感じだと、神出鬼没で決まった活動範囲はないみたいなんだ」
「中でも妙な星喰いの話があるんだぜェ。見た感じが、『人みたい』なんだと」
「人……?」

 蒼井や山吹が訝しむのも無理はない。皆にとって《星喰い》と言えば昆虫や鳥と、いずれも《動物》的な姿をしていた。だからこそ、セイバーたちも撃退する事に抵抗を覚える事はなかったのだ。
 だが、《人間》の形をした《星喰い》となれば話は別だ。セイバーとして戦う力はあれど、彼らは元々戦いとは無縁の人間。果たして、普通の星喰いと同様に戦えるかと問われれば――。
 その懸念は村崎にもあるようで、苦々しい表情で続きを口にする。

「そう、人。セイバーでないのは確実なんだ、どこか異形な気配を纏っていたらしいから。仲間のセイバーだと勘違いして、攻撃された人もいるみたい」
「そんな……」
「もうひとつ気がかりなのは、ボクと見嶋さんのその情報を照らし合わせると、互いの耳に入った妙な星喰いは、『完全に別個体』である可能性が高いところ。目撃されたのが薄暗い場所だから、詳しい情報は下半身くらいしかないんだけど……」
「その下半身の特徴すら全く異なっててなァ。最低二体はいる、と思ってたほうが、痛い目に遭わなくて済むかもしれねェな」

 『裾が大きく広がった紺色の衣服を身に纏い、刀身のような腕を持っていた異形』は、村崎が得た情報。対して見嶋は、『血と同じような色の衣服で、鋭利な爪と銃口のような腕を持った異形』。想像するだけなら人間のものではないと分かりそうなものだが、確かにこの世界は常に薄暗いので、場所が場所であれば仲間のセイバーであると勘違いする可能性もなくはない。そして、二人が入手したその情報が『完全に同一の存在』である可能性は、当然ながら限りなく低い。
 虫や鳥などの動物的な身体を持った星喰いは、知性がほとんどなかった。それが人型ともなれば、今まで遭遇した星喰いよりも知性が高い可能性も出てくる。それが、最低二体――。由々しき事態である事は明らかだ。
 蒼井はそう思考しながら、ふと村崎に視線を向けた。話している中心なのだから、彼のそれが蒼井に向くことはない。――はずなのだが。

「!」

 ほんの一瞬。こちらに向けられた村崎の目が、鋭い刃のように細められた。
 すぐに他へと視線を移したので本当に一瞬だったのだが、彼は何故自分を見たのか。その時に、何故敵意を向けられたのか、原因に全く見当がつかない。いや、そもそも視線がかち合った気がしなかった。視線が合ったのなら互いを見ている事になるが、そうではないのだ。つまり、彼が見ていたのは蒼井ではない、周囲にいる別の誰か。そして蒼井の隣にいるのは、山吹日明だ。

「二体ねぇ……ゆーと君はどう思うよ?」
「え、あ、はい。そうですね、俺も最悪の事態を想定しておいた方が良いと思います。用心し過ぎて杞憂であっても、そちらの方がずっとマシでしょうから」

 不意に山吹が蒼井に向き直り問いかけてきたので、少しだけ慌てて答えた。ちらりと盗み見た村崎の目からは、先程見たような鋭さは綺麗さっぱり消えている。

「私も同感ね。それ以外に考えられないもの」
「あと、これは本当に注意して欲しいんだけど……これらの情報をくれたセイバーは、いずれも一緒にいた人が連れ去られ、行方不明になってる。無事に助かった方は、今でも錯乱状態に陥る事があるらしいよ」
「……連れ去られた人は」

 その問いに、村崎は黙って首を横に振った。それだけで答えを察したマスターが、眉尻を下げ黙り込む。その表情は、まるで自分が悪いと思っているような、悔しさを帯びたものだった。
 周囲に沈黙が降りようとした時――、山吹が勢いよくマスターの背中を叩く。うわ、と驚いた彼の首に腕を回すと、明るい調子で言った。

「だーいじょうぶだって! きっとソイツらも無事無事! それに、お前が『助ける』んだろー? 《ジュエルマスター》」
「……うん。そうだね」
「ま、流石にその星喰いとコンニチハしたくはねぇけど……そん時は俺や荊棘の旦那、こーた君、よーいち、そーやがいる。それに我らがヒーローもついていれば、なんとかなるっしょー」
「山吹さん、だからヒーローは止めてください」

 まだその話続いていたのか、と蒼井は反射的に突っ込みを入れたが、当人は気にした様子もなく口笛を吹く。話を聞いていなかった村崎が一瞬ぽかんとしたのち、誰の事を指しているのか察したらしく、苦笑を浮かべていた。

「ヒヒッハハ、ヒーローねェ。責任重大だなァー蒼井の坊主ー?」
「山吹さんが勝手に言ってるだけで、俺は、そんな大層なものでは、ないです!」

 食い気味に否定する蒼井に、その場の空気が若干和んだ雰囲気を取り戻す。だがそれでも、頻りに笑っていた菫が、ふいに口を開いた。

「なんだか、僕らが思っていたよりも大変な状況なんですね……」
「この世界にいる以上、『大変ではない状況』のほうが少ないとは思うが……。こちらの拠点のセイバーにも念のため、必ず最低二人で行動するよう伝えておくよ」
「お願いするね、黒破さん。村崎と千里は、情報をありがとう。助かるよ」
「お安いご用さ。ボクの方でも、もう少し色々探ってみるよ」

 話は終わったとばかりに、村崎はさてと、と椅子から腰を上げる。

「なんだぁとーる君、もう行くのか? もう少しゆっくりして行けば良いのに」
「そうしたいのは山々だけど、この後すぐ行かなくちゃいけなくて。じゃあ、気を付けてね。コウ」
「うん。そっちも」

 蒼井は村崎を追いかけて、先程の視線の理由を問うべきか少し迷った。が、もし無意識の行動であったならば、それは意味のないもの。仮に意識していたとしたなら彼が教えてくれるとは思えず、結果そのまま見送る事にしたのだった。

「それじゃあ、マスター。俺たちも繁華街に戻りましょうか」
「そうだね。今の話、荊棘さん達にも話しておかないといけないし。千里は?」
「俺が行く訳ないだろォよ? 用は済んだし、退散させてもらうぜェ」
「さっさと行けよ、誰も止めねーから」
「ヒヒッハハ、つれねーの。じゃあな、マスター」

 シッシッ、と追い払うように右手を払う山吹に怒る事もせず、見嶋は扉の向こうへと消えていった。一息つくように息を吐いているところを見るに、彼は随分と警戒していたのだろう。菫たちに挨拶をし、部屋を出ようと扉に向かおうとしたが、そこで声をかけられる。

「お待ち。これを持ってお行き」

 声の主は話の途中ずっと黙っていた珠子で、傍には翠も立っている。彼女はマスターの手を取ると、何かを無理矢理握らされた。マスターが驚いたように目を丸くし、すぐに笑顔に戻り口を開く。

「ありがとう、珠子おばあちゃん。これ、好きなんだ」
 どういたしまして、と珠子が応じるのをじっと見ていたが、彼女はくるりと身体の向きを変え、蒼井にも手を差し出した。

「ほれ、アンタにもだよ」
「俺にもですか? ありが――」
「どんな『ひいろう』も、いつかは壁にぶつかって疲れてしまうからの。『マスターのひいろう役』、ちゃんと務めるのじゃぞ?」
「……え?」

 礼を言うつもりだった蒼井は、続けられた言葉の意味をすぐに把握する事が出来ずに固まる。それは自分にだけ聞こえるように紡がれたものだったらしく、マスターや山吹はおろか、翠すらも動きを止めた蒼井に首を傾げていた。
 手を開き、握らされたものを見る。それは、蒼井の祖父母が良く食べていた記憶がある、懐かしい飴玉だった。

   ■   ■   ■

「ジュエルマスター」

 外に出て、さぁ帰ろうかというタイミングでマスターを呼んだ声に、足を止めた。
 振り返った先には、蒼井よりも背の低い少年が立っていた。色素が薄めな茶髪と、白い制服が印象的な少年は、三人にも面識のある人物である。

すめらぎ?」

 マスターが彼の名を呼ぶ。少年――皇光は、何かを見定めるような視線を変えないまま、発言する。

「荊棘従道は、まだキミに仕えているのか?」

 出された名前は、この場にいないセイバーの名前。マスターが一番初めに出会ったという男性で、今は拠点で待機してもらっている。
 皇と荊棘が知り合い同士なのは把握しているが、以前どこか余所余所しい二人のやり取りを見ていたため、蒼井は彼が荊棘を避けていると思っている。だから、何故そんな事を聞いてくるのか、さっぱり分からなかった。

「え、うん。今は繁華街にいるけど……」
「そうか。なら良い」

 マスターも戸惑いながらそう返すと、皇はそれだけを答える。そして追求を拒むかのように踵を返し、三人が出てきた建物の中へと入って行くのを見送った。

「……皇も、荊棘さんの事気にしてたのかな?」
「俺にはそうは見えなかったけどなぁー……」

 呟きに反応した山吹の言葉に、だがマスターはなおも首を傾げて不思議がっているようであった。