第93話 変えるためにやれること

「……リスカとヴォスが、倒されてしまいましたね」

先程まで存在していた魔力が消えたのを感じ、ゼルフィルは窓際に歩み寄る。

そこにいるのは、彼を含めた三人。
黙りこくったまま静かに珈琲を飲むキセラと、双眸を閉じ寝ているかのように見えるサン。その他には、誰もいない。

「今はサンが傀儡で足止めしていますが、それも時間の問題です。私達も、行きましょう」

体を預けていた壁に別れを告げ、入口のドアに歩みを向ける。

「ゼルフィル」

と、期待していなかった反応が返って来たことに軽く驚き、キセラを見る。
彼女はカップを手元のソーサーに戻し、眠っているサンを一瞥すると、ゼルフィルに視線を戻した。

「なんですか?」
「アタシは、アンタが大嫌いだわ。……けど、同胞としては最高だった。同じ死にたがりなのに、お互いよくもまぁこのガキに付き合って手のひらで上手く踊らされたものね」

一体何が言いたいのか。
彼女はそこで一息入れ、再び口を開く。

「アタシは、死ぬにしてもアイツに何か返してやらないと気が済まない。……アンタは、どうなのよ」

死にたがっているアンタは、全力で戦うのかどうか。そう問いかけられている。
正直、驚かなかったと言えば嘘になる。
他の者達には悟られないよう、常に気を張っていたつもりだったのだが。

この世界に再び生まれ落ちてから、数十年。死ねない半ラルウァ体で生きて来たが、どう足掻いても《本物》を追い求める衝動だけは消せなかった。
元は一つだったものが分かれれば、それは当然のことだろう。そして、《本物》と言える存在は自分ではなく、彼。
《偽物》は《本物》に負ける運命なのだとは、自分でも思う。
だが、ゼルフィルは口角を吊り上げそれを鼻で嗤った。そんな問いかけをして来たキセラにではない、そんなものだと諦めようとする自分を嗤ったのだ。

「私も、簡単に殺されるつもりはありませんよ。安心してください」

彼と自身の運命を逆転させ、《偽物》が《本物》となり得るために。殺される訳にはいかないし、死ぬつもりもない。
それに、彼は放っておけばいずれ死ぬ、普通の人間だ。本当なら手にかける必要はないのだが、向かってくる以上、待ち受けてやるしかない。

そんな思考を全てひた隠すように、表情に笑顔を貼り付ける。キミは本当にポーカーフェイスが上手だね、ともういない同胞の声が、頭を過る。

キセラもそれは感じていたかもしれないが、口に出すことはせずはぁ、と溜息を吐き、ギロリと挑むように睨み付けてきた。

「……やっぱり、嫌な奴ね。アンタって」
「心外ですね」

はて、何処がどう解釈されてそんな印象を持たれるのだろうか。
心底疑問に思ったゼルフィルだったが、結局その問いを発することはなかった。

   ■   ■   ■

「分からないわ」

ラニティが、吐き捨てるかのように言った。

「何故王女を庇うの? 王女と暮らしたせいで毒されてしまったのかしら?」

王族に父親を殺されたも同然である彼女には、ジャックの行動理由が理解出来なかったようだ。子供が喚き散らすように声を荒げるラニティは、だが目尻の端から小さな涙が浮かんでいた。

「十五年前よ。王は私の父を、近衛兵団長であった彼を見捨てたの。王が助けを出してくれていたら、父は助かったかも知れないのに!!」

十五年前。
王族直近の近衛師団は、ジャスティフォーカスの手では負えない事件が発生したと救援を求められ、ファーレン地方へと渡った。
その航路で、彼らの乗った船は転覆したのだ。
乗っていた乗組員及び近衛師団は全員死亡、船は未だに引き上げられていない。

誰もが不幸な事故だと言った。
だが、ラニティは独自に調べ上げ、そして知ったのだ。

「あの時王族は、近衛兵はおろかジャスティフォーカスの人間すら救助に派遣するのを拒んだのよ! 海に巣食う黒色の魔物の仕業の恐れがあるのだと! それが分かっているなら、何故父を――父の師団を、ファーレンに向かわせたの!!」
「…………」

逆恨み――せめてそう断言出来れば良かったのに、とジャックは内心溜息を吐いた。
その頃はまだリニタや王室に仕えてはいなかったが、その事件がどんなものだったのかは知識として、そしてリニタに宿る精神的外傷として把握している。

(ラルウァだ……魔物が変化した)

相手がラルウァなら、現王族の長であるグレイス=ル=エアグルスであれば兵の派遣を断念するだろう。主人の父親ではあるが、あれは王たるべき器ではない人間なのだから。ジャックから見れば、の話だが。

主人なら――リニタならどうする?

恐らく、近衛兵の身を危険に晒す事を憂いながら、人命を優先して派遣する事だろう。
確かに、未曾有の事態に兵の数を削がれ大陸の防衛力を落とすのを防ぐ決断も必要だ。王は腑抜けではあるが、そういう意味では正しい選択をしている。
だが、代償として大陸の住人の信用を失う事は予測していなかったのか。こうして、国家を潰そうとする輩が現れてしまう事は、考えていなかったのか。
後継の苦労が増える事など、分かりきっていたはずだが。

「……それ、お嬢がやった訳じゃないだろうが」

ぐるぐる頭の中で考えながら、人間と獣が融合したかのような出で立ちの獣――ジャックは、静かな怒りを押さえ言った。何と言おうかと悩んだが、結局そんな台詞しか浮かばない。逆効果だろうな、と半ば諦めに近い。
案の定、ラニティの怒りを増幅させてしまったらしく、だんっ!と地面を蹴りつける音が響く。

「同じ王家の人間よ、王も王女も変わらないわ!! 王家は皆、皆殺しにしてあげるのよ!!!」

仮に――ここでジャックが、王が救援に出さなかった理由を告げれば、彼女は納得してくれるだろうか。その黒い魔物は、近衛兵では太刀打ちが出来ないから出さなかった、と。
答えは否。更に「じゃあ何故父の部隊を船に乗せたの」やら「分かってたのに何故」やら、別の角度から王族をなじるだろう。短い問答からでも、彼女がそういうレベルの憎しみを抱いているのは簡単に理解出来た。

さて、ならばどうするのか。
簡単だ。

さっとラニティの左右を見る。右にイーエルと呼ばれた巨体、見るからにパワータイプ。左にいる人間は魔術師なのか、武器は杖。遠中近、面倒なことに全ての距離に対応出来る奴等が固まっている。
他の反国家勢力はライラックが押さえてくれるだろうが、それも長くは持たないだろう。
短期決戦か――受けて立ってやろうじゃねぇか。

ニヤリと口の端を吊り上げ、腰を落としながら相手を睨み付ける。

「オメェみてぇな奴には、何言っても無駄なんだろうな。よーく判ったよ」
「あら、一人で私達を倒すつもり? 無謀なことは考えず、投降した方が身の為じゃない?」
「生憎と――俺自身に選択権はない」

言うが早いか、人間時より強化された脚力で地面を蹴り飛ばし一直線にラニティに詰め寄る。彼女の手の中にあるライフルを叩き落とし、攻撃手段を奪おうとした。

しかし、あと一瞬というところで横槍が入り舌打ちをして飛び退く。イーエルが巨体にそぐわぬ反射で反応し、ジャックの爪を受け止めたのだ。
チャンスを逃した、と思った。予想通り状況に順応したラニティはライフルを構えているし、魔導師は杖を掲げ詠唱を開始しようとしている。

ラニティの行動不能を早々に諦め、狙いを魔導師に切り替える。単騎である自身にとって、得意範囲が分からなくてもサポートに回られるととても面倒臭い。
こちらが動いたことで相手も臨戦態勢を取り、巨体が前に出た。ジャックからの距離は現在、その巨体、ラニティ、魔導師の順番で近い。
壁を駆ける標的目掛け放たれた銃弾が、壁に叩きつけられカカカカと音を立てる。潰れたそれが床に落下した。
一気に巨体を抜いて背後の二人との距離を縮めたかったが、意外にも戦い慣れているのか位置取りが上手い。ち、と舌を打ち飛び上がる。

「ぬ!」
「おっと」

着地地点に先回りをした巨体の拳がこちらを捉えたのを読み、再び跳躍。純粋に力だけを乗せたそれは、地下道に敷き詰められたレンガを抉った。

生まれた隙に、戦爪を凪ぐ。剥き出しの腕に赤い線が刻まれ、巨体の目が歪む。
追撃の銃弾を間一髪で避け、距離を取ってわざとらしく肩を竦めた。

「おいおい、地下道を破壊するなよ。お前ら生き埋めは嫌だろ?」
「そうね、貴方を殺してもまだ王女がいるもの。イーエル、気を付けて頂戴」
「御意」

しゅううぅ、と巨体の腕に光が宿る。それは見慣れたもので、施したのは背後に控える魔導師か。
単対多の状況でアレを生かしておけば、こちらの勝率はいつまで経っても低いままだ。逆に、あちらはアレさえ生かしておけば、単の敵など容易に仕留められる。

ジャックはちらりと視線を動かした。

「戦闘中に余所見なんて、随分と舐められたものね」

刹那、すぐ近くで銃声が轟く。

「っ!!!」

即座に反応し、間一髪狙われた額に銃弾が当たることはなかった。だが、完全に避け切れず、掠った腕から血が滴り落ちる。

間合いを確認しながら、状況を素早く読み取る。チャンスは一度のみ。

「せめて楽に終わらせてあげましょう。哀れな迷い狗」

ジャコン、と弾を補填した音が響く。

左に跳躍。向かうは、対峙する奴等とは全く関係のない方向。
先程確認した、地下通路の壁に埋め込まれるようにして立つ柱。それに、躊躇いなく攻撃を加えた。
柱はミシミシと音を立て、止めの一撃を喰らった衝撃でラニティの頭上めがけ倒れ始める。

「――!?」
「ラニティ様!!」

完全に視界から外れていた彼女が、衝撃を覚悟して目を閉じた。
その隙を利用し、獣の力で岩を跳ね飛ばすと、ラニティの首筋に爪を立てた。動くな、とイーエルに視線だけで忠告する。

「……殺しはしない。お望みなら、戦ってやる。ただ、今は――この戦いが終わるまでは、放って置いてくんねーかな」
「何ですって?」
「お前らだって分かってんだろ。今のこの状況が、こうやって争ってる場合じゃないって」

ジャックの言葉に、ラニティがぐ、と黙り込む。
大陸の混乱――正しくは王族の混乱に乗じ、彼女らの統治する首都ダラトスクを陥落させようとしたのだろうが、この異常な状況を見て何も思わないはずがないだろう。
それでもこうしてことを起こしたということは、それ程国家を憎んでいるという証明に他ならない。

「どうしても王族のリニタが信用出来ねぇで殺したくて仕方ないなら、代わりに俺を殺しても良い。ただ、あいつの未来を築き上げるところを見ずに、否定するのだけは止めてくれ。あいつは――全力で、犠牲を生み出さない世界を望んでいるから」
「同じ血が流れている王族じゃない! 同じことをして、また新しい犠牲者が生まれないと言い切れるの!?」
「言い切る。必要なら、言い切ってやる。なんたって、魔物に近い人狼を受け入れた姫だぞ?」
「――!!」

完全に思ってもみなかったのだろう。
ラニティは驚愕に目を見開き、抵抗を止めた。
他人が、国の人間が傷つくのは嫌だと、人間の敵であるはずの人狼の子供にですら手を差し伸べた女性の姿を思い出す。彼女なら、絶対にラニティの父親のような犠牲者を生み出す政治を嫌い、全力で救おうとする。それ以外に、行動が思い付かない。

「――甘い!!」
「っ!!」

だが、想像よりも遥かに、彼らの王族への確執は根深かったのだ。
援護重視だと思い込んでいた魔術師の闇魔法が発動し、ラニティを捕まえるジャックの足元に魔法陣が展開される。
一瞬の隙を突いてラニティが拘束から抜け、ライフルを構えた。

「っやろぉ!!!」

持ち前の反射神経と俊敏さを生かし放たれた銃弾を間一髪で避け、未だ間合いに入っているラニティの懐に入り戦爪を振り下ろす。
しかしその攻撃は、思惑に反しそこに無理矢理体を滑り込ませて来た、巨体の強靭な体を切り裂いた。

「イーエルっ!!」
「ラニティ、様……お逃げくだ、さい」
「てんめぇ……!!」
「貴様は……ここで、殺す」

巨体は肉厚な身体に食い込んだ戦爪をがっちり掴み、ジャックは動きを封じられた。馬鹿力を振り払うことは出来ず、歯を鳴らす。

「貴様さえ、いなくなれば……最早皇女は、我らに対抗する、意志など、消え去るだろう」

コイツは、何かを企んでいる。
頭の中で喧しく鳴る警鐘がなくとも分かるそれに、だが俺は抵抗する術を奪われていた。
獣に戻った自分の力量さえ敵わない、イーエルの腕を振り払う術など――ひとつだけあるにはあるが、それは酷く残酷だ。実行するには、自分は人間界に馴染み過ぎた。
ジャックの頭に万事休す、という言葉が浮かんだ、直後。

「ぐぁ……!?」
「!」

バキィ、と言う音と同時に、ジャックの腕を掴むそれを中心に黒い光が炸裂し、イーエルが低く短く呻いた。
極太の腕から力が抜けた隙を逃さず、振り払って拘束から抜け出す。獣特有の跳躍力であれば、一歩で奴の間合いの外に出れる。

「馬鹿犬、何を捕えられている」

逃れた先で待っていたのは、ライラックの鋭い視線といつも通りの非難だった。
手の平で、黒い光が蠢いている。

「ら、ライラック」
「動けるジャスティフォーカス構成員、それと近衛兵は一足先に避難させた。後は俺達だけだ。貴様らの仲間は知らん。反国家勢力というのも、大した事はないな」
「父だけではなく、私の仲間までこんな目に遭わせるなんて……許さない!!」

ラニティが、叫びに激情を載せライフルを構えた。だが、ライラックは平然としたまま――若干煩わしさを浮かべ――眉を顰める。

「好き放題言ってくれるな。貴様の父親はともかく、今そこの男が血塗れになっているのも、貴様の仲間が生き埋めになっているのも、俺達のせいではない。貴様自身のせいだろう」
「――!!」
「人のせいにするな。貴様がやりたいのは、父親の仇を討つことではない――原因を余所に転嫁して、自分を正当化させたいだけだ」

そこまで言うと、ライラックはもう彼女に見向きもしなかった。行くぞ、と先を促し、そして行ってしまう。
ジャックは躊躇いを振り払うかのように頭を振り、ライラックの後を追いかけた。奴らも柔ではない、ラルウァに遭遇しても遁走する事くらいは可能だろう。ここから抜け出せれば、の話だが。

一度振り向けば、まだ動けたらしい彼女らの仲間達が、ラニティとイーエルを連れ出そうとしているのが見えた。

「迷っている暇はないぞ」

追い付いた気配を感じたのか、ライラックは振り向くこともせず言った。自分がどんな顔をしているか見てもいない癖に、こういう指摘が出来る奴なのだ。

「……わーってる」
「貴様がリダミニータ王女の執事である以上、この先嫌でも国家に不満を持つ不穏分子と衝突する。だが、それら全てに気を遣って政治が行えるはずがない」
「…………」
「貴様らはいかにそういう奴らの声を拾うのかではなく、奴らを自分達の行く先に誘えるかが重要だ。ノイモント達に、リダミニータ王女とその父は違うのだということを思い知らせてやれ。殺されてやるのは、それからでも十分だろう」
「相変わらず、言い方が過激っすねー……」

比較的地下道の崩壊がない方向、かつクーザン達が向かったのと同じ方へと通路を指示しながら、ジャックは苦笑した。
こういう時、ド正論を説き余計な情や慰めを口にしない相手の言葉は、かえって有難くもあったのだが。

地下道の崩壊を目の前で見届け、「貴様の嗅覚の出番だ」と半ば強引に犬の真似事をやらされる。
地下道でクーザン達が通った道が違ったらアウトだったが、幸か不幸か同じ出口から出てきていたらしく、すぐにザルクダの気配を見つけることが出来た。
同じ方向からセレウグと、懐かしい人物のものも感じられたが、クーザンとユキナのそれがないのが気になった。

「あ」
「ジャックー、ライー。助かったー」

それを頼りに歩いていると、荒れ果てた街中で呑気に手を振り自身を主張する人物を見つけ、苦笑を零す。奴はいつでもどこでも余裕綽々だな、と呆れるよりも先に感心してしまう。

ザルクダ達は、数人の構成員を周囲に見張りとして立たせ、真ん中で座り込んでいた。
構成員の間を潜り抜け歩み寄ると、彼の他に、懐かしい顔が気絶しているセレウグの頭を膝の上に載せ、治癒魔法を施している。
ソルクで詳しい情報を聞いていたので大体の予想はついたのだが、ジャックは敢えて問いかけた。

「お前ら、何で既にボロクソなってるんだよ」
「やー、一戦交えた後だからねー。ジャックこそ狼になってるじゃないか、ノイモントやばかったの?」
「少なくとも、貴様らよりは敵を屠ったな」
「ライラック、あまり言わないであげて。……私のせいだから」

懐かしい顔――ザナリアが、申し訳なさそうに答える。
彼女がこうして普通に俺達と話が出来ている、いやそもそもザルクダと一緒に休んでいたと言うことは、一戦とはまさにザナリア……『リスカ』とのこと。無事勝利を納め彼女を助け出せた代償に、今治療されているセレウグとザルクダの怪我、なのだろう。

「ごめんなさい」
「何を謝っている? 俺は、貴様が自主的にやっている行為以外に咎めるつもりはないぞ」
「ラーイ、そこはちゃんと言おうよ。お前のせいじゃない、ってさ」
「大体お前分かりにくいんだっての。遠回し過ぎるだろ」
「貴様らが分かりやす過ぎるんだ」

今出来る範囲で頭を下げるザナリアに、ライラックは肩を竦ませながら返す。そのあまりにもぶっきらぼうで、だが言外にお前のせいではない、と言っている男に、ザルクダと俺はそれぞれ突っ込みを入れた。

「で、どうする。セーレは起きられそうなのか?」

見た感じ、右腕を噛まれたのか出血が激しかった跡はあるが、ザナリアの回復術でだいぶマシになっているようだ。他は浅い切傷が目立つ。
問いかけられたザナリアは、うーん、と困ったように笑う。

「一応回復術は使ってるけど……あんまり無理はさせられないかなぁ」
「右腕とかか?」
「それもあるけど、どうも最初から全快じゃなかったみたいで……何でなのかは分からないけど。こんな状態で戦って、倒れた時に治癒してくれる人がいなかったらどうするつもりだったのって、起きたら言おうと思ってる」
「って言われてるけど、どうする?」

にこにこ笑顔を浮かべたまま、ザルクダが彼女から視線を下げて問うた。本当コイツ、地なのかわざとなのか分からないがえげつない、と思いつつ、俺もそれに倣う。

注目されたセレウグは、閉じていた目をあっさり開けると、とても嫌そうな顔をして口を開いた。

「……お前ら、オレで遊ぶなよ」
「下手くそな狸寝入りをするくらいならさっさと起きれば良いものを、呑気に寝こけているからだ。蹴っていないだけマシだと思え」
「バレたくなかったらもうちょいマシな寝方しろ」
「すごい焦ってたから、すぐ気が付いたよー。セレウグほんと純粋なんだから」

まだ戦いが始まったばかりでダウンしていたのが情けないのか、はたまたザナリアに膝枕されているのが恥ずかしいのか分からないが、自分達が来てからずっと狸寝入りをしていたセレウグに容赦無く正論を叩きつける。本人としてみればその全てが図星だったのだろう、何か反論しようとしたが、そのまま黙り込んでしまった。

タイミング良好だと思ったジャックは、ザルクダに先程から気になっていた事を問う。

「クーザン達は?」
「先に行ったよ。みんなと合流を急ぎたいって。ドッペルは、ユーサのところに戻ってるはずだよ」
「二人でか? いくらなんでも危な過ぎるだろ」

二人と共に先行していた、クーザンとユキナの行動に眉を顰める。この魔物とラルウァが蔓延っているエリアで、いくら倒せるとはいえ二人だけでは危険過ぎる。また、そのラルウァへの対抗手段がなくなると言うのに行かせたザルクダ達にも呆れた。

ザルクダもザナリアも、それに考え付かない奴らではないと思っていたのだが。

「そうなんだけど、二人ともあれが気になるって言って」

ザナリアは困ったように答え、指し示す。

「何だ? 靄……いや、霧?」
「魔力を感じるな……あの方面は、時計塔がある地帯か?」

それは、ジャック達から見て南西――ちょうど、他のメンバーとの合流地点になっている時計塔がある方角だ。
だが、ダラトスクの有名な建築物であるそれは全く姿を確認出来ない。他の国に比べれば住宅の高さは高い方ではあるが、塔は国一番の高さを誇る。見えないというのはおかしな話だ。

現在、その方角は黒い何かで視界を阻まれ、どうなっているのか確認し辛い状態になっていた。

と、ゆっくり身を起こしたセレウグが、まだ痛むのか右腕を抱えながら、ザルクダとライラックに視線を向ける。

「ザルクダ、ライ。ザナリアを、任せても良いか?」
「駄目よ、セーレだって怪我が」
「……ボク達は、予定通りこのまま国を回りながら、魔物を殲滅する。その前に、ザナリアを外に送る事も可能だよ」
「じゃあ、頼む」
「……セーレは?」

予想通りの発言に、ジャックは内心溜息を吐く。ボロボロになっているというのにまだ戦うつもりなのが、強い光を宿している左眼からも読み取れた。
それを止めようとするザナリアの発言に被せるように、ザルクダが答える。

そしてやはりと言うかなんと言うか、セレウグ自身の答えも予想通りだった。

「あいつらが行ったのに、オレだけリタイアする訳にはいかないだろ」

負傷した兵が戦場に残ることは、普通なら避けなければならない。そういった者は戦闘力が低下し、殺されてしまう可能性が高いからだ。優秀な指揮官なら負傷兵は下がらせ、貴重な戦力を失わないようにするのが正解だろう。
だが、セレウグ自身がここに残り、仲間達と戦うことを選ぶのなら。

「……あー、」
「面倒な奴だな」
「それがセーレの美点でもあるんだけどねぇ……」

ザルクダは既に諦めたような声を上げ、ライラックも頭を振る。二人も、セレウグという人間の頑固さと面倒臭さは良く分かっているのだ。どれだけ危険なのかを説いても、説得しても、一度決めたら曲げてはくれない。

はぁ、と大袈裟に二度目の溜息を吐き、ザルクダは口を開いた。

「分かった、任せて」
「ち、ちょっと待って! 私はまだ納得してないよ!? ここから動くなら、引き摺ってでも一緒に来て貰うわよ」

傍からから聞けば、冗談か何かに聞こえるだろう。セレウグの身長はザルクダよりもあるし、筋肉がついている分重量も加算される。
だが彼女は、男ですら両手で持たないと満足に振るえない大剣を武器にする剣士だ。あながち不可能ではない、と思えてしまう戦いぶりを、彼らは知っている。

セレウグは眉尻を下げながら頬を掻き、うん、と頷いた。誰かへの返事ではなく、自分の中でどう説得するか決められたのだろう。

「ザナリア、悪いけどこればかりは譲れない。オレはまだ、やらなきゃならないことがある。……だから、待っててくれ。必ず、戻るから」

決意は固いな、とジャックは思った。
こうなったセレウグの意志は簡単には曲げられないし、いくら危険性と代替案を説いても、余程のことでない限り撤回することもない。
ザナリアはしばらくセレウグと、彼の意志を強く映しているであろう瞳を覗き込むように見つめ合うと、やがて観念したかのように両手を挙げた。

「……言い出したら聞かないものね、クーザンも貴方も。――分かりました。ここで止めても無駄なのはよーく知ってます。ただ、ひとつだけ」

言うと、ザナリアは血が付くのも構わずセレウグの胸に顔を埋め、背中に手を回す。突然の抱擁に「え、ちょ、ザナリア?」と慌て出すセレウグの姿は、見ていて面白い。

「助けてくれて、ありがとう。でも、もし貴方の方がいなくなったら、私は誰が止めても危険に身を投げるわ。それだけは忘れないで」
「ああ。もう、お前に寂しい想いはさせないから」

おそらくは泣いているザナリアを左手だけで抱き締め返し、ぽんぽんと頭を撫でる。
セレウグは、彼女にそんなことをさせたくないと願うだろう。その意志が、意地でも彼女の元に戻ってくるという目的となって、彼を死へ誘おうとする者から救い出す。
生へと執着させるために、必要な儀式。……ではあるが、傍から見ている分にはとても恥ずかしいものがあるよな、とジャックは恨めしい視線を二人へと向けた。

「おふたりさーん、お取り込み中のとこ悪いけどもう良い? そろそろ行くよ?」

ジャスティフォーカス構成員の状態を確認し終わったザルクダの声がかかり、ようやく二人は離れる。
立とうとしているセレウグにザナリアが手を差し伸べるより早く、ジャックが手を出す。一瞬、今の姿が犬に見えなくもないので拒まれるかと思ったが、奴はサンキュ、と言って手に取り、一瞬ふらつきはしたものの無事立ち上がった。

「じゃあ、悪いけどジャック」
「セレウグに、だろ? 心得てるよ」
「え。お前、反国家の連中は大丈夫なのか?」
「……そりゃ、反国家組織の奴らの事は気になるさ。でもな、今はあいつらに構ってやれる場合じゃない」

遠ざかるあいつらの姿を思い出す。
ライにことごとく言い分を潰された姿は流石に同情を覚えるが、彼女が国家を憎む理由を知ってしまった今、無視することなど出来ない。
でもそれは、全てが終わってからだ。
戦えない主人の代わりに、この戦いの結末を見届ける。それこそが、現在最優先される使命である。
それに、そういった国家のごたごたを正すにしても、世界ごとなくなってしまえば意味はなくなるのだ。

「この戦いが終わったら、ラニティに会いに行く。そんで、これからのアンタの人生を使ってお嬢のことを見極めてくれ、気に食わなかったらその時こそ俺はアンタに殺されてやるよって言うつもりだ」
「……じゃ、勝たなきゃな」
「たりめーだ」

ハナから負けてやるつもりなんざない。ラニティや反国家の連中に決意を揺さぶられはしたが、優先順位はこちらが上で合っているはずだ。

「うし、行くぞ。ザルクダ、後は頼んだ」
「そっちも気をつけて。ドッペルは先にユーサを追いかけたはずだよ。ちゃんと帰ってくるんだよー」

どこまでもいつもの調子を崩さないザルクダに見送られ、ジャックとセレウグは先を急いだ。
まだ生きている通路を使えば、全然間に合うはずだと信じて。