第86話 開戦

エアグルス大陸で、首都が何処なのかを問うと必ず返ってくるその名前。
大都市であり、大陸の皇女が居を構えているのも大きいだろう。

その都市のゲートは、現在固く閉ざされている。やったのは恐らく、いや十中八九ゼルフィル達の誰かだろう。

「ていうか、アイツらじゃなかったら誰がやったんだよって話だし」

銃の弾倉を確認しながら、ユーサが言う。

ダラトスクのゲートに到着するのは、クーザンのいる部隊が早く、ホルセル達のいる部隊が最も遅い。移動手段が限られている以上、その差は顕著だ。

予定していた時間を少し過ぎた頃に到着していたユーサ達の部隊は、その異様な気配を漂わせるゲートから少し離れた木陰で休んでいた。途中まで共に移動していたホルセル達の部隊が到着するまで、まだ時間はあると判断したのだ。

「ま、そりゃそうか。ノイモントの奴らは普通に気にしてなさそうだしな」
「……僕からしてみれば、アイツらの神経を疑いたい所なんだけど。何でこの国に、しかもこんな時に閉じ籠るんだよ。訳が分からない」
「そりゃお前、ここ首都だし。あのリダミニータがいない今が、皇室乗っ取るチャンスじゃん」
「自分達がいつ殺されるかも分からないのに? 同じ国の中にラルウァがいる状況で、僕なら閉じ籠らずに逃亡するよ」
「あー……まぁなぁ……」

実際に数年間住んでいたスウォアは、ユーサの言い分に曖昧な言葉を返すしかなかった。異質だとは、思うのだが。

「んで? 個人的な愚痴を聞かせる為に、俺を呼び寄せたのか?」
「まさか。万が一の為に、君にお願いしておこうと思ってね」

銃をホルスターに戻し、腰掛けている岩に座り直す。

「突入したら、確実に誰かが飛んでくるでしょ? それがゼルフィルだった場合、僕に任せて欲しい」

予想通りの台詞に、スウォアはハ、と呆れて鼻で笑う。まだ付き合いは短いが、この男の奴への執着心は、恐らく仲間内の誰よりも知っている。

「一人で相手に出来るような奴じゃないの、オメーが一番分かってんだろ」
「うん。でも、アイツだけは僕がどうにかしなくちゃいけない。その時、部隊や君達を気にしていたんじゃ、満足に戦えない」
「面倒事を押し付けたいだけだろうがよ。勝算は――ある訳ないよな」

第一、そんなものがあるなら先の戦いで実行しているはずだ、と自分の発言を否定する。

金髪を掻きながら、どうすれば満足のいく戦いが出来るかを考えてみる。
スウォア自身は、輝陽にいる時でも下に指示を出す、という役目はなかった(そもそもそういう指示を聞く部下はいなかったが)。どちらかと言えば、自分もユーサと同じ、周りを一切気にせず戦うバーサーカータイプだ。悪く言えば、敵に向かって返ってこない弾丸のような。

やはり周囲を気にせず戦えるのが一番だが、こちらにいるメンバーで部隊をまとめられそうな人物は――スウォアの見解では――いないと思われる。

恐らくユーサもそう考えたからこそ、こうしてスウォアに頼んでいるのだろう。

ふぅ、と一息吐く。

「わーったよ。ただし、俺がヤバいと思ったらそっちにも介入する。それが条件だ」
「虐め? それとも情け?」
「ちげーよアホ。お前、ほんと他人信用してないのな」

口をへの字に曲げながら、スウォアが言う。
すると、ユーサはそっぽを向いたまま、声に僅かな怒気を載せて返す。

「君には言われたくないよ。少なくとも、君よりはこちらにいる期間は長いんだから」
「信頼と協力はちげーよ。お前がやってんのは、目的が同じ者への情報共有、利害一致からくる共闘だろ。現に、昨日お前が内情話すまで、アイツらがお前に頼った事があったか? 情報じゃなくて、戦闘の最中――切羽詰まった状況の時にだ。人間ってモンは、そういう時にこそ本質が現れやがる」

そう言えば、ユーサは蛇も怯みそうな鋭い視線を向けてきた。まるで手負いの獣だな、と肩を竦める。
そんな相手に何を言っても無駄だ、と早々に判断すると、スウォアは木陰を探して歩き始めた。

「もう良いわ、教えてやんね。自分で考えろや。とにかく、ヤバくなったら俺は突っ込むからな」
「……散々説教めいた事だけ言って、逃げるの?」
「逃げる? 何からだよ」

心底、笑いが込み上げてくる。全く、この男は鋭いようでいて鈍感なのか。

「俺は、手前がやるべきと思った事から逃げない。言うべきだと思ったから言ったまで。それに伴う相手のアフターケアまで、面倒見切れねぇよ」
「随分はっきり言ってくれるじゃないか……その通り、なんだけどさ」

いつ我を失うかと言う絶望感と、もう長年共にしてきたのだ。
その時にやらなかった事で後悔しないよう、スウォアは常に、考えたら即行動を心情としていた。
バトルトーナメントのあの少年より、自分はラルウァと接触する機会が多かった。故に、いつ自分が自分でなくなるかという可能性も高かったのだから。

ユーサの答えに、スウォアは返す事もせず歩き出した。

一方、こちらはクーザンのいるザルクダ部隊。

「ところで、国にはどうやって入るつもりなんだ? 俺が思うに、アイツらの事だからいつも通り穏便にって訳にはいかねぇと思うぜ」

ゲートのものだと思われる鍵が付けられた銀輪に指を通し、くるくる回しながら、ジャックが問う。そばには、クーザンとセレウグがいた。

ノイモントが国を閉鎖し、それを利用したゼルフィル達。中にいるのはそう言った奴らなのだから、当然何かしらの策を用意しているのだろう。

と思っての発言、だったのだが。

「正面突破だけど?」
「はい?」

粗野な言葉遣いの執事と罵られる事さえあるジャックでも、思わず敬語が飛び出す。

作戦の打ち合わせには、クーザンも呼ばれて参加していた。その為、他の構成員の対応に忙しいザルクダ以外に作戦を知る、唯一の人間だった。

「一筋縄でいかないのは承知の上。なら、潔く正面からノックしてやるんだ」
「お前、それじゃ相手に見付けて下さいって言ってるようなものじゃねーの?」
「それが目的の一つ。相手にわざと、俺達の存在を知らせる」

この説明の仕方だと、正面突破という無謀な作戦を提案したのはこいつか。
何となく察したジャックは、そのままクーザンの話を聞く。

「例えば、二人が家に閉じ籠る引きこもりだとして。突然玄関で凄い音と怒鳴り声が聞こえたら、どうする?」
「あー……まぁ、出て行かないにしても気になって仕方なくなるだろうな」
「オレは、部屋から出て状況把握に来るかな。余程不慣れな盗人か、はたまた失礼な客人か確かめる」
「そういう事。相手はあいつらだけじゃない、ノイモントの面々も潜んでる。隠れられていたんじゃどうしようもないから、向こうから出て来て貰うんだよ」

何でもない事のように答えるクーザンだが、作戦としては単純明快、そして危険でもある。
ノイモントの連中ならまだいい。だが、それにより一緒にラルウァが釣れてしまう可能性を孕んでいるのだ。
それに、隠れている者を炙り出すなら、生半可な騒動ではそう簡単にはいかないだろう。最悪――。

「……それ、ジャスティフォーカスのおっさんとかユーサとか、納得したのか?」
「ユーサは同意してくれた。ハヤトさんは、国の建造物を破壊するのを嫌がられたけど、最終的には同意貰ってる」
「どっちにしろ、ラルウァ共の攻撃で国は破壊されてるだろうけどなぁ……」

全て覚悟の上、か。
国民の大事な資産を犠牲にしなければならないのには気が引けるが、そうでもしなければどうしようもない。
ジャックは溜息を吐き、頭を掻いた。

「仕方ないだろう。確かに有効な作戦ではあるしな」

丁度同じタイミングで、クロスとホルセルも今回の作戦について話していた。
目指すポイントまであとわずか、隊列は崩さぬよう慎重に動く。

「つっても、オレらがまさか国を荒らす事になるとは……」
「ハヤトさんも同じだろう。だが、どのみち無傷で国を奪還するのは不可能に近い。少し位なら大丈夫だ」
「破壊に少しも何もないだろ……」

もっともな突っ込みを入れつつ、ホルセルは地面を覆う蔦を跨ぐ。足元は悪く、旅慣れしていない者ではもっと時間がかかるだろう。

「罪悪感が邪魔をするなら、お前は見ていれば良い。元より、こういった汚れ仕事は俺達の役目だからな」
「……んな訳にはいかねぇの。決心がつかないだけだよ」
「それが、当然の感情だ」
「よし、見えたな。ダラトスクのゲートだ」

先頭を進んでいたハヤトの声が、二人のやり取りに終わりを告げた。
そちらを見れば、成る程確かに、見覚えのある城壁が木々の隙間から覗いている。

「伝令がいると言っていたな? こちらの陣営も到着した旨を伝えてくれ」
「あいよぉ」

彼が振り向いた先にいたユーサが、敬礼をしがさがさと木陰に隠れる。
そのまま、気配を消した。影に隠れて、別の陣営へと向かったのだろう。

「……ハヤトさんがあいつの正体知ったら、間違って倒しそうだな」
「黙っておけ」
「突入までは時間がある。皆、それぞれ休息を取ってくれ」

ハヤトの指示により、構成員達は思い思いに休憩に向かう。険しい道を通ってきた直後に突入では、流石に身体が持たない。そう判断した上での指示か。

「じゃあ、オレも少し仮眠してこよ。クロス、お前も少しは休んでた方が良いぜ」
「分かっている。……しかし、本当にリルを連れて来て良かったのか?」
「だって、連れて来ないと自分でついて来るって言って聞かねぇんだもん。アイツ、一体いつからあんな強引に……」

昨日、最年少のリルを、どうするのか話し合った。
最悪の場合も考えられる場所に連れてはいけない、とホルセルも彼女をリダミニータ達に預ける事を望んだが、当の本人が頑として首を縦に振らず、結局今、視線が届く場所でエネラと談笑している。
無理矢理置いて来る事を考えなくもなかったが、ジャスティフォーカス本部突入組が揃って「止めておけ」と言うものだから、それに従うしかなかったのだ。

妹の強引さに、ほとほと呆れるホルセルを一瞥し。

「いつからと言うより、俺は遺伝だと思っていたがな」
「何か言ったか?」
「さぁな。気のせいだろう」

言い出したら頑として首を縦に振らず、自分の信じる道を貫く。
誰に似たのか、という答えの分かり切った疑問に敢えて口にせず、クロスは代わりにホルセルの頭を小突いた。

■■■■■

「う……あ」

くるしい。
いたい。

あまりのその感覚に、己の首を己で締め付ける。
それでも、痛みは引くどころか逆に増し、更に手に力を込める。首の皮膚を剥ぎ、薄っすらと血が滲むが、本人がそれに気付く余裕はない。

動悸が激しく脈打つ。頭に、脳内に響く。
それらから逃れたくて、気を逸らしたくて、更にまた手に力が込められる。

いっその事、気絶せぇや――他人事のように、脳内の自分が呟いた。
うるせぇ。出来る事ならやっとるわ、阿呆。

『なら、お前は寝ているが良い』

誰かが囁く。
同時に、あれ程痛みに向けていた意識がぼんやりとなっていき、何もかもが自分から遠ざかって行く。まるで、自分が鏡の中に閉じ込められ、世界から切り離されたかのように。

――もうええ。

ようやく訪れた、安息への手招き。
彼はそれに逆らう事もなく、意識を手放した――。

「サン、飯持って来てあげたわよ。感謝なさい」

ノックもせず、バタンと扉を開ける。両手が食べ物の載っているお盆で塞がっているのだから、仕方ない。

部屋は、真っ暗なままだった。
必要最低限の家具と、扉の正面にベッド。そこには、明らかに人がいるであろう丸まった毛布がある――と、部屋から出てこない同胞に即席の食事を持ってきた彼女、キセラは予想していた。

だが実際には、丸まった毛布など存在せず。
現在の部屋の主は、ベッドの縁に腰掛け、唯一の窓をぼんやりと眺めている、ように見えた。
予想の外れたキセラは、溜息を吐き問いかける。

「……? アンタ、起きてたの? そうならそうと返事位――」
『来る』

二重に響く声。
キセラは思わず体を強張らせ、動きを止める。

『アイツらが、来る』

瞬間。

ダラトスクの国中に響くであろう轟音が、何処からか響いた。音は建物にぶつかり、軽く足元を揺らす。

「な……何の音よ!?」
『そこの女』
「何その言い方! アンタ、アタシを幾つだと――」
『時間がない。早急に、事を進める。貴様らの頭に、そう伝えろ』

有無を言わせぬ雰囲気に、普段の彼とはまるで正反対な、冷たい目。
それらに怯んだキセラはぐ、と口を噤んだ。いくら目の当たりにしても、少しも慣れないものだ――そう感じながら。

   ■   ■   ■

その轟音は、クーザン達の元にも届いていた。
いやむしろ、近い。何故ならそれは、彼らが待機しているゲートの方角で起こっていたからだ。

「クーザン!」
「今国にいるのは、ノイモントとゼルフィル達だ。そいつらが起こしたのは間違いない。なら、目的は……」

ジャックが言わんとしている事は、クーザンもすぐに分かった。

「俺達を、呼び寄せるため?」
「その可能性もある。だが、俺はこう考える。ノイモント限定だが……お嬢への、見せしめだ」

ギリ、と歯軋りをし、彼はゲートを睨み付ける。忌々しい、くだらない、腹ただしい。そのどれが、今の彼の心情を表すのに一番か、分からない。

「こうして国を無差別に破壊すれば、お嬢は間違いなく後先見ずに飛び出す。でなくても、俺はアイツらに存在を知られてる。とにかく、どちらかが来ると予想はしているだろうな」
「じゃあ、今突入するのは……」
「いや。わざわざあちらさんが誘ってるんだ。どのみち時間だし、突入してやろうぜ」

その時、クーザンはジャックの目を見て、たじろいだ。
獰猛な、獲物を見つけたと言わんばかりに爛々と輝く目――まさしく、獣の目だ。
あまりに人間臭いので忘れがちなのだが、ジャックは人狼なのだ。人間であり、人間と異なる生物。

クーザンがその事実を再確認しているとは露知らず、彼はその場でザルクダ達を呼ぶ。

「あらら……ジャックの奴、キレてるね」
「あの様子だと、敵に遭遇した時は容赦しなさそうだな」

自分より彼と付き合いのある二人がそんなやり取りをしているのが聞こえて、クーザンは確信した。
ジャックから、目を離すべきではない、と。

夕刻――逢魔が時。

人の気配が消えたダラトスクの街で、再び破壊音が轟く。
負傷者が出るはずもないが、ゲートの全てが完膚なきまでに破壊されていた。

外敵の侵入を防ぐ目的で造られたそれは、決して脆くはない。
にも関わらず、無惨に瓦礫と化す衝撃を加えるといとも簡単に崩れてしまった。
――と言えば、数年がかりで立てたであろう建設業を生業とする人々に殺されそうではあるが。

そうして侵入した首都ダラトスクは――はっきり言って、酷い有様だった。

先のゲートのように、いやそれ以上に瓦礫と化した住居。
本来なら軒先を綺麗に飾っていたであろう、踏み潰された状態で干からびた植物が並ぶ花壇。
毎年人で賑わう舗装された大きな街道に散らばった生活必需品、硝子の破片、木材の残骸。
そこかしこから漂ってくる負の気配に、ザルクダが眉根を寄せる。

「ひどいね」
「アブコットよりも被害は甚大だろうな。生きているものの気配が感じられない」

街道を踏み締めながら、一同は進む。
ジャックがいるこちらの部隊は、王族のみが知る隠し通路を通り、時計塔に向かう手筈だ。

何故城ではなく、時計塔を目指すのか。
それは、暫くシャインの根城にいたユキナの「すごく高い所で、お城が見えていた」という発言からくる。
また、バトルトーナメントで出払っている隙を狙っていたのなら話は別だが、王族がいる場所に本拠地を据えるのは考えにくい。

逆に、反国家勢力をどうにかするのなら、城に向かうのも一つの手だろう。
奴らが欲しているのは、自分達の要求が容易く通る権利。それを簡単に主張するには、王族の住居である城を占拠するのが一番だ。

打ち合わせにより、反国家は取り敢えず後回しにする事に決まった。
国をどうこうの前に、世界をどうこうの方が圧倒的に重要だからだ。
よって、他の者達とも時計塔、あるいはその周辺で落ち合う予定となっている。
滞りなく進軍出来れば、の話だが。

「!」

先頭を行くクーザンが、さっと右手を上げ皆の歩みを止める。
誰もが怪訝な顔をする中、彼だけは視線の先を睨み付けていた。

瓦礫の山。
半壊した建物の中。

――いる。

「ああ、負の気配に呼び寄せられて来ちゃったんだね」
「にしても、これは……」

こちらが気配を察知したと気が付かれたのか、隠れていた何かの目がぼんやり輝く。獣系の、魔物だ。
一対の目が光ったのを合図に、周囲から一気に殺気が立つ。いつの間にか、囲まれている。
ざっと見たところ、ラルウァはいないようだが――用心するに越したことはない。

腰の剣の柄を握り締め、引き抜いた。
グラディウスと似て非なる美しさを持つその剣は、淡く発光している。

「ユキナ、サポート頼んだ」
「うん!」

彼女を始め、後ろで待機している者達も各々の武器を構える。

「――ウィンタ、頼んだよ」

小さく呟いたその声に応えるように、彼との約束の証である剣――クラヴィスと名付けられた剣は、一際強く輝いた。