第84話 決起の時 

「まず、貴様等に私の最終目的を伝えておこうかの」
 ビューは手に持つ扇子を口に当て、微笑を伴いながら口を開く。
「軍課のトップを偽り、裏で奴らに手を貸していたマーモン=クラティアス。奴に制裁を与えると共に、この大陸を脅かす危険分子の排除。もしくは……永久追放」
 スパン、と派手に音を立てて扇子を閉じ、そのまま机に叩きつける。乾いた音が、大聖堂の良く響く空間にこだました。
「奴のような者を生かしておくのはまずいのではないかと言う者もおるだろうて。だが、実質死刑を与えたくとも与えられない理由がある。――私ら組織の連中は、敵の本質を知らなさ過ぎる」
 確かに、ジャスティフォーカスはシャイン――ゼルフィル達の後手に回っている。先の事件の首謀者を人員が把握していない事からも分かるように、情報を得られる機会すら相手の方が恵まれているのだ。イタチの追いかけっこの如き状況では、何も解決しない。
 ならば。クーザンは、総帥が何をしようとしているのか何となく察しがついた。
「ならば、だ。手っとり早く知るどころか、それを利用し戦略と出来る方法がある事は分かるな? のぅ、ホルセル」
「……へ?」
 突然話を振られたホルセルは、ぽかんと口を開け声を上げる。ああ、分かってないんだろうなと容易に分かる反応に苦笑し、だが答えない事にした。どうせ、続きは総帥が言うだろう。
 予想通り、ビューは意地悪にも妖艷にも見える笑みを浮かべ、続けた。
「そこにいるホルセル=ジング以下数名は、我らよりも遥かに件の糞虫共と剣を交えておる。ジャスティフォーカスの中では勝る者はおらんだろうて。よって、宣言しよう。これより我ら組織は、貴様の指揮下に入る命を下す」
「………………はああぁ!?」
 当人を筆頭に、大聖堂全体が騒然となる。予想通りの台詞だったクーザンとしても、まさか本当にそうなるとはと思っているのだから、予想していなかった者には驚愕ものだろう。
「ちょ、ちょっと待てよ!? おおおオレが!? 何で!?」
「ホルセル、言葉遣い」
「何でオレが総帥やハヤトさんの上なんですか!? いやそもそも、オレなんかよりコイツの方が」
「ホルセル、これは命令じゃよ? 従わなければどうなるか――分からぬお主ではなかろうて」
 脅しだ。きっと、この場にいる全員が思っただろう。
 あまりにも突拍子のない台詞に、普段ならすぐさま厳しい言葉を発するであろうギレルノや、ユーサまでが呆気に取られ言葉を失っている。唯一、クロスは普段通りだが――あぁ、成程。
 数瞬の騒動の後、視線がクーザンのいる一角に――正しくはホルセルに集まる。うへぇ、止めてくれよ。目立つの苦手なんだっての。今にもそう叫び出しそうな表情で助けを求めるかのような視線を感じたが、ここは黙って成り行きを見守る事にした。
「貴様に話を聞くより、貴様を筆頭に置いて指示を出させた方が効率も良い。そう考えたからこその判断じゃ。困った時には此奴でも使えば良い」
 そう言って示したのは、ハヤト。彼ほどの人物を「此奴」呼ばわりする総帥に、若干の恐れを抱く。
「……で、でも、総帥。ホントにオレで良いのか?」
「我が言うたのじゃ。クロスでなく、ホルセルに指揮をさせろとな?」
「…………」
 ホルセルは恐らく、嫌だからここまで拒否しようとしてるのではない。組織で虐げられた事もあった自身が、果たして構成員達に受け入れられるのか……と考えているのだろう。
「それだけではない。ジャスティフォーカスの構成員も、先日のピォウドドームの一件で少なくない犠牲を出した。現在、最盛期の三分の二になっている訳じゃが……」
「ビュー総帥、そこは俺が続けよう。――人員不足の為、バトルトーナメント参加者や大陸の人間に協力者を募った。結果、臨時として平常時の人数を確保出来た。入ってくれ」
 ハヤトの声の直後、大聖堂の扉が音を立てる。一堂が注目する中入ってきた人々は、見覚えのある人物もいれば見知らぬ人物もいた。
 あっ、と横にいるリレスが声を上げる。視線の先を見れば、そこにはシアンを始めとしたエルメスのメンバーが。別の方向には、レンやバトルトーナメントで戦った人物も。皆、大陸で好き勝手やる奴らが許せないのだろう。
「また、別方向からのサポートを申し出ている者達も後を絶たない。武器の研磨はもちろん、道中の医療、食や防具調整のスペシャリストまでいるからな。そして――」
「会議中、失礼する!」
 バァン、と更に乱入してきたのはこれまた知り合いで、執事服の青年だった。彼もまた、近衛隊の指揮の為ピォウド脱出の前に別れたきりだった。ジャックは珍しく焦ったような表情で、ひな壇に立つビューとハヤト、大聖堂の構成員、その場にいる人間全員に聞こえるように叫ぶ。
「近衛隊から伝令だ! 現在、ダラトスク国は正体不明の怪物の巣窟と化している! 近衛隊の選抜が突入したが、伝達後連絡が途絶えた!」
 ざわ、と空気が揺らいだ。近衛隊は、言わばこの大陸でもトップの軍隊。その選抜隊が今、安否不明と聞いて戸惑わない訳がなかった。
 しかし、悪い報せはまだ続く。
「また、その影響を受け各地の魔物が凶暴化しているという報告を受けた! ジャスティフォーカス総帥殿、早期の事態改善案に努めよ!」
「ダラトスクの兵から伝令は?」
「こちらから応答を要求しても、反応がない。ただ」
「ただ?」
「通話先から、魔物の鳴き声と思しき咆哮が聞こえた、と伝令の担当が怯えていた」
「もしやそれは、最悪な状態じゃないか」
 聖堂にいた構成員達から、動揺の声が上がる。国ひとつが混乱に陥れられた――それだけでも衝撃的であるのに、更にそれを行ったのは正体不明の魔物だと言う。今のこの大陸で正体不明の魔物。間違いなく、ラルウァの事だ。
 つまりは、
「……動く」
 ホルセルが、ポツリと呟く。その声は、覚悟に満ちていた。
「ジャスティフォーカスのみんな――戦いの準備を進めてくれ! 敵が動く前に、こっちが先に動く。囚われたダラトスクの住人の救出を――そして、決戦だ!!」
 決戦と聞いて、引くような臆病者は組織にはいない。まだ事態について行けていない数名以外の、ハヤトを慕う構成員や屈強な者達は、ホルセルの宣言に咆哮を上げた。

 出立の時が早まった事で生まれる支障を少しでも無くそうと、構成員達は我先にと戦いの準備をする為に方々に散っていった。本来ならばそのような、下っ端が率先して動くべきである立場であるはずのホルセルは、そんな彼らを見ながら申し訳なさそうに口を開く。
「……やっぱり、思い切り過ぎたかな」
「言うじゃねぇかホルセル。ま、あれ位じゃなきゃ面倒くせぇ奴らも納得しなかっただろうよ」
「うんうん、格好良かったよ! ホルセル!」
 ネルゼノン、エネラに賞賛の言葉を向けられても、ホルセルの表情は堅いまま。
「……何が正義で何が悪なんてさ、オレには分からないけど。でも、やっぱりオレは……今この時も、死にそうで困っている人達の助けになりたい。それだけは、変わらない」
 その辛さは、もう味わいたくない。アブコットでの出来事が余程効いたのか、声に込められた意志は強い。
 輪から外れたクロスは、誰にも届かないほど小さく言葉を紡いだ。
「……十分だ」

   ■   ■   ■

 ジャスティフォーカスの集会が終わったその足で、一行は宿屋に向かった。
 宿屋と言っても、彼らが借りているそれではない。その宿屋はソルクいちの有名旅館として名を馳せており、数々の著名人が訪れた証としてサインを残している。趣のある外装と内装はエアグルスの庶民が好み、誰彼と構わず優雅な格好でそこらを闊歩していた。
 一方で、庶民的ではあるが公的な雰囲気もある。往来する人々はいずれも正装、或いはそれに匹敵する身なり。もしこの中に旅人がいたら、それこそ目を疑うかもしれない。そのせいか、先程からホルセルとアークの二人はカチコチに緊張してしまっている。
 さて、そんな一級旅館に部屋を借り滞在する人物と言えば。
「ジャック!」
「よぉ、無事で何よりだ」
 先に帰還していたジャックに出迎えられ、ユキナが声を上げる。大聖堂では話しかけられる雰囲気ではなかったので、一行はとある伝言を頼りにこの場所を探し、彼らとの接触を試みたのだった。
 そのとある伝言とは、ピォウドドームからの脱出の際に遭遇したレイリと言う青年から言付かったもの。
 彼はハヤトの元部下だったらしい。レイリに一番に気が付いたハヤトが声をかけ、彼はクーザンの事を尋ねてきた。当時戦意喪失し気絶していた当人の代わりにクロスが伝言を預かり、今ようやくそれが叶えられたのだ。
 伝言の内容そのものは、ごく簡潔だった。簡潔過ぎて、ごく一部の者は話を聞いた時不服そうな視線を向けていたものだ。
「キミ、もう少し伝言の内容どうにかしなよね。『ソルクにいる。さっさと来い、姫と羊』なんてさ。場所を具体的に言え」
「分かったからここにいんだろ。ならいいじゃねーか、ケチくせぇ」
「ケチとかじゃないでしょ。伝言が伝言を成してない」
「あーはいはい分かりましたよ、これからはきちんと場所を伝言してやんよ」
「見事なまでの棒読みで言われても信用ならない。それに、君の『お嬢』がリダミニータ=ル=エアグルスなんてこの前初めて知ったんだけど」
「はいは……え? お前知らな……あぁそうか、ザルクダ達とは一緒じゃなかったものな。悪かったな」
「三回回ってワンで承諾と謝罪の意を示せ」
「俺は、犬じゃ、ねぇ!!!」
 ユーサとの舌戦にも一歩も引けを取らず、向けられた発言にすっかり耳に染み付いた突っ込みを口にした。ジャックが溜息を吐きながら、背後の扉をくいと指し示す。
「まぁ、立ち話でも何だし、入れ。余裕で入んだろ」
「そうだな。何処で誰が見てるかも分からん」
「おじゃましまーす」
 リルの元気な声を合図に、促された一行はジャックが促した部屋に入室する。これまた見事な内装に圧倒されながらも、それぞれが自分のポジションを見付け出す。流石にソファや椅子は人数分ないので、譲り合いに少し時間を食ったが。
「ジャック、聞きたい事が――」
 落ち着いたのを見計らい、クーザンはジャックに声をかける。だが言下しないうちに、彼は手のひらをこちらへ向け制止した。
「わーってる。ダラトスクの話だろ。でもちょっと待て、まだ揃ってねーから」
「揃ってない?」
 怪訝に思い、彼の台詞を反芻する。ここには、共に戦って来たメンバー全員と、ジャックがいる。一体他に誰が来ると言うのか――。それを問いかけようとしたその時、
「お待たせ致しまし……きゃあぁ!?」
と、悲鳴が聞こえた。
 振り向けば、そこにはユキナが――いや、彼女にそっくりな人物が、たまたま近くにいたクロスに抱えられていた。抱えられているとは言ったがその体勢はおかしく、つまづいてバランスを崩したところを助けられたといったところか。
「何をしているんだ、お前は」
「ふにゅうぅ……ありがとうございます、セクウィ」
「だから気を付けて歩けっていつも言ってんだろ。このドジっ子姫」
「言い返す言葉もないです……」
 そんなやり取りを目の前で交わされているが、当人達以外は驚きでしばし固まっていた。何故なら、そこに現れたのは、
「り……リダミニータ様ぁ!?」
 バトルトーナメントの開会式で、特設されたバルコニーに立ち大人顔負けの演説をこなしたエアグルス大陸唯一の王族――エアグルス家の御令嬢、リダミニータ=ル=エアグルスその人だった。クーザンはあまりの驚愕に叫んだユキナの背中を小突き、黙れ、と視線を向ける。
 しかし、リダミニータはそれでこちらを振り向き、瞬間ぱあぁ、と満面の笑顔を浮かべた。クロスに礼を告げつつ、小走りでユキナに近寄ると手を取る。
「貴女がユキナさんですね! 初めまして、私、リダミニータと申します! リニタと呼んで下さいまし!」
「え、あ、ええぇ!? あ、あたしなんかがそんな大それた事……!」
「気にしないで下さいまし! ああ、ようやくお会い出来て嬉しいですわ!」
 ユキナからすれば、まるでドッペルゲンガーと相手しているように感じる事だろう。端から見ているこちらでさえ、本物がどっちだったか脳が混乱しかけているのだから。しかし、両方とも人間なのだ。世の中にはそっくりな人間がいるとは言うもののここまで似ていると、最早服装が同一のものなら見分けがつかないだろう。
「それに、貴方も。あの時以来ですね、ご無沙汰しております」
「ああ、うん。ジャックが打ちのめされて、負け犬の如く死にかけた時以来だね」
「だから……!!」
 余程根に持っているらしい。突っ込みかけた彼だが、このままでは埒があかないと判断したのか一人テンションの上がるリダミニータの首根っこをひょいと摘み上げる。むぅ、と咎めるような視線を気にも留めないジャックが、ひとつ咳払いをし口を開いた。
「さて、全員揃ったとこで説明させて貰うぜ。分からねぇとこはテメェで考えろよな。お嬢は暫く聞いとけ」
「分かりました、ジャック」
 無責任な事を言いつつ、ジャックが手に持っていた紙をテーブルに広げる。少し距離のある場所にいた数人が、それに釣られて近寄って来た。地図だ。面積の割には所狭しと並んでいる建物が印象的な、ダラトスクの国の詳細が書かれている。
「まず、ダラトスクの現状についてだ。あの都市は今、大陸の歴史でも最悪の状況に陥っている」
「ラルウァが大量発生って、本気? 生きている住人がいるビジョンが浮かばないんだけど」
「俺もだ。……けど、確実にいないとも言い切れない」
 ユーサが開口一番に、実は皆密かに思っていた事を告げた。《月の力 フォルノ》を介した武器か攻撃でないと、大したダメージすら与えられないラルウァが大量に。考えただけでも恐ろしい。普通の人間ならまず間違いなく、逃げる間もなく殺されてしまうか、仲間に引き入れられてしまうだろう。
 しかし、ダラトスクにはたくさんの住人がいる。その全員がその結末を迎えているのかと問われれば、そうだとは言い切れない。言っている事は分かるのだが――、やはり、最悪の光景しか思い浮かばないのは事実である。
「それと、タスクもな」
 ぽん、とユーサの肩に手を置きながら、ジャックは言った。何故ここでその人の名が出るのかと首を傾げたクーザンだが、その直後背中に悪寒を感じた。
 何故なら、ユーサはこれまでに見た事がない程の嫌そうな……いや、憎らしそうな目付きになっていたからだ。多分、人を殺せる――銃を構えなかっただけマシなレベルだ。
 当然ながらジャックも一瞬怯んだようだが、負けじと睨み返した。恐らくここにいる者で、ユーサ相手にそんな返し方が出来るのは彼だけだろう。
「お前、こいつらに話してやってないんだろ? いい加減意地張ってないで、タスクの事話してやれよ」
「そう言われれば、お前は何かと俺達の内情を面白そうに聞いているだけで、自分の事はさっぱり話さないな。何かあるんだろう? 例えば、ゼルフィルとか、な」
「アタシの弓についても、何か知っていそうな口ぶりだったわよねぇ? 結界も、何らかの形で携わらなきゃそうとは分からないでしょう。アイラとかいう精霊とも知り合いのようだったし?」
 ジャックに便乗し、ここぞとばかりに問い詰めるような事をするギレルノとサエリ。過去の話を弄られたギレルノはともかく、サエリは単純な興味のようだが。
 気が付けばユーサの導く通りに動いていた一同だが、彼自身の雰囲気がそうさせたのか、はたまた性格を考えた上で敢えて聞かなかったのか。セレウグ以外のメンバーで、彼の事情を知っている者はいなかった。
「ユーサ」
 そのセレウグも、ユーサに味方しなかった。思えば、初めてユーサと会った時セレウグは彼を止めようとしていた。仲間として動いていたなら当然だとは思うのだが、あれは彼の事情を知らなければ出来ない行動だと思える。
 促されるように名を呼ばれ、彼ははぁ、と溜息を吐く。ヒラヒラ両手を上げ、降参の意を示しながら。
「分かったよ。ここで黙りなんかしたら、目的も達成出来なくなるもの」
 正直、驚いた。ユーサという人物は、誰かに説得されて動くような人間ではない印象を抱いていたから。彼はふんぞり返るように腰掛けていたソファから腰を上げ、向けられている視線全てを受け止める。
「僕は、本来生を受けるはずがなかった者。存在しない存在、だよ」
 《存在しない存在》。それはいつしか大陸の住人達が呼び始めた、タスク=シトリン――またの名を黄水救と言うが――を指す異名だ。だがそれは、あくまで大陸の住人達が勝手に呼んだもの。最初に誰がそう称したのかは知らないが、彼らもまさか本人達が使うとは思ってもいなかっただろう。
「僕とゼルフィルと、そしてタスクは、本来生まれてくるはずはなかったんだ。それが、理を捻じ曲げてしまい、不安定な状態でこの世に堕とされた」
「不安定?」
「ゼルフィルは半ラルウァだが……まさか、オメェもとか言わねぇよなぁ?」
「人間ではあるよ。ただ、魂が不完全なだけ」
 トン、と自身の心臓の辺りを指差し、スウォアの問いに答える。ギレルノは直ぐには思い浮かばなかったようだが、ゼルフィルと共に行動していた彼は「不安定」という言葉が指し示す意味に気が付いたようだ。
 魂が、不完全? イマイチ現実的でない台詞に、まだ飲み込めていない者も多い。
「僕ら三人は、元はひとつの人間の魂だったんだ。トキワ=アエーシュマと言う人間のね」
 トキワ=アエーシュマ。ディアナ率いる神官達の中枢とも言えるポジションで彼らを支えていた、若き銃士。人間でありながら精霊達との繋がりも強く、時に他種族の紛争をたった一人で鎮圧する力を持つと言われていた。
 と言う事は、ユーサが使う銃もまた、過去を語るに必要なものなのだろう。今の文明と比べても高火力であるそれは、当時ならばどれだけ脅威だっただろうか。
 しかし、まだ分からない事はある。
「じゃあ、何故ゼルフィルだけ半ラルウァなのか? 簡単だよ、元々堕ちるはずだったのは僕とタスクだけだったんだ」
「……神に、背いた故の分離」
 分からない事の筆頭であった『何故ユーサとタスクはノウィング族として存在しているのに、ゼルフィルは半ラルウァなのか』という疑問にユーサ自身が切り込んだ。彼の話した通りであれば、ゼルフィルもまたノウィング族として存在していても良かったのではないか。一人だけ異なる存在となった理由、そんなものがあるのだろうか。
 その答えをくれたのは、ユーサではなかった。ぽつりと呟かれたそれに、彼は目を見開きながら頷く。とりあえず、自分の話を終わらせる事にしたらしい。
「その通りだよ。僕は死ぬ間際、ソーレを道連れにしようと自爆した。それが彼には我慢ならなかったんだろうねぇ、お陰で水には嫌われているよ。そして、無理矢理魂を切り離されて、それを依り代に作られたのがゼルフィル」
「あぁ、だから本物《オリジナル》に模造品《レプリカ》なのか」
 一人納得したように、スウォアが言う。何の事だか分からないメンバーは目を白黒させているが、ユキナだけは彼と同じように「そっか」と呟いた。
「ゼルフィルは不完全なお陰で、本体である僕らを取り込もうとしている。そうすれば、自身が完全体になれる――そう信じている、と思う」
「思う?」
「あの馬鹿の言ってる事なんて聞いてられない。大抵聞き流してるから、ほんとのとこどうなのかは知らないし知る必要ない。今話したのだって、あくまで僕の推測なんだ」
 ケッ、と吐き捨てるような顔で言いのけた。本当に嫌っているのだろう。
「……そんな訳で、タスクはザルクダ達がダラトスクに向かった隙に襲われて、捕まった。その前までも、何かとちょっかいは出して来やがったんだけど……あの時は、少し様子がおかしかった気がするなぁ。何が何でも、タスクを捕まえるつもりだったんじゃないかな」
 小難しい話にひと段落ついたのか、テーブルに置いてある飴をひとつ口に放る。今からでも飲み物を用意した方が良いか少し悩んだが、ここは自分達の借りている宿ではない事を思い出し諦めた。
「その、タスクという者は?」
「分からない。馬鹿が言うには取り込んだとか言っていたけど」
「大丈夫!!」
 唐突な大声。鼓膜に響く、不快感は感じない声は、ユキナのものだ。彼女は胸の前で両手を握り込みながら、ユーサに言った。
「あたし、会ったよ! あいつらに捕まってた時、タスク兄に会った!」
「あぁ、まだ生きてるぜ。アイツ」
「……本当?」
「うん!」
「俺がソイツと会わせた。だが、急いだ方が良いのは確かだな。ちょいと前の話だし」
 二人が言うには、ほとんど出かけないゼルフィルが拠点を留守にした時、タスクと会ったらしい。時期を聞くと、クーザンは直ぐにゼルフィルが出かけた理由に思い当たった。
 しかし、無事と言う訳でもないらしい。彼はアークやレッドン達がいた牢よりも更に奥に捕らえられているそうだ。知り合いの無事を知らされ、セレウグもひっそりと胸を撫で下ろしたようだ。クーザン自身もタスクには色々世話になっている分、無事と知って安堵する。
 ユーサはとさっ、と暫しの別れを告げていたソファに、力が抜けたように腰掛ける。群青色の髪をぐしゃぐしゃ掻きながら、口元を綻ばせた。
「……はは、そっか」
 その一言に乗せられた想いは、恐らく本人は気が付いていないだろう。だが、少なくともそれを聞いた者には、彼がどんなにタスクの事を心配しているのか、分かったような気がしていた。
「希望は見えたか、ユーサさんよ」
「うるさいな。見れば分かるだろ」
 ジャックがニヤニヤと意地悪な表情を浮かべながら、問いかける。普段の二人と逆の行動に、彼もまた仕返しが出来たのだろうとふと思う。
「でも、だからって何も解決しちゃいない。僕はタスクの安否を確認したかった訳じゃなくて、助けたいんだから」
「ごもっとも。この先どう動くべきかだな」
 あくまで助けたい相手の直近の情報を手に入れただけ、とユーサは気持ちを改める。他人に厳しく意地悪な人、という印象が仲間内では根付いていたが、他人だけじゃなく自分にも厳しい人なのかもしれない。
「……で。僕の話は終わったよ。次は、君がどうして僕の事情に察しがついたのか聞かせてくれる?」
 そして、彼は言葉でバトンを出した。
 視線を向けられたのは、先程の呟きの主――レッドン。一斉に、部屋中の視線が移動する。その視線を真っ向から受け止め、毅然とした態度を崩さないまま彼は言った。
「簡単だ。俺も記憶を、持っているから」

   ■   ■   ■

 その頃。彼らのいる高級宿の入口に、一人の人物が辿り着いていた。
「ふぅ。ここまで長かったなぁ」
 大した荷物も持たず、手にしている紙――ここまでの地図だろうか――を丁寧に折り畳むと、建物を見上げた。ズレた眼鏡の位置を直し、微笑む。
「さて……かなり久々の大仕事だなぁ」

   ■   ■   ■

「……先に言っておく。頭がおかしくなった、とかではないからな」
「誰もそんな突っ込みしてないじゃない」
 最初の発言からたっぷり二十秒沈黙が続き、それを引き起こした当人が顔を顰めてそんな事を言う。呆れたサエリの突っ込みにようやく頭が働き、クーザンは問うた。
「レッドン。記憶を持っているって……」
 レッドンは一度リレスを見、そして目を閉じる。話して良いのか、話す事で彼女に何か影響が及ばないかと恐れているように見えた。
「ルナサスには話したな。俺が、過去にリレスに助けられた話」
「うん。リレスとレッドン君が命を共有した……って奴だよね?」
 話を知らない者の為に、レッドンが掻い摘んでその時の話をする。リレスは黙ったまま、胸元に手を当て聞いていた。
「その時に、憶測でしかないが……それこそ記憶の――魂の共有をしてしまった。《月の力 フォルノ》はリレスを守る為に、俺の方に集まる。やがてそれが鍵となり、リレスではなく俺だけが記憶を取り戻す事になった――そんな所か」
 憶測とはいえ、彼の言葉に違和感は感じない。そうだと言われればそうだし、違うと言われれば違う――そんな感じだ。
 だが、アークとスウォアの件もある。魔力の源である天使の羽根の譲渡により、二人もまた《月の力  フォルノ》の共有をするに至ったのだから。
 その片割れが、ぽん、と両手を打ち合わせる。
「だからレッドンは、ルミエール院でジャスティフォーカス本部に乗り込もうとしていたホルセルを止めようとしていたんだね」
「……ちょっと、アーク。アンタ、喋ってた相手は見えなかったって言ったわよね?」
 ルミエール院で、ホルセルがいなくなった時。夜中に彼が飛び出して行ったと証言したのは、他ならぬアークだ。しかし、彼はその時、サエリが言うように相手は分からない、と答えていたのを、クーザンもまた覚えていた。
 アークは、顔の前で両手を合わせながら慌てて謝罪する。
「ご、ごめん! 多分、言っても誰も信じないと思って……」
「……まぁ、そうね。あの時点でそれを言われても、素直に信じたか怪しいわ」
 眉間にシワを寄せているものの、彼の発言も一理あると判断したらしいサエリは、それ以上言う事はなかった。
「うん、君が言いたい事は分かった。リレス経由って事は、その記憶も多分アースのものだと思う。……はぁ、ほとんど全員巡ってるとか、冗談じゃないよ」
 トキワは、ユーサやタスク、ゼルフィルに。ヴィエントは、ホルセルのもう一つの人格として。
唯一の生き証人、セクウィはクロスの名を取っている。リツレントも、ギレルノとしてリヴァイアサンを引き連れ、確執と共に。アストラルの血は、ラザニアルの家系に受け継がれ。ミシェルの力もまた、スウォアとアークの中に混在している。そして、カイルとディアナは。
 確かにここまで揃っていると、最早何らかの意思が働いていると思っても、間違いないレベルである。
「それはともかくとして……今回の戦いは、正直勝率はゼロに等しい。でも、僕達はこれに勝たなきゃならない」
「でないと……今度こそ、世界が終わる」
 カイルとディアナの時は、二人の犠牲があったからこそ乗り越えられた。だが、今回同じ手を使ったとしても、堂々巡りという奴だ。自分達の未来が、また同じように危機に瀕してしまう。となれば、《月の力 フォルノ》の封印は使えない……他に、手段があるのかどうか。
 と、今まで黙って聞いていたリニタが立ち上がった。
「そんな事、させませんわ! 私共も、貴方達を全力でバックアップさせて頂きます!」
 何とも勇ましい姫様である。血が同じなら、性格も同じようになるのか――ふとそんな疑問が過るが、頭を振って思考の端に追いやる。今は考える事ではない。
「それなら、一つお願いしたい事があります。ダラトスクの街には、王族しか入る事を許されない場所がいくつかありますが、そこに入り込む許可が欲しい。僕達は、元々君にそれをお願いしに来たんだ」
「構いませんわ。エアグルス王族が長、リダミニータ=ル=エアグルスが許可致します。鍵は、そうですね……」
 敬語なのか、普通の口調なのかよく分からないそれで用件を告げるユーサ。成程、王族でしか使えない通路も念の為押さえていた方が確かに動きやすい。
 リニタも快諾し、頬に人差し指を当てながらくるりと顔を向ける。そこには、ユーサをからかう為に移動したジャックの姿が。何かを察したらしい彼が、口の端を引きつらせた。
「ジャック」
「断る」
「拒否権はありません!」
「お前なぁ、俺がこいつらについてったら護衛はどうする護衛は! 良く考えろ!!」
「心配しなくても、何とかしてみせますわ! だから、安心して彼らに同行してくださいまし!」
「それが心配だっつってんだろ!!」
「有り難きご厚意、感謝致します」
「おいこら!! 決定なのか、もう決定なのか!?」
 何処かで見たような口喧嘩を始める二人と、妙にほくそ笑むユーサ。早くも仕返しが決定したジャックは、髪を掻き毟るように頭を抱えた。
「これで足がかりは出来た。次にやるべき事は……」
「最優先すべきはクーザンの武器の調達。ラルウァを倒す人手は、多いに越した事はないからな」
 クロスの発言に、誰もが同意する。砕けてしまったグラディウスがなければ、クーザンはラルウァに対して丸腰も同然だ。何とかして、それに代わる武器が欲しい所。
 しかし、だからと言ってそうホイホイとあるものではない。
「流石に、オレやクロス……に、ギレルノもしょっちゅう動く事は難しいし」
「僕の《白弾》も早々連発出来る訳じゃない。スウォアだって無尽蔵な体力はないし。飽くなき闘争心はあるとしても」
「おいコラ」
「でも、どうやって……」
 代わりの遺産を探しに行く暇はない。作るという手段もない。正直言って、お手上げだ。
 場に思考という名の沈黙が落ちかけたその時、コンコン、と乾いたノック音が聞こえた。気が付いたジャックがあいよー、とそちらに動き、扉を開く。
 すると、そこには思いがけない人物が、ニコニコ笑みを浮かべながら立っていた。
「やぁ、お久し振り」
「あなたは――!」