第83話 月と羊飼い

 真っ暗闇。右も左も上も下も、そもそも自分が目を開けているのかさえも分からない。声を出そうとして、何も聞こえない事に気が付いた。
 俺は、生きているのだろうか。そんな疑問さえ覚え、何かしら行動を起こそうとして気が付く。
 さっきまで、何もなかったはずだ。だが今、そこには人が立っていた。海を彷彿とさせる青色――ウィンタ。彼は青い双眸を憎しみに染め、自分を睨みつけていた。
「何で、殺したんだよ」
 ――俺は、お前を殺したくなんかなかった。ただ、助けたかったんだ。
「お前にとって、俺は邪魔者だったって事か」
 ――違う。俺にとってお前は、大切な親友で――。
「所詮、お前は人殺しなんだよ」
 ――そうかもしれない。けど、
「俺じゃなくて、お前が死ねば良かったんだ」
 ――あぁ、本当にそうだと思うよ。
「返せよ、俺の――」
 最後は聞こえなかった。いや、俺自身の叫びがそれをかき消したのかもしれなかった。
 そのまま、宙を堕ちて行く。どこまでも続く闇を。

 ――どの位時間が経ったのだろうか。もしかしたら、一秒も経っていないのかもしれない。堕ちて行く先に、一筋の暖かい光が見えた。
 どんなに足掻いても、罪深い俺はそこには行けない。行く資格なんてない――そう思ったのに、光が向かってくる。
 まるで、俺自身がそれに吸い寄せられているみたいに――。

   ■   ■   ■

 頬に何か違和感があった。痛みとかそういう類ではなく、何かに触れられているという、そんな感覚。重たい瞼を持ち上げれば、夢よりも幾分明るい世界が視界に飛び込んでくる。
「……あ」
 明るい暗闇の中で、より一層輝くそれは小さく声を上げ俺の頬から手を離した。桃色の瞳を見開き、ばつの悪そうに空間を泳がせ、再び俺に向ける。
「……ゆき、な……?」
「……おはよう」
 それ――ユキナは、俺が寝かせられているベッドの端に腰掛けていた。暗くて良く見えないが、大きな目の周りは腫れぼったく、赤くなっているような気がする。
「お前……まさか、ずっといたのか?」
「まさかぁ。今来たばっかりだよ」
 控えめに笑みを浮かべ、ユキナが答える。俺はそれで納得し、右腕を額に載せた。彼女があまりに眩しく、直視出来そうになかったからだ。身体がダルい。肌が汗で気持ち悪い。ずっと、悪夢を見ていたのだろうか。
「……苦しそうな声出してたから、不安になっちゃった。起こしちゃった?」
「いや……」
 むしろ、助かった。そう言おうと思ったが、同時に思い出された悪夢のせいで、声に出す事が出来なかった。
「ウィンタに……ずっと、責められてた。何で、殺したって……」
「……うん」
「お前は、所詮人殺しだって……」
 その一言に、ユキナは両目を見開いた。俺は自虐的に、吐き捨てるように続ける。
「本当に、その通りだ。大切だとか言っておきながら、」
「クーザンは人殺しじゃないよ」
 俺の言葉を遮り、彼女の声が空間に響く。絶対的な何かを纏ったそれは俺の鼓膜を震えさせ、脳に伝える。
「あたしは知ってるよ。確かにウィンタを殺したのはクーザンだよ、でもそれは」
「それは、ウィンタにとっては言い訳にしかならねーんだよ! 俺は、親友を手にかけた……その事実は変わらない。俺は人殺しなんだよ!!」
 何もかも分かっていると言いたげなユキナの言葉は、はっきり言って耳障りだった。だから、声を荒げ全てを否定する。例えそこに、どうしてもそうしなければならなかった何らかの理由があったとしても。俺が、大切な親友をこの手で殺した。その現実が、この目で見たあの光景が、全部証明しているのだ。
「――ねぇ、両手貸して」
 彼女からしてみれば、普通の口調なのだろう。何の脈絡もない、だがまるで命令されているような威圧を感じる言葉。俺にはそう感じられた。
 よろよろと上半身を起き上がらせると、ベッドの上に座り直した彼女は俺の両手を取る。何をするのかと思わなくもなかったが、その行動を力なく見守る。すると、何とユキナは俺の両手を自身の首に充てがわせた。
「お前、何して……」
「あんたが人殺しなら、あたしなんか簡単に殺せるでしょ? やってみなさいよ。あたしを殺しなさいよ」
 強固な意志を宿した瞳に、俺は怯んだ。ユキナの首は、思っていたよりも細い。確かに、それなりに鍛えている俺がその気になりさえすれば――彼女を殺す事は出来るかもしれない。
 だが、今の俺にそんな事が出来る訳がなかった。両手がガタガタ震え、俺の心情を表しているようであった。それで察したのだろう、ユキナは首を傾げて問いかけてくる。
「――出来ないでしょ? ほら、あんたは人殺しじゃない。ただの、友達想いの人間だよ」
「…………」
 俺の両手が、力なく布団の上に落ちる。その上に、ユキナの両手が重ねられた。夢の中で感じられた、あの暖かさがじんわりと俺の身体に染み込んでくる。もしかしたら――あの光は、ユキナ自身だったのかもしれない。彼女が俺に触れた事で現れた、救いの手。
「ウィンタを殺したっていう事実が重いのなら、苦しいならあたしも一緒に背負うから。だから……もう、自分を責めたりしないで」
 ぎゅう、と両手に力が込められる。
「あたしはそんなに弱くないよ。だからお願い、あんただけ全部背負ったりしないでよ……!」
「…………」
「あたしも……あたしも、クーザンを守りたいの。助けになりたいの!」
 その時、俺はようやくユキナの両手が震えているのに気が付いた。俺の発言を否定する為に、自らを命の危険に晒したのだ。それだけの勇気を、彼女は一体何処に持っていたのだろうか。
「(――いや、)」
 持っていなかった訳ではない。俺が、それに気が付かなかっただけなのだ。ユキナを守らなければいけないと考えてきた俺には――彼女自身の強さに気が付けなかった。見ようともしていなかった。考えてみれば、ディアナだって心の強さはカイル以上であり、それに惹かれていた。ユキナの強さは、当然の事なのだろう。
 握られている手をそっと解き、俺は震えるユキナの身体を自身に抱き寄せた。ビクリ、と大きく肩を震わせるが、構わず口を開いた。
「……ごめん。俺の方が、お前よりずっと弱虫だ……」
「そんな事ないよ。あたしは泣き虫で弱いもん」
「……俺はきっと、一生この罪に縛られると思う。それでも、お前は……」
 罪の意識に苛まれる以上、自分は弱く醜い人間だ。そんな俺に、守られたいと思ってくれているのか? そう続ける前に、大人しくしていたユキナが突然顔を上げ、控えめに微笑んだ。
「当たり前でしょ。さっきからそう言ってるよ」
「……あぁ、そうだな」
 思考を読まれたかのような的確な答えに面食らいながら、俺も笑みを浮かべる。上手く笑えているかは分からないが、本当に久し振りに笑いたいと思った。
「ありがとな。――ユキナ」
「うん」
「こんな時に言う事じゃないとは分かってる。その……お前が、好きだ」
 本当に、何故こんな時に言っているんだと思う。だけど、同じ罪を背負うと決めた今――言っておかなければならない気がした。
 ユキナは一瞬きょとんとし、直ぐに満面の笑みを浮かべ強く抱き返して来る。
「あたしも。大好きだよ、クーザン」

   ■   ■   ■

 翌日。礼拝堂に行っていたクロスが帰還し、これからの行動方針について重病患者以外の仲間内で話し合いが行われた。一緒に行っていたはずのホルセルの姿はなく、彼に問いかけても「出かけている」以外の返答はない。
「三日後、本拠地と思われるダラトスクに調査が入る事になった」
 開口一番、彼はそう切り出した。
「ジャスティフォーカスは計三部隊に別れ、俺達は数人ずつそれぞれの部隊に混じる事になる。敵を知っているのは俺達位だからな」
「三部隊? 人数が足りなかったの?」
 大陸全土を混沌に陥れようとする連中を捕まえようというのに、嫌に少ないと思ったユーサが口を挟む。シャインと呼称する奴らは、スウォアが抜けた現在、ゼルフィルを筆頭とする五人で間違いないだろう。彼らの意思で具現されるゴーレムとラルウァという、傀儡達がどの位いるのかは定かではないが。
 対しこちらは、個々の能力には勝るがいかんせん人数が少ない。ジャスティフォーカス構成員全員を招集したとしても、数では優っても押し切られてしまう可能性が高い。特に、ラルウァに遭遇した場合。だからこその分隊だろうが、それにしては数が少ないと感じたのだろう。
 それにはクロスも渋面を浮かべ、答える。
「恥ずかしながら、その通りだ。戦力を保ちつつ分けるには、それが一番効率が良いと判断した」
「まぁ、そうだろうね。ラルウァと遭遇した場合、どうしようもなくなると困るし」
「それで、部隊分けだが……クーザンとセレウグはどうだ?」
 クロスの視線は、ユーサからリレスに移る。彼が出て行く前は、二人とも予断を許さない状況だったので当然の問いだろう。看護役として動いていた彼女は、心なしか不安そうに答えた。
「セレウグさんは、三日後なら傷の影響もなく戦線に加われると思います。クーザンさんは……『俺なら大丈夫だ』だそうです」
 治療を施す術師としては不安が残るのであろうが、仲間として考えるなら参加に協力したい――そんな複雑な心境なのだろう。それを知ってか知らずか、クロスは頷く。だが直ぐに腕を組み、しかし、と思案の表情を浮かべる。
「俺が返したグラディウスは砕け散ってしまい、あいつに今武器はない。この戦い、厳しいどころか絶望的だな……」
「本人もそれは心配してました。その前まで使っていた剣じゃ、ラルウァを相手に出来ませんし……」
「〈遺産〉だって、そう簡単に見付かる物でもないしね。造るなんて以ての外」
 クーザンがラルウァを相手に立ち回れたのは、カイルが力を貸してくれた場合と〈遺産〉であるグラディウスを振るった場合である。後者の手段を失った今、前者に期待するのはあまりにも不確実だ。
 しかし、残るユキナ、クロス、スウォア、ユーサの四人だけで何匹いるか分からないラルウァの相手をするのも無謀の何物でもない。と言うより、先ず不可能に等しいだろう。ゴーレムや下っ端の人間相手をそれ以外の者に任せるとしても、ラルウァの数が自分達を上回っていれば先ず負ける。それに、スウォアを除き《月の力 フォルノ》をエネルギーにした攻撃もそう何度も使える訳でもないのだ。クロスははぁ、と息を吐き、頭を振る。
「……仕方ない。それはそれとして、今夜ジャスティフォーカス仮本部でこれからの作戦について話し合いが行われる。お前達も参加しろ、とハヤトさんに言伝られている」
「協力する以上、互いの情報は共有するに限るからね。当然行くよ」
 協力関係になるにしても、互いの戦力や人員の把握は必要不可欠である。また相手の情報を正確に持つのは、現時点では確実にここにいるメンバーだけである。それらを交換し合えば、少しは有利に立ち回れる可能性も上がるだろう。嫌がるかと思っていたユーサが意外とあっさり了承し、他の面々も同意して見せた。後は、治療している数人だけだ。
「更に負担をかけてしまう事になるが……リレス、クーザンとセレウグの治療を頼む。自身に影響が及ばない程度で良い」
「心得ています。それに、姉さんとエネラさんもいますし」
 返答に頷き、それから、とクロスは続けた。
「そして、明日はジャックに会いに行くとしよう。――あと二日しかない。各自、やれる事は最大限済ませておいてくれ。必要があれば、故郷に帰る手段も手配しよう」
「故郷ね……」
 その意図が指し示す危険性にサエリが眉を顰め、呟く。ダラトスクは、首都なだけあって広く、大勢の人間達が住んでいる。そんな所で争う事にはしたくないのだが、敵がそう思ってくれるかは分からない。下手をすれば、アブコットの二の舞になりかねないのだ。
 故郷に帰る――それはつまり、命の危険もある戦いに挑む前に、里帰りのチャンスを与えるという事。「やれる事は済ませておく」一つの事だろう。これまでの旅で、クーザンが、セレウグが瀕死の重傷を負い、そしてウィンタが。これは最早、死さえも付きまとう戦いなのだ。
「……ひょっとしたら、一生会えなくなっちゃうかもしれないからね。よく考えてみると良いよ」
「アンタは良いの? ほら、孤児院の子供達とか」
「僕は……」
 ユーサの言葉が、まるで自分には関係がないと言っているように聞こえたので、サエリはそう問いかけた。彼は一瞬泣きそうな、困ったような表情を浮かべたが、直ぐに何時もの気だるそうなそれに戻り答える。
「僕強いし。そう簡単に死にはしないから、帰る必要はないかな」
「大層な自信ね」
「だって事実だし。タスクを助けるまで、死ぬ訳には――」
 言って、そこではっとしたように口を塞ぐ。人がこうした反応をするのは、何か言ってはいけない事を言ってしまったか――或いは、言うつもりがない事なのに口を滑らせてしまったか。
 その彼の動作にクロスが溜息を吐き、発言する。
「情報の共有は、するに限るんじゃなかったのか?」
 今しがた、ユーサ自身が言った言葉を反芻させれば、彼は嫌そうな表情を隠そうともせず渋面を浮かべる。
「……キミも、ほんっとやな奴だよね」
「お前もな」
 嫌味をきっぱり切り捨てれば、ユーサは両手を挙げた。
「明日ね」
「……あぁ」
 他の者には知り得ない、二人の間に交わされた言葉。それが、今後の方針を左右する事になるとは――今は誰も思わなかった。

 夜が来た。明かりがなければ歩く事もままならない、不安を駆り立てる夜が。
 ジャスティフォーカス仮本部――もといソルク大聖堂では、時間にしては大勢の人間が思い思いに時間を潰していた。容姿や服装は皆まちまちだが、漂う雰囲気と会話から、ここにいる者達がジャスティフォーカス構成員だと分かる。
「これ、もしかしてみんなジャスティフォーカスの構成員?」
「多分な。組織に従するほぼ全員がいるんじゃねーかな」
 クーザン達は、大聖堂の雛壇に程近い位置の椅子を陣取っていた。ホルセルは視線を気にしているのか、居辛そうにキョロキョロ見回している。本部での騒動で戦った構成員もちらほら見受けられたが、ハヤトのお陰か――それともビューのお陰か、自分達を好奇の目で見る者はいても罵声を上げるような輩はいない。ひとまず、ホルセルの冤罪については心配なさそうだった。
「ホルセル!」
 突然の自分を呼ぶ声に、ホルセルは辺りを見回す。すると、ネルゼノンとエネラが歩み寄ってきているところだった。ホルセルが驚きと喜びを混ぜたような表情を浮かべ、立ち上がる。
「お前ら、無事だったのか!?」
「ったりめーだろ! ……と言いたいとこだが」
「完璧無事、って訳じゃないんだよね、これが……」
「……まさか」
「ディオルさんに何かあったの?」
 ギレルノが呟き、すぐに気が付いた違和感の原因をクーザンが問うと、二人は悲しそうに頷いた。
「ラルウァの攻撃から、私を守ろうとして怪我しちゃったの……」
「何とか逃げられたけど、しばらくは療養だってさ。……今回の作戦には、参加出来そうにないかな」
「そうか……だが、無事なだけマシだ」
 ギレルノが息を吐く。怪我はともかく、仲間の無事を知れただけでも充分だったのだろう。本当は俺達も休んでおかないとまじぃんだけど、とネルゼノンは苦笑いを浮かべ、肩を竦める。
「これから行われる集会は、十中八九あいつらについてだろ? なら、おとなしく寝てらんねーと思ってな」
「それに、救護班だって人手が足りないし。休んでなんかいられないわ!」
 いつでも一緒に戦ってきた仲間の脱落に、彼らが悲しまないはずがない。だがそれでも尚、立ち上がり戦おうとする意志。それは、讃えられるべき彼らの強さだった。
 後方で会話を聞いていたクロスが、感情が複雑に混じった表情で苦笑を洩らす。
 と、堂内の空気が一変した。喧しい位に話していた構成員達は、皆一様に口を閉じ正面を見やる。
「揃っておるようじゃの?」
 現れたのは、最低限に設置された照明の明かりに長髪を輝かせた長身の人物。ビュー=ハイエロファント=カマエルその人だ。共に現れたハヤトも難しい顔をしており、これから行われる会合がいかに重要かを物語っている。
 ジャスティフォーカス構成員が一斉に敬礼をし、大聖堂に静けさが訪れる。
「さて……もう分かっていると思うが、今宵貴様等を集めたのは私の気まぐれ等ではないぞ? 最近勢力を増し始めた、大陸の害虫退治の話ぞ」
 優雅な、それでいて厳格さをも感じさせる動作で、ビューが大聖堂の雛壇に登壇する。
「知っておるだろうが、今この大陸には反国家組織とは別の害虫が沸いておる。初期には人浚いだけだったが、ルナデーア遺跡、アブコットの壊滅、バトルトーナメント。これらの事件には、その害虫共が関わっておるのだ」
 大聖堂の中がざわめく。それらの事件単体でなら皆が把握していただろうが、まさかそれら全てが同じ人物の仕業とは思ってもいなかったのだろう。
「そこで、我らジャスティフォーカスはその害虫共の除去作業に、本格的に乗り出す事にした。よもや、反対するような輩はおるまいと思うが……聞いておこうかの。ここまでで、私の意見に賛同出来ん者は去れ。二度とジャスティフォーカスの名を掲げる事は許さん」
 有無を言わせぬ力を持つ台詞。そして、その表情こそ変わらないものの、それが嘘ではない事も十分に伝わってくる。かつてジャスティフォーカス軍課のトップに居座っていたマーモン=クラティアス――ヴォスに心酔していた者を除外する為に問われた意思表示の言葉に、果たして――この大聖堂から立ち去る者は、いなかった。
 満足そうにひとつ頷くと、ビューはカツンとヒールを鳴らし続きを口にした。