第82話 命の営み

 あれから、二日が経った。
 色々状況が変わった事がある。一つは、ジャスティフォーカスが今回の件を受け本格的にサン達一味を捕らえようと腰を上げた事。今まで明確な犯行の証拠がなかったので手をこまねいていたのだが、バトルトーナメントを中止に追い込むまでに至った襲撃により、総帥ビュー=ハイエロファント=カマエルが本腰を入れるべしと判断したのだ。その準備の為かホルセルとクロスは彼女に招集され、現在は仮の本部となっているソルクの礼拝堂に行っているはず。
 二つ目は、クーザン達魔導学校に通う生徒達のタイムリミット――即ち長期休暇の終了日が、十日後と明確になった事。これはサエリの母レイニィからの知らせだったが、大学臨時教授を務めるイオスの風の噂でも朧げながら聞いていた。大陸が混乱に渦巻いている今そんな急に決められても、と思わなくもないのだが。
 ともかく、学校が始まれば学生達は身動きが取れなくなる。何としても、その前に奴らとは決着をつけてしまいたい。
 そして、三つ目は。
「――そっか……助けられなかったか……」
 ベッドの上で包帯だらけになっているセレウグが、目を伏せ呟く。
 ソルクの病院で懸命に治療が続けられた結果、つい昨日目を醒ました彼は、事の顛末をユーサから聞いていた。昨日の時点では精密な検査を受ける為に、面会謝絶のままだったのだ。
 何とも後味の悪過ぎる結果になってしまった事件について話し終えたユーサは、一息吐き頭を振る。
「まぁ、あれが最善の策とは言え……ホント、胸糞悪いね」
「オレやスウォアが動いたとしても、どうにもならなかっただろうしな……クーザンに合わせる顔がねーよ、正直」
「それは気にし過ぎ。キミが悪くない事位、彼なら分かるでしょ?」
 ふと、お見舞いの品の中にあった林檎を手に取り、更に机の上にある果物ナイフを握る。
「でもな……」
「ハイハイ、ネガティブ発言はそこまで」
 林檎の天辺から円を描くように皮を剥き、言う。皮は綺麗に繋がったまま、やがて床に着陸した。
「どーせオレは暗い奴さ。所でお前、少しは遠慮と言うか躊躇えよ。それお見舞い品だっての」
「食べてあげないと、それこそ勿体無いし。半分あげる」
「……どーも」
 四分の一にカットした林檎をシャクシャクと口に入れれば、控えめな甘さが口内で主張し始める。食べ頃だったらしい、考え事をしながら食べるには丁度良い。
「所で……そのクーザンは?」
 同じく林檎を口にしながら、セレウグがそう尋ねた。一瞬本当の事を伝えて良いだろうかと悩むが、どうせ直ぐにバレるだろうと思い直す。
「……相当堪えたらしくてね。目を醒ましたのは良いものの、極端な錯乱状態に陥ってる。幻覚でも見えるのか、止めてくれ、ごめんの繰り返し。眠ったと思ったら悪夢を見るらしくて夜中に暴れ出すらしいし。リレスが看護の手伝いに行ってるけど、全然良くなる気配はないってさ」
「……そりゃ相当だ」
 ここまで旅を共にする間のユーサでさえ普通じゃないと分かる位なのだから、暫く同居していたというセレウグならそれがどの程度なのか判断がついたのだろう。
「ディ……ユキナちゃんの方はまだマシだけど、それでも虚ろなままだからなぁ。だから、」
「だから?」

   ■   ■   ■

「ホラホラ、早く歩きなさいよ」
 そう言いつつ、ノーザルカが俺の背中を押す。
 今俺達は、滞在しているソルクの総合病院から少し離れた住宅街にいる。住宅街と言っても、隣とは十~二十メートル間隔で離れているので密集してはいないのだが。住宅は鉱山の街だけあって石造りが多く、だがそれぞれが塗装されているお陰で重苦しい雰囲気は感じられない。田舎ではないが都会でもない、その中間。それが、俺には心地良かった。
 さて、何故そのような場所にいるのかと言うと、
「待て……何故俺が」
「だってアンタの家じゃない。アークは道を詳しく覚えてないって言うし、アンタしかいないでしょ」
 という事だ。簡単に説明するなら、息抜きに何処かへ出掛けようという話が出た際、ミカニスが「イノリさんにお礼を言いたい」と発言したのが発端だったらしく、それで道案内に俺が駆り出された訳だ。大して怪我もしていなかった俺は、今日も事態が好転しそうな気配がないのでいつものように読書をするつもりだったのだが――。
「そもそも、何故わざわざ俺の家に行くんだ。必要ないだろう」
「アンタの子供見たいし」
「イノリさんにお礼したいし……」
「リルも、トワちゃんに会いたいし!」
 何ともノリのいい奴らだ。呆れて反論する気力を無くした俺は、チラリと隣を歩く桃色の少女を盗み見る。
 桃色の少女――ルナサスは、二日経った今でも心ここにあらずといった調子である。一応問われれば受け答えはするものの、事件前のような明るさは欠片も見当たらない。そんな彼女が何故ここにいるのか――単にノーザルカの気遣いのひとつである。簡単に言えば、気分転換に連れ出したのだ。
 そして最後に、隣を歩く人物に視線を向けた。
「という訳だから、キリキリ案内するが良いヨ」
 前の奴らはともかくとして、何故この女までついてきているのか。それが、俺の一番の謎だった。
「……タツミ。何かしでかしたら許さんぞ」
「何もしないヨ。私はただ、お前の妻に会いたいだけだし」
 にっこり笑顔を浮かべ、先のサエリ達の真似をして言う少女が凄まじく恨めしかったが、味方が全くいない事を悟り、最早発言する事も諦めた。

 久方ぶりに帰ってきた自宅は、旅に出ると飛び出した時そのままの姿だった。こじんまりとした庭に雑草が生えている様子もなく、また放っておかれてもいない証拠として花壇がある。これは俺がせがまれて煉瓦で作った記憶があるが、ここまで花々で溢れているのは初めて見た。
 ――帰ってきた、と言うにはまだ早いが、やはり心の何処かが落ち着くような気がする。
 ぼんやり眺めていると、丁度その正面にある勝手口が開き、女性が現れた。最後に会った時と何一つ変わらない、清楚を体現する美しさを纏ったその人こそ。
 彼女は声に気が付いたのか、子供達を見るなり目を輝かせ笑顔を浮かべた。
「あら、アーク君にリルちゃん! 無事だったのね、心配していたの」
 名を呼ばれた二人はパタパタ駆け寄って行き、彼女と言葉を交わす。
「うん! イノリさんが助けてくれたお陰だよ」
「あの時はありがとうございました、無事友達と合流出来ました」
「ふふ、良かった。リルちゃんも元気になっているようだし、私も安心しちゃったわ。お兄ちゃんに会えたのね」
 耳触りの良い涼やかな声も、果たして聞いたのは何ヶ月振りだろうか。しかし、遠目から見ても少し痩せたように見える。ある程度の貯金は置いて出たのでその面は心配ないと思ったのだが、やはり女手一つで赤子を育てるのは――。
 その時、背中に手が当てられ押し出された。悲鳴こそあげなかったものの、突然バランスを崩した体は意図せずしてつんのめる。
「タツミ、貴様……!」
 何とか踏みとどまって地面と仲良くなる無様な姿を晒す事は阻止し、背後にいたであろう女を睨みつけ、ようとした。
「おかえりなさい、ギル君」
 長らく聞いていなかったその呼称と言葉がかなり近くで聞こえ、自分がよろけた拍子に彼女の――イノリの正面に来ていた事に気が付かなければ、そうしていたはずだった。
 今は自分より高い位置にある双黒の瞳と視線が合い、己にとっては極上の薬である笑顔を向けられ、俺は声を上げる事すら忘れ数秒魅入る。やがて何か返さなければという考えに至ったのだが、生憎こういった時の適当な言葉が咄嗟に浮かばず、
「……あぁ……」
 と、至極素っ気ない返答に留まった。
「そこは『ただいま』じゃないのカ?」
「レン、精一杯の照れ隠しなんだから黙ってあげなさい」
「聞こえているぞ、貴様ら……」
 ヒソヒソとやり取りされる言葉にしっかり突っ込みを入れると、俺はイノリに視線を戻しつつ体勢を戻した。すると、彼女は俺の後ろ――レンの姿を認め、目を丸くしながら口を開く。
「……貴女は、ランの妹さんだったわよね」
 その言葉には、恐怖の感情が見え隠れしていたように思う。
 イノリが俺に、自身の部族の話をしなければレンの姉は死なずに済んだかもしれない。それに、部族の話をするのは掟に反すると彼女は言った。まさか、タツミはそれが目的で……。
 だが彼女は俺達の予想に反し、にっこり笑うと――少しだけ泣きそうな表情で、首を横に振る。
「何の話ダ? アナタは御上祈じゃないだろう、イノリ=ノウルさン」
「!」
「偶然名前が一緒なだけで、私が捜していた女と違うみたいダ。突然押しかけてごめ……すみませン」
 つまり、彼女にとっては姉の死の原因を作った人物を許す、という事。憎しみを押し殺し、そう口にするのにどれ程の覚悟が必要なのか。俺には、分からない。
「タツミ?」
「……そんな事より、早くオマエの赤子を見せないカ! 今日はそんな事言いに来たんじゃないヨ」
「あ、そうよ。ギレルノの子供見たいわ」
「リルもー! イノリさん、トワちゃんは?」
「あ、えぇ。家の中で寝かせてるわ。お茶位しか出せないけど、どうぞ」
 レンの台詞に目的を思い出した一同は、口々にイノリに居場所を聞き出した。玄関先で会う位だと思っていたのだが、まさか上がらせる事になろうとは……。和気あいあいと家の玄関に向かう奴らを見ながら溜息を吐くと、隣のレンがポツリと呟いた。
「……幸せそうだナ」
 その一言には、恐らく様々な意味が込められていたのだろう。俺にその全てを知る権利はない、だから敢えてこう問う事にした。
「お前、俺やイノリを憎んでいたんじゃなかったのか?」
「そうだけど……もう取り戻せないものの為に、他人の幸せを奪う事なんて、私には出来ないヨ。それに、彼女はこうなる事を知っててお前に言った訳じゃないかラ。そんなヒトだヨ」
 困ったように返すレンは、よし!と言いそうな勢いで石畳を歩き出す。
「見逃したんだから、大切にするんだゾ。妻も娘も」
「……言われなくても」
 その返答に満足したのか、彼女は笑顔を浮かべ先に行った者達を追いかけた。あまり騒がしくするようなら追い出してやる――そう決意しつつ、俺も数ヶ月振りの自宅の玄関に足を向ける。
 願う事なら、ややこしい事件達を解決させてから帰ってきたかったものだが。

   ■   ■   ■

「わー、笑った!」
「まだ一歳になってないんだっけ? 可愛いわね。リル、まだ首が据わってないはずだから気をつけなさいよ」
「はーい」
「目元は奥さんにそっくりだナ。良かったナ、目つきの悪い方にならなくテ」
「余計な世話だ……!」
 きゃいきゃいと赤子を中心に展開される言葉達を聞きながら、ユキナはぼうっとその光景を見つめていた。あの輪の中に入る気分ではないし、ウィンタの事を考えると、入ってはいけないような気がするのだ。
 何で、あんな事があったのに笑っているんだろう。何で、あんなに笑えるのだろう。それが不思議で仕方なかった。
「ねぇ、お話してもいいかしら?」
 声に反応し顔を向けると、そこには漆黒の美しい綺麗な髪を持った女性、イノリがいた。ユキナが頷くと、彼女はふわりと微笑み隣に腰を下ろす。
「ふふ、ギル君のお友達にこんなに可愛い娘がいるなんて思わなかったわ。でも、そんな顔じゃ可愛いのが台無しになっちゃう。私でよければ、お話聞いてあげるよ?」
「え……」
「自分だけで溜め込んじゃダメ。ね?」
 何て温かい、安心出来る笑顔を浮かべる人なんだろう。本心からそう思った。
 イノリは、右手を自分の薄桃色の髪を絡めるように頭に置き、泣き叫ぶ子供をあやすように優しい手つきで撫でた。それがユキナにとってあまりにも温かく、いろんな事があり過ぎて混乱した心をゆっくり修復してくれるようにさえ思える。
 気が付けば、ユキナは口を開いていた。
「……大切な、親友が……死んだんです。殺したのは……あたしの、大切な人で……そうするしか、方法がなくて……」
 ポツリポツリと呟くように続く言葉に、トワの周りにいた皆もそれに耳を傾けている。一様に沈痛な表情を浮かべているが、ユキナには見られないよう、表向きは赤子を構いながら。
「クーザンは、そのショックで心を壊してしまって……あたしは何も出来ない、昔のあたしのままで……」
 ぎゅうう、と膝の上の手を握る。
「……あたし、何も出来ないのが悔しくて……ウィンタも、クーザンも、みんな……みんな助けたかったのに……!」
 悲痛な叫び。ディアナの力を行使出来るようになって、少しはトルンを去った日の自分より強くなったと思っていた。これなら、仲間を守れると。しかし現実は、よりにもよって大切な親友同士が殺し合い――自分は彼が死んで行く様を見てる事しか出来なかった。
 悔しい。何で。どうして。ユキナは、二日前からずっとそうやって自問自答を繰り返していたのだ。結局、自分は何も変わっていなかったのだ、と自分を卑下し続けながら。
 並の人間が聞けば『あぁ、聞かなければ良かった』と思うであろう類の話だ。だが、
「……私の国にはね、こんな考え方があるの」
 ユキナの頭を撫でる事はやめないまま、イノリは言った。
「人は肉体と魂――精神体、と言えば良いのかしら。その二つから成り立っていて、肉体は死んでしまったらなくなるけど、魂はそのまま存在しているの。そして、魂はまた長い時を経てこの世界に帰ってくる」
 ユキナはハッと顔を上げた。彼女が知るはずはない。だがそれは、まさにクーザンに当てはまる事だ。遠い昔カイルとして生き、命を失い、今を生きている彼。
「でもね、それを延々と繰り返すのはつまらないから、人はその時その時の人生を悔いのないように一生懸命生きているの。そして、そうやって一度生まれた絆は例え生がなくなったとしても、魂が憶えている。つまりね、その子もいつかはこの世界に帰って来て、また貴女に会えると思うの。一年後、十年後、もっと先かもしれない――でもいつか必ず、ね」
 クーザンが、自分を護ってくれるという誓いを心で覚えていたように。ウィンタも、自分とまた会うという約束を――絆を、覚えていてくれるのだろうか。
 ぐい、と体が引っ張られる感覚がして、気が付いた時には自分はイノリに抱き締められていた。温かいその体温が、最期にウィンタに触れた時を彷彿とさせる。
「その死んでしまった子は、貴女達を恨んでいた訳じゃないんでしょう?」
 ――『お前ら二人がいたから、俺は満足出来る人生を生きる事が出来たんだぜ』
 あの笑顔と言葉を思い出し、ユキナは表情を歪めた。
「…………ふぇ…………」
 泣く事すら忘れる程に凍りついていた涙腺が、イノリの温かさで融かされたのか。小さな声を合図に、目尻から涙が溢れ出した。
「うぇ……うぃんた、うぃんたあぁ……たすけ、たかったよぉ……!」
 泣き虫だと自他共に認めるユキナは、ウィンタがいなくなってから初めて泣いた。それだけ彼の存在は大きく、大切だったのだ。
「もっと、もっと……いっぱいはなしたかった……いっしょにおとなに、なりたかった……!! ごめん、ごめん……!!!」
 イノリの服が汚れるとか、皆がいる、とかそう言った事は気にする余裕がない。まるで生まれたての赤子のように――いや、それ以上にわんわん声を上げて泣き続けた。

   ■   ■   ■

 ユキナが泣き止んだのは、それから暫く経ってからだった。一緒にギレルノの家に来ていた皆もそれまで残ってくれていて、申し訳なくなったものだ。服を汚してしまったのにイノリも良いのよ、と笑うだけ。
「……ま、安心したわよ」
 仕方なくそのまま帰路に着く最中、サエリがポツリと呟く。
「アンタ、あれから一回も泣いてなかったでしょう。それが心配だったのよ」
「そうだよ! リルも心配した!」
「ご、ごめん……」
 仲間達に心配される程自分が酷い状態だった事を再認識し、ユキナは謝る。泣かなかった訳ではない、泣く余裕がない位に頭の中がこんがらがっていたのだ。だが、盛大に泣いたお陰だろう――今は、雲が晴れたみたいに頭の中がすっきりし、自分が今やるべき事を見つけていた。
「さぁ、これからは泣いてる暇なんてないわよ。アイツらとの決着も近づいてるんだから」
「でも、クーザンが……」
「……大丈夫。あたしが、何とかしてみせる」
「ラザニアルやエネラが言うには、相当酷い状態らしいぞ。大丈夫なのか」
「うん。ずっと、クーザンには助けられてばかりだから……今度は、あたしが助ける番」
 そう。今自分がすべき事は、自らに責められているクーザンを助ける事だ。皆が心配そうにユキナを見る。せめてその懸念が少しでも薄れればと、集まった視線に向けて大きく頷いた。

「良いですか、ユキナさん。何かあったら、直ぐ病室のチャイムを鳴らしてくださいね?」
「うん、分かった」
「一応私達も外で待機してるけど、チャイムが鳴るまでは入らないようにするから。……本当に大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう、心配してくれて」
 ユキナは戻ってきて直ぐに、あれからずっとクーザンを診てくれている二人に彼に会わせてくれるよう話をつけた。面会謝絶状態が続いている以上そう簡単にはいかないと思っていたが、意外にも了承を得られた。
 ユキナは知る由もないが、この時――皆朧げに察していたのだ。『ユキナでなければ、壊れてしまったクーザンに言葉は届かない』と。
 二人に見送られ、クーザンがいるという病室のドアの前に立った。中から音は聞こえない。恐らく麻酔か鎮痛剤が効いて眠っているのだろうが、それが逆に不安を掻き立てる。でも、このドアを開け、中に入らなければ話は進まない。クーザンがこのまま壊れて行く方が、ずっと怖い。例え、何があろうとも――。
「――よし!」
 ユキナは意を決し、ドアの取っ手に手をかけ。遂に、中へと足を踏み入れるのだった。