第80話 そして罪を刻む

 セーレ兄さんが倒れたという事実は、俺達にも伝わっていた。頭上のユキナの表情が強張り、まるでストッパーがなくなってしまったかのように目尻から涙が溢れ出しているようだ。本当に化物になってしまったのだ。あの優しくて、頼りになる爽やかな少年はもう、いない。
『分かった。お前が捜しに行くって言うんなら、オレは止めない。寧ろ手伝ってやるさ!』
 事情を説明した時、怖気つく事なく協力を申し出てくれた。自分を応援してくれる存在がいる事が、自分にとってどんなに支えになっていたのか――俺は、今更思い知った。
『無茶は、するなよ。絶対、ユキナと一緒に帰って来い』
 彼との約束は、不完全だが果たした。ユキナを助け、厄介な事件を解決し、そしてウィンタの待つ日常へ帰る事が、俺の最終目標だった。
『分かんねーか!? 親友だからに決まってんだろうが!』
 逃げ出した自分を追いかけ、叱咤してくれる存在。それが親友と言うものなんだと、どんなにかけがえのない存在だったのかと、
『出来なくてもやれ!!! 俺に、お前らを殺させんな』
 必死に運命から抗おうとしていた声は、今までのどんな自分よりも強く、儚げで。物理的な強さではない、心や精神と言った内面的なそれが、彼は自分よりも強いと思った。
 助けたかった。今まで助けて貰ってばかりいた自分が、助けなければと思った。でなければ、俺は二度と彼の親友だと言えなくなる気がする。
 手元をまさぐると、目的の物は直ぐ側にあった。それを手に力を込めて掴み、全力で体を起こす。ユキナがあ、と声を上げたのが聞こえた。
「……ユキ、ナ」
「クーザン……?」
 右足を折り、上半身を更に傾け、前の地面に左手を付ける。右手に握った物――鞘に入れたままのグラディウスを杖代わりに、何とか立ち上がった。衝撃による痺れが、心の痛みが、まだ僅かだが俺の体の動きを阻む。
「……ごめん。ケジメを……つけてくる。俺が、行かなきゃ……」
「ウィンタを、殺すの……?」
「違う……解放、するんだ」
 何が違う、だ。それが、殺すって事だと言うのに。
 足が重い。同じ位、グラディウスが重い。でも、苦しむウィンタを助けられるのは俺しかいない。なら、行かねば。
 心の何処かは、まだウィンタを殺す事を否定している。理性を押さえねば、今にも足が止まってしまいそうなのだ。だがそれ以上に――彼の苦しむ姿は、見ていられない。
「クーザン! あいつの精神を呼び戻せ!」
 突然かけられた声の主を捜せば、そこにはサンと対峙しているスウォアの姿があった。
「ラルウァの本能にあいつの精神が打ち勝てれば、俺みたいな半ラルウァとしてなら戻れる! 《月の力 フォルノ》に呑まれたとしても、どっかで精神は生きてるはずだ!」
「無駄や。普通の人間が勝てる訳ないやろ」
「お前は黙ってろ! ――失いたくねーもんがあるなら、全力でぶつかれ! お前なら余裕だろ!」
 サンの横槍を蹴り伏せ、スウォアが尚も続ける。
 強い精神。それは、彼で言うなら自身の命を脅かしたアークへの復讐、或いは渇望への強い気持ちだったのだろう。クロスさえも知り得なかった活路に希望が湧くと同時に、果たしてそれでウィンタが喜ぶのだろうかという疑念も抱く。
「分かった――」
 とにかく、やるしかない。ズタズタになった心を奮い立たせ、俺は眼前の巨大なラルウァと対峙した。

   ■   ■   ■

「うらあぁっ!!!」
 速く、もっと速く。気合を載せた一閃は、だが呆気なく躱され空を斬る。
「何や、オレら裏切ってから腕落ちたんと違うか?」
「へ、そうみてーだな。だが――」
 着地しながら余裕たっぷりに言う相手に、スウォアがニヤリと笑みを見せる。余裕のある態度に疑心を抱いたのかサンは眉間にしわを寄せ、瞬間再び地面を蹴る。ザク!とサンが立っていた場所に刺さったそれは、サエリの弓矢。
 更に、サンの元に向かう影があった。
「《リヒトクライス》!」
 光の軌道を纏う、多重連撃を繰り出したのはアークのチャクラム。円を描くように一撃、また一撃と斬撃を繰り返し――遂に、サンの右腕に一筋の赤い線を刻んだ。
「こっちは強くなってるみたいだぜ? ザマミロ」
「そうみたいやな」
 人を食ったような笑みで言うスウォアに、サンも似た笑顔で返す。その表情の裏で自分達への怒りの炎を燃やしているのだから、餓鬼と言うのは本当に怖いものだ。
「カイルの同僚ん中では最弱やったくせに、おもろい事やってくれるやんか。こら、こっちも本気出してやらんとな」
「……は?」
 惚けた声を出し、その瞬間横切ったトンファーを慌てて避ける。サエリに「何反応してんの!」と怒鳴られたが軽く聞き流し、どういう事だと視線を投げる。
「何や、その顔。オレらがお前拾たんは、お前がミシェルやったからや。でなきゃお前、とっくに死んどるわ」
 神官ミシェル。ディアナを守る立場にあった一人で、神官達の武器の生成、メンテナンスを引き受けていた天使族の少年。望んで堕ちる事で手に入れた魔法の実力は、神官いちだったと言う。ミシェルの力を持っていた俺の翼を喰らったアークは、だから普通の天使と違い闇の魔法も使えた。
 ソーレの凶刃に翼をもがれて斃れ、その存在を消したが――成程、そう言う事か。
「スウォアが、神官ミシェル……? じゃあ」
「俺が片翼になったのも、そもそもアークが暴走したのも……全部運命だったって言いたのかよ。ハッ、めでたいこった」
 某然とするアークを横目に、俺はサンの戯言を鼻で笑いあしらう。こんな事、知らずに奴らの下に付いていた俺が言える事じゃないが――ひとつだけはっきりしているこれだけは、言っておきたかった。長年の相棒であるレイピアの切っ先を、真っ直ぐ相手の脳天に定める。
「神官だった奴を仲間に引き入れて何するつもりだったか知らねーけど、俺は俺。アークはアークだ。運命か何か知らねぇが、過去の事なんざ関係ねぇ。関係ねーから、お前も他の奴らも、纏めて消してやるよ。今まで世話んなった礼にな」
 口角を吊り上げ、笑う。今俺は、何時もの不敵な笑みを浮かべているように見られているだろう。
 そう、例えサンの言葉が正しいとはいえ、『今』を生きているのは『ミシェル』ではなく『スウォア』であり、『アーク』なのだ。自身が生きた覚えのない生の話など、糞喰らえだ。自分は人から見れば不遇な人生を歩んでいるが、少し特殊な力を持ち、戦いを好む天使である。それだけあれば、『スウォア=ルキファー』――あるいはアーク=ミカニス――の人物像を把握するには充分。余分に味付けをする必要などないのだ。
「――あ、クーザン……!」
「アイツ、フラフラじゃない……行く気なの?」
 アークとサエリの声に、俺はレイピアを構え警戒を解かないままそちらを見た。
 その視線の先には、心身共にダメージを受けたクーザンがグラディウスを支えにして立ち上がろうとする姿があった。それに既視感を感じなくもなかったが――俺はそんな不確かな記憶について考えを巡らせるよりも、今伝えなければならない事を叫んだ。
「クーザン! あいつの精神を呼び戻せ! ラルウァの本能にあいつの精神が打ち勝てれば、俺みたいな半ラルウァとしてなら戻れる! 《月の力 フォルノ》に呑まれたとしても、どっかで精神は生きてるはずだ!」
 ラルウァは破壊衝動、或いは殺人衝動の塊。人としての人格が完全に壊された時、動物のような狩猟本能が芽生える。だが、もしその段階で人間としての理性が生き残ったならば。自分がそうだったように、あの少年もまた戻れるはずだと、俺は確信していた。
 もちろん、その後は幾多の苦しみを背負う事になるのだろうが……命あっての物種、だ。どちらにせよ、ああなってしまっては半ラルウァになるか、死ぬかの二択である。それも、前者の方は凄まじく可能性が低い。
「無駄や。普通の人間が勝てる訳ないやろ」
「お前は黙ってろ! ――失いたくねーもんがあるなら、全力でぶつかれ! お前なら余裕だろ!」
 その言葉が、アイツにどう伝わったのかは分からない。だが首が縦に振られたのを確認した瞬間――風が、重い音を立て薙いだ。
「ちぃっ……!」
 風だと思ったのは、サンのトンファー。顔面目掛け振り被られたそれを体を逸らして避け、距離を取る。
「そんな選択、あの馬鹿がする訳ないやろ。頭まで弱なったか?」
「バーカ、選択肢を増やしてやっただけだっつの。頭弱いのはお前だ、阿呆」
 トンファーという武器は、リーチがあるように見えて短い。剣よりも、武具やクロー系に近い使用感覚だったはずだ。その分レイピアよりは力量があるのだが、まぁそんな事はどうでもいい。
 相手が力でくるなら、こちらも力を以って受けるのみ。超近距離戦闘には些か不利ではあるが、サンの攻撃範囲を避け攻撃するのは自分にとっては朝飯前。俺は再び口元を歪め、レイピアを構えた。
 しゃーねぇ。時間は稼いでやるから、上手くやれよ。

   ■   ■   ■

 ウオオオオオォン……ラルウァが一際大きく鳴いた。それはウィンタの声と重なり、最早聴覚すらも狂い始めたのだろうとクーザンは自嘲する。
 前線に戻ってくると、周囲の惨状に改めて戦慄した。コロシアムの床は無残なまでに破壊され、至る所に灰が散らばっている。それに混じるように、どす黒い液体と赤黒い液体が飛び散っていた。
 ラルウァと対峙していたクロスとユーサが、自分の方を見る。ユーサは無言だったが、視線が大丈夫なのか、と問いかけていた。
「いけるのか」
 クロスの静かな問い。相手が変わり果てた自らの大切な幼馴染、その上セレウグまでも傷付けられた今、戦えるか、と。
 クーザンは、動物的な瞳を睨み返す。その瞳は、恐らく表面上だけでなく、心の奥底までもを見透かしているはずだから。まるで、拷問台に立たされたようなプレッシャーをかけられているようだ。
「俺が、やるべき事だから」
 弱気な事を言っては、彼に退がっていろと言われかねない。だから、今出来る精一杯の虚勢を集結させ、向けた。
 その甲斐あってか、彼はしばしクーザンの視線を受け止め――ふ、と笑みを浮かべる。顔をそのままユーサに向け、向かって右側にいるサンが連れていたラルウァを指す。
「トキワ、あちらのラルウァを任せる。俺はアレを処理する」
 つまり、おこぼれの敵を処理しろ、と言う事だ。勿論そんな指示では乗り気にならないユーサは、これでもかと面倒臭そうな表情を浮かべ反論する。
「えぇー……スウォアに殺らせれば良いじゃん」
「流石にソーレとラルウァ両方はキツイだろ。さっさと仕留めて来い。何なら貴様がスウォアと代わるか?」
「キミ何気に惨いよね。分かったよ、行くよ」
 ひらひら両手を肩の高さで振り降参の意を示し、ユーサは振られたラルウァに向かう。クロスももう一方のそれに体を向けながら、口を開いた。
「俺達は雑魚を処理してくる。片付けば戻るが、無理はするなよ。カイ……いや、クーザン」
 そう言い残すと、彼は背中に翼を生やし飛び立った。その姿を見送り、改めて眼前のラルウァに目を向ける。
 今まで旅をしてきたが、まさかこんな事になってしまうとは露程にも思っていなかった。自分の驕りが、彼を死に近付けさせたのだろう。
「ごめん。俺が……俺がいたから、お前がこんな事になっちゃったんだよな」
 償う方法など思い付かない。生きていてくれるのなら、どんな罰も受ける覚悟なのだが……それさえも叶いそうにないのだ。
『ラルウァになってしまったら、苦しむ前に殺してあげて。それが、一番の救いになるの』
『ラルウァの本能にあいつの精神が打ち勝てれば、俺みたいな半ラルウァとしてなら戻れる! 』
 脳裏に再生される、かつての友人の声とスウォアの台詞。解放の意味を持つ死と、困難が待ち受ける生。どちらが正解なのか――いや、どちらがウィンタの望みなのか。答えは、未だ導き出せない。
 ラルウァが此方に鉤爪を放った。それを跳んで避け、後方へ走る。更に追い討ちをかけようと動く相手の手を、グラディウスで弾き返す。
「――っ!」
 一撃が重たい。重量級のラルウァが繰り出す薙ぎ払いは、全力で踏ん張らなければ突き飛ばされてしまいそうだ。そもそも、この剣が力に耐えてくれるかどうか――どちらにせよ、そう長い時間はかけていられない。《月の力 フォルノ》を拡散させてしまえば、とか延々にウィンタの精神に語りかければ、とかそんな悠長な事は言っていられないのだ。その現実を見せつけられたかのような、絶望感が爪先から這い上がってくる感覚に負けぬよう力を込める。
 弾いた爪は、再び襲いかかってきた。何度も受け止められるものではないから、必然的に避けるのが主になる。右に避け、すれ違い様に腕に一閃叩き込む。エレンシアによる攻撃に、ラルウァは一瞬仰け反ったようだ。
 倒す力はある。でも、覚悟はない。どうすれば――。

『やくそくだぞ!』

 パッ、と脳内で何かが煌めいた。それが何だったのかは一瞬で零れ落ちてしまったが。
 クーザンは剣を握り直し、覚悟を決めた。ウィンタを――ラルウァと成り果てた幼馴染を救い出す。その、覚悟を。
 動きを止めたクーザンに、好機と見たのかラルウァが爪を伸ばす。それが届くより先に、地を蹴って跳躍した。爪が空を斬り、勢いの余り地面を抉って突き刺さる。知能がなくても分かるのか、それを抜こうと体を揺する。勿論――クーザンは、その隙を見逃さない。
 真っ黒い腕に飛び乗り、必死で足を動かしそれを走り抜けると、狙い易くなったラルウァの赤い目を斬り付ける。グラディウスの攻撃だからか、急所の目に攻撃を受けたからか、はたまたその両方か。咆哮を上げ苦しむラルウァの腕から落とされないようバランスを保ち、もう一度目を攻撃して着地する。叫びが、大きくなる。声が、ぶれていく。
 ――オレヲ、コロセ。
 そう言っている声が、二重にも三重にも重なり俺を責めるように、段々大きくなっていく。動揺している暇なんかない――そう頭で分かっていても心は誤魔化せないらしく、俺の足は一瞬止まる。
そこへ、ラルウァの爪が頭上から振り被られた。避けられない。
 一瞬で判断した俺は、グラディウスを掲げ爪を受け止める。重力で強化された力が、俺の両足から放出され地面を抉った。
「……く、そぉ…………!!!」
 メリメリ、とかけられる力は徐々に強くなっていく。尚悪い事に、視界の端で蔓が動くのが見え舌打ちした。両手が塞がっている今、攻撃されれば跳ね除ける手段がない。と、ラルウァの動きが止まる。
「「……グ、ギャアアアアア……」」
「!?」
 苦しげ――何故かそう思った――に呻くと、ラルウァは動きを止めていた蔓を俺に巻きつけるかのように動かし向けた。動けない俺は、咄嗟に目を瞑る。
 しかし、何時まで待っても痛みはやって来ない。怪訝に思い目を恐る恐る開けると、ほんのあと少しで額を貫ける位置で止まった鋭利な蔓に寒気を覚える。動く気配はない。何故だか知らないが、今が好機だと判断し爪を跳ね除け、拘束から脱出した。
 力の支えがなくなりつんのめるラルウァの腕を一閃、次いで背後に回り込み三度斬りつける。振り向かれる前にその場を離れ、向かってきた蔓を弾き返す。クロスやスウォアのように素早くとはいかないが、自分も一応は身軽さを利用して動く戦いの方が得意だ。相手を撹乱し、舞うように斬りつける。それが、自分の名が『カイル』だった時からの戦い方。自然と、次にするべき行動が頭に浮かぶ。
「ごめん……」
 ポツリ呟き、グラディウスを掲げた。俺はやっぱり、お前に生きていて欲しい。でも、これ以上苦しみを味合わせたくないんだ。
 だから、俺は――……。
「ああああああああああああああっ!!!!!」
 込み上げてくる悔しさと無力感を振り払うように絶叫し、持てる限りの体力を足に向け、グラディウスを構え、ラルウァに接近する。再び腕を駆け上り、跳躍し、剣先を真下に向けた。
 そして――それは、ラルウァの身体を深々と貫いたのだ。目は閉じなかった。自らがした行いを、罪を脳に刻み込む為に。

   ■   ■   ■

「あ……」
 俯いたままのホルセルの傍に立っていたリルが、小さく声を上げる。その声に、ギレルノが反応し同じ方を――クーザンを見た。ホルセルも、目の辺りを赤くした顔をゆっくり上げる。
 クーザンが一瞬立ち呆けたかと思うと、グラディウスを掲げ叫びながら動く。今までに見た事のない、悔しそうな、泣き出しそうな沈痛な表情のまま。その光景は、滝の洞窟で見たカイルを彷彿とさせる。
 ――ーと、いう事は――。
「……選んだ、のだな」
 ギレルノは、何を、とは言わなかった。
 ユキナは、ただただ彼だけを見つめる。双眸には未だ雫が溜まっているが、もう拭う事も止める事も諦め、ぼうっと見続ける。クーザンが、これから一生背負う事になる罪。それを心に焼き付け、共に背負う為に。
 光が、コロシアムを包み込む勢いで広がる。四人は抵抗もせず、甘んじてそれに呑み込まれた。光が敵の魔法ではなく、クーザン達を中心として発生していたのを分かっていたから。
 視界が、真っ白になっていく。