第78話 犠牲となった者

 エアグルス大陸の一大イベント、バトルトーナメントが行われているピォウドドーム。その中央に据え付けられたコロシアムで、セレウグ達はサンと対峙していた。

 彼の背後には、ゴーレムのようにされているが恐らく二体のラルウァ。そして、会場には多くの観客がいる。試合開始のコールもアナウンスされていない事から、コロシアム内の雰囲気を感じ取ってくれているのか――どちらにせよ、有難い。
「何でお前が来たんだよ、サン」
 チャキ、と腰に吊るしているレイピアを鳴らしつつ、スウォアが彼に問うた。襲いかかって来れば直ぐに斬れる状態ではあるが、その気配はない。
 サンは一瞬年相応のきょとんとした顔をし、直後背筋が凍るような怖気のある笑みを浮かべた。本当に、子供なのかどうか怪しい奴だ。
「どやってええやろ。お前ら、ここで全員死ぬんやからな」
「何?」
「もう面倒なんだよ。何時も何時も邪魔をしてくるあんさんらを潰せば、オレらの計画は直ぐに達成されるんや。せやから、本腰入れてあんさんら潰しに来た。それでええやん」
「それで、単独でここに現われたと? それは慢心だったな、ここにどれだけの戦力がいると思っている」
 ギレルノの言う通りだ。このバトルトーナメントは、主催がジャスティフォーカスなだけあって数々の精鋭がこの地に集まっている。彼にラルウァがついていたとしても、自分達がそれを潰せば良いだけの事だ。
 それなのにサンは慌てる事もなく、変わらず猟奇的に嗤う。却ってそれが、セレウグに嫌な予感を抱かせた。それ位の事は、考えれば子供でも分かる。分かっていて尚、彼は自分達の前に現われたのだ。余程の自信があるのか、はたまた――。
「オレが何も考えてない訳ないやろ。ホレ、そこにいるやん――とびきり極上の、化物が」
 サンの妙な含みを帯びた言葉と、ソレが膨れ上がったのは同時だった。セレウグは、咄嗟に叫ぶ。
「――クーザン!! ウィンタから離れろ!!!」
 聞こえたかどうかは分からない。だが、見えた。突き飛ばされたのかぐったりとしたクーザンをユキナが抱え、彼女の目の前にいるウィンタが髪を掻き毟りながら呻いているのが。
「サン、テメェ……!」
 嫌な予感は的中した。心の底から湧き上がってくる怒りにセレウグはサンに飛びかかるが、彼はひょいと避け嘲笑った。
「予想出来たやろ? そやかて、一回はオレらの手中に収まってたんやから。お前ら、人間がラルウァになる条件って《月の力 フォルノ》だけやと思てたやろ? 残念やなぁ、そんならキセラ達はどないして生まれてるんや思たんや?」
「どういう事だ!」
「――月の草……」
 何時の間にか近くに来ていたレッドンが、確信を抱いた声音で呟く。その回答に口笛で応えつつ、サンは頷いた。
「そや。《月の力》を除ける力がある物質が存在するなら、逆もあってええはずやろ? タダで逃がす訳ないやん。アイツの親友っつー、壊すのが面白そうな玩具を」
 その視線は、クーザンを心底嫌悪し、憎悪に満ち溢れていた。正しくはカイルを、だろうか。
「他人には全く興味ない素振りばっかしてるくせに、ソイツやディアナだけは違うもんなぁ。お陰で分かりやすぅて助かったわ、おーきに」
「それ以上何か言うなら、その頭撃ち抜くよ」
 低い、低い声。一瞬誰の物なのか判断しかねたが、直後隣に立った漆黒が視界に入り気が付いた。
「ユーサ!?」
「観客は避難させるよう指示してきた。これはもう、トーナメントじゃない」
 感情を怒りに支配されかけていたので気が付かなかったが、彼の言う通り、観覧席では大人数の観客達が悲鳴を上げながら避難を開始しているようだ。アナウンスも、ここから逃げるよう繰り返している。
 彼のこんな声は、かつてタスクが奴らに殺されかけた時以来だ。怒りを表に出さないよう堪えているのだが、それでは隠し切れていないのだ。
「そういうこった!」
 そう言って現れたのは、ネルゼノン。両の拳を打ち付け、サンを睨みつける。
「僕らも加勢させて下さい。彼には借りがありますので」
「逃がさないヨ!」
 ディオルは杖を引き、仕込み刀を構えた。その隣に、レンも刀を携えて立っている。
「うちの管轄ド真ん中で二度もドンパチたぁ、良い度胸だ。潰すぞ」
「ユーサ、彼を助けてあげて。セーレも」
「こっちは任せなよ」
 口に煙草を咥えたまま、ハヤトは斧を片手に構える。以前立ち入り禁止を告げたにも関わらず姿を現したサンに、こちらは怒りを隠そうともせず殺意を向けている。カナイも愛銃を携え、セレウグ達の隣に並んだ。
 ザルクダは、緊張した面持ちだが敢えてそうしたのだろう、軽く微笑みながら促す。ライラックに至っては、無言で「早く行け」と言っていた。そこにアーク、サエリも立つ。
「……悪い、頼んだ」
 彼らが自分に行けと促したのは、意図的だろうか。内心で感謝を告げつつ、セレウグはサンに背を向けた。

   ■   ■   ■

 頭が痛い。中心に斧の一撃を受けて、頭が割れてしまったかのようだ。
 レッドンに捕まってルナデーア遺跡に連れて行かれた時、俺が閉じ込められた部屋にはゼルフィルとかいう男がやってきた。クーザンが何者なのか、ユキナと彼との関係。根掘り葉掘り尋問されたものだが、俺はそのどれにも答えなかった。こちらからの質問には答えないくせに聞き出そうなんざ、都合よく考え過ぎなのだ。
 とにかくそんな受け答えを繰り返していると、何処からともなく現れたのがあの黒髪の子供。自分より年下のようだったが、何とも尊大で高慢な態度が気に食わなかった。それに業を煮やし、あの子供はとうとう銀髪の男に指示を下した。俺を殺せ、と。
 当然、そうなるんだろうなとは思っていた。誘拐や殺人を平気で行う組織に捕まったのだ、それ位は簡単に予想出来る。それでも、俺は口を割るつもりはなかった。クーザンを、ユキナを、何より約束した自分を裏切りたくはなかったから。
 銀髪の青年が、武器を――鎌を構える。まるで死ぬ間際に迎えに来る死神のようだ、と俺は思い静かに覚悟を決めた。
「あ、ちょ待ちぃ。ええ事思い付いたわ」
「え?」
 子供が制止したかと思うと、ずかずかとこちらに近寄って来る。そして、俺の頭を鷲掴みし軽く持ち上げられた。一体何処にそんな力を隠し持っているんだと問いたくなる程の力で、頭の皮膚は抉られるような痛みを訴え始める。
「なぁ、オレ達あんさんに最高のプレゼントやるさかい。きっと喜ぶぜ」
「な、何を……」
 する気だ、と言う暇もなく、体内に直接電気を流されたような痛みが全身を駆け巡り――俺の意識は、そこで消えていた。冥土の土産にな、と言う台詞を耳に焼き付けて。

 そして――。とうとうその時が来たのかと、俺、殺されるんだなと、朦朧とした意識の中でそれだけははっきり分かってしまって。隣にいたクーザンに何が起きるか分からないから、咄嗟に突き飛ばしてしまった。大丈夫だと良いけど。
 ……そういや、結局クーザンにアレを渡してないままだ。出来るなら手渡してやりたかったけど、もう無理だ。意識のある内に。俺が、まだ俺である内に。
 これだけは――

   ■   ■   ■

 一瞬何が起きたのか、分からなかった。
 セーレ兄さん達の対戦相手、黒ずくめの人間の一人が、かつて自分を殺しかけたサンだと分かって、俺の中に恐怖と憤怒が湧き上がった。今すぐにでもコロシアムに飛び入り、剣先を向けたいと思った。
 何事かを話していたセーレ兄さんがこちらに向かって何かを叫ぶ。と思ったら背中に強い衝撃を受け、揺らぐ視界の向こうで、ウィンタが苦しんでいるのが見えた。どうしたんだ、と声をかけようとして、出来ない事に気が付く。柱に叩きつけられた衝撃で、平衡感覚が狂ってしまっている。これでは立ち上がるのも無理だ。
 と、ふわっと体が柔らかい何かに包まれる感覚がした。それから、次第に鼓膜に音が戻ってくる。
「――ィンタ、どうし――」
 この声はユキナか。直ぐにでも泣いてしまいそうな、それでも気丈に振る舞う声音は、何時かも聞いた彼女の声だ。
「クーザン! 頼む」
 今度は、はっきりと耳に届いた。彼らしくない、切羽詰まった様な、苦しげな声だ。
「俺を、殺せ」

 実のところ、俺は初めてウィンタに会った時の記憶がない。物心ついた時から仲が良かったと言われればそれまでだが、にしては母さんが大事にしまっているアルバムの写真には彼の姿が一切ないのだ。あるのはセーレ兄さん、ザルクダさん、タスクさん、そしてユキナ。それ位だ。
 それでも――大切な幼馴染には変わりないのだ。学校で色々あった時に、助けてくれた。旅の間だって、何かと支えになってくれていた。
 そんな彼の口から発された言葉は、今度こそ俺を地獄の淵まで叩き落とした。

「ウィンタ、何言ってるの……?」
 ユキナも、信じられないと言いたげな声音で返す。あぁ、コイツあとちょっとで泣く。そんなどうでも良い事を考えるのは、多分自分の脳が今起こっている事を信じたくないからだろう。
「俺は、お前らを傷付けたくない……化物ってのは、見境なく人を襲うんだろ。だから、」
「馬鹿! そんな事出来る訳、」
「出来なくてもやれ!!! 俺に、お前らを殺させんな――っ、う……!」
 ウィンタは悲痛に叫んだ直後、低く呻き咆哮する。その声が、彼のものから生き物ではないそれに変わっていく。
 今、俺の目の前で起こっている事が理解出来ない。脳が情報を処理しきれず、ショートしている――というより、情報整理を拒んでいるのだろう。
 ウィンタが自分を殺せと懇願してきて、黒が彼を覆い尽くして、叫んで、赤が網膜にこびりついて――
 漠然と、理解した。
 俺は、親友を死へと追いやってしまったのだと。頬に、温かい何かが流れた。何故こうなってしまったんだ、何処で間違えてしまったのだ、俺は、俺は、

   ■   ■   ■

 最悪の事が起こってしまった。彼らの目の前で、ウィンタは《月の力 フォルノ》に呑まれラルウァと化した。
「――時間切れだ 」
「ま、待って……!」
 ユーサが唇を噛み、絞る様に告げた言葉。それは、誰もを絶望の淵に追いやる事の出来る真実だった。縋る様に制止をかけるユキナを一瞥し、彼は目を背ける。
「姫。何度も申し上げたでしょう、化物になってしまった人間は、殺す事でしか救ってやれないと」
「で、でも……! そうだ、クロス! ねぇ、何か方法はないの!?」
 何時もとは違うユーサの雰囲気と言葉に既視感を感じ、だが今はそんな事を気にしている場合ではないと思い直す。自分よりも長い時を生きているクロス――もといセクウィなら、きっと何か方法を知っているだろう。そんな淡い期待を込めユキナは問うが、彼も静かに首を横に振った。
「…………、無理だ。あれだけの膨大な月の力を内に秘めていたなら、もう手遅れだ……」
「そんなぁ…………」
 もう、本当に駄目なんだろうか。ユーサもセクウィも知らない、ウィンタを助けられる手段はないのだろうか。ユキナもまた、現実を信じられずにいた。ウィンタが、自分達が倒すべき化物になってしまったなどと、信じたくはない。
 だが、現実は非情なものである。ウィンタ――いや、ウィンタだったラルウァはクーザンを抱えるユキナに標的を定め、咆哮する。大地がビリビリ震えている錯覚を起こす程のそれは、恐怖を植え付けられるのに十分だった。
 一頻り呻くと、まるでつむじ風の様に素早い動きで斬りかかってきた。ユキナはクーザンを抱えている為、避ける事はさっさと諦めぎゅっと目を瞑る。しかし、痛みは来なかった。
「コイツらには、指一本触れさせねーぜ!」
「そういう事だ。悪く思うな」
 目を開ければ、右にはホルセル、左にはギレルノが、ユキナとクーザンを守る様に立っていた。普段あれだけいがみ合っていた二人が、だ。
「……クーザン。どうしよう」
 未だ意識が戻らないクーザンの顔を見つめる。衝撃の余韻は消えているのか、そこまで苦しそうではない。だが、痛いのは体ではない。心、なのだ。
「あたし達、どうしよう……ウィンタを殺せる訳ないよ…」
 視界が滲み、クーザンの顔が歪む。駄目だと分かっているのに、目尻からは次々に涙が溢れ出す。もう駄目だ、あたしは戦えない。ユキナはただ、その場で涙を流す事しか出来なかった。

 戦況はどんどん悪くなっていく。サンが元々引き連れていたラルウァ二体。数こそ少ないが、それは対抗出来る手段を持つ人数次第だ。
 今こちらには、スウォアがいる。クロスも来れない距離ではない、だがそれだけだ。ユキナは戦意喪失、クーザンはそもそも意識を失っている。もっとも、目覚めたとしてもユキナ同様戦えるか怪しいが。
 そんな状況だと言うのに、ラルウァは今だ続いている避難する観客達を襲おうと蠢いている。
「ヤバい、アイツ観客まで仲間に引き入れるつもりだ!」
「弓兵! 足止め位は出来る、ラルウァの足を狙って撃て! 前線はラルウァの血に気を付けろ、仲間にされるぞ!」
 ザルクダの声とほぼ同時にハヤトが構成員に指示を飛ばし、観客の避難を第一に、ラルウァの足止めを優先させる。唸り声に怯む構成員もいるが、それを尻目に果敢に飛びかかるのはレン。刀を振り翳し、爪の様な鋭利な腕を薙ぎ払った。やはりそこまでダメージを与える事は出来ないのだが、行動の抑制程度になれば儲け物だ。
 そこにカナイのライフルが火を噴き、的確に追い討ちをかける。
「クソッタレが……アーリィと同じ犠牲者を出しやがって」
 ウィンタから離れた位置にいたハヤト達も、事態は把握していた。住人の一人をラルウァにした敵に憎々しげに呟き、更に隊列が乱れそうな部下に戟を飛ばす。
「……もっと早く気が付けていたら、ウィンタさんは助かっていたんでしょうか?」
 そんな光景を、負傷した構成員の治療に当たっているリレスは目にしながら、隣にいるレッドンに問いかけた。ただそれは、問いかけと言うより独り言に近い。レッドンも、槍を手に時折飛んでくる攻撃を弾き、答える。
「俺達は、何も知らなかった」
 そう、それが全てだ。ウィンタを助けた事で全て解決したと自惚れ、彼の変化に気が付かず、結果《月の力 フォルノ》の汚染をみすみす許してしまった。言い訳にしか聞こえないが、本当の事なのだ。
「…………。クーザンさん……」
 今はユキナが治療しているであろう、仲間の名を呟く。意識が戻れば、彼は大切な幼馴染を相手に戦えるのだろうか?
「良いザマだぜ、カイル」
 自身より多くの敵に囲まれているにも関わらず、サンは憫笑を浮かべる。その視線は、依然としてクーザンに向けられていた。
「てめーは一度、ディアナを殺した。そして再び生まれた時代で、今度は親友を殺す事になる。これ以上滑稽で愉快な事なんてねーだろなぁ!」
「悪趣味極まりねーな、サン」
 レイピアを構えたまま、スウォアはかつての同胞に殺意を向ける。
「よぉ、裏切り者。お前が言える立場じゃないやろ? 知ってて黙ってたんやん、お前」
「だから悪趣味だっつってんだろ。 あんだけ深く根付いちまってたら、取り返しがつかねーんだからよ」
 《月の力 フォルノ》が一度体内――或いは魂に定着してしまえば、それを払うのさえ至難の業なのだ。ウィンタはその上、呪いによってその手段さえ奪われていた。憎々しげに返すスウォアとは対照的に、サンはまるで面白い玩具で遊んでいる時のように冷ややかな、愉悦の笑みを顔に貼り付けている。
「せやから、せめて今のうちは何も知らんままで良いや思たんやろ? 同罪や、お前も」
「……言える訳がねーよ」
 レイピアを握る手に力を込める。一度は言おうとしたのだ。だが、言えなかった。大切に思う人物を奪われる苦しみを知っているとは言え、その先に待っている自分への仕打ちを考えてしまうと、どうしても先が続かなかった。人間ならば、それは当たり前の事なのかもしれない。結果、取り返しのつかない事になってしまった。
「言っとくけど、お前がそいつを殺したって無駄だぜ? そんなに濃い《月の力 フォルノ》を纏う奴は、ディアナの魔法かカイルの剣位力が強い奴やないと、魂が支配されてまたラルウァ化するだけや」
「…………」
 どうすれば、良かったのだろうか。スウォアは、いや――そこにいる誰もが、遅過ぎる自問自答に囚われつつも、ラルウァを相手に剣を取った。そうしなければ、自身が化物にされてしまうのだから。
 悲劇の序章。後日誰もがそう称した戦いは、こうして幕を上げた。