第77話 本戦最終、そして

 ――強い……! クーザンは、防戦を強いられていた。
 応戦するはディオル。彼の速さは、クーザンには追い付けるかどうかであり、正直自信はない。
ないが、このトーナメントで優勝する、という思いだけは負けたくない。譲れない約束があるのだ。
 応戦しつつ、クーザンは彼の動きを注意深く観察した。無駄のないステップ、迷いのない動き。人間である以上、そこには何かしらの癖がある。岩陰を利用し、再びバックアタックのチャンスを得る。息を潜め、今度こそはと飛び出す。
「――そこだ!」
「!!」
 またもや反応され、受け止められる。クーザンは深追いせず、直ぐに距離を取る。一瞬の攻防だったが、見えた。
「(見てないのに反応される……音で反応してるのか?)」
 それなら、驚異的な反応速度に納得出来る。先程、クーザンが攻撃を仕掛け受け止めた一瞬――彼は、こちらを見ていなかった。視覚で反応しているのなら、それはおかしい。実際、視覚に頼らず戦いの音を聞き戦う剣豪がいる訳なのだから、その考えは間違っていないと思う。
 もし、その推察が正しいのなら――クーザンはあまり好まない手だが、勝機はある。
 足元に転がる、拳大の石。妙に存在感のあるそれを一瞥し、クーザンは敵を見据えた。

   ■   ■   ■

 幼い頃、ネルゼノンは両親と弟を喪った。連日の大雨により緩んでいた地盤が崩れ、住んでいた家を飲み込んだのだ。自身は奇跡的に生き延びたが、それでも危ない状態だったそうだ。何しろ、土砂に体を埋めていたのだから。
 そこを助けてくれたのは、ハヤト率いる捜査課の選抜チーム。絶対絶命だったネルゼノンを助けてくれた恩人達に報いる為、十歳の誕生日を迎えるなりジャスティフォーカス構成員に候補した。
 そんな過去を持つネルゼノンだからこそ、ホルセルを気にしていた。生きていれば弟と同じ年、もう顔も朧げにしか覚えていない彼とホルセルを重ねる事は何度もあった。ジャスティフォーカス史上にも残るであろう事件に巻き込まれ、どんどん強くなっていく彼に、ネルゼノンはある種の羨望と嫉妬を覚えていたのかもしれない。
 バトルトーナメントはいつも賭けの側に回っているが、今回ハヤトに無理を言って参加させて貰ったのは、ホルセルが参加してくるかもしれないと思ったからだ。強くなった彼と戦いたい。それが、ネルゼノンの目的だった。
 その目的が成就され、今彼はホルセルと対峙している。
「全力で来いよ、ホルセル!」
「オメー、絶対楽しんでるだろ!?」
「当たり前だろ!」
 何時の間にか初期位置よりも大分離れており、開始してからの時間を物語っている。
 先日の試合で、ザルクダが立ちセレウグを見下していたその岩の近く。そういう造りをしているのか、周囲にもそれ位の大きさの岩が多くある。大剣は剣よりも大きく、その分余計に間合いを必要とする。そこを利用し、自分よりは小回りの効かないホルセルを翻弄する作戦を取った。予想通り、彼は思うように攻撃出来ない状況に苛ついているようだ。
 ネルゼノンは大剣の死角となる位置から近付き、サイドアタックを仕掛けようと動く。
だがそれを見越していたのか、突き出したナックル目掛け大剣の腹で打ち払われる。予想外の行動に舌打ちし、距離を取り――。
「――《氷柱雨》!」
 正直、驚いた。ホルセルが叫んだ刹那、何処からともなく鋭利な尖端を持った氷の柱が生成される。それらは円の陣形を取り、ネルゼノンの逃げ場を制限し――一気に突っ込む。ガシャガシャ、と氷柱がこすれ合う嫌な音が周囲に響いた。
 危うい所でそれを避けたネルゼノンは、噛み付かんばかりの勢いで怒鳴る。
「あっぶねぇな!!」
「悪い。でも、オレは負けられねーからさ」
 男と男の真剣勝負。そこに、魔法という間接的な攻撃手段は必要ない――と考えるネルゼノンは、ホルセルの真意を図りかねた。
 ただ、分かったのは。彼は、本気で自分を潰しにかかっているという事。しかも、自らが扱える技術全てを駆使して。ホルセルの口元に、今まで見た事のない種類の笑みが刻まれる。
「……そういう事かよ」
 だが、ネルゼノンにも男の意地と言うものがある。そう簡単に負けてやるつもりもない。再度両手をゴキリと鳴らし、その氷のような温度と、炎のような輝きを宿した空色に睨み返してやった。
 周囲は岩に囲まれ、双方逃げ道の選択肢は少ない。この状況では、武器の質量で不利なのはホルセルの方だ。果たして相手は、如何にして自分を倒そうと思っているのか――興味が湧かない訳はない。
 先に動いたのは、ホルセルだった。岩を蹴り、こちらの動きを抑制してきた。落下地点を予測し一歩後ろに避け、だがその間に相手は間合いを縮めて来る。武器を当てる為に必要な行動だが、それは時に自らの足を引っ張る。ネルゼノンは油断していた。魔法無しの勝負を挑みこそすれど、それ以外の事を彼はすまい、と。
 ガキィ、と聞くものによっては嫌悪を抱く音が鳴った。慌ててその方向を見れば、頑丈そうな岩に信じられない程の亀裂が入り、今にも崩れそうになっているところだった。
 ホルセルが狙っていたのは、ネルゼノン本人ではなく――その後ろに陣取る、高い岩。無数の氷柱が彼を狙い、避けられる事さえも見越して撃っていたのだ。嫌な破壊音が一際高く響き、続けて地が叫び出す。雪崩れてきた岩は、丁度ネルゼノンとホルセルの間を分断させる。
「げほげほ、おい、ホルセル!  てめぇ……」
 そこにいるはずの相手の名を呼ぶが、当然返事はない。――一瞬の殺気と、カラン、と石が転がる音。ネルゼノンは、咄嗟にそこから回避する。誰もいなくなった空気を切り裂いたのは、ホルセルの大剣ではなかった。
「ホルセルとの真剣勝負、邪魔してごめんね」
「お、お前……!?」
 目の前にいたのは、ホルセルと組んでいる剣士――クーザンだ。
 遅れて、自身のパートナーであるディオルも現れる。チラリと視線を送ると、彼はばつが悪そうに笑み、口を開いた。
「ごめんごめん、逃げられちゃった。流石に気配を追う事は出来ても、彼が何をしようとしているかなんて分からないよ」
「……そうか」
 言い訳にしか聞こえないようなディオルの台詞だが、ネルゼノンは怒る事もせず仕方ない、と受け入れた。仕方ないのだ、彼ではそこまで判断する材料を得る事が出来ないのだから。
 クーザンが、少し言いにくそうに話しかける。
「ディオルさん、君は」
「うん、僕は視覚障害者だよ。まんまと引っかかっちゃったなぁ……にしても、良く分かったね?」
 言わんとしていた事を何の躊躇いもなく先に答えたディオルは、少し首を傾げ問いかけた。驚きつつも、クーザンは求められた答えを口にする。
「攻撃に対する反応速度、音に反応して避けてるのは分かった。でも、左右から攻撃する時――一瞬硬直してたから。殺気が感じられないせいで、音は分かるけど方向までは分からなかったんでしょう?」
「ご名答。気配を探るのはちょっと難しくてさ」
 えへ、と恥ずかしさを紛らわす為に浮かべられた笑み。音を頼りに戦うのさえ並ならない鍛錬が必要だと言うのに、彼はそれを鼻にかける事はしなかった。
「さて、と。お喋りはこの位にして、続けよう。お客さんも怒っちゃうよ」
「喋ってたのはディオルとクーザンじゃんか」
「そうそう。オレらを差し置いて」
「ごめんね。そんじゃ……」
 全員が得物を構え、ある一瞬の後、会場は再び剣舞の音に包まれる。
 クーザンは向かって来たネルゼノンのナックルをグラディウスで受け流し、その背後から袈裟をしかけてきたディオルの剣を間一髪避ける。ほぼ同時に、避けられてつんのめった彼に向かってホルセルが大剣を振り、空振った。入り乱れる剣筋は、幾度となく空を斬り音を鳴らす。時折剣と剣がぶつかって鳴る金属音は、さながら音楽のアクセントだろうか。
 クーザンとホルセルのコンビネーションと、ネルゼノンとディオルのそれ。組んで来た経験自体は圧倒的に後者が長いのだが、度重なる極限状態での戦闘はそれに匹敵する経験を得られ、両者とも譲らない試合となった。
「クーザン、行くぜ!」
「任せろ!」
 ホルセルの掛け声により、彼とクーザンは相手に向かって駆ける。何か仕掛けて来る、と判断したディオルとネルゼノンも、武器を構え直し受けて立つ姿勢となる。
 振り下ろされる大剣、凪いだ片手剣。それらに載せられた力は衝撃を生み出し、周囲の岩場をも砕く。砂塵となった欠片が宙を飛散し、フィールドは見通しの利かない状態となった。やがて、それらが風に乗って視界が開ける。
 試合は決していた。
 クーザンは低い体勢になっているが、グラディウスは立っているディオルの首筋にピタリと当てられている。一ミリでも動かせば、頸動脈を傷付けて血が溢れるだろう。一方、ホルセルは倒れているネルゼノンの横の地面に大剣を突き刺し、俯いていた。ネルゼノンは気絶していないので、体勢を崩した隙に一気に振り下ろしたのだ。
 流石にこの状態からの逆転は不可能だと判断した相手二人は、苦笑いを浮かべながら両手を挙げ、降参の意を示す。試合終了のアナウンスが告げられ、ホルセルは大剣を引き抜くとネルゼノンに手を差し出す。彼は驚いたような表情だったが、直ぐに笑みを浮かべその手を取った。
「たは、参った!」
「悔しいなぁ。僕達ももっと頑張らないと」
「ぜってー勝てよ、お前ら!」
「あぁ!」
 集まった四人は互いに握手を交わし、激励を受ける。ネルゼノンに背中を叩かれたホルセルは痛そうにしているが、笑顔は消えなかった。
「クーザン君、ホルセルをよろしくね。ゼノンみたいに一度暴走すると手に負えなくなっちゃうから、気を付けて」
「うん、もう経験したから分かってる」
「ディオル、コイツと一緒にするな! そんでクーザンも真面目に返すな!!!」
「コイツとオレの何処が一緒なんだよ!!!」
 揃って似たような反論をする二人に、ディオルとクーザンも思わず噴き出す。しかし、何時までも笑っている訳にはいかない。未だに試合でぶつかっていないノイモントの真意が掴めない今、気を引き締め直すべきだろう。《輝陽 シャイン》も勿論だが、ノイモントの目的も達成されるのは阻止せねばならない。エアグルス大陸を束ねる一族の没落――そして、その後釜になるであろうノイモントによる独裁を阻止する為には。
 そんな思考を読んだのか、言い合いを続けるホルセルとネルゼノンを横目に、ディオルは口を開く。
「クーザン君、ノイモントにぶつかったら気を付けて。あと、黒ずくめの人達も」
「分かってる。君達も気を付けて」
「ありがと。でも、心配なのは……」
 彼の視線が、電光掲示板に移ったのを知りクーザンも見る。そこには、セレウグ達と対する人物の映像があった。ディオルの言う、『黒ずくめの人物』の映像が。
「彼らは、一応国籍とかはしっかりあるみたいで、エントリーも問題なく通ってた。ただ、ノイモントに繋がってるっていう噂があるみたいで……」
「本当か?」
 このバトルトーナメントのエントリーは、(後に公表されたとは言え)景品としてリダミニータ=ル=エアグルスの近衛隊への配属があったせいか妙に厳しく、またそれらも全てジャスティフォーカスの非戦闘員が全て行ったと聞いた。それを掻い潜りエントリー出来たと言う事は、やはり何らかの細工が施されていたに違いない。恐らくは、あの表示されているリーダーの名前も偽名だと思われる。
「うん。彼らとノイモントを名乗っていた女性が、接触していたのを見た人がいたんだ」
 ノイモントを名乗る女性、というのは恐らくラニティの事だろう。ここまで来ると、ノイモントという組織もそうだが、黒ずくめの人物もいよいよ怪しい。どちらにしろ、警戒するに越した事はないだろう。
「僕達は、今まで通りここの警備も兼任してる。何かあったら、直ぐに教えてね」
「ありがとう。そうする」
 忠告を素直に受け取り、クーザンはホルセルを呼び寄せコロシアムを後にした。ここは直ぐにセレウグ達が使うのだ、長居は無用。というより、先程からスタッフの視線が痛い。
 早々に引き上げ、待機していたサエリとも合流し、セレウグ達の試合を待つべくウィンタ達がいるであろう観覧席に急いだ。

   ■   ■   ■

 セレウグ達の次の対戦相手は、黒ずくめのマントを羽織った謎の三人組。これまでの試合では、威圧からか相対する人間は底知れぬ恐怖を感じ取り、逃げ出そうとする者もいた。まともに戦ったかと思えば、拍子抜けする程あっさりと勝敗を決してしまうのだ。その為、彼らの戦闘能力は未だ未知数。用心するに越した事は、
「おい」
 ふと、セレウグの隣に立つスウォアが声をかけた。その表情には、これから始まる戦闘に嬉々としているものではなく、酷く険しく顔を顰めている。こういう表情をする時の彼は、ふざけた事は言わない事を学んだセレウグは、何だ?と応えた。
「気を付けろ。まだ分かんねーが、あいつ……」
「え?」
「さぁ、本戦も残すところあと四試合となりました! 次の対戦は――」
 黒ずくめの三人組を睨みつけたままのスウォアが言下しない内に、アナウンスは会場を盛り上げようと響かせる。歓声がより一層高まり、聞き直すチャンスもなくなってしまった。
 黒ずくめの三人組、そのうち小柄な方がこちらに歩み寄ってくる。試合前の挨拶だろうと思い、セレウグも足を一歩出し――肩を掴まれる。振り返れば、今度はギレルノが制止していた。何だよ、と声を上げるよりも早く、彼は黒ずくめの相手に向かって問う。
「何をしにきた、貴様」
「こんな公の場にまで来るたぁ、関心しねーぞ」
「え?」
 スウォアも確信したのだろう、ギレルノに続けて発言する。未だに何なのか分かっていないセレウグは、ぽかんと二人を見ていた。
 質問された相手の、マントのフードから僅かに見える口元が弧を描く。
「まぁな。祭りと来ちゃぁ、参加せん訳にはいかんやろ思てな」
 特徴的な訛りのある話し方、小柄な体格、仲間が警戒する敵。セレウグも、そんな事柄が当て嵌まる人物がいたのに気が付いた。
「お前、まさか……」
「は、ようやく気が付いたんか。あんさん頭硬いなぁ、異眼の拳王」
 呆れた様な台詞の後、フードが取られる。その下には、彼らが思い描いていた敵の顔があった。爆発したような短い黒髪、同色の大きめな瞳、幼い顔立ち、残酷に歪められた笑顔。
――サンだ。
「ちなみにモノホンの中身は、今控え室で仲良くお寝んねしとる。こいつらのフリをしてここに来た理由は……もう分かっとるか?」
 彼の背後に立っていた二人の黒ずくめのマントの人間が、ゆらりと蠢いて正体を現した。ゴーレム――いや、人型をしているが、あれは……。
「タダで逃がす訳ないやろ、お前らをな」
 死神の声が、しんとなった会場に酷く響いた。