第76話 強き心

 夜は訪れた。部屋に唯一ある窓からそれを確認したユキナは、音を殺して立ち上がり軽く準備運動を行う。扉の外にいる男達から、夜の見張りは交代で一人ずつだと事前に情報を手に入れていた。相手が女だからと油断しているのかは知らないが、好都合だ。一人倒せば後はどうにか出来るのだから。
 さて、その一人にいかにして、この部屋の鍵を開けさせるかだが。ユキナは扉のすぐ右側に立ち、すぅ、と空気を吸い込むと、
「――きゃあああぁ!!!」
 切羽詰まった時に上げるような悲鳴を、だがあまり大きくならないように叫んだ。
 直後、扉の向こう側にいる見張りが反応し、「何だ!?」と声を上げた。少し待つと、ガチャリと重たい金属音が鳴り、扉が動き始める。部屋は暗い。外から差し込む照明の光が眩しかったが、ユキナはそれを利用し、見張りの視界の外から攻撃を仕掛ける。
「――はああぁっ!!」
「!? ぐはっ……」
 見張りの横腹に向け、強烈な蹴りをお見舞いする。女の力などタカが知れているが、履いているのは鉄底のブーツなので、それなりの痛さはある。それに完全な不意を突いた攻撃なのだ、ガードも出来ない見張りの体は思ったよりも吹っ飛び、壁に打ち付けられる。
 邪魔がいなくなった扉を走り抜け――ようとし、男が立っていた場所に何かが落ちているのに気が付く。メモ帳のようだが、そこには黒塗りされた丸い円のマークが印字されていた。何となく気になって、ユキナはそれを拾い上げ今度こそ扉を潜る。
 左右を素早く見渡す。相変わらず似たような廊下が続く場所だが、とにかくここに長居は出来ない。勘を頼りに、右の方へ走り出した。判断は正しかった様で、すぐに階段を見つける。一段一段上がるのももどかしく、数段飛ばしで駆け上がりつつ後ろを見れば、騒ぎに気が付いたらしい見張りの仲間が駆けて来ていた。捕まえろとか、逃がすなと言っているのが聞こえる。
「ううう、ここ何処よぉ!!」
 このままでは、また捕まってさっきの部屋に戻されてしまうだろう。それだけは避けたいが、現在位置も分からず何処に行けばクーザン達に合流出来るかも分からないので、このままではヤバい。
 とにかく捕まらないよう、踊り場をくるりと駆け抜け――ばふ!と、何かにぶつかった。後ろを気にし過ぎて、前方を見てなかったのだ。
「あっ、ご、ごめんなさ」
 言葉が途切れたのは、その何かがユキナの口を塞いだからだ。あいつらの仲間が先回りしていたのか……ユキナはさぁっと顔を白くさせた。
 だが何かは、いや誰かは何も言葉を発さず。段々見張りの仲間の怒号が近付き、その内容もはっきり聞こえる距離になってしまった。心臓の音が、鼓膜を破ってしまうんじゃないかと思う大きさで脈打つ。
 ――しかし、その足音が横で止まる事はなく、それはそのまま横を通り過ぎて行った。しんとした廊下の空気が戻ってきた頃、誰かはふと力を緩め、押さえていたユキナの口から手を退かした。
「大丈夫」
 淡々とした、それでいて疑問に思っているようなニュアンスを含ませ短い言葉で聞いてくる話し方のその相手は、ユキナの良く知っている人物だった。けほけほ咳をしつつ、返す。
「大丈夫も何も、息が出来なくて死にそうになったよ……」
「……ごめん」
「ううん、助けてくれたんだから良いよ。あれ、でもレッドン君、何でこんな時間に」
 相手、レッドンは少しばかり申し訳なさそうに、眉尻を下げ謝罪してきた。そんなつもりはなかったユキナは慌てて首を振り、訳を問うた。彼はこくんと頷くと、やはり淡々と言葉を紡ぐ。
「俺とクーザン、気配を感じて、捜してた」
「あたしを?」
「詳しくは、後。戻ろう、あいつらが来る前に」
「う、うん」

 同じ頃、クーザンは別の廊下で考え事をしながら歩いていた。勿論、目的はレッドンが言ったようにユキナの捜索である。が、彼には気にかかる事があった。
 それは、昼間のギレルノVSレンの試合の事だ。あの試合の途中、クーザンは妙に懐かしい気配を感じた。辺りを見回しても何か気にかかるようなものはなく、サエリとリルがしりとりをしているのを見てからは試合の方に視線を戻したのだが。
 ギレルノから返されたグラディウス。それも変わった様子はなかったが、やはりクーザンには何か引っかかって仕方なかった。
「坊や、こんな夜更けに何をしているの?」
「――!」
 迂闊だった。警戒はしていたのだが、考え事に没頭したせいで反応が遅れてしまった。声の主は既に自分の目の前にいる。
「駄目じゃない、成長期の坊やがこんな時間に起きてちゃ。おっきくなれないわよ?」
「余計な世話だ」
 いろんな意味で、と付け加えかけたが、それはプライドが許さなかったので飲み込む。
 相手、ラニティは昼間の武装した姿ではなく、いかにも今から寝ますと言った格好だった。胸元の開いた衣服を纏い、妖艶に微笑む彼女に月光が射す。
「お前こそ、こんな時間になんだよ」
「私は、ちょっと呼ばれちゃってね。お肌に良くないのに、嫌になるわ」
「なら、さっさと行けば良いだろ」
「つれない坊やねぇ。そんなんじゃ、彼女に逃げられちゃうわよ?」
 何かと構われる彼女の言葉に適当に返し、早々に退散しようとしていたクーザンだが、最後の一言にうっかり鋭い睨みをきかせてしまう。
「あら、冗談で言ったつもりなのにいるのねぇ。ふふ、あの王女と一緒で若いわ」
「王女?」
 自分でも驚く程の低い声、だがラニティはさして動じた様子もなく受け答える。
「そう、夕方お話していたのだけど、本当に可愛い子でね。羨ましい位に」
 ――決定だ。クーザンは、内心でそう結論付けた。
 リダミニータは、ジャックがヘマをしていない限り謁見する事は出来ない。ならば、やはり彼女によく似ているユキナが捕まっていると言う事だ。更なる確証を得るべくクーザンは口を開いたが、それより先にラニティは服の裾を翻して背を向ける。
「じゃ、行くわね。明後日、戦えるのを楽しみにしているわ」
 明後日――バトルトーナメント最終決戦。余程勝ち上がる自信があるのだろうか。不敵な笑みを浮かべ、彼女は軽い足取りで月明かりが射し込む暗い廊下の闇に消えて行った。
 何だったのだろうか、とクーザンが一息吐くと、まるで狙ったかのようにラニティと入れ違いで己の名を呼ぶ声が耳に届く。
「クーザン!」
 それは、捜していた幼馴染。隣には、漆黒のジャケットを着た仲間がいる。
「ユキナ、レッドン!」
 ラニティが去った後で助かった。もしここで彼女がいたなら、間違いなく戦闘に発展していただろう。駆け寄ってくる彼女に顔を向け、クーザンは拳を握りその脳天に軽く拳骨を喰らわせた。
「い、いったあぁ!」
「この馬鹿ユキナ、あれ程単独になるなっつったろ!」
「ご、ごめんなさいぃ」
 殴られた頭を両手で押さえ、涙目で謝罪を口にするユキナ。そんな二人を見て、レッドンが微かに微笑みを浮かべていたのは、クーザンも気が付かなかった。
「今日は俺達の部屋で休め。それか、女子の部屋行くか?」
「ううん、もう夜遅いしそっちで良い。あのね、あたし王女様と間違えられちゃったみたい」
「知ってる。ジャックに聞いた」
「それでね、これ――」
 ユキナは、先程拾った手帳をクーザンに渡した。
「捕まえてた人達が落としたのを、気になって拾って来たの。中身は、まだ見てないけど」
「黒の背景に、白い円……?」
 ひっくり返してみるものの、やはり柄と言う柄はそれだけ。と、クーザンが訝む横からレッドンが口を開いた。
「新月、じゃないかと思う」
 新月――本来なら煌々と夜の空を照らす月を、太陽が覆い隠してしまう現象の事だ。また、この大陸で《月》と言うと、真っ先に思い浮かぶのはディアナの事。転じて、彼女が統治するこの大陸を言う事もある。
「……と言う事は」
 この手帳は、ノイモントの奴らの計画が書かれているのではないだろうか。クーザンはそう結論付け、手帳を開いた。

   ■   ■   ■

 翌日の初戦は、セレウグ達のチームとクーザンが戦った悪魔族のチームだった。レンに敗北を喫したセレウグチームは、これ以上の負けは許されない。……が、どうもその心配は杞憂に終わるようだった。1VS1のレンとの戦いとは違い、3VS3で戦えるその試合は余裕だったらしい。
 主に張り切ったスウォアの神速の剣捌き、セレウグの鍛錬された拳、ギレルノの的確な後衛により生まれた圧倒的な連携プレーは、会場を沸かせるのに十分だった。

「お、お前ら!?」
「やーホルセル、久しぶりー」
「この時を待ってたぜ。公式にお前をぶっ飛ばせる日をな」
 クーザン達の本日の第一試合、相手はネルゼノンとディオルの二人。
 ディオルは普段通りのほほんとしているようで、だが全身に纏う雰囲気は真剣味を帯びている。対してネルゼノンといえば、小さい子が見ようものなら泣き出してしまいかねない笑顔を浮かべ、手をポキポキ鳴らした。
「あら、やる気満々ねぇ。じゃ、アタシは観客になるわ」
「すまねぇ姐さん。恩に切る」
「クーザン君、お互いにベストを尽くそう。僕は、全力で君と戦いたい」
「……よろしくお願いします」
 差し出された右手と、ディオルの笑顔にクーザンは応じ、位置に着く。今回のフィールドは、先日のセレウグVSザルクダが行われた岩場だ。
「それでは始めます! 同僚同士の剣の打ち合い、勝利の女神が微笑むのは一体どちらか! レディー……ファイ!!!」
 開始のアナウンスと共に動いたのは、ディオル。仕込み刀をすらりと抜き、真っ直ぐクーザンに向かって来る。その素早さは、恐らくクロスやスウォア並だろう。
 咄嗟にグラディウスを掲げ、がぃん!と金属音が鳴る。あっという間に間合いを縮められ、先制攻撃を許してしまった。競り合いに転じるのを避け、クーザンはグラディウスを払う。素早く引き戻し、今度はこちらからしかける。ディオルの仕込み刀は、グラディウスより細いがスウォアのレイピアよりは太い。弾き返し、丸腰にするのは容易いはずだ。
 足場の悪いステージを駆け、岩を利用しつつディオルの背後を取る。彼の腕目掛け斬り付けを放つ。
「!? な……」
 が、あろう事かディオルは至近距離にも関わらず、その攻撃を避けた。クーザンとは逆の方にステップを踏み、振り向き様に袈裟を打ってくる。完全な不意打ちだったはず――とクーザンが考える時間さえも与えられない速さで、次々と攻撃を仕掛けてくるディオル。流石はジャスティフォーカス構成員の一人、やはり強さは桁違いだ。
 追い付けない訳ではないが、クーザンより少しばかり速い。加えて先程の反応速度、伊達に修羅場を潜り抜けては来ていないと言う事か。

 一方ホルセルの方も、多種多様な攻撃を繰り出すネルゼノンに苦戦していた。
 ネルゼノンの武器はナックル。必然的にセレウグと似たような攻撃方法に偏るが、例えるなら彼が流派を重んじる戦い方、ネルゼノンが我流で所謂我武者羅と言えなくもない戦い方。柔と剛と言った方が分かりやすいか。前者は型が決まっている分攻撃が読みやすいのに対して、こちらは思わぬ所から攻撃を貰う事が多く、読むのも難しい。
「全力で来いよ、ホルセル!」
「オメー、絶対楽しんでるだろ!?」
「当たり前だろ!」
 ホルセルは大剣の間合いを保ちながら、自身の立ち位置を変えていく。正直な話、速さではネルゼノンに勝つなんて無理だ。だから、彼にはないカードで勝利を目指す。
「(多分終わったら怒られるけど……関係ねぇ!)」
 ナックルを弾き、生まれた隙にホルセルは大剣を掲げ、声高に叫んだ。

   ■   ■   ■

「ワリ、遅くなった!」
 その頃観客席では、汗だくになりながらウィンタが到着した。余程急いでいたのだろう、煤や埃が服に付着したままだ。
「ウィンタが遅れるなんて珍しいね? 何してたの?」
 あれからノイモントの動向が分からない今、念の為にとマントを被ったあたしは彼に尋ねると、ウィンタは仕事だ、と言って席に身を預ける。学校でも始業時間に遅れる事なく、また待ち合わせをしても一番先にやってくる。そんな彼が、クーザンの試合に遅れてきたのが珍しいと思うと同時に、不思議に思った。
 それにしても、ここで会った時より大分顔色が悪いような気が……と訝んでいると、リレスも同じ事を思っていたのかウィンタに声を掛ける。
「ウィンタさん、無理してここで見られなくても大丈夫ですよ? 医務室からでも、コロシアムのほうは見えるようでしたし」
「あー、別に大した事じゃねーから大丈夫だよ。あんがと」
 いつも通りの答え。あたしは意を決して、ウィンタに聞いてみる事にした。
「ねぇウィンタ、何か隠してない?」
「いや、何も」
「本当?」
「本当だって」
「じゃあ何でこっち見てくれないの?」
 さっきから、視線はコロシアムのクーザンに向けたまま。あたしはウィンタが何か隠しているのを確信し、それを引き合いに出してみた。案の定、嫌そうに顔を顰めてようやくこちらを見るウィンタ。
「……大事じゃないから良いんだよ。それに、クーザンに迷惑かけたくねーし」
「やっぱり何か……」
「ユキナ、お前だって同じだろうが。クーザンに迷惑かけたくないから、何も言わずにあいつらの後をついてったんだろ」
「それは……」
 それを指摘されると、痛い。クーザンや彼に真実を告げずにゼルフィルについて行った(正確には連れて行かれただが)のは、今ウィンタが言ったように心配されたくなかったから。誰にも迷惑をかけたくなかったからだ。ウィンタの隠している事がそれと同じだと言われてしまえば、あたしにはもう反論する手段がない。
 厳しい表情を一転、彼は笑顔を浮かべあたしの頭をフードごとわしわし撫でてきた。思わぬ事にひゃ、と声を上げてしまい、恥ずかしさに睨み付ける。
「心配すんなって。お前はクーザンの心配してりゃ良いんだよ」
「何それ!」
「言って欲しいのか? 良い加減くっつけって」
「あーわーわーわー! バカウィンタ! こんな所で言わなくても良いでしょ!」
「こん位の人間がいる前じゃないとお前聞かないだろ」
「もう知らない! バカウィンタ!」
 側で聞いていたリレス達が苦笑しているのには気が付かないまま、あたしはウィンタにそっぽを向いた。頬を膨らませて「怒っている」という表現をしているのに、彼は仕方ないなぁと言った調子で再度あたしの頭を撫でる。
 バカバカ、と連呼してはいるけど、やっぱりあたしにとって彼は大切な幼馴染で、良き理解者である。そこまで本気で怒る事は出来ない。周りの皆もあたしやウィンタを宥めようと、口々に発言する。もう試合の様子なんて関係ないのだろうか、と思った程だった。

 でも、まさか。それが、最後の談笑になるなんて――思っていなかった。