第75話 本当の理由

 しかし、刀が肉を抉る事はなく――皮膚の僅か数ミリ先で、ピタリと止まった。
「……もう良いヨ」
 一瞬、誰の声か判断が出来なかった。それ位に、レンの声は穏やかで、試合中の勢いはもうどこにもなかった。
 チャイムが鳴る。それは試合の決着を告げる合図で、即ち俺は負けたのだ、と理解する。
「分かったヨ。お前の中には、私達が讃える神がいル。だから、神器を奪った――いや、持っていたんだネ」
「……お前、さっきのが見えたのか」
 さっき、とは勿論、俺の過去を投影した夢の事だ。いや、そもそもあれは夢だったのだろうか?  あの少女の仕業だったのだろうか?
 まさかと思い問いかけると、レンは刀を鞘にしまいながらコクリと頷き、続ける。
「見タ。それに……お前の剣には迷いがあル。そんな奴が、みんなを殺せる訳がなイ。姉さんを殺したのハ、お前の中にいる神だったんだナ」
「……謝っても意味がないのは分かっている。だが、」
 すまなかった、と口にしかけるが、レンはそれを制し笑みを浮かべる。それはあの和装の女性と同じで、まるで彼女自身がレンに乗り移って笑っているんじゃないかと思えた。
「分かってるヨ。私は、事実が知れただけで嬉しいんダ。お前は嘘が吐けない――そう剣が教えてくれたからネ」
 す、と右手が差し出される。握手を求められているのは明白だ。俺は心の突っかかりが少しなくなった事を感じながら、それに応じた。

   ■   ■   ■

 此処は何処だろう? 小さい時に読んでいた絵本の中に、森の中を歩いていると何時の間にか不思議な場所を歩いていたっていうお話があった。でもこれは、明らかにそんな幻想的な事じゃなくて。
 あたしは何してたんだっけ?と軽く首を捻り、直ぐに変なとこで眠りこけてしまったのを思い出した。
 無機質な部屋は、スウォア達がいた塔で使っていた部屋を思い出させる。生活感が皆無で、冷たくて、恐怖感を抱かせる、出来れば直ぐにでも抜け出したい位の。
 でも、何故か扉は鍵がかかっているらしくて、開かなかった。代わりに、外から誰かの話し声が聞こえた。出来る限りピタッと扉に耳を当て、何を言っているのか聞いてみる。
「――おい、試合終わったぞ」
「マジで? 見たかったわ」
「表に実況流れてるから、見てくれば良いだろ」
 試合って、バトルトーナメントの事かな。という事は、少なくとも大移動はしてないから、此処さえ抜け出せればクーザン達と合流出来るって事ね。ちょと安心しつつ、あたしは更に外の声に耳を傾けた。
「にしても、まさか王女が一人で彷徨いてるとはな。ぶったまげたぜ」
「案外、王宮暮らしが退屈で抜け出してたんじゃねーの? 俺達にとっちゃ好都合だ」
「作戦も大分短縮されたしな。リーダーのあのはしゃぎよう見たか?」
「あぁ、まるで子供だったな」
 もしかして。もしかしてもしかして!
「あたし……王女様と間違えられてる……?」
 サーッと血の気が引いた気がした。どう考えても、それしか考えられない。そりゃ、確かに、王女様とあたしはそっくりだと自分でも思ったけど。
 でも、うん、落ち着こう。多分、クーザン達はあたしがいない事に気が付いてくれてるはず。なら、あたしが出来る事は、ひとつしかない。
 部屋に備え付けられた窓から空を見ると、まだまだ日は高い。動くなら、トーナメントが終わっている夜。もう少し待ってから、此処を抜け出そう。あたしはそう心に決めると、音を立てない様に床に座り込んだ。

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 数時間後――。
「いやー、あって良かったな!」
「あぁ、助かったよホルセル。二人も」
 近郊の鉱山に赴いていたホルセル達は、意気揚々とコロシアムに帰ってきた。ウィンタの手には、彼の目的だった鉱石が抱えられている。
「これで、剣が出来るんですね」
「金鉱石と銀鉱石、両方とも手に入るなんてラッキーだったね!」
「どっちかが手に入れば良いかって感じだったからな」
 コロシアムは試合が終わった為、騒がしいもののそこまで耳障りにはならない。あと三十分もすれば太陽は地平線に沈むので、また夜の催し物などが行われるだろう。両手の荷物を抱え直し、ウィンタは彼らを振り返る。
「よし、俺はこれからこいつら使って仕事するよ。みんなはどうする?」
「私は部屋に戻ります」
「ボクはサエリ達と合流しようかなぁ」
 リレスとアークがそう言う中、ホルセルだけは少し悩む素振りを見せ、やがて言いにくそうに口を開く。
「なぁ、ウィンタの仕事見てちゃダメかな」
 あまりにも意外な申し出に、ウィンタは目を丸くした。正直、鍛冶仕事など見ててもつまらないものだと自分でも思う。それを進んで見学したいなどと、言ってしまえば自分のように、何かを作る行為が好きな者位しか言わないだろう。
「別に良いけど、つまんないぜ?」
「見たいから言ってるんだよ」
「そっか」
 一応言っておけば、分かってるよ!と言わんばかりの即答が返って来たのでウィンタも了承する。そう言う事なので、リレスとアークとはもう一度付き合ってくれたお礼を告げ、別れた。

 ホルセルを引き連れ、工房に戻る道のりは何故か無言。まだ何かを言いたそうにしてはいるが、ウィンタは敢えて聞かないまま戻った。
 親方に帰宅を告げ、元々サポーターに訪れる鍛冶師の為に設置されているタタラの前に移動。作業場に来客用の椅子などないので、今は何も入っていない木箱をひっくり返し代わりにした。そこにホルセルを促し、仕事道具を側に持ってくる。
「今日は何するんだ?」
「これ」
 次に手に取ったのは、芯となる剣の刀身部分と、剣の刀身を模った鋳型。こちらには柔らかい性質を持つ鉱石を使っているので、そう簡単には折れない。柳に風という奴だ。ホルセルはそれをまじまじと見、首を傾げる。
「メンテじゃなかったのか?」
「あはは、それは後で。ちょっと先にやりたくてさ」
「なるほど」
 タタラに広葉樹の薪を補充し、火をくべる。煙たい煙は直ぐに換気され、先程と変わらない空気が入ってきた。そして、作っておいたスペースに金鉱石と銀鉱石を載せた鉄の入れ物を置き、溶けるのを待つ。
「で、何?」
「ん?」
「わざわざここまで付いて来る位だから、クーザンか誰かに聞かれたくない話があるんだろ?」
「……バレたか」
 てへ、とバツの悪い苦笑を浮かべながら、ホルセルは頷く。
 おかしいと思ったのだ、見たいはずのセレウグの試合を放って自分に付き合うと言った時点で。気付かれるとは思っていなかったらしい彼の台詞に呆れつつ、タタラの中の鉱石を見守る。少し赤みを帯びてきたようだ。
「ウィンタは、何で鍛冶師を目指してるんだ?」
「何でって……」
 火加減を調整しつつ、ウィンタは答えようとして黙り込む。
 今までこの手の質問には、「物を作るのが好きだから」で済ませてきた。だが、ホルセル相手にそれは駄目だ、と思ったのだ。少し考え、本当の答えを口にする。
「昔な、約束したんだよ。俺は最高の剣を作り、アイツはそれで最高の剣士になるってさ」
 何をするにも一緒だった。記憶にある限りの自分とクーザン、そしてユキナは。
 だから、三人力を合わせれば大陸最強のグローリーさんにも勝てる――純粋にそう思っていた。だからこそ、この約束は自分にとって特別な意味を持っているのだ。
「まぁ、トルンに越してくるよりもずっと前の話だからな。アイツは朧げにしか覚えてないかもしれないけど、俺はハッキリ覚えてる」
 まだ自由に外に行けなかった頃。ようやく、文字の練習をし始めた頃。未来の選択肢は幾つもあった。でも、ウィンタとクーザンはその頃から決まっていた。約束を、交わしていた。
 そんな遠い思い出の自分達が、今はこんなにも眩しい。約束を果たせば、彼らがもっと近くなるような気がした。
「だから、何がなんでもコイツだけは作り上げたくてさ」
 熱されて液体になった鉱石を、入れ物ごと金バサミで引き寄せ、石の上に置く。先ずは銀鉱石。
もう一つの、こちらは何かをつかみ上げるのに適している金バサミで持ち上げ、鋳型に流し込む。むあぁと熱気が襲い、汗ばんでいる位だったのが一気に雫となって肌を伝う。
 そんなウィンタを見ながら、ホルセルははぁ、と一つ溜息を吐いた。
「良いなぁ、夢がある人って。かっこいいぜ」
「ホルセルもあるだろ?」
「ないよ。このままずっと、ジャスティフォーカスにいるんだろうなーとは思うけど。……思ってたんだけど」
 つい、とホルセルの視線が地面に落ちる。何があったのかウィンタは知らないが、その表情には一抹の寂しさも含まれているような気がする。そんな彼の姿を直視し続けるのも申し訳ないので、ウィンタは作業を続けた。溶けた銀鉱石が少し冷えて固まるのを待ち、金鉱石を流し入れる。
 銀鉱石は金鉱石よりも脆い。代わりに、柔らかいので加工するのは容易だ。芯を銀鉱石で包み、それを刃になる金鉱石でコーティングすれば、頑丈さと作業効率のアップに繋がる。
「それも立派だと思うよ。少なくとも、俺よりは」
 そうして出来た刀身部分が完全に冷えるのを待つ間に、今日充てられた武器のメンテナンスに取り掛かる。適当に取った剣はどうやら刃先が欠けているようなので、これは鉱石を埋め直して研いだ方が速いだろう。
 途中ジュンがお茶を持ってきてくれたがそれだけで、後はウィンタが作業しているのを、ホルセルはずっと観察していた。気まずい沈黙という訳でもないが、誰かに見られながら行う作業は修行時代のスパルタを思い出すようで、心地よくはない。
 だが、ホルセルもそれを意図的にやっている訳ではないだろう。何度か口を開け、直ぐに閉じるという金魚の真似をしている所を見ると、多分何かを言いたいんだろうと思う。ただ、声にする勇気がないのか。それが面白いので、ウィンタも余計な事を言わず発言を待っていた。
 一本目のメンテナンスが終わり、先程の鋳型を見る。大分冷えてきたので、今度は素延べを行う事にした。バケツ一杯に水を入れ、作業する机の近くに置く。そこでようやく、ホルセルが「あのさ」と声をかけてきた。
「ウィンタ、アラナンで言ってたよな。クーザンの友達でいてやってくれって」
「……言ったな」
 あれは、ホルセルの剣に亀裂が入りメンテナンスをして欲しいと言ってきた時だったか。彼とウィンタ、今のように工房で作業をやりながら会話をしていたのを覚えている。
 金槌をバケツの水に突っ込み、引き上げた。これで準備完了だ。
「あれは、クーザンの父さんの事があったからか?」
 ――カン! ジュウウウゥ……。打ち付けた金槌の水分と赤い刀身の熱が化学反応を起こし、小さな水蒸気爆発が起こる。これを利用して金属の中に溜まったゴミを取るのが、素延べの作業だ。
「……それもある。でもやっぱり、アイツに近い場所にいる誰かにも、支えになって欲しくてさ」
 小さい時から、クーザンは何かと自分の裡に閉じ籠りがちだった。それが悔しくて何かと気にかけていたのだが、それは今出来ずにいる。アラナンで、クーザンが一人ではなく仲間を連れて自分を訪れてきた時、正直嬉しかった。一人で、ユキナの事を抱えていない事が。
 同時に、危機感を感じなかったと言えば嘘になる。自分がいない所で、例えばクーザン自身の秘密が暴かれた時――また、命の危険に晒された時。その場に、彼を助けてくれる人物がいなかったらどうなるのだろうか、と。
「俺だけじゃあ……もしもの時、いざって時に近くにいれない俺じゃ、助けになれねぇからさ」
「そんな事……」
「あるさ」
「……クーザンは、ルナデーア遺跡でお前が捕まってるって知った時、仲間と喧嘩してまで捜しに行こうとしてたんだぜ。よっぽど大切に思ってなきゃ、あんな真似しねーよ」
「そうだな」
 カァン、と金槌の音が一際高く鳴る。
 後はひたすら沈黙が続いた。ホルセルは尚も何かを言いたそうだったが、何度も何度も口を開き、閉じるの繰り返しで、金魚かお前はと突っ込みたくなる。
 そんな空間を打ち砕いたのは、ホルセルでもウィンタのどちらでもなかった。
「……あれ? 来てたんだ、ホルセル」
 ザッ、と足音を立てやってきた闖入者は、そう呑気な事を言いながら現れた。短い黒髪をかき上げ、もしかして邪魔した?と言わんばかりの表情を浮かべ、不安そうだ。ホルセルが軽く右手を挙げ、反応を返す。
「はは、来てた」
「君ら、何時の間にそんな仲良く……」
 彼にとって、ウィンタとホルセルがここまで仲良くなっているのは予想外だったのだろう。呆れたような言葉の端に僅かに嬉しそうな響きが感じられるのは、多分気のせいではない。ドッキリを成功させた仕掛け人ってこんな心境だろうなと思いつつ、ウィンタは手を止めて笑う。
「アラナンで会った時からこんなんだったぜ? それは良いとして、どうしたんだ? クーザン」
 闖入者――クーザンは複雑な笑みを浮かべながら、ウィンタの使っているタタラの近くに歩み寄ってくる。その時ホルセルは、ウィンタがさっきまで素延べを施していた剣の鋳型を隠すように下に下ろしたのを見た。
「あぁ、いや。メンテナンスを頼もうと思ったんだけど、忙しそうだね」
「忙しくても、それが俺の仕事なんだよ。貸してみろよ」
 申し訳なさそうに――恐らくウィンタの横に並べられている、メンテナンス待ちの武器の山を見られたか――言うクーザン。だがひったくるようにグラディウスを掴み、ウィンタは妙に楽しそうにそれをメンテナンスし始めた。クーザンは、「相変わらず剣を見ると夢中になるんだな」と呟いた。
 二人を交互に見やり、ホルセルは幼馴染って良いな、とちょっと思った。勿論、口に出す事はないが。