第74話 不器用な男

 次はギルお兄ちゃん達が戦うんだって。
 広いところで戦うお兄ちゃん達はほんとにかっこよくて、リルも楽しみにしてる。ギルお兄ちゃんはなんだかむずかしい顔でクーザンお兄ちゃんに剣をかして、ってお願いしてた。
 お兄ちゃんには本があるのにどうしてだろう?って思って、リルはクーザンお兄ちゃんを見上げて口を開けた。でも――でも、何でかリルの口は言おうとしていたこととはちがうことを言っていたんだ。
「クーザンお兄ちゃん、そっちのほうギルお兄ちゃんにかしてあげて?」
 そう言いつつリルが指していたのは、クロスから貰ってたクーザンお兄ちゃんのかっこいい剣。リルの言葉に、クーザンお兄ちゃんもギルお兄ちゃんもびっくりしてた。リルもびっくりしてた。何でそんなことを言ったんだろう? 頭に聞こえて来た声のせいなのかな?
 クーザンお兄ちゃんがクロスから貰った剣は、何かを言ってた。だから、その願いを叶えてあげたかったんだ。
 ギルお兄ちゃんは首を振ってダメだ、と言ったから、リルもダメって言い返した。ちょっとわがままだったかな。でも、ギルお兄ちゃんに渡された剣は嬉しそうだった。ありがとう、と誰かに言われた気がしたんだ。

   ■   ■   ■

 やはりと言うか、召喚師としての戦い方が板についてしまっているらしい。剣士時代に出来た事が咄嗟に出来ない事があるも、その戦い方の癖が完全には抜け切っていないことがせめてもの救いか。女性にしては重たい剣戟を受けながら、ギレルノはそんな事を思った。
 レンは一歩後退し、再び向かって来る。体勢を低く、まるで突進して来る小型生物のような動きで、あっという間に距離を詰められてしまう。
 そして、先程のように一撃が重い。自分よりも小さい体格、何より女でこうも重い斬撃を繰り出せるのだろうかと、やけに冷静な自分の思考はそんな事を考えていた。試合中の余計な考え事はミスを招くが、考えずにはいられない。
 そして同時に、その考えを否定する。この攻撃の重さは、彼女の決意と、仇への執念そのものだ。グラディウスを横に斬り払い牽制をかけ、油断なく構える。頬を伝う汗をぬぐい、真っ直ぐ彼女を見据えた。
「守ってばっかりじゃ面白くないネ。本当にやる気あるノ?」
「…………」
「答える必要もない位、私や姉さんはお前にとって取るに足らない存在だって事カ?」
「…………」
「何か答えろヨ!」
 こちらの態度が余程気に食わなかったのか、レンは激昂し抜刀する。琉の人間が主に多用する、居合を用いた攻撃方法だ。
 答える事は容易。だが、それを口にする事が出来ないだけだ。
「(グラディウスでは押さえられないのか、奴は)」
 今、ギレルノをセレウグの眼で見たならば、凄まじい《月の力 フォルノ》で覆われている事だろう。
 思っていたよりも本の恩恵は多大だった様で、内に眠るリヴァイアサンを自身の力だけで押さえ込んでいるものの、油断しようものなら次の瞬間には表に出てこられているかもしれない。グラディウスも本と同じ《遺産 エレンシア》だが、どうやらコレでは神を押さえつけ切れないらしい。
 意識が遠のくか、油断をすればリヴァイアサンは現れ、恐らく今度こそこのドームは破壊してしまう。それだけは避けたかった。
 ギレルノはとんでもない爆弾を抱えながら、この戦いに挑んでいたのだ。予想出来ない訳はなかったが、それでも彼女との交戦の手段に剣を選んだ。
あの時の自分と同じ戦いをし、そして――彼女に負かされる為に。

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 ムカつく、の一言しかない。自分の攻撃を、平然と避けたり躱したりする仇に。
 レンは琉大陸の、陽国に属する傭兵だった。敬愛する姉が、経済の中心的存在である巫女に選ばれてから、その姉を守りたい一心で戦闘技術を学び、ほぼ姉の護衛として死力を尽くしてきた。巫女達が一堂に介する修練場に、奴が現れるまでは。
 刀を鞘にいったん収め、姿勢を低くし駆ける。一瞬ギレルノの体が揺らいだ気がしたが、そんな事はお構いなく鞘から抜刀した。ほぼ0距離の攻撃にも関わらず、やはり奴は避けた。それにまた苛つきを加算させられ、攻撃を繰り返す。

 レンはその時、タイミング悪く別件の依頼で姉の近くにはいなかった。ようやく依頼を終わらせ急ぎ足で姉のいる修練場に着いた時には、そこはまるで修羅が暴れたかの如く悲惨な状態で。
 修練場にある祭壇からは、陽国の秘宝である《神器》が姿を消していた。
 幼い頃からレンと、姉を娘のように可愛がってくれていた長。
 レンと同じ年で、念願の巫女に選ばれて嬉し涙を流していた幼馴染。
 姉にも自分にも厳しかったが、時には母のような包容力で自分達を受け入れてくれた先輩。
 そのみんなが、修練場の瓦礫から発見された。息絶えた人形として。
 某然とするレンの足元には、姉が何時も差していた銀の簪が落ちていた。それを手に取る為に腰を落とし、ふと視界に入ったものを見ようと――。
「――アアアッ!」
 脳内に再現されかけた映像を掻き消すように叫び、同時に袈裟斬りを放った。
「許さなイ、絶対許さなイ……!」
 目の前の、ようやく見つけた仇に吐き捨てる。こいつだけは、こいつだけは許せないのだ。

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 呪詛とも取れるレンの言葉を、だがギレルノは表情も変えず受け止めた。眉を顰める位で、全く意に介していない。そんな態度も、レンの勘に障った。
 キィン、と弾かれた刀を引き寄せ、直ぐ様垂直に振り下ろす。
それを地面と並行に構えられた剣で受け止められ、またも攻撃を止められる。防戦一方なのは相手のはずなのに、一向に有効打を当てられない自分に歯痒くなっていく。
「いい加減ニ……!!」
 しろ、と続くはずだった言葉は、だが意識の虚空へと消え去ってしまった。剣の向こう、仇が自分を見た一瞬――血を連想させる、異質な赤がそこにあったからだ。
「!?」
 背筋に走る悪寒。レンは攻撃を止め、後退する。
 今の色を、彼女は見た事があった。
 乗船する船は間違えていたものの、目的であったエアグルス大陸に初めて上陸した街、アブコットで。自分の、人間が使う武器が全く効かない恐ろしい存在。相手の目が、その化物と重なったのだ。
 だが、今改めて仇の目を見るも、そんな色はなかったかの様に消え失せていた。そして、多少は冷静さを取り戻せたのか、レンは更に相手の様子も何だかおかしい事に気が付く。
 邪気、という言葉がある。本来なら、その言葉は悪意を持った人間の気の事や、病気を引き起こす原因にもなりかねない悪い気の事を指す。その悪い気を取り除き、良い気を流し込む事で人体の状態を良くする、というのが琉大陸での医学である。
 が、それらとはまた違った邪気が、そこには渦巻いているようだった。しかも、相当強い力が。
そして、それらが向けられているのは、他でもない自分。
 でも――何故だろう? その気配は、何処かで感じた事がある。そう思うと同時に脳裡に浮かんだのは、自分達が崇拝する神を祀る修練場だった。
 レン達が祀っていたのは、その昔とある神がレンの先祖に預けたという神器。それをとある人物に渡す為に、いや返す為に守るのだ、と姉は口癖のように言っていたのを思い出す。
 ともかく、とレンは納刀した状態で構える。こいつは姉の仇、自分にはそれだけで十分だと言い聞かせながら。

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 暗い、空間。四方八方見渡しても、何も見えやしない。そもそも、自分は何処を見ているんだろうか? 何処からか、もう何度も聞いた嫌な啼き声が鼓膜を響かせる。
 目覚めさせるものか。お前は、俺の中から解き放させはしない。
 此処は、あの時の様な広々としたお前の海[フィールド]ではない。敵は、自分に害を加える存在でも、偉大なる存在でもない普通の少女だ。
 これは俺の問題だ。だから、
「――っ!」
 斬撃を避ける。だが、胸の痛みと頭痛で反応速度が鈍っている。その証拠を見せつけられるかの様に、頬から生暖かい何かが流れた。
 心に憤怒の感情が広がる。それは自分のものではないはずなのに、脳の運動神経はそれを《ギレルノ=ノウルの感情》として認識し、グラディウスを握る手に力を込めた。違う、と命令を送るものの、既に俺の感情ではコントロール出来なくなっているようだ。
 殺したい。彼女を刃で屠り、そのまま観客席にいる人間共を残虐に、惨烈に破壊してしまいたい。
「(……まずいな)」
 自身のものではない殺戮衝動が心を満たしていく傍らで、それをまるで鏡の中から見ているような自分が呟いた。
 このままでは、彼女はおろかこのコロシアム周辺の観覧席にいる客まで巻き込んでしまいかねない。やはり、剣で戦い続けるのは無謀だったのだ。どうしたものか――と、唯一冷静な頭が策を講じようとした時。
「!?」
 突然だった。コロシアムには自分とタツミしかいないはずだ。だが、彼女は瞬きをした直後にはそこに立っていた。
 流れるような海流を思わせるふわふわした水色の髪をカチューシャでまとめ、大きな空色の瞳を見せている。必要最低限の装飾がされたワンピース、足は何も履いてなく素足だ。何より目を引くのは、こんなに快活な格好をしているのに何も感じていないかのような表情の希薄さ。リルと同じ位の少女とは思えない雰囲気を纏っているが、身長や体つきは彼女と似たり寄ったりだ。
 とてとて、と彼女は俺の方に歩いてくる。目の前で立ち止まると、俺を観察するかの様に見て、ピタリと視線を止める。それを追った先にあるのは、グラディウスだった。物珍しいのか――いや、その瞳には懐古にも似た色を浮かべながら目を細め、彼女がグラディウスに触れると、光が生まれ思わず目を閉じる。

「本を渡して貰おう」
 生まれ育ったエアグルスの文化にはない、心が落ち着く様な様式の神殿。寺、とこの大陸の住人達は呼称していると、何時だったか読んだ本に書いてあった。
 そこに立っている俺は、出来る限りの穏便な声でそう言った。
 対峙しているのは、サクラを模した簪で美しい黒髪を束ねた和装の女性。凛とした雰囲気を持っている彼女がここのリーダーなのだろう、周囲を取り巻いている人間が何時でも飛び掛かれるように構えていた。
「貴方は?」
「答える必要はない」
「……そうですね。でも、貴方から感じる我らが神の気配。それが、私達が守る神器を求める理由かしら?」
「…………」
 一分一秒でも惜しい俺は吐き捨てるように答えたが、彼女の口から放たれた言葉に目を見開く。お陰で否定も肯定も出来ず、その通りだと彼女に教える事となった。
 和装の女性は暫し沈黙し、俺を射抜く様に見つめた。その澄んだ瞳は俺の全てを見透かし、暴くようで、今すぐにでも目を逸らしたいと思った。それをさせない力が彼女の眼力に宿っていたせいで、出来なかったが。
 やがて、ふぅと一息吐くと、形の良い唇はとても信じられない言葉を口にした。
「良いでしょう、これは貴方に授けます」
 これで驚くなという方が無理だ。こちらは、例え交渉決裂した場合強奪してでも神器とやらを貰っていくつもりだったのだ。それが、あっさりと譲りますと言われたのだ。覚悟も何もあったものではない。
 彼女の台詞に驚いたのは俺だけではないらしく、取り巻きの一人が慌てて「師範代!?」と声にする。
「彼が、この神器が待ち望んでいた人なのです。彼に渡す為に、我が一族は代々受け継いで来たのですよ。遥か昔に空神が託して下さった、奏者の証となるこの本を」
「しかし、良いのですか? この男の素性も分からぬまま、神器を……」
「えぇ、素性は分からぬとも――彼の裡に眠る海神は、紛れもなく本物ですから」
 和装の女性は祭壇に歩み寄り、祀ってある台座から神器と呼ぶ本を手に取った。そして静かな足取りで俺の前に再び立ち、それを差し出す。
「さぁ、どうぞ。これは、貴方が持っておくべきものです」
「……恩に着――」
 何はともあれ、これさえあればアイツを封じておく事が可能なのだ。目的の物をようやく手に入れ、俺は彼女に礼を口にし。

 コ ロ セ

 ドクン、と心臓が大きく脈打った。思考が黒く塗り潰されていく。
 視界に入る者達が何事かを叫んでいるが、もうそれさえも耳には入らない。唯一分かった事は、自分が何かを壊そうとしているという事だけだった。
「やめろ……やめろおおおおおおおぉぉぉ!!!」

「――あああぁ!」
「っ!」
 威勢の良い掛け声と共に振り下ろされた斬撃を、間一髪で避ける。咄嗟の行動だったが、俺は思わず自分の手を見下ろした。先程まで、体は重りがついているかのように鈍重な動きしか出来ていなかった。それが、今は本を持っていた時の様に動ける。つまり、《月の力 フォルノ》の汚染が弱まったと言う事だ。
 少女が何かしたのだろうか、と周囲を見渡すが、やはり何処にもいない。思い出したくもない過去の夢といい、錯覚だったのだろうか?
 とにかく、これなら戦える。俺はグラディウスを握り直し、タツミに向かって斬り込んで行く。
「ちょろちょろ動くんじゃ――ないネ!!」
 痺れを切らしたレンは、大振りの攻撃をしかけてきた。待っていたチャンスだ、これを逃す手はない。細かいバックステップでギリギリ避け、俺は出来た隙を突いて攻撃。ガキィ、キィン、と激しい剣戟の打ち合い。だが先程迄とは違い、力では俺の方が幾分か有利になっているようだ。
 一旦距離を取り、向かってくるレン。強靭な覚悟を表した声と共に繰り出されるその居合を、俺はグラディウスで受け止めなかった。
 圧迫された肺から中の空気が勢いよく飛び出してくるせいで、一瞬呼吸困難に陥りかける。俺はレンの攻撃をわざと受けた。それで彼女の気が済む訳はないが、それでも痛みを享受するにはそれしかないと思ったのだ。
 彼女にそれを気が付かれたかは分からない。ただ、一瞬訝しげに眉を顰めたと思えば、二三ステップを取り距離を開けられる。再びの猛攻。右袈裟、左袈裟、払い。大振りなようでいて洗練された刀の動きは、動きは読みやすいがトップスピードが速く追い付けない。コートに、細かい切り込みがどんどん生成される。これでは反撃の余地がないな――そう判断し、地面を踏み込む。
 突進されながらの払い。ヒットすれば自分はただではすまないが、俺は敢えてグラディウスで受け止める体勢を取った。
 だが、それはフェイクだった。レンはグラディウスと刀がぶつかり合う直前、急ブレーキをかけ動きを止めた。そして、右払いと見せかけての上段斬り下ろしに俺は反応出来ず、自分の首が斬られる事を覚悟した――。