第73話 波乱の始まり

 噂は直ぐに学校中に広まった。教師達は何とかしてそれを鎮圧しようと躍起になってくれていたようだが、例の少年や怪我をした少年の仲間がそれに懲りる訳がなく。
 クラスでも、学校でも肩身の狭い思いをしていたある日の事。クーザンが早々に帰宅しようと一人で廊下を歩いていると、その背中に声をかけられた。振り向くと、初老の男性が穏やかな笑みを浮かべて立っている。クラスの担任だ。
「話は聞いているよ」
 連れてこられた職員室の応接スペースで、クーザンは慣れない雰囲気に戸惑いつつ頭を下げた。
「すみませんでした、シュネルギア先生。先生にも、責任が行ってしまったんでしょう」
「うむ、解雇や謹慎処分には至らなかったが、一ヶ月の減俸を食らってしまったよ」
 はっはっは、と蓄え始めた顎鬚を摩りながら、彼は笑った。笑い事ではないだろうに、この人も何処か抜けていると思う。
「だがな、私には一つ腑に落ちん事があってな。君が、本当に彼を突き飛ばしたと思っているのか」
 クーザンは目を見開いた。まさかそんな事を聞かれるとは思っていなかったからだ。
「あの場には私もおらん、新米とクラスメイトだけ。君の周りの状況と君の性格を鑑みるに、弁解もせずして自分がやったと言ったのではないかと思ってね」
「…………」
「君はそんな卑怯な事はしない。誰よりも実力を持つからこそ、誰よりも公正さを重んじるからな。新米がそれを知っている訳がないから、イレイス達の言葉を鵜呑みにして君を犯人に仕立て上げてしまったのではないか、と思うのだよ」
 先生の推察は、間違っていない。敵だらけとなってしまったこの学校に、自分の事をこうして気遣ってくれる人物がまだいたのが、純粋に嬉しかった。
 だが、だからこそクーザンは首を振った。
「……買い被り過ぎです、先生」
「そうかね?」
「俺は人を傷付けた事さえ気がつけない、ひどい人間。その方が、丸く収まるじゃないですか」
 それは、暗に自分のせいじゃないと言っているようなものだったが、その頃のクーザンには分からなかった。人を突き放すような台詞に、先生はむぅと唸り、やがてゆっくりと頷いた。
「そうか、なら私はもう何も聞くまい。――そうだ、それともう一つ君に用があってな」
 思い出したように、自分の鞄からファイリングされた紙の一つを取り出し、クーザンに渡す。問うような視線を向けると、それはな、と話し始めた。
「ジェダイド夫人から頼まれていたんだが、とある学校のパンフレットだ。大陸中から将来有望の若者達が入学し、日々勉学に励んでいる。その学校なら、君に自信を持って勧められると思う。君のお父さんも、昔通っていたのだそうだ」
「父さんが?」
「あぁ。……正直な事を言うなら、私は卒業まで君の活躍を見届けたかったが、それも叶いそうに無くて残念だ。我々教師陣の力が及ばず、この学校が君にとって苦痛になってしまった事を、心から詫びたい」
 テーブルに額をつけようかという深さまで頭を下げた彼に、クーザンは慌てて顔を上げるよう懇願する。
「こんな事でしか君を助けられないなど、自分が不甲斐なくて情けないよ」
「十分です、先生。俺こそ……先生の期待に応えられず、すみません」
「そんな事は些細な事だ。君が満足の行く学生生活を送る事が出来るよう、最後まで協力させて貰うよ」
 シュネルギアは、そう言うとまた穏やかな笑みを顔に浮かべ、顎鬚を撫でていた。
 それが、クーザンが十歳の頃の事だった。

   ■   ■   ■

 幾度目かの剣と戦爪の高らかな金属音が、コロシアムやドーム全体に響き渡った。クーザン、ジャック両者とも既に息は切れ切れ。何箇所か切り傷は負っているものの、動けなくなるような致命傷はない。
 まさかの長期戦になった彼らの試合は、観客達を大いに沸かせた。初参加の者のレートは高く、一発勝負で彼らに賭けている者も多いのだ。
「よぉ、クーザン。一つ提案だ」
「何だよ」
 切ったらしい口内に溜まった血を吐き捨て、ジャックは尚も笑みを浮かべ口を開いた。クーザンは地味に痛む左腕の切り傷を庇いつつ、それを悟られないよう至って普通の声音で応じる。もう汗を拭う気も起きない。
「お互い体力も限界だろ。最後の一発に賭けようぜ」
「俺は全然平気だけどな。でも、乗った」
「良しきた」
 言うなり、ジャックは戦爪をだらりと下に下げ、構える。だらけているのではないと分かっている、あれが彼なりの集中の仕方なのだ。カチャリ、とグラディウスを持ち上げた。コロシアムを囲むエントランスの観客達も、次が最後だと察したのかけたたましい歓声が静かになる。
 負けるつもりは、微塵もない。ざり、と地面の小さな砂が擦れ合う音がやけに大きく響く。緊張で鼓動が高鳴る。
 そして、それは一気に崩壊した。走り出しは同時。互いに互いを目指し、剣を、戦爪を、闘気を振り翳す。迷いも躊躇いもない、全力のぶつかり合いだ。グラディウスの振動音が、風の音と重なった。
「俺は、勝たなきゃならないんだ! 受けてみろ――《烈空乱舞刃》!!」
「沈めてやるよ! 《ディストランチャー》!!」
 互いの攻撃で発生した衝撃波が、コロシアムの中心でぶつかって霧散する。そのあまりにも大きな力は、下方のエントランスにも強い風を吹かせた。
 ――果たして。風が止んだコロシアムでは、クーザンとジャックは最初と位置が入れ替わっていた。背を向け合い、両者とも立っている。
 が、耐えきれず片膝を付いたのは――ジャックだ。
「決着が着きました!!! 勝者――クーザン=ジェダイド!!!」
「あーくそ、負けた」
 クーザンの勝利を告げるアナウンスと湧き上がった歓声の中で、だがジャックの悔しそうな言葉はしっかり耳に届いた。片膝を付いた状態から、ゴロンとコロシアムの床に倒れこむ。本当に体力を使い果たしてしまったらしく、立ち上がる素振りすら見えない。
 かく言うクーザンも、本音を言えば彼の真似をしたい位に疲弊していた。立っていられたのが奇跡な位だ。だが流石に寝転がりはせず、その場に腰を下ろす。
「楽しかったぜ、出来れば勝ちたかったけどな」
「……そうだね」
「他人事だな、おい。まぁいいや」
 顔だけをこちらに向け、ジャックはまた何時ものようなニヤついた笑みを浮かべる。
「勝ち上がってこいよ」
「……言われなくても」
 言葉は素っ気ないが、クーザンも気が付かない内に口元に笑みを浮かべていた。健闘した二人を讃え、歓声は何時までもドームを響かせ続ける。

   ■   ■   ■

 本日の行程は、残すところセレウグ達の試合一戦のみ。そんな中で、ウィンタとホルセルは会話をしていた。
「え? 鉱石が足らない?」
 最初は、ウィンタの鍛治師の仕事の話だった。ホルセルは興味深そうに話を聞き続けていたが、ウィンタが探している剣の材料が足りない、と聞いてのの発言だ。
「そう、必要な量にあとちょっと足らないんだ。調べたらファーレンでは手に入らないみたいでさ、オレがサポーターを受けたのもその材料を探す為だったりするんだ」
 まぁ、メンテの仕事が結構多いから探しに行けてないんだけど、と独りごちるウィンタに、ホルセルは問いかける。
「それ、こっちの地方では手に入るのか?」
「あぁ、むしろこっちでのが多い。ピォウドの近郊に、採掘してる鉱山があるんだってさ」
「じゃあさ、オレも手伝うし、これから探しに行こうぜ!」
 幸いホルセル達の試合は、今日はもうない。今からなら、日が落ちる頃には帰ってこれる可能性だってある。ホルセルの提案にウィンタは驚いたかの様に目を見開き、返す。
「これから? セーレ兄さんの試合、見なくて良いのか?」
「あーうー……うん、我慢する」
 本音を言うなら見たい。凄く見たい。でも、友達の助けになりたい気持ちの方が勝ったホルセルは、断腸の思いでこちらを優先した。
 そんな彼の様子に苦笑するも、ふむ、とウィンタは考え込む。ユキナの事もあるが試合が終わればまたメンテの仕事が待っているし、これは良い提案かもしれない。
「おい。……でも、これがチャンスか。よし、じゃあ行こう!」
「じゃあ、私もお付き合いします」
「ボクも行くよ! 多い方が早く見つかるだろうし」
「サンキュ、みんな。助かる」
 本当に、クーザンに良い友達が出来て良かったと彼らに感謝しつつ、ウィンタは彼らを先導する為に足を踏み出した。

 一方、セレウグ達は前方の相手に頭を抱えていた。
 コロシアムに堂々と立っているのは、初日にギレルノに食ってかかってきた少女――レン。仁王立ちした姿で立っている彼女も、バトルトーナメントに一人でエントリーし、勝ち上がってきたのだ。
「遅かったネ。逃げたかと思ってたヨ」
「……そう言う訳にはいかないからな」
 ゆっくりとセレウグとスウォアの前に出、ギレルノはそう返す。そして、手に持っていた武器を掲げる。レンはそれに驚き、訝しげな視線を向けた。
 彼が握っていたのは、何時もの大きな本ではない。剣――もっと言えば、クーザンのグラディウスだった。
 コロシアムに来る前、試合を終えたクーザンを捕まえ、ギレルノは彼に剣を貸して欲しいと頼み込んだ。
 リルに言われたとはいえ、やはり自分は言葉にするのが苦手だ。それを口にする事で、何かが変わるのを恐れてしまう。だから、レンとの試合に何時も使っている本は止め、剣を選んだのだ。
 とは言えギレルノとしては、クーザンが持っているもう一本の普通の剣を借りるつもりだった。それがグラディウスになったのは、
「こっちの剣が、ギルお兄ちゃんの思いを伝えてくれるよ」
というリルの言葉があったからだ。
 グラディウスはクーザンが、カイルが力を最大限に活かせる、言わば彼らの専用武器だ。そう彼女に言ったのだが聞く耳を持ってくれず、仕方なくこちらを借りた――と言うのが剣を借りた経緯である。
「本はどうしタ? もしかしテ、ふざけてるのカ?」
「ふざけてなんかいないし、お前を見下している訳でもない。それだけは分かってくれ」
「フン……じゃあ、遠慮無く負かせてやるワ」
 衣服の帯に括り付けられた鞘ごと刀を手に持ち、レンも応じる体勢になった。セレウグとスウォアは場外に下がり、試合は開始された。

 初参加の二人が魅せた緊迫する試合のお陰で、観覧席に集まる観客達の声援も最高潮だ。それが良い事なのか、悪い事なのか。少なくとも、今からコロシアムで戦う彼にとっては良い迷惑だろう。
「おい」
 ん?と振り向けば、不機嫌そうなスウォアがオレを睨みつけていた。いや、多分これが彼にとっては普通なんだろうけど。
「良いのかよ、負けられなかったんじゃねーのか?」
「あぁ……」
 スウォアが聞きたいのは、「ギレルノの望み通り戦わせて良かったのか」って所だろう。オレはうーんと首を傾げつつ、思った事を口にした。
「まぁ、当人がそれで戦いたいって言ってるんだし、オレはそれに従うさ」
 すると、スウォアは呆れた表情で溜息を吐き、肩を竦ませる。
「は、相変わらず甘ぇこって。ここで負けたら、優勝する可能性が潰れるっつーのに」
「自分が選ばれなかったからって泣くなよ」
「泣いてねぇ!」
 くわっと勢いよく返された言葉に、オレは苦笑で返す。実際、スウォアが戦ったのはザルクダチームのカナイとライラックだけだ。戦を好む彼としては、まだまだ暴れ足りないのだろう。
「平気さ。あいつなら」
 確かに、オレやスウォアが彼女に挑めば勝てる可能性は上がる。過去に剣士だったと言っても、召喚師として戦ってきた間のブランクは相当のはずだ。でも、それでは意味がない。レンとの試合は、ギレルノが戦わなければ意味がないのだ。
 どうしても納得がいかなかったのか、スウォアは尚も訝しげな表情を崩さず、壁に背中を預けて尋ねる。
「いっつも思うけどよ、おめー一体どっからその変な自信が出てくんだ。普通、初めて会って数日の奴を信用するか?」
「変なとか言うなよ。それに、オレはギレルノを信じてる訳じゃねぇよ? ギレルノが勝てると思ってる自分を信じてるんだから、酷い奴だと思ってるんだが」
 オレはそう言って、笑う。多分、今自分でも分かる位嫌な笑みになっているだろう。信じていると言っても、その対象はギレルノではなく、自分。ここまで自分を優先してしまうとは、本当に嫌な奴だ。
 そうだ、クーザン達に記憶を失っていると偽ったのでさえ、自分の為なのだ。
ギレルノを応援するのは、自分が彼に責められない様に。クーザン達に嘘を吐いたのは、自分が傷つかない様に。
 自己中心的で、とんでもない裏切り者だと、オレは心の底から自分を嫌悪していたし、溺愛していた。自分みたいなタイプが、一番嫌われやすい奴だと思いながら。
 スウォアはそんなオレを見て、何故か驚いたかのように目を丸くしながら、やがて苦笑を零し
「おめー、やっぱ甘ぇわ」
と感想を漏らした。どういう意味だよ、と返そうとしたが、それは出来なかった。
「……そんな甘ぇお前に、言っておく事がある」
 彼が、何時もの軽い笑みを完璧に消し去り、無表情にそう切り出したからだ。オレこそ面食らって、だが黙って話を促した。そんな表情を見るのは初めてではないのだが、何か嫌な予感がする。
 しかし待てども彼は一向に口を開く様子はなく、言うべきか迷っているように頻りに頬を掻いた。目線は宙を迷いつつ、何処か一点を中心に動いている。
「……いや、やっぱ何でもねぇや」
 結局彼は何も告げず、言えよと促しても口を開かなかった。こういうところ、何処かクーザンに似てるんだよな、性格が。
 諦めたオレは、スウォアが見ていた一点に視線をやる。その先には、仲良く談笑しているクーザン達が見えた。