第72話 剣士VS狼

 セレウグ達が無事勝ち上がったのを見届けたものの、その余韻に浸る暇もないままクーザン達の次の試合が始まる。再び選手入場口からコロシアムに着いたクーザンは、目の前にいる人物に軽く眉根を寄せ声をかける。
「……お前か」
「よぉ」
 そこにいたのは、ジャックだった。いつも通りのスーツ姿で、片手はだらしなくポケットに手を突っ込んだまま、もう一方の手で軽く応じる彼。その周囲に、仲間と思しき人物はいない。
「お前、一人で参加してたのかよ」
「まーな。余計な仲間を引き連れて参加するより、一人の方が好きな性分なもんで」
 ヒラヒラ手を振る姿に、試合前だという緊張感は微塵も感じられない。それだけ腕に自信があるのか、ただ単にそう見えるだけなのか。
 クーザンは後ろにいるであろうサエリとホルセルに手で制止をかけ、スラリと腰の鞘からグラディウスを抜いた。軽く息を吸いながら頭上に両手をやり、一気に前方に剣を構える。
 本当なら、このような人目に付く場所でこの剣を使うのはやめようかと思っていた。だが、これは月の御伽噺上で最重要物品である。という事は、この剣を振るい続けそれに興味を示した人間は、月の御伽噺と関係のある人物という事になる。セクウィと情報を共有したとはいえ、まだまだ情報不足。剣を使わない手はない。
「本気ってか?」
「逃げるなら今のうちだ」
「冗談。むしろ光栄に思うけどな」
「そうか。じゃあ存分に後悔させてやる」
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやるよ」
 ニヤリと口を半月状に曲げながら、ジャックも自身のベルトから戦爪を取り構えた。

「……彼が、現在のカイル様なのですか?」
 ジャックの指示で、エントランスではなくドームに備え付けられた自室のモニターを見ながら、リダミニータは自身の執事と対峙している黒髪の少年を見て呟いた。
 その問いの答えを持つ者はいないと思われたが、彼女の瞳は直ぐ傍に歩み寄って来た青年を見やる。
「あぁ。まだまだ力を取り戻したばかりだがな」
 立っていたのは、クロス――ではなく、セクウィ。執事兼護衛が試合中である為、わざわざ戻った姿で代わりを担っているらしい。
「言い伝えられている通りの雰囲気を持った方なんですね。それにしても、バトルトーナメントなんて回りくどいやり方をされなくても、貴方が橋渡しをしてくれれば良かったのに」
 ぷぅと頬を膨らませつつ言う彼女の様子から、早く彼を始めとした『月に纏わる者達』に会いたいと言った感情が伝わってくる。
 だが、そこで大人しく引くセクウィではない。
「そう簡単に物事が運ぶ事は、あいつらの成長を遅らせるだけだぞ。第一、俺は便利屋じゃない」
「万が一彼らが負けてしまったら、どうするつもりなのですか?」
「負けないさ。それに、これ位の障害があった方が、あいつはやる気を出す」
「……見かけによらず熱い方なのですね」
 妙に納得したようで、リダミニータはそれ以上言うのをやめた。今言っても後の祭りと言う事位は分かっているのである。
「でも、セクウィがそこまで褒めるのなら、とても凄い方なのでしょうね。私も会うのが楽しみになって来ました」
「…………一応聞くが、俺がいつ褒め言葉を口にした……」
「あ、始まりますよ!」
 げんなりした様子で問いかけるものの、彼女は始まろうとしているコロシアムの試合に夢中の様で。その答えが返って来る事はないだろうと、セクウィは溜息を吐いた。

 コロシアムの場外に戦闘しない二人が下がったのが確認されると、試合開始のアナウンスが響き渡る。息を吸う。吐く。そして、運動神経に足を踏み出せと命令する。
 コロシアムの場内は、セレウグ達が試合していた場所とは違い岩場はない。ただ平たく、一騎打ちには最適なステージ。
 真っ直ぐジャックの元に走り込むが、敵がそうやすやすと斬られるはずはない。彼はひょいと体を逸らして、俺の第一撃を避けた。グラディウスを振り下ろしてしまうまでの隙を突き、ジャックが戦爪を翳し斬りつけて来る。それを、右足を軸にして体を回転させ回避。勢いで倒れそうになるのを逆に利用しバックステップで距離を取る。戦爪を武器とする相手は、間合いが極端に狭いので離れてしまえば良い。
 案の定、ジャックは間合いを詰めに走り込んで来る。その間にこちらの態勢は既に整っている。
ガキィ、と戦爪を受け止め、力の競り合いになった。
「へ、中々やるな」
「そっちこそ」
 カタカタカタカタと金属同士が震える音が、非常に耳障りだ。それは相手も同じらしく、眉間にシワを寄せながら一言言葉を交わしていた。
 思いっきりグラディウスを斬り払う。他方から加えられた力にジャックはつんのめるものの、二撃目を加えられる程の隙は見せてくれない。更に間合いを取ろうと足を動かすが、そうは行かなかった。
 今度はジャックが突っ込んで来たのだ。防御しようとグラディウスを掲げ、だがそれでは左手の戦爪の防御が間に合わない。無意識に舌を打ち、右手の戦爪に向けて斬撃を放つ。受け止めるのではなく、弾いて後続の攻撃も無効にしようとしたのだ。
 果たして――ジャックはそれを読んでいたようで、剣の軌道上から身体を一歩引いた。振り抜いてしまった剣を慌てて引き戻すも、彼は俺の懐に入ってきてしまっており間に合わない。
「(一かバチか……!)」
 地面を蹴る。それにより無理矢理体を横に倒させ、戦爪の軌道から外れた。
 ただ、この方法は体勢を崩し復帰に時間がかかるので、その間に追撃が来た場合が非常に危険である。背中に地面の感触を感じ、直ぐさま起き上がり片膝を着く。何とかその心配はなくなったと安堵した刹那。
 ガキィ! ようやく追って来たジャックの戦爪が、構えたグラディウスと再び接触する。追撃が来なかった訳ではなかったのだ。ガチガチガチと金属が震え合い、力と力がぶつかり合う。が、俺の方が座っているせいで、ジャックからの力をモロに与えられてしまう。
 ならば、と無警戒な足を右足で払い除ける。体勢を崩したジャックが「おわっ」と気の抜けた声を上げるのを聞かず、戦爪を弾いて直ぐにその場から離れ距離を取った。訪れた束の間の静寂に、乱れた呼吸と心臓の鼓動を整える。生ぬるい汗が額を伝うが、それには構っていられない。
 だが、そんな煩わしい事さえも至高と言うように、俺は口の端を無意識に吊り上げていた。
 ――一体、何時からだろう。こうやって、本当に「楽しい」と思えるような打ち合いが出来なくなったのは。
 旅の道中、幾度となく剣を振るってきた。相手は魔物を筆頭とし、ラルウァ、時には同じ人間でさえ自らの剣で斬ってきた。迷いがなかったとは言えない。そんな泣き言を言えば、次の瞬間には首が飛んでいるかもしれない――そんな状況しかなかった。命の賭け合いの中に、逃げ場となる喜びを見出すのも気が引けた。
 楽しい。実力を最大限に発揮してもなお、こうして自分と渡り合う者が相手の手合いは。自分の心の奥底から湧き上がる衝動に、俺は身を任せ再びジャックと距離を縮めた。
 勝ちたい。それだけの思いを胸に抱きながら。

 バァン!鼓膜を貫く激しい衝撃音。その音源はこの長い廊下の壁で、そこには背中を壁に預けた幼き日のクーザンがいた。
 正面には二、三人の同じ位の少年達がおり、皆険悪な表情を浮かべ何かを口にしている。だが、クーザンの耳には入った直後に通り抜け、何を言っているのか分からなかった。分からなかった振りをしていた。それでも、向けられる言葉達が自分への罵声だと言う事は分かる。だから、前髪で隠れた奥の両の瞳は、ただただ彼らを睨みつけていた。
「おい、お前ら何してんだ!!」
 そこにやってきたのは、幼馴染のウィンタ。日直当番の雑務を終わらせて来たのか手には日誌を持っていて、その現場を見るや否やそれを筒状にして振り被ろうとしている。やべ、とか、学級委員が来たぞ、とか各々に呟きながら、彼らはクーザン達から離れて行く。ウィンタもそこまで追うつもりはないのか、クーザンの傍に駆け寄って来た。
「大丈夫か? クーザン」
「……だからさ、放っとけって言っただろ……」
 ずるずると壁に背中を預けたまま廊下に座り込んだクーザンは、やっとの思いでそれだけを口にした。
 ウィンタは自分と違って、皆から慕われているクラスの中心的存在。自分のような異端な存在と付き合うせいで、彼まで同じ目に遭うような事はあってはならない。クーザンは、それが嫌だった。
 そんな自分の思いを知ってか知らずか、ウィンタに馬鹿か!と言われながら頭を軽く小突かれた。
 こういった陰湿なイジメ自体は、実はしょっちゅうだ。剣道の授業の後、クーザンが本気を出したせいで自分の腕に痣が出来た、とか頭が痛い、とか理不尽な理由を掲げ、こうやってかかってくる事が一番多い。この頃はクーザンも自分の実力の程度がはっきりとは分かっておらず、全力で授業に応じ、何時も剣術の実技はクラスをずば抜けていた。それを妬んだ数人が、八つ当たり気味に自分に当たって来るのだ。
 でも、それを見計らったかのように、何時もウィンタは乱入してそのイジメを止めさせていた。この時既に名前を偽っていたクーザンの本名や、事情を知るのは、校内では彼と後一人の幼馴染だけだ。味方としては有難いほどだが、反面彼までクラスメイトのイジメの対象になってしまうのではないかと、内心ヒヤヒヤするのだ。
「こっちこそ気にすんなって言ったろ。俺は自分がやりたいからやってるだけだ」
 これも既にお決まりの返しだった。ウィンタは再度少年達が逃げていった方を一瞥し、立ち上がる。クーザンも殴られた右頬を手で押さえながら、彼に手を引かれて腰を上げた。
「クーザンと、ウィンタみーつけたっ!! ――って、クーザン、ほっぺたどうしたの!? 腫れてるよ!?」
 あの頃も別のクラスだったもう一人の幼馴染、ユキナの声に、二人はしまったと眉を顰める。予想通り、彼女はクーザンの赤くなった頬に気が付き物凄い剣幕で割って入って来た。ウィンタを突き飛ばさん勢いだ。
「大丈夫ってんだろ……って触んな馬鹿、痛い」
「痛いって事は大丈夫じゃないじゃん! 保健室!」
「ユキナ、落ち着いて離れてやれ。でもクーザン、ユキナの言う事ももっともだ。冷やさなきゃ何時までも長引くぞ」
 どこまでもお節介な幼馴染二人がかりの説得は、自分が折れるまで終わってくれそうにない。クーザンは小さく溜息を吐き、分かったよ、と呟いた。

 そんな日々が続いていたある日、クーザンとウィンタのクラスの授業の担当に、新米の講師が就いた時があった。剣道の授業だった。
 始まる前、何となくだがクラスの雰囲気に嫌なものが混じっているのには気が付いていた。が、だからと言って何かが出来る訳もない。その最中も、何事もなく進んでいたように思っていた。
 クーザンと手合わせをしていた少年が、突然悲鳴を上げながら床に転がり込むまでは。
 転倒した少年は左腕を変に捻ってしまったらしく、押さえるように抱えながら床を転がり回る。騒ぎを聞きつけた新米講師が急いで保健医員に指示をしている時、クーザンは何が起こっているのか理解出来ずただ立ち惚けていた。
 そんなところに、追い討ちをかけるような台詞が飛び出してきたのだ。
「先生ー! クーザンが、イレイスの肩を押したのオレ見ましたー」
「!?」
 そう声を上げたのは、クーザン達の隣で別の生徒と手合わせをしていた少年。慌てたように目を見開き話しているものの、その目には嫌な感情が渦巻いている様に見えた。だが、昨日今日来た新米講師が彼らの真意を図れる訳がなく、彼は自分を責める様な目で「本当ですか?」と問いかけて来た。
 そんな事をした覚えはクーザンには全くなく、ただいつもの様に(多少の手加減はしていたものの)授業に打ち込んでいただけだ。それを口にするより早く、クーザンと新米講師の間にウィンタが滑り込んで来た。
「んな訳ねーだろ、デタラメ言うんじゃねーよ!! 先生、そいつはただ自分で足が絡まって倒れただけだ!」
「ウィンタはクーザンを庇ってますー」
「テメェ……!!」
 弁解を訴える言葉にも、少年はニヤニヤと笑みを浮かべて言う。あまりにも卑劣な言い方に激昂したウィンタが右手を上げかけ、それをクーザンは止めた。
「ウィンタ」
 それだけは駄目だ。言葉にせずとも、振り向いて自分の表情を見た親友はそれを感じ取ってくれたのか、悔しそうに歯を食いしばりながら腕を下ろす。
 ウィンタが大人しくなってくれた事に僅かに安堵の息を吐き、クーザンは頭を下げた。
「すみませんでした」
 それは、罪の肯定。自分がやっていないという確証もない以上、どんなに言葉を取り繕っても「言い訳」の一言に纏められてしまう事を、クーザンは朧げながら知っていた。
 まさか、クーザンが大人しく謝罪するとは思っていなかったのか、イレイスを始めとしたクラスの大将――いじめっ子の生徒は、皆一様に目を見開いている。
「俺のせいです。例え彼に向けた竹刀が一回も皮膚にぶつかった感触がなくても、多分彼は勢いで転んでしまったんだと思います。本当に、すみません」
 良いんだ、これで。俺が罪を認めさえすれば、ウィンタに彼らの目が向く事もなく、穏便に生活出来るんだ。俺さえ我慢すれば――。

 その日から、クーザンはクラスの皆と距離を置くようになった。