第71話 希望の灯火

 ヒュオ、と風を斬り鳴いたそれは、セレウグの鼻先を掠めた。
 本戦五戦目、セレウグ=サイナルド率いるチームとフォルティス=ネイビブルー率いるチームの戦いの真っ最中である。仲間内ではヘタレで苦労人扱いのセレウグでもやはり観客達からの期待は高く、あくまでおまけ程度に見られている俺(と、召喚師)。
戦いを楽しみたい俺としては注目なんぞされなくても構わないのだが、観客のテンションが凄まじく気になった。要するに、耳障りという訳だ。それも眼前の緊張感に集中すれば気にはならなくなるが、あるよりはない方が良い。
「――コール、ウンディーネ! 《オーミラージュ》!」
 バシャン!と音を立てて現れた水女とギレルノの周囲に、目を凝らさなければ見るのも難しい薄い膜が張られた。防御魔法だろうか。奴を狙っていたライフルの銃弾は、その薄い膜に吸い込まれ消える。
 タン、と地を蹴る。ライフルを所持した男――カナイと言ったか――に一直線に疾走し、レイピアを構えた。
 こう言った戦闘で勝つ為には、ダメージを如何にして減らしていくかが重要だ。前衛は率先して斬り込み、後衛は援護する。
 ザルクダ達のチームはバランスが取れていた。こちらの前衛セレウグを小回りの利くザルクダが受け流し、後衛やもう一方の前衛――つまり俺には援護付きでライラックが向かって来る。奴の武器はフレイルだから攻撃力が物足りないものの、俺のレイピアも似たようなものだからほぼイーブンだろう。殺傷能力はこちらが優れているが、鈍器としてならあちらが強い。
 だが、問題は後衛の能力。こちらが(例え通常よりも短いとはいえ)詠唱を必要とする召喚術を主力とするのに対し、あちらは攻撃力も射程もあるライフル。召喚術は時間を代償とする代わりに高い効果を得られるが、能力的には劣っている。
 ならば、潰すべきはカナイ。ライラックは無視してでも優先すべきだが、そうなると後衛に奴が向かう――という推察から、スウォアはなるべく前に出ないようにしていた。だがギレルノが防御魔法を使えると分かれば、その心配はなくなり思いっきり前に出られる。
 ヒラリと岩の隙間を駆け抜け、カナイと距離を詰める。あちらはバンバン撃ってくるのを躱し、時折レイピアで弾きながら。
「――せいっ!」
「わっ」
 攻撃の間合いに入った瞬間に突きを繰り出し、返して向けられたライフルの銃口を弾く。その隙を見計い姿勢を低くし、絶対命中の距離で技を放った。
「瞬滅雷牙!」
 瞬速の突きに雷を載せ、カナイの脇腹を的確に狙ったかと思われた。思っただけで、奴は無理矢理体を捻らせその攻撃を間一髪で避けたのだ。雷のせいで視界もほぼ効いていなかったはずだが、凄い反射行動である。
 チッとひとつ舌打ち、距離を取る。カナイは目元を押さえ視力が回復するのを待っているようだが、こちらが速い。
「止めだ!」
「ぐっ……!」
 再び奴に近付き、連続した突きを放つと止めの一撃を――わざと脇腹の横スレスレに力を流し、返した刃の峰で殴り付けた。腹部に強いダメージを受けたカナイは蹲り、だがライフルを杖代わりにして立とうとする意思を見せる。先程の俺の技で四肢が麻痺しているので、しばらくは戦線に復帰出来ないだろうと、俺はギレルノの援護に向かう。
 ギレルノは召喚師とは思えない機敏な動きで、ライラックのフレイルを避け続けていた。逃げ回っているだけかと思えば、隙を突いて召喚術で僅かづつダメージも与えている様である。
 そんな二人の間に、俺は躍り出るようにして割り込んだ。ライラックは俺の登場に事態を察したのか、舌打ちをして間合いを取る。
「フン、思ったよりはやるようだな」
「褒め言葉ありがとさん。次はお前だぜ」
「そのようだな。だが簡単には倒れてやらん、来い」
 フレイルを構え直し、一対二だと言うのに悠然とした態度で対峙する相手に、俺はニヤリと笑みを浮かべるのを感じた。奴のフレイルの柄と、俺のレイピアが衝突する。思ったよりもかけられてくる力量に内心賞賛を送りながら、押し返す為力を込めた。それを予測したのだろう、ライラックは即座にフレイルを引き、俺の力を流す。
 直ぐに体勢を整えると、そこにギレルノの召喚術が飛んできた。光の球はライラックの居場所を掠め、岩を破壊する。
 そうした連携攻撃を続けていると、やがて奴を岩に囲まれた空間に追い込む事に成功した。背後に岩、前に俺達を見据えたライラックは、だが尚も余裕のある表情だ。
「さー、そろそろ終わらせようぜ」
「そうだな、こうもダラダラと戦闘をしていても面白くないからな。だが、」
 そこで、奴は再び笑みを浮かべた。ライラックは、追い込まれた身だ。だがその笑みはどちらかと言えば俺達の――敵を追い込んだ側のもので、俺は怪訝な表情をしたと思う。
 刹那。ばっとその場を離れ、そこに鉄の雨が降ってくる。間一髪、反応が遅かったら今頃蜂の巣だ。
「舐めてくれたものですね」
 カシャン、と弾を装填し直し岩場の上から俺達を見下ろすのは、俺が先程行動不能にしたはずのカナイだった。先の鉄の雨は、アイツのライフル――いや、散弾銃か。と言うか何時の間に持ち替えたんだ、と悪態を吐く。
「お前、痺れてたと思ったんだけど」
「えぇ痺れましたよ。でも、軍人たるもの――あれ位の痺れで動けなくなっていたら、戦場で生き残れる訳がありませんから」
 成程、伊達にジャスティフォーカスを続けてきている訳ではないようだ。気のせいか、制帽のつばから覗く目に殺気が走っているような。俺はギレルノに目配せをし、まだ戦える状態なのを確認する。セレウグの方は、まぁ、応援を期待する訳ではないが、助力に来る事は出来ないだろう。
 気が付くと、舌舐めずりをしていた。戦闘狂と呼ばれてもあまり悪く思わない自分は、やはりこの状況を楽しんでいるらしい。
 《輝陽 シャイン》にいた時、俺は奴らの形容し難い雰囲気に呑まれないよう常に警戒していた。息の詰まるような毎日を耐え切れたのは、やはり戦いという言わばストレスを発散出来る機会に恵まれていたからだろう。
 戦っている時だけは、自分を思う存分曝け出せる。だから、戦闘は楽しいのだ。

   ■   ■   ■

「えぇ、手筈通りにね。了解したわ」
 ピ、と通信機の電源を切り、彼女は隣にいる大男に視線を移した。
「イーエル、指令が入ったわ。バトルトーナメントを、徹底的に乱してやれって仰せよ。協力者がいるそうだから、先にそいつらと接触しろって」
「……御意」
「コロシアムを混乱に陥れる騒ぎに乗じて、ダラトスクを乗っ取っちゃおうって魂胆ね。私達を捨て駒にしようとしているのは許せないけど――まぁ、妥当な手段ではあるわ」
 エントランスの手摺に身を委ね、美女――ラニティは艶やかな笑みを浮かべる。話している内容は物騒だが、その瞳は爛々と輝いていた。
「この指令を終えれば、ダラトスクは私達の手に落ちる。お姫様――いいえ、女王になるのは私よ」

   ■   ■   ■

 一方セレウグは、猛然と迫るザルクダの攻撃に防戦を強いられていた。猪突猛進的ながむしゃらな剣戟を繰り出してきたかと思うと、次の瞬間には意思が御された攻撃が飛んでくる。お陰で攻撃の隙が読みにくく、避けるのに精一杯となるのだ。
 タン、と跳躍したザルクダは、平地よりも高い岩場に上がる。追いかけようと動いた瞬間、彼はセレウグに向かってそこから飛び降りた。咄嗟に両腕を頭上に掲げ、頭部を守る。
「はああぁっ!!」
「――っ……」
 ザルクダは、踵落としを狙っていたのだ。避ける暇もなくは無かったが、セレウグは敢えてガードし、出来る隙で反撃を試みた。彼の足を弾き、体勢を崩したのを確認し間合いを詰める。
 だがそれは、ザルクダの策の一部でもあった。吹っ飛ばされた反動を利用して空中で回転し着地すると、追ってきたセレウグの右ストレートを避け体勢を低くし、ドォ、とガラ空きの腹部に掌底を叩き込まれる。
「……っ!」
 肺が押し潰され、中の酸素が一気に口から出て行こうとするのを堪えると、右腕を捕らえる。肉を切らせて骨を断つ、自身を犠牲にしなければ、機敏に動くザルクダを捉えるのは難しいのだ。闘剣士と名乗るだけあって、その絶妙な武器の使い分けは感嘆に値する。
 しかし逆に言えば、彼の動きを封じる事が出来れば本領発揮させる事はない。その上、ザルクダは左腕を失っている。右腕さえ自由を奪えば、申し訳ないが行動を制限する事は容易である。
 捕らえられた事をザルクダ自身が悟る前に、彼の足を払いバランスを奪う。そうした上で、腕を抱え込みザルクダの体を地面に叩きつけた。受け身を上手く取ろうとしたのだろう、それが逆に仇となり彼は変な体勢で地面に横たわる。セレウグは内心焦ったが、謝っている場合でもない。
 多少フラつきながら立ち上がったザルクダは、辛そうにしているものの呑気に笑顔を浮かべた。そのまま、またこちらに向かってくる。
「ノイモントはね、国家転覆を目論んでいる。それは知ってるよね?」
「何だよ突然」
 繰り出されるフックを受け止め、セレウグはザルクダの言葉に問いかけた。何時もながら、この人物は話している時の意図が全く掴めない。出会った頃も、長い付き合いとなった今でも。
「目的はあの頃と全く変わってないよ。変わってしまったのは、世界だ」
「世界?」
「あの頃と決定的に変わったもの、分かるかい?」
「…………」
 まだ自分らがワールドガーディアンとして活動していた頃。クーザン達と共に旅を続ける今。その両者を比べると、確かに一目瞭然な事があった。
 ザルクダはその沈黙の裏に隠された答えを知っているかのように、ヒラリと岩場を移動し間合いを取りながら続ける。
「そう、ラルウァだ。あの化物達が現れた事は僕らにとって脅威と言えるけど、彼らは違った」
 共通性のない、まるで木の葉のように移動する相手を、セレウグは追いかける。機動力がロクにない自分には、やはりザルクダの相手は重かったかもしれないな――そんな後ろ向きな考えは、とうの昔に捨てた。
「ラルウァを出現させた原因を、エアグルス一族に負わせて国民の信頼を地の果てに堕とそうとしてる。目的の為なら手段を選ばない――ノイモントってのは、そういう組織だ」
「つまり、自分達の脅威を逆に利用するつもりなのか」
「そーいう事」
 基本平坦な岩場の中で、一番高さのあるそれを挟んで対峙する形になる。戦っている最中でも話をする姿が観客にどう取られるかとも思ったが、良く考えればコロシアムを写している映写装置でも、この会話を拾えるものは少ないだろう。
 ザルクダがこんな状況でこんな話をするのも、それを想定した上。少し集中して自分達の様子を映し出した画面の音を聞いても、会話が流れているような雰囲気はない。
「……で、その話をしてオレに何をしろって言うんだ?」
 彼が意味ありげに説明をする時は、大抵自分に何かを押し付けたい時か――或いは。
 だが予想と反し、ザルクダは首を横に振った。
「そんなんじゃない。忠告だよ」
「は?」
「競争の時ノイモントの奴と戦う機会があってね。それからずっと、何かが起きそうで気持ちが悪いんだ。腕がなくなったから力は使えないけど……知ってるだろう? 僕のカン、良く当たるって」
 前髪に隠れた双眸が、影のせいでどす黒く感じ体に怖気が走る。今まで見た事がなかった表情だ、とセレウグは思った。
 一瞬の油断をザルクダは逃さなかった。間にある岩を一気に回り込み、セレウグの顔面目掛け拳を叩きつける。間一髪で右手がガードに間に合ったが、彼の動きを封じる事は出来ず再び間合いを取られてしまう。
「利用されそうな物は集中的に守った方が良いよ。……忠告はこれで終わり」
「っ……訳わかんねーよ!」
 チョロチョロ動き回る相手を前にしたセレウグは、先ず相手の足を止めようと動く。先ほど間に挟んでいた邪魔な岩。それに向かって強烈なストレートを繰り出すと、岩はあっけなく崩れた。
「!」
 崩れた岩は細かくなり、砂埃と似たような状況を生み出す。ザルクダは一瞬、セレウグの位置を把握出来なくなった。抜いたスクラマサクスを構え、相手の姿を懸命に捜す。だが既に、セレウグは彼の背後を取っていた。
 蛇流旋でザルクダの足を掬い、崩れ落ちる直前に彼の右腕を捻り上げ、武器を払い落とす。力の差は歴然だから、それはいとも簡単に成功した。あとはもう胸倉を掴み、一気に放り投げる。このままなら、さっきまでの攻防と一緒だ。だから、セレウグは吹っ飛ばしたザルクダに追い討ちをかけた。
「豪破舞烈掌っ!」
「――っ……!」
 ガードされたものの、それを折ろうかと言わんばかりの気迫が彼を襲う。もちろん本気で折ろうとは思っていないが、手加減をしていては勝つ事なんて出来やしない。流石に片手だけでは押さえきれなかったのだろう、ザルクダはそのまま吹っ飛び岩場に叩きつけられる。
 武器もセレウグに取られたまま、衝撃で体も自由が効かない。ザルクダは動くのを諦めたらしく、大の字に寝っ転がり笑った。
「――っ……。今のは効いたぁ……」
「で? 結局なんだってんだよ」
「うーん……やっぱりセーレには敵わないやぁ。ノイモントの奴らはね、エアグルス一族の皇女リダミニータを誘拐する算段を立ててたっぽいんだよ。それだけ」
「国家転覆の目的の為に? それじゃ国家が皇女を見捨てた場合無駄に……」
「だから忠告したじゃん。ま、バトルトーナメントでの奴らの動向は任せたよ?」
 衝撃と言えば衝撃の事実に、セレウグは目を剥く。だがそれをもたらした本人はやはりどこかのんびりとしており、我がチームのリーダーながらその辺りどうにかならないのか、と内心溜息を吐いた。
 ザルクダは、やっとの思いで顔を動かし仲間の方を見る。彼に倣ってそちらを見やると、スウォアとギレルノが対峙する二人を倒した所だった。相手の方に動ける者がいなくなったので、これでセレウグ達の勝利である。
 勝利者を告げるアナウンスが流されるのを聞き流しながら、セレウグはザルクダを助け起こし肩を貸す。そして、コロシアムの出口へと歩き始めた。
「それにしても、びっくりしたな。まさかスウォアが仲間になっちゃってたなんて」
「……恨んでるか?」
 自分を含むザルクダ達にとって、スウォアは忌むべき敵の一人だった。敗戦したあの戦いでもセレウグは苦戦を強いられたし、ザルクダもそうだったはずだ。そんな相手が、自分と手を組んで戦っている。ザルクダからすれば、複雑でもあるのだろう。自分達の仲間を傷つけたのにのうのうとしている彼を、許す事は出来ないかもしれない。
 そんなセレウグの心中を察したのか、ザルクダは慌てて否定の意を返す。
「ん? ああいや、そうじゃなくて。だってあんな事したのはゼルフィルの指示で、彼の意思ではないからさ。それに、引っかかってたんだよ。彼の未来を読んだ訳じゃないけど、彼はあちら側ではない感じがしたっていうか」
「クーザンも言ってたぜ、それ」
「そうなの? ――ああでも、彼なら分かっちゃうだろうね」
 クーザンと同じ事を口にしたザルクダに驚きつつ、セレウグは言う。両者を称える割れんばかりの拍手は未だ消えず、耳が痛い程だ。
 出口はもう、目の前。
「? 何でだ?」
 彼の分かったような台詞に、敢えて理由を問う。聞かないといけないと思った。
 ザルクダの声は、拍手に紛れる事なくはっきり耳に届いた。
「クーザン君は、月の希望だからさ」