第70話 言葉にする大切さ

 クーザン達が借りている宿の一室に、一人入ってきた。薄水色の癖毛に若草色のコートは、ギレルノだ。元々ああいった華やかな舞台が得意ではない彼は、本日の全ての行事が終わるなり先に戻ってきた。他のメンバーが帰ってくるのは、まだしばらくかかるだろう。
 ギレルノはコートを脱ぎベッドに放り投げると、そのまま倒れ込んだ。ごろりと仰向けになり、目元にかかった前髪を左手で退かす。
「とうとう、来たか……」
 レン=タツミ。自分を追って現れた少女は、ギレルノにとって思った以上の衝撃を与えるとともに、否応なく過去の事を思い出させた。
 視線を横にやれば、視界の中に入ってくる大きな本。紛れもない、自らの罪の証。これさえ――自分の特異な力さえなければ、と一体何度思った事だろうか。

 ギレルノが罪を背負う事になったそもそもの原因は、三年も前の出来事だ。それまでごく普通の一兵卒として、ソルクのゲート管理人職を全うしていた彼に、何の前兆もなく降り注いだ厄災。
 その出来事は、ソルクの建国以来最悪の事件として処理された。当事者で生き残っていたのは、ギレルノと――一人の女性のみ。過去の忌まわしい記憶を掘り返そうとしている自分に気が付き、ギレルノは軽く頭を振って考えを変えようとするが、それは叶わなかった。
 召喚術は、元来素質を持った人間が相応の手順と時間を捧げて初めて成功するもの――と言うのが、エアグルス大陸の人々の認識である。故に召喚師は所謂”選ばれた存在”という意味合いが強く、実際に大陸の術師の数パーセントにしか召喚師は存在しない。
 自身の干渉する必要のない存在――それは、事件が起こる前のギレルノの考えでもあった。まさか、自分がそんな存在になるとは、当時思いもしなかったものだ。
 あの日までは。
 思い出されるのは、元から荒れ果てていた荒野に下手くそに塗りたくられた赤。まるで、画家が自分が描いた絵を気に入らなかった腹いせに絵の具をぶちまけたような光景は、だが現実にあるものだった。その中に、ギレルノは立っていたのだ。自身に怪我は一切ない。体に浴びたのは全て他人の血、血。
 守ったはずだった。脅威の象徴である魔物から、自分は街を守ったはずだった。じゃあ何故、周囲は夥しい血液で染まっている? 動いている者が見当たらない?
 答えは簡単。殺したのだ、自分が。自分の中に棲まう何かが――。
「私の住んでいた大陸にね、『神器』と呼ばれる本があるって言い伝えがあるの」
 自分は多分、彼女がいなければ今頃自害していた。大量の人の命を奪ったショックで廃人同然となり、後に平静を取り戻したかと思えば今度は贖罪に拘る自分の相手は、相当面倒だっただろう。
 それでもそう話を持ちかけてきた彼女は、国から人知れず脱出する道を辿りながら続ける。
「“神が作りし永久の遺産。異大陸より伝わりし此、選ばれし者は母なる海の祝福を受け取らん”。そう伝わっているの。私達の見解では、これは本に選ばれた者は願いを叶えてくれるって事じゃないかって言われてる」
「……願いを、叶える……」
「持ち主を、本が待っているのよ。面白い話よね? まぁ、手に入れるには本を守っている巫女達を説得しないといけないわ」
 そこまで話すと、彼女はこちらを振り向き笑顔を浮かべた。
「これ、私の部族で口外禁止になってるんだけど……貴方には、話すべきだと思ったの。女の勘、って奴かしら?」
 口外禁止、と言う事は、彼女は掟を破った事になる。これで私も罪人ね、と少し悲しそうな笑みを浮かべると、自分に手を差し伸べた。
 何故自分にそこまで――とか、聞きたい事はたくさんある。だがそれを聞かずして、視界の端から光の粒子が立ち込めてくるのに気が付く。何度か見た事がある。彼女の得意である魔法の一つ、瞬時に対象を長距離移動させるものだ。逃がすつもりなのだ、自分を。
「貴方は何も悪い事してないわ。ただ、運が悪かっただけ。だけど、贖罪を望むのなら行ってみると良いわ。私は、ここでこの子と待ってるから」
 視界が、眩い光で埋まって行く。もう彼女の姿も見えない。だが、その言葉だけははっきり聞こえていた。
「気をつけてね、ギル君――」

「――ギルお兄ちゃん?」
 光の粒子とは程遠い、だが真っ白な天井を見上げていた視界の中に、ひょっこりと違う白が紛れ込んだ。ぎょっとして意識を引き戻すと、ベッドの側に立ち首を傾げているリルがそこにいた。ここまで接近されるまで気が付かなかったとは、余程考えに没頭していたようだ。
 と言うか、ここは男部屋。何故彼女がここにいるのだろうか。その疑問は、次に入ってきた人物によって直ぐに解消される事となる。
「リル、ここ男部屋。お前はあっちだ」
「だって、リルはギルお兄ちゃんとお話したいんだもん」
「…………」
「ホルセル、落ち着こう? ね?」
 苛立ちを隠そうともしないホルセルに、オロオロとしながらも宥めようと必死なアーク。この部屋に割り当てられたのは、後はスウォアとクロスだが、まだ帰って来ていないらしい。買い出しやドームの珍しさに出かけていた面々が帰ってきたと言う事は、自分は随分と長い間ぼぅっとしていたらしい。窓から見える風景も、既に闇に包まれていた。
 フン、と鼻息荒くそっぽを向いたホルセルは、ギレルノが寝転がっているベッドの傍を通り過ぎ一番窓際のそれに腰を下ろした。アークは彼のそんな様子に、顔を青くしたり焦ったりと忙しい。自分は幾ら嫌われようと全く構わないのだが、少しは周囲の人間の事も気にしてやっても良いだろうに――そんな事を思いつつ、ギレルノはリルに視線を改めた。
「話とは?」
「レンお姉ちゃん、きらい?」
 純真無垢な子供は、時たま直球かつ核心を突く問いをしてくる。それが意図的でないのも質が悪い。
 不意打ち過ぎただけにどう返すべきか迷っていると、彼女は更に問いかけてくる。
「レンお姉ちゃん、やさしい人だよ? リルは大好きだから、ギルお兄ちゃんがレンお姉ちゃんきらいなのはさみしいよ?」
「……そういう問題じゃない。好きか嫌いか以前に、俺は……」
 やってはいけない事をしでかした。そう言うのは容易かったが、相手はまだ子供だ。そう遠回しの事を言っても理解出来るはずもないし、言う必要もない。
 そんなギレルノの考えを知ってか知らずか、リルは眉尻を上げ口を開く。
「ギルお兄ちゃん、お話出来るって幸せなことなんだよ」
「…………?」
「お話できなかったら、いつまでも仲良くできないままなんだよ? 気持ちを伝えられないんだよ?」
「気持ちを……伝える?」
 言葉を反芻させれば、彼女はコクコクと首を縦に振り肯定を示す。
 話が出来るとは、どう言う事なのだろうか。話をしなければ相手がどう思っているか分からないと言った意味合いだろうか? しかし、この歳の少女がそこまで考えているだろうかと、ギレルノは頭を捻りながら続きを待つ。
「だからね、お話できるならちゃんと話すの! お話ししたら、レンお姉ちゃんとも仲良くなれるよ。リルからのお願い!」
「――あ、いたいた。リルー、部屋に戻るわよー?」
 妙に説得力があるのを感じていると、部屋のドアが開いた。サエリはリルを迎えに来ていて、部屋には入らずに入り口で待っている。
「サエリ」
「ほら、お迎えが来たぞ」
 そう言ってやると、リルはサエリに振り向きはーいと返事を返し、最後に自分より高い位置にあるギレルノの目をしっかり見据え、
「約束だよ!」
と念を押して駆けて行った。
 ギレルノは去って行った彼女の言葉を思い返す。リルが自分のやった事を知っているはずはない。だが、それにしては何だか知っているような、だから助言とも取れる台詞を残していったような感覚があった。
「……喋れない辛さを知ってんだよ、アイツ」
「!」
 それまで沈黙を貫いていたホルセルが、突然口を開く。視線は窓の向こうの闇に向けられたまま。
「本当の父さん母さんが殺されて、アーリィさんとクレイさんに保護された後暫く、リルは『話す』行為を失ってた。オレよりもちっさいからな、余程悲しさに耐えきれなかったんだろうな」
「そんな事があったんだ……」
 アークは目を伏せる。普段誰よりも明るく、沈んだ仲間達を支える笑顔を浮かべる少女にそんな過去があったとは。
「……ま、その後色々あって、また喋れるようになってんだけどな」
 軽く言うが、果たしてそうなるまでに如何なる困難があったのか。当時を知り得ないギレルノ達には分からないが、ホルセルの言葉から感じる悲しさがそれを語っているようだった。
「だから、アイツからしてみりゃお前の何も話さずどうにかしようとしている態度が気に食わないんだろうよ。……あーくそ、何でオレがお前なんかにんな事言わなきゃなんねーんだよ! 寝る!!!」
 バサァと毛布を自身にかけ、ベッドに潜り込むホルセル。首元にマフラーを巻きっぱなしだが、暑くはないのだろうか。そんな様子を見ながら、ギレルノはポツリと言った。
「……悪かったな。ありがとう」
 頭まで布団を被る彼の耳に届いたかは、分からないが。

   ■   ■   ■

 バトルトーナメント本戦は、総当たり戦。勝ち数の多い上位二組が、翌々日の決勝に臨む事となる。
 一戦目は、クーザンの率いるチームと悪魔族のチームの試合だ。カツン、とコロシアムに繋がる廊下に足音を響かせる。あの四角い光の空間を過ぎれば、その先は大勢の観衆に囲まれた試合の場だ。
「ホルセル、サエリ」
 クーザンは、チームメイトである二人の名を呼んだ。ホルセルは何だ?とでも言いたげに自身に視線を向け、言葉の続きを待っている。
 ユキナがゼルフィルに連れていかれたあの日に出会い、同じく大切な人を助ける為に今日まで共に戦ってくれた仲間。今まで自身の問題に巻き込みたくない思いで、人と深く関わらないようにしてきたクーザンにとって、彼は既に親友と言っても良かった。
 サエリは、これから身を投じる戦いの舞台に高揚を隠そうともせず、だが落ち着いた表情で見返した。月の物語とはまるで無関係のはずなのに、ここまで文句を言いつつも付き合ってくれた。魔法の腕もさる事ながら、的確で効率的な援護で戦闘をサポートしてくれるその実力には、何度助けられたか分からない。
 そんな信頼出来る二人の注目を受け、クーザンは目を逸らす事なく――笑顔で言った。
「ありがとな、一緒に戦ってくれて」
 一瞬何を言われたのか分からなかったのだろうか、二人ともぽかんと呆気に取られた表情を浮かべていた。だが同時にぶは、と噴き出し、口を開く。
「何言ってんのよ。まだ終わってないでしょ、らしくないわね」
「そうそう! 勝ち進んで、ユキナ助けて、アイツら倒すまでは終わんねーぜ」
「アンタは黙って前を見てなさい。後ろは守ってあげるわよ。ホルセルが」
「オレかよ。良いけど」
 試合前とは思えない緊張感のない会話だが、お陰で肩の力が抜けた気がする。内心でもう一度二人に礼を述べつつ、クーザンはグラディウスの柄を握り直した。
「時間になりました。コロシアムへ移動して下さい」
 係の女性が、四角い光の空間を指し示す。アナウンスと共に、大勢の歓声が大きくなったような気がした。今一度二人を見やれば、大きく頷き先を促される。
「行こう」
 クーザンのバトルトーナメントの、幕開けだった。

   ■   ■   ■

 ぼんやりする。今日はしっかり寝たと思っていたのに。ジュンさんに規定の時間に起こされたものの、それからずっと舟を漕いでいる状態のような気がしている。
 でも、寝る訳にはいかない。眼下のコロシアムではクーザン達の試合が行われようとしているのだ。
「具合が悪いんですか? ウィンタさん」
 心配そうに話しかけて来るのは、リレス。あまり周りに悟られないようにしているつもりだったが、職業柄、人の様子を見るのは得意なのだろう。
「へーきへーき。眠いだけだよ」
「でも、何だか顔色も悪い気が……少しでも気分が悪くなったら、言って下さいね?」
「ん。ありがと」
 そう返しながら、オレの視線はクーザンに注視していた。敵の一人である悪魔の剣士に、果敢に立ち向かう姿は、魔導学校ではあまり見せてくれなかった。勿論迂闊に実力を出せば正体がバレると言う事もあったし、何より子供と言うのは残酷で――自身が恐れる対象となれば畏怖の目で見られ、例えばシカトやいじめと言った陰鬱な行動を取られる事もある。そんな場で見てきたクーザンは、生きているんだけど死んでいるような、違和感があった。
だから、実力を発揮出来る友人と共に戦い、その場を与えられた今の彼は、とても楽しそうだった。
「お」
 クーザンは相手の剣を自身のそれで受け止め、鍔迫り合いを制し弾き返す。武器を失った相手に向かい再び距離を詰め、横薙ぎを繰り出すが、相手は隠し持っていた短剣で防ぐ。
 自分がクーザンに、今出来る事は何なのか。昔と違って、彼は信頼出来る仲間を、友人を得た。何処で手に入れたのかは知らないが、一目見て業物である剣も手に入れている。
 あれこれ考えてみたものの、もう自分にクーザンにしてやれる事はないのかもしれないという結論しか出なかった。

 弱冠十五歳にして天賦の剣の才能を持つ少年が率いる、今年初参加のチームは、初陣にして大人で構成されるチームを打ち破った――とアナウンスが興奮気味に行われた。
 観覧席の中に、誰も近寄ろうとしない場所がある。そこには黒いマントを被った者が、三人いた。いかにもといった怪しさからか、誰も彼らには近寄らない。
 一人は口元を歪ませ、眼下のコロシアムを見下ろす。そして、大きく弧を描かせた。