第69話 暗雲現る

 第一回戦の抽選も終わり、一日目のスケジュールは終了した。拘束から解放されたクーザンは、ユキナを捜しつつ彼女を捜しているであろう仲間達と合流する。この広いドーム内では苦難であったが、幸運にもそれは成功したのであった。
「クーザン!」
 遠くから、ウィンタが自分を呼んだ。右手でそれに応え駆け寄ると、取り敢えず膝に手をつき呼吸を整える。競争で広い水道を歩き回った後でこれはかなりキツかったが、そう言っている場合ではない。
「ユキナは?」
「さっぱりだ。尻尾も見えやしねぇ」
 肩を竦ませ、ウィンタはお手上げだと言いたげに両手を開く。やっぱり、と息を吐き、開口する。
「セーレ兄さんは別行動で捜してくれてる。けど、目は使えないから期待するなって」
 セレウグの眼を使えば直ぐに見付かるだろう。だがこんな人の多い場所で使えば、どんな事になるかは想像つかない。クーザンは先手を打ち、彼に眼を使わないよう釘を刺してきたのだ。
 それは、皆も予想していたのだろう、誰も異を唱える事はなかった。
「俺も別れて捜すよ」
「そうねぇ、アンタならぱっぱと見つけちゃいそうね」
「は?」
 サエリの言葉に、走り出そうとしていたクーザンは意味が分からず足を止めた。それにウィンタも、慌てたように声をかける。だがこういった時、女子の連携は恐ろしいのである。
「おいノーザルカ」
「ウィンタさんに、クーザンさんがユキナさん捜しのスペシャリストって話を聞いたんです。小さい時から、何時も泣いているユキナさんを捕まえて来ていたって」
「ラザニアルまで……」
「あのな……。別に、あいつが行きそうな所を捜してただけだって。知ってる街ならまだしも、こんな広い建物で簡単に見付けられる訳ないだろ」
 そう返すと、何故か広がる一瞬の静寂。自分は何かおかしい事を言っただろうか、とクーザンは内心首を捻った。
 しかし、それを打ち破ったのはその場にはいなかった第三者。彼は何処から現れたのか、クーザンの隣にザッと音を立て着地すると、立ち上がって少し慌てた様子で口を開く。先程別れたばかりのジャックだ。
「おい、ユキナ見つかったか?」
「え、いやまだだけど」
「マジか……」
「どうかしたか?」
「これを見てくれ」
 うんざりした表情で呟く彼に、クーザンは問いかける。
 するとジャックは懐から何かを取り出した。それは紙で、広げられると何かが書かれている。要約するとこうだ。
『大陸の姫を頂きに参ります。ノイモント』
 その下には、一族の持つ権利の譲渡とバトルトーナメントでの静観、他諸々の所謂要求が書き連ねてあった。だがこれは、自分達には一見関係ない話だ。
「大陸の姫って、リダミニータ=ルエアグルスの事だろ? 何で俺達……に……」
 クーザンは言っているうちに、一つの馬鹿らしい考えに行き着く。ジャックが自分にこの事を伝えに来た。それは多分。んな馬鹿な、そんな事があってはたまるかと意思を強く持つものの、聞かずにはいられない。
「……おい。まさかとは思うが、お前の主人は」
「無事だ。用意された部屋に平然と居座ってんだよ」
 あの大馬鹿野郎。クーザンは頭を抱えた。

   ■   ■   ■

「あの大馬鹿野郎」
 数分後、クーザンの心の声をそっくりそのまま代弁したのは、事情を詳しく聞いたウィンタ。呆れ返った表情で口をヒクつかせ、今にも罵声が飛び出さん勢いである。
 先程までいた廊下で話をするのは憚られたので、クーザン達はドームに出店している飯屋の個室に移動していた。何処で聞き耳を立てられているかは分からない、声は自然と小さくなる。
「いや、でもまだ分からない、けど」
「確かに、リダミニータとユキナはそっくりだったけど……そんなヘマする人間がいるかしら?」
「でも、ユキナが全く見付からねぇのも事実だぜ? アホくせぇけど、可能性は捨てられねぇ」
 サエリの疑問にホルセルが答えるが、その当人も未だに納得していないようだ。そもそも、ユキナの安全確認が取れていない現在、まさかと思っている事全ての可能性が考えられる。キリがない。
「ノイモントに見つからないよう、先にユキナを見つけるしかないな」
「かと言って迂闊に動けば怪しまれるしな……お前は参加者だから尚更」
「ノイモントの奴らがわざわざ参加者の観察なんかするか? つーか、現時点で見つかってねーんだから完全に持久戦になるぞ」
 考えるのが馬鹿らしくなってきたクーザンは、一番手っ取り早い手段を取ろうとした。それを慣れた様子で制するウィンタと、そもそもの事実を突き付けるジャック。タイプは違うが、二人共クーザンの扱いに長けている。
「……ノイモントって、確か少数組織ですよね? その人達が、このドームに集まっているという可能性はありませんか?」
 先程の経緯を話す際、皆にもクーザンがノイモントの者に襲われた事は話していた。それを考慮し、このドームに彼らが潜伏しているかもしれないという憶測が彼女の中で生まれたのだろう。
「もしユキナが捕まっていたとしても、このドームの何処かに閉じ込められる確率は高いと思うんです」
「つまり、アイツの安全は取り敢えず大丈夫って事だな」
 その通りなら、わざわざ人質を別所に移すのは手間がかかり、脱走を防ぐ為に人員を割く必要はない。ホルセルが腕を組み悩む横で、ジャックは肯定の意味を持って頷いた。
「取引の材料に使われる以上、リダミニータが篭っている限りは相手が捕まえたユキナをそう簡単にどうにかするとは思えないわね。となると、」
「俺を襲ったノイモントの奴らに問い質すのが一番、って訳か……」
「そんじゃ、俺の仕事はお嬢が出歩かないよう見張る事だな」
 人質を早々に処分すれば、取引材料はなくなる。それは奴らにとって、絶対に避けたい事だろう。最終的な結論は、クーザンにとっては一番面倒で苦痛な手段だった。だがユキナの安全を考えるなら、今は動くべきではない。
 また、相手がさらったと思っている人物が平気でいる事を悟られるのもマズい。場合によっては、本物を炙り出す為にユキナが危険に晒されるからだ。恐らく、ジャックがリダミニータの執事である事は知られていないはず。ならば、今は耐え忍ぶべきだ。
「あ、それと今ここにいる奴ら以外にも話すべきじゃねーな。下手すりゃ情報露出しちまう」
「セーレ兄さんやザ……フォルテさん達はノイモントを探してただろ?」
 思わぬ発言に、クーザンはついムキになって反論する。大陸の象徴を脅かす組織が相手なのだ、力を貸してくれるなら心強い。事情を話して協力を要請すべき、とクーザンは思っていたのだ。
 だがやはり、それを良しとしない理由があった。
「下手に警戒すりゃ、敵が出るのを躊躇する。そうなりゃ動く機会がますます遠のくぜ」
「敵を欺くにはまず味方からって訳ね。了解したわ」
 サエリが答えつつ、不服そうなクーザンを横目で見やる。面白そうに、暇潰しを見つけたとでも言いたげな表情で。

 その場はそこで話を終わらせ、一行は解散した。
「クーザン! ユキナは見つかったか?」
 すると運の悪い事に、ジャックと別れた直後にセレウグとクロスに遭遇し頭を抱える。どう言おうか全く考えていなかったというのに。
 そこそこ珍しい組み合わせである事には気が付かず、クーザンは自分の閃きに期待し口を開く。直後に口を挟んできたのは、グループ一のはぐらかし上手なサエリだ。
「あぁ、あの子ったらはしゃぎ過ぎて疲れちゃったみたいで、もう部屋に戻ってるわ」
「何やってんだかアイツ……まぁ、無事で良かったな!」
「あぁ、うん。というか何で俺に振るの?」
 嘘を吐いているという後ろめたさはあるものの、クーザンはサエリの目配せを受け話を合わせる。成程、部屋に戻ったと言われれば男性陣にはユキナがいないのを知られる事はない。
 ――はずだったが、何やら向けられる視線に違和感を覚えクーザンはその視線の主を見やる。案の定それはクロスで、納得していないと言いたげな表情をこちらに向けていた。
 さて、どうしようか。ジャックはああ言っていたが、クロスにだけは話しておいた方が良いかもしれない。それでなくても、後であちらから問い質されそうだが。クロス――セクウィは世界の監視者。どう考えても、隠し切れるとは思えない。
 そんな事をクーザンが考えていると、リレスが首を傾げながら彼らに問いを発していた。
「それにしても、セーレさんとクロスさんって何だか新鮮ですね?」
「あぁ、ちょっと確認しとこうと思ってな」
「確認? 何を?」
「いや、こっちの話。じゃ、オレはユーサ達の所に戻るぜ。クロス、サンキューな」
 そう言い残すと、セレウグはヒラヒラ手を振りながら去って行った。
「……で」
 そこでようやく声を発したクロスは、嘘をも見破らんとする眼光をクーザンに向けてきた。説明しろ、そう目が言っている。
 ああ、面倒臭い事になった。クーザンは己の運の悪さを呪いながら、いかにして彼をはぐらかそうか考え始めた。

   ■   ■   ■

「ノイモント、ですか」
 ゼルフィルは顎に手を当て、今しがた報告に上がった組織の名称を口にした。
 強大な《月の力 フォルノ》を有するユキナ=ルナサスも不必要となった今、シャインの面々は来るべきその時に向け、準備を進めていた。ユーサや、暴走した忌わしい少年に瀕死の重傷を負わされていた傷も完治しており、後は《彼》の指示を待つだけだ。
 スウォアが裏切り、幹部クラスの人間が少なくなってしまったのは痛いがーーそれも、事が始まってしまえば大した弊害にはならない。
 もう少しなのだ。自分が、自分達が望む世界を手に入れられるのは。

 そんな中の報告だった。進言したのはキセラで、当人は呆れたように溜息を吐き愚痴をこぼす。
「そ。そいつらが今、大陸の政策に反発して勢力を上げてるって噂なのよ」
「それが、我々の目的と何の関係があるのですか?」
「あるのよこれが。奴ら……バトルトーナメントで大陸の頭が留守の内に、ダラトスク[ここ]を占拠するつもりらしいわ」
「……それは、困りますね」
「でしょう?」
 大陸の中枢と言っても相違ない以上、反逆を起こす手段として首都を押さえるのは重要な勝利要因だ。だが、少数組織と言われているノイモントの輩がそんな大それた事を出来るかと問われれば……答えは否。普通に考えるならそんな戯言は関係ないと言う所だが、今回は事情が違う。
 ゼルフィル達の作戦も、この首都を拠点にして行われるのだ。今この国を他の組織に独占され、暴れられるのは些か面倒である。
「全く、面倒ですね。人間って言うのは」
「不本意だけど同意するわ」
 キセラは、部屋の隅で眠るサンを一瞥する。
 そうしていると年相応の、ただの快活な少年に見えるのだが――サンも、幼い頃に両親に捨てられ孤独死したと言う暗い過去を持つ。何故捨てられたのか幼いサンには分からなかっただろうが、先ず間違いなく……ソーレの存在のせいだろう、と同志達は理解している。
 サンは人間を憎み、キセラとヴォスは復讐を望みこちら側に来た。リスカは知らないが、アレも人間ではないのだ――大方、魔物で言う狩猟本能の一種だろう。
 それぞれに目的がある。過去の屈辱を晴らす為、そして自身の安息の為。

 では、私自身は? 私は何を望んで、こちら側にいるのだろうか?
 ユーサとの決着? いや、彼は言わば片割れ。決着を望んでいるとしても、それは帰巣本能に似たものなのかもしれない。私自身の意志ではないのだ。
 前世の復讐? それも違う。前世でトキワを殺したのは、ディアナでもカイルでもない。今ソファーで眠っている少年の意識に巣食う者だ。生前まで憎むべきはずの者に忠誠を誓ってまで、私がやりたい事とは一体――。
 そう考えを巡らしていると、突然右頬に痛みが走った。ギリギリ続くそれの原因はキセラで、右頬を恐るべき力で抓られている。彼女を見れば不機嫌中の不機嫌で、眼力でそこらの魔物を震え上がらせらせそうな表情だった。
「……なひひてひふんふぇふか」
「アンタその考え込むと周りが聞こえなくなる癖どうにかしなさいよ。どうするのって聞いてるの」
 どうやら考え過ぎて、彼女の問いをスルーしていたらしい。首を振って頭を切り替え、何の話をしていたか思い出す。
「ノイモントが、どんな手を使って首都制圧を狙っているか分かりますか?」
「舐めないで頂戴。一時間もあれば調べられるわ」
「お願いします」
 ノイモントの作戦次第では、サン――いやソーレに指示を仰ぐしかないだろう。こればかりは、ゼルフィルの勝手な判断で事を進めてはならない。そうと決まればゼルフィルは部屋の入り口に体を向け、出ようとする。が、ふと気になった事がある。
「そう言えば、貴女達以外は何処へ行ったんですか?」
「さぁ? 散歩でも行っているんじゃない」
 そんな悠長なと吐き捨てかけ、だが思い直し呑み込んだ。最終的に物事が動き出せば、もうこの世界に用はなくなるのだ。未練を残さないためにも、残された時間を個人的に使おうが構わないだろう。
 どうせ、この世界はもうすぐ消えてなくなるのだから。