第68話 恋せよ少年

 クーザンとジャックが合流し、水道を散策していた時。ユキナもまた、どちらの道を進もうか迷っていた。
 掲示され始めた参加者表に群がる人間を余所に、初めて訪れたピォウドドームを歩いている。
始めは、皆がいた場所から少し離れただけのつもりだったのだが、何時の間にか周囲は見覚えのない場所になっていて、困り果ててしまう。見える範囲に仲間はいない、案内板もない。
「ど、どうしよう……」
 こんな事になるなら、最初っからみんなの近くで観戦しているべきだった。競争の様子こそ見る事は出来ないが、それでも良かったのに。
今頃は、もしかしたらウィンタが自分を捜して走っているかもしれないと思うと、ユキナは申し訳なくなってきた。
 ――ふと、周りの視線を感じ足を止める。そちらに目を向ければ、慌てたように視線を自分から外し知らん顔。中にはあからさまにこちらを指差し、ひそひそ話をしている者もいる。
ここまであからさまだと、流石のユキナも気が付くものだ。居心地が悪くなり、人がいない方へと向かってしまう。
 先程のリダミニータ=ル=エアグルスの演説。あれは勿論、ユキナ達だけが見ていたのではない、あの場にいた何千人、何万人という人間が見ていたのだ。当然、彼女の容姿にそっくりなユキナにも視線が行く。
 そんな事を続けていたせいで、気が付けばドームの控室が並ぶエリアに来てしまったのか人は少ない。これはこれで好都合なのか、はたまた不都合なのか。
 見覚えのない場所。帰り道が分からない事からの不安。それらの要因から、ユキナは自然と足を止めてしまっていた。
「………………。動かない方が良いかも…………」
 自分がしょっちゅう迷子になるので、呆れたクーザンから言われた事を思い出す。
『迷ったら、俺が捜しに来るまで動くな』
 迷った事に動揺してしまえば、冷静に現状を把握出来なくなる。クーザンは自分がそうなってしまわないように、忠告してくれたのだ。
 (小さい時から、そうだったなぁ)
 動くのを諦め、ユキナは廊下で座り込む。思考は自然に現状から離れ、幼い頃を思い返していた。

「うぇ、ひっく……」
 トルシアーナでなく、故郷に住んでいた頃。ユキナは公園の端で、ボロボロ泣いていた。誰かにいじめられていたのではない。方向音痴のせいで帰り道を見失い、不安に押し潰されそうなのだ。
 がささっ、とすぐ横の草が音を鳴らす。ユキナは肩を震わせ、音の正体が現れるのを待った。逃げようにも、恐怖で体が動かないのだ。
 だがそれは、近くに野生する生き物でも見知らぬ人間でもなかった。双眸に宝石のような輝きを宿す、黒髪の自分と同じ位の年の少年ーークーザンだ。
「……何やってんだ馬鹿」
「ば、馬鹿じゃないもん……」
「じゃあ泣き虫だな。何でこんなトコにいるんだよ、ったく……」
 ぱっぱと服に付いた木の葉を軽く払い、さも呆れ切った表情を浮かべながら毒づく。言われている事が自分でも正しいと思うだけあって、言い返す言葉もない。
「ん」
 完膚なきまでに打ちのめされたユキナは落ち込むように視線を下げたが、その目の前に彼の手が差し出された。
「え?」
「帰るぞ。またどっかに迷ったら困るからな」
 訳が分からず首を傾げると、まるで予想していたように即答される。どうやら、またはぐれないように手を掴んでおけという事らしい。
 申し訳ない気持ちと、嬉しい感情。その両方が入り混じって手を握るのを躊躇っていると、「早くしろ」と言わんばかりに彼の手が自分のそれを捕らえる。何処かで、ドクン、と音が鳴った気がした。クーザンの手は、自分よりも冷たかった。この寒空の下、ロクに上着も着ないで捜してくれていたのだろう。
 そう思えば、やっぱり申し訳ない感情が勝りーーだが小さく呟いた「ありがとう」は、吐いた白い息に埋もれてしまった。

 昔を思い出していたユキナは、自分でも気が付かぬ内に眠っていた。戦闘訓練を受けている訳ではないユキナが、寝ていても人の気配を察して起きるはずが無く、その無防備な姿を晒しながら。

   ■   ■   ■

「捜しに行ったって、どう言う事だよ!?」
「おおお落ち着け落ち着くんだクーザン、取り敢えず落ち着いてくれ」
 セレウグの胸倉を掴み前後に揺さぶりつつ問うと、相手も慌てたように答えた。落ち着けと言いつつ自分も焦っていれば、説得力に欠けるのだがそんな問題ではない。
 ユーサとギレルノが呆れたようにその様子を眺めつつ、口を開いた。もちろん、二人にセレウグを助けるという選択肢はないようである。
「いやー、まさか少し目を離した隙にいなくなるなんてねぇ……」
「好奇心旺盛なのは、どこぞの兄妹だけではなかったようだな」
 ギレルノが言っているのは、勿論ホルセルとリルの事である。当人達はウィンタと一緒にユキナの捜索に当たっているので、訂正の言葉もない。
「俺、捜してくる」
 いても立ってもいられず、クーザンは踵を返しコロシアムの出口に向かおうとした。だが、そこに制止の言葉がかかる。
「ちょっと待った! トーナメント参加者は、この後また抽選があるんだぜ」
「でも……!」
「仲間を信じてやれよ、こういう時くらいさ」
「……っ」
 重度の方向音痴であるユキナを、仲間達が見つけられるとは思えない。が、頼れるのは彼等しかいないのも事実。それをジャックに諭されると言う悔しさに拳を握りながら、クーザンは溜息を吐いて電光掲示板を窺った。

 それから三十分程経っただろうか、最後のコインを手に入れた参加者がコロシアムに姿を現した。この時点で、まだ水道に残っている参加者は落選だ。最後の悪足掻きと懸命に探していた彼らには、せめて努力を讃えようと盛大に拍手が贈られる。
「それでは、トーナメント抽選に参ります! チームリーダーはこちらにーー」

   ■   ■   ■

「あんにゃろう……何処行きやがった」
 手に持っているパンフレットが可哀想な位に握り潰されているのを横目に、ホルセルはドスの効いた声を受け流す。
 こちらはユキナ捜索班。クーザンとセレウグがトーナメント参加者で身動きが取れない代わりに、ウィンタを引き連れて会場内を渡り歩いている。
「ここまで来るともう才能ね。地下街にも部屋にもいないとなれば、お手上げよ」
「そんな人様に迷惑がかかる才能なんていらねぇ」
「ウィンタさん……」
 サエリの言葉にすっぱり斬り伏せる言葉を返しリレスにたしなめられようと、ウィンタには効かないようだった。もう目が据わっている。
「あーくそ、せめてクーザンが動けたらな」
「そういえばアンタ、クーザンと昔からの付き合いって言ってたわよね。どうなの? やっぱり三角関係的なものはあった訳?」
 突然の、しかも突拍子もない彼女の台詞に、ウィンタは噴き出しその場にいた全員が怪訝な表情を浮かべた。聞いた当人はとても楽しそうであるが。
「んだよいきなり……」
「あら、だって見てるだけで砂糖吐きそうなあの二人ともう何年も付き合って来たんでしょう? それなりな理由がなきゃ無理じゃない?」
「その言葉、そっくり返すぜ」
 負けじとウィンタも、サエリの隣を歩くリレスを一瞥し返す。言わんとしている事が分かったのか、サエリは苦笑してそうね、と零した。
「……なかった訳じゃねーよ」
「ん?」
 そこで話は終わりかと思いきや、ウィンタの発言に言い出したサエリは元より、リレスやリルまで聞く身構えを整えているのに笑いそうになった。ホルセルは生まれてからずっと同じ年代の女子とあまり接した事はないが、こういう話を女子が好んでいる事位は知っている。
「ガキの頃は、アイツを”幼馴染”じゃなく”女”として見てた事もあったさ。誕生日に好きなもんリサーチして渡したり、気を引こうとアクションを起こしたこともある」
 ザッ、と、足音が嫌に耳に響く。周囲にも人がたくさん居て、様々な雑音に消される事もなく。
「けどさ、違うんだ。鈍感なのもあるけど、アイツには俺が見えてない。アイツの視線の先には、いつもクーザンがいた」
 恋は盲目と誰が言っただろうか。あの二人は、明確な答えこそ出そうともしていないが、最初から見えない何かで繋がっている。
 ウィンタがどんな表情を浮かべているのかは分からない。先頭を歩き、かつ微妙に下を向いているからだ。
「だから手を引いたんだよ。そしたら、くっ付いてもいねーのにあの様だぜ? 最初は悔しかったさ、でもアレを毎日見てたら……どうでも良くなっちまった」
 たはは、と力なく笑うウィンタを、ホルセルは笑う事が出来なかった。笑って良いはずがない、彼はこんなにも傷付いた笑顔を浮かべているのだから。
 何て声をかければ良いのか分からないホルセルを差し置き、大人しく聞いていたリレスが動いた。ウィンタの両手をがしぃと掴み、迫らんばかりの勢いで開口する。
「ウィンタさんにも、きっといつか好きになってくれる人が現れますよ。ううん、絶対です!」
「ま、世の中にいる女はユキナだけじゃないしね。アンタなら、良い女が釣れると思うわよ」
「はは、サンキュ」
 予想外だったのか、はたまた不意を突かれたからなのか。ウィンタはぱちくりと目を丸くし、苦笑とも嘲笑とも取れる笑みを浮かべた。

   ■   ■   ■

 トーナメント結果が出た。クーザン達の一戦目の相手は、悪魔族の男が中心のチーム。お互いこれが初試合となるから、実力がどれ程のものかははっきりしていない。
 一方セレウグ達と言えばーー。
「あ!?」
「や、セーレ久し振りー」
「全く、何故俺がこんな茶番に参加せねばならんのだ」
「クジ運が悪いからですよね」
「そう言う貴様は何だ、上司に泣きつかれたか?」
「貴方だってフォルテに泣きつかれたんでしょう」
 そう、彼らの相手はザルクダ達。チームリーダーであるザルクダに前衛であり魔法も撃てるライラック、遠距離射撃を得意とするカナイの三人だ。カナイは軍課特有の黒い制服ではなく、比較的ラフな服を着ている。性格を考えれば、これが私服でもおかしくはない。
 のほほんと再会を喜ぶザルクダの背後で、背中を預けあった者同士だから出来るであろう舌戦が繰り広げられている。ともかく、彼らは全員がジャスティフォーカスに属する者。主催からチームを出せば、観客や参加者から批判を買いそうなものだがーー。
「あ、ザルクダって呼ばないでね。今ボク、フォルテだから」
「……あぁ、偽名で申し込んだんだな分かった」
 その辺りも抜かりなかったようで、声を潜めて告げられた言葉にセレウグは理解した。
 ジャスティフォーカスに属しワールドガーディアンと慕われる”ザルクダ=フォン=インディゴ”では、恐らくバトルトーナメントの参加資格は手に入らなかったであろう。だが彼には、”フォルティス=ネイビブルー”という仕事にも使っている名があった。そちらを使う事で、このバトルトーナメントの参加資格を手に入れたのであろう。
「実を言うと、ボクらはハヤトさんに頼まれて参加している訳じゃないんだ。ノイモント、って知ってるかい?」
「ノイモント……?」
「……まさかだが、おい。そいつらが」
 クーザンには分からなかったが、セレウグは思い当たる事があったようで頭を抱える。凄く嫌そうに、ザルクダに問いかけた。
「うん、参加者に紛れ込んでる」
「マジで~……」
「ノイモントって?」
「オメェ襲われてただろ。あいつらの言ってた組織だ」
 話に置いてけぼりにされそうなのを察知し、慌てて聞くと答えはジャックから返ってきた。何故お前が知っているんだと思ったが、次の言葉により否応なく理解させられる。
「リニタをーー大陸を守る一族を嫌悪し、征討しようと目論んでいるのさ」
 そういう彼の顔には、今までに見せた事のない嫌悪が浮かんでいた。
「とにかく、ボクらはそういう訳で参加しているんだ。ノイモントは放っておくべき組織じゃないからね」
「うーん……参ったな」
「セーレ。言っとくけど、ワザと負けるような事はしないで良いからね? ボクらも、君達とは全力で戦いたいからね」
 セレウグが頭を掻き、呟いた。彼もザルクダ達ワールドガーディアンの一人である以上、三人の目的を手助けしたいのだろう。だがそれは、自分達の負けを意味する。どちらを選ぶべきか迷っているのだ。
 それを見越していたのだろう、ザルクダはにっこり笑って言った。
「ボクらが負けても、セーレ達が彼らを調査すれば良いんだからさ。それに、ボクらが参加しているのが相手に向けての牽制でもあるんだ。それは果たしたのだから、別に負けちゃっても良いんだけど」
「こちらがワザと負けてやるのは少々癪だ」
「……そういう事。やるからには、全力でね」
 横槍が入りつつのザルクダの台詞に、セレウグは呆れたように溜息を吐き右手を上げる。
「……分かったよ。ったく、変わってねーなお前ら」
「おあいにく様」
 ザルクダも応えるように手を上げ、ニヤリと笑う。
「良い試合にしようね!」
「絶対負けねぇよ」
 互いの手と手を打ち合わせれば、会場中に響くかのような快い音が鳴る。クーザンには、それがバトルトーナメントの始まりの合図に思えた。