第63話 サヨナラの唄

 碑がある公園には、元々国の住人達も近寄らないらしい。どうやら昔、この場所で事件が起きていたようで、それを不気味に思っているようだ。近寄らないなら近寄らないで、ラルウァの犠牲になる者が現れないという事なのだから良いのだが――本来憩いの場であるはずの場所だと言うのに、何とも皮肉な話である。
「クロス。碑、ってそもそも何なんだ? 俺達が思っているような、ただの石じゃないんだろ?」
 エアグルス大陸に点在している碑。それらはいつの時代に作られたのか、何が目的だったのか。クロスは僅かに眉間にシワを寄せ、答える。煩わしい、と言うよりも、何か良くない事を話す顔だ。
「あぁ、碑は元々、神代の時代を忘れさせてはならぬ、とルナデーア神殿……今の遺跡だが、その周辺に住んでいた住人達が、大陸の各地へと散らばり、鎮魂の願いも込めて築いたものだ。碑にはそれぞれ、奉られている神官の意志に賛同した住人達の想い……怨念、と言った方が良いか、それが集まり、強い負の力が渦巻いている。だから、ラルウァがいただろう」
「え? まさか、碑にいたラルウァって」
「人間の信仰は、時に恐ろしい存在をも生み出す力がある。あれは、そうやって形成された神官達の……もちろん本人ではないが、意志の成れの果て、だ。住人の誰かが犠牲になった訳ではないから安心しろ」
 つまり、碑にいるラルウァは人間から生み出されたものと言っても間違いない、のだろうか。少なくとも、策略の碑でユーサが危惧していた結果ではないらしい。
「じゃあ、今から行く碑にも……」
「いる、だろうな。碑の方角から、気配のようなものは感じる。……ただ」
「ただ?」
「猟奇的な気配、人間で言う殺気が妙に隠れている。ラルウァは基本だだ漏れさせているから分かりやすいが……」
「ラルウァに似てるけど、違う存在がいるかもしれないって事?」
「……!」
 サエリの言葉に、クーザンはユーサが反応を示したのを見た。ほんの些細な動作だったので、恐らく自分やクロス以外は目にも留めていないだろう。
 ラルウァに似ていて、違う存在。それはもう、半ラルウァ――つまり、シャインの者達しかいない。
「恐らく、な」
 だが、クロスはそれ以上は語らず、目的地がある方を見て、締め括るのみだった。

 そうこうしているうちに、公園の中心に辿り着いた。子供が元気に遊ぶ為の遊具は錆びれ、遊歩道も草が埋め尽くしている。何年も、人の手が加わっていない証拠だ。今のところは、ラルウァのような影は見当たらない。
「にしても、デケー石だよなぁ。ほんと、どうやって造ったんだ?」
「先人達の知恵だな。海の側の岩壁を切り取って加工し、運んで来たんだろう」
 セレウグの疑問にイオスが答えつつ、碑を調べる。しかし、ここの刻まれた文字は、海の近くにあるせいで風化してほとんど読める状態ではなさそうだ。クロスも解析しようと加わったが、結果は同じ。周囲に変わった様子も見られなかった。
「そこで何してんだよ。俺も混ぜてくれよ」
 突然かけられた、何故か楽しそうな響きを持った声。声の主を探ると、碑の上に座り、こちらを見下ろす影がある。いつからいたのか、気配を感じなかった。
「まさか、本当にのこのこ現れるなんてね」
「キセラ……!」
 今度は背後から、地面を擦る音を隠さずに現れたのは、赤い髪の女性、キセラ。彼女は双眸を細め、名を呼んだイオスを睨みつける。碑に座っていたスウォアも跳躍し、彼女の隣に着地した。
「ヴォスの奴が失敗したから、アタシ達がわざわざ来てあげたわ。感謝なさい」
「やはり、ジャスティフォーカスの騒動は貴様らの仕業だったか」
「貴方とバハームトには、邪魔だから消えて貰いたいの。それと……イレギュラーにはね」
 くす、と艶やかな笑みを浮かべたキセラの目は笑っておらず、一行の背筋を凍らすには充分な威力を持っていた。一方スウォアの方は、ただただ無表情にこちらを見ているのみだ。
「折角殺してあげたのに、死んでいなかったなんてね。可哀相な子」
「――!?」
「……やはり知っていたのか」
 その目で見詰められたクーザンは、言葉の意味を図りかね目を見開く。だが、クロスが意味ありげに呟いたのをサエリが聞き、問うた。
「知ってたって、何をよ?」
「クーザンがカイルで、ディアナの力を封じる鍵だった事だ。だからアイツを分断させ、サンに殺させた……」
「……成程ね、そういう事。おかしいと思ったんだ、何故僕やセーレでなくクーザン君を狙ったのか」
「お蔭様で、封印されていた《月の力フォルノ》を解放する事が出来たわ。アタシ達の計画はこれで最終段階に入った。でも、やっぱり貴方達は邪魔なの」
 ざり、と砂を鳴らすキセラ。
「だから、死んで?」
 まるでその言葉が合図のように、クーザン達の周囲をゴーレム――いや、自分達が見てきた何よりも悍ましい何かが一瞬で取り囲んだ。魔物にゾンビがいるが、それと似たようなそれらに退路まで塞がれ、各々の武器を手に取る。
 応じるように、スウォアも無言でレイピアを抜き、キセラが手元のクナイを握り直す。直後、ビュ、と軽い何かが空を切り、気が付いたイオスがギリギリで避ける。ユーサは隠し持っていた短剣を構え、クナイを弾き落とした。
「キセラ、もう止めてくれ……! 私は、君が人を殺す所を見たくない!」
「フン。自分は散々殺してるくせに良く言うわ。アタシはね、アンタと違って好きでやってるのよ。それに、これがアンタに一番有効で残酷な仕返しじゃない?」
 振られたキセラの腕に応じ、ゴーレムが動く。蟲くように近寄ってくる者達に、吐き気さえ感じる。
「アタシね、正直もうアンタに償いして貰おうと思ってないの。アンタが苦しんでくれればそれで良いの」
「……っ」
「精々味わえば良いのよ。そして、自分のやった事に絶望して。――《ホーリー》」
「――《ホーリー》!」
 彼女の放った魔法は真っ直ぐにこちらに向かってきたので、イオスは同じ魔法を詠唱破棄した上で放つ。バチィ!と音を立てて相殺されたのを確認したキセラは、舌打ちをしその場を離れた。
 一瞬後の事だ、そこの地面を銃弾が穿ったのは。撃った張本人であるユーサは、俯かせていた顔を上げキセラを睨み付ける。同時に、セレウグが口を開いた。
「過去に縛りつけられてるのは、お前の方じゃないのか?」
「はぁ?」
「イオスさんは、過ちを認めて尚前に進もうとしてる。以前のイオスさんじゃない……だから、キミには決して技を当ててないだろ」
「…………アタシに説教とは良い度胸ね、クソガキ」
 ふ、と笑みが浮かぶ。彼女の目は怒りに奮え、獲物を付け狙う獅子のごとく細まった。
「ユーサ、セレウグ……」
 彼らの名を呟き見れば、ユーサは無言で自分を見返し、セレウグはただ頷いた。その瞳は何かを告げるかのようなはっきりとした意志を宿し、イオスに突き刺さる。
「あっちは良いの?」
「あいつらだって、いつまでもガキじゃねーよ。それに、こっちを早く済ませりゃ良い話だ」
「不本意ながら同意見だね」
「フン、良い度胸じゃない。アンタはゼルフィルに殺させるつもりだったけど――今ここで、殺してあげる!」
 キセラの感情に呼応し、周囲のゴーレムの数が増える。彼女自身は魔法を使う魔導師の為接近戦や肉弾戦は不得意だが、成程こいつらを使えば有利に立てなくもない。
「《無慈悲ノ雨》!」
 ユーサの音速の弾が、ゴーレムの額を的確に撃ち抜く。先ずはこの防衛陣を突破せねば、彼女に近付く事さえ叶わない。
 ――いや、彼らは分かっていた。この布陣を簡単に抜き去る、一番良い方法を。それをやるには、イオスには覚悟が足りなかった。だから、提案せずに二人は手間のかかるゴーレム殲滅を選んだのだ。
「白き力の許に願う。天上の大地よ、今悪しき者の上に降り注ぎ清きなる断罪を下したまえ! ――《スターダスト》!」
「っ!」
 キセラが呼び出した光は、やがて凶器となり三人に降り注ぐ。
 光を纏った石礫は高速のスピードで落下しているので、避けようと思った時には服が切り裂かれていたりする。
 二人は差程悲鳴を上げる事もなく、再びキセラに向かった。傷は、決して軽くはない。
「十秒でいい! 任せた!」
「了解!」
 ユーサは短く叫び、銃を胸の前に掲げた。召喚を行うつもりなのだ。「任せた」は召喚の詠唱に集中する為にセレウグがゴーレムを引き受けてくれ、と同義である。一体一体が強い訳ではないが、それでも一人で相手にするとなれば簡単な事ではない。
「天と地の狭間に棲みし魔王よ、縛られた力を解放し一面地獄と化せ――《暗焔ノ狂乱》! ついでに来い、ドッペル!」
 一字一句間違えれば失敗となる召喚術に於いて、早口で詠唱するのは良くない。だが彼は見事に言って退け、更に戦力の追加までも行った。
 現れたイフリートの姿は、見る者に畏怖を刻ませながら力を奮う。黒く燻る影は深淵の闇、時折宙を疾る青白い光は焔。
 その影からニョロリと這い出たドッペルも一瞬で人型を取り、ゴーレムの群れを転倒させた。雪崩た塊に押し潰されないよう、タン、タンとリズミカルに退避しセレウグと背を向け合う。
「お前達……」
「……ガキが調子に乗るんじゃないわ」
 ピキピキと明らかに怒りを表すキセラが手を振ると、地面が揺れ亀裂が走る。それは、地中から異形の何かが現れようとしていた。

 一方――。
「……ようやく、この時が来たな」
 スウォアは静かにアークを睨み付け、レイピアを向ける。
「ボクは……キミと戦いたくない。でも、キミが苦しんでいるのはボクのせいだ」
「そうだ。だから、俺はお前を許さない。――武器を構えろ」
 今までに向けられた殺気の比ではない。それだけで体が竦み上がり、膝を付いてしまいそうになる。しかし、自分もただ付いて来た訳ではない。
 アークは決心し、自身の武器であるチャクラムを、地面に放った。カランカラン、と乾いた音を立てたそれは、やがて地面に横たわり、動きを止める。
 その突然の、理解出来かねる行為に驚いたのはスウォアだけではなかった。隣でゴーレムの相手をしていたサエリや、クーザンも同じだった。
「アーク!? 何してんのアンタ……」
「殺したいなら殺せば良いよ。キミの気が済むなら」
「な……!?」
 アークらしかぬ発言に、スウォアも耳を疑う。普段の彼ならば、こんな事は言い出さない。心優しい性格がそうさせているのか、それとも記憶の裡に沈んでいた罪の意識が、そうさせていたのか。
「ボクがやった事は、謝って許しを請えるものじゃない。キミを死にかけさせた挙げ句、その事実でさえ忘れてた。ボクがキミなら、多分同じように怒る。だから、」
「ふざけんな! ――武器を取れ。取って、死に物狂いでかかってきやがれ!」
「嫌だ」
 レイピアで地面に転がったチャクラムを指し、半ば叫ぶようにしてスウォアは戦いに応じるよう繰り返した。しかしアークも頑として首を縦には振らず、ただ真っ直ぐに彼を見詰め続ける。
「……何でだよ」
 スウォアは低く呟くと、目の前のアークに足払いをかけ突き飛ばした。力も抜いていたらしく、あっさり体勢を崩したアークは、直後首を捕まれる。
「アーク!」
 クーザンとサエリが助けようと前に出かけたが、スウォアの鋭い眼光と威圧に気圧され叶わない。体型に似合わず力があるようで、アークの足は地面から浮いていた。これでは抜け出すのはおろか、呼吸も出来ない。
「それで償いをするつもりかよ。笑わせんな!! それはテメェだけが満足出来る手段だ、俺にとっては最悪の!!!」
 アークの首を掴む腕が、僅かに震えている。込められた力は、スウォアの怒りを代弁しているかのようだ。――でも。でも、何かが違う。
「お前と違って闇を喰わないと生きられない体になった。人生を何もかも狂わされた。それでも、俺は生きたかった……その為なら闇に身を売るし、――お望み通りお前だって殺ってやる!!」
「……あ、かはっ……」
「苦しいかよ。今までのうのうと生きていやがって。俺が、どんな気持ちで生きてきたのか知らない癖に、分かったような口聞いたのを後悔すれば良い……!」
 そう言うスウォアは、怒りに震えると言うより悲しみに耐えるという表現が相応しいように思える、とても複雑な表情だった。
 両親を殺され、兄弟さえもバラバラになり、自分は血を浴びなければ生きていけない身体に。言葉にするのも躊躇われる人生を生きてきたそんな人間の気持ちが、例え理由を知っていたとしても分かるはずがない。
 言わなきゃ。既に朦朧としかけた中で、その思いだけが、アークの意識を繋ぎ留めていた。
「……う、ん。ごめ、ん」
「!?」
「ボクには、キミの苦し、みは分からない。……かはっ。だから、ごめん。ボクが憎いの、なら、殺し、て良いよ」
「テメェ、何言って……」
 自分が殺される直前にあって尚意見を曲げないアークに、スウォアは腕に更に力を込めようとした。
「ごめん、ね、『アーク』。ずっと、難し、顔させちゃっ、て」

 思い出したのは、ずっと平和な日々が続くと思っていたあの頃。姉と、自分と、弟で留守番していたあの時――。
『アークってさ、ずっと難しい顔してキツくない?』
『……別に』
『あら、アークはその顔がお気に入りなのね』
 ぶすっとしていた自分に声をかけてきたのは、弟だった。自分に到底真似出来ないと思っていたあの満面の笑みを浮かべながら、アイツは言った。
『笑おうよ。きっと、楽しいよ!』

 脳裏に流れた弟の笑顔が、今、目の前にある。首を絞められて、苦しいはずなのに。彼は今、笑っている。
「う……うわあぁああ!!!」
 突然、スウォアが叫び出した。アークの首を掴んでいた手は放され、美しい金髪を掻き毟るように押さえる。
 まるで、何かに怯える子供のように。ちらりと見えた横顔には、大粒の涙が流れていた。
「……嫌だ……嫌だ、スウォア!! ……置いて行くんじゃねぇよ……っ!」
 外見に恥じない力を手に入れる為に、一人で生きていく為に有り得ないスピードで大人になった彼、『アーク』の心――精神は、脆い。
 アークには、拾ってくれたサエリがいた。彼女のお陰で、リレスやレッドンといった仲間達にも出会えた。
 だけど――スウォアには、そんな仲間はいなかったはずだ。生き別れてから今まで、ずっと気を抜く事も出来ず生きてきたのだろう。
 子供のように泣きじゃくるスウォアに、ようやく呼吸を落ち着かせたアークは臆する事なく彼に近寄る。膝を付き、自分より大きい彼の身体をしっかり包み込んだ。スウォアが少し身体を震わす。
「ごめん。何度だって謝るよ、だから――泣かないで。ごめんね、一人にさせて」
 もしかしたら、スウォアは戦いを求める事で自分を保たせていたのかもしれない。誰にも頼れない環境の中で、戦いだけが本来の自分をさらけ出せたのではないか、と。結局、スウォアも被害者だったのだ。
「感動の再会はそこまでよ。お姉さんが兄弟仲良く、あの世へ送ってあげる」
 冷たい、鋭利な刃のような声。顔を上げると、いつ近寄ってきたのか、すぐ正面にキセラの顔が。見る者の背筋が一瞬で凍るような笑顔を、浮かべていた。それでいて、血のように赤い眼は全く笑っていないのだ。
 その言葉は、もうスウォアでさえ使い物にならないと判断したと取れるもの。咄嗟にスウォアの身体を引っ張り、反動で自分と場所を入れ替えようと体が動いた。だがそれは思うようにいかず、逆に突き飛ばされてしまう。
「っ! アーク!!」
 クーザンが自分を呼ぶ声も、全てがゆっくりと進む中、聞こえた肉を穿つ音。不快なそれは、余計耳に届く。
「……あ……」
「っ、はっ……」
 ポタポタと零れ落ちる赤い液体はアークの物ではなく、彼をキセラの凶刃から庇ったスウォアの貫かれた体から流れていた。赤い血溜まり。白だったはずの布が、みるみるうちに血の色に染まっていく。
 体から武器を乱暴に抜き取ったキセラは舌打ちし、放っておけば死を迎えるであろう仲間――いや、駒を冷たく見下ろす。
 クナイを抜き取られた傷からは、邪魔なものがなくなったとばかりに勢い良く血が流れる。傷口を押さえていても、止まる気配さえない。
 膝を折り、半ば倒れるように崩れ落ちるスウォアを見て、アークを始め動きを止めていたクーザン達も、何が起きたのかをようやく理解する。
「アンタは用済みよ。そのままラルウァに殺されるか、衰弱するか……どっちにしても、その先にあるのは死のみよ。良かったわねぇ」
「は……てめぇらとつるむのも、いい加減、飽きてたとこだ……願ってもねぇ、よ……」
「サヨナラ、お馬鹿さん」
 キセラの二撃目が、再びスウォアに向かう。だがそれは、瞬時に動いたクーザンによって阻まれた。弾かれたクナイが地面に落ち、転がる。
「どいつもこいつも……私を怒らせた事、後悔なさい!!!」
 叫ぶと同時に向けられた殺意が爆発し、先程出来た地面の亀裂――彼女の足元から、更に敵が現れた。真っ黒の体に赤い目のラルウァが、六体。一同を囲むようにして現れたそいつは、ふしゅーと空気の抜ける音を出すと大きな手をこちらに動かしてくる。
「ラルウァがこんなに……!?」
「おいおい冗談じゃねーぞ!? ヤバくねーか」
「流石にこの数は、厳しいな」
 ラルウァを倒せる力を持つのは、クーザンとクロス、ユーサだけ。その倍の敵の数に、全員が冷汗を浮かべる。
 そこに、こんな中でもいつもの調子を崩さず上げられた声があった。
「バーカ、こんな状況だから、こそ本気出さないで、どうすんだ」
「スウォア……」
 斬られた腹を押さえながら、レイピアを杖代わりにして立ち上がるスウォア。血の抜け過ぎでフラフラしているようだが、それでも彼は口元に薄ら笑いを浮かべていた。
「ビビりはそこで、指咥えて、見てればいいさ」
「待ちなさい、アンタその体で戦うつもり!?」
「人より丈夫だから、心配すんな……。こん位、どってこたねーよ」
 とは言うものの、見ている者からすれば立っているのもやっとな様子。とてもじゃないが、戦えるような状態ではない。半ラルウァとはいえ、普通であれば、出血多量で死んでしまってもおかしくないはずなのだ。
「……。悠久の母なる大地よ、その力を己の子らに分け与え給え。《リザレクション》」
 アークはお願いだから退っていて欲しい、と言いかけ、口をつぐんだ。そう言って従ってくれるような人ではない。
 それなら、と治癒魔法を唱えた。あくまでも応急処置だが、スウォアの怪我は血が止まる程度に治まる。周囲の仲間にもその恩恵が与えられ、微量だが痛みも消える。
「リレスみたいに全快って訳にはいかないけど、これで少しはマシでしょ」
「…………」
「ったく、無理するんじゃないわよ」
 彼らのやり取りをぼんやり見詰め、イオスは意を決したように顔を引き締める。そして、キセラを睨みつけ口を開いた。
「キセラ。私はやはり、ここで倒れる訳にはいかない。子供達がこうして全力を尽くしているのに、自分一人リタイアする訳にはいかないからな」
「……だから?」
「もう迷う事なく、君を否定する。君が既に死人だと言うのなら、然るべき手段を取らせて貰う。それが、私の答えだ。私は君を、君達を止める為に全力を尽くす」
 それは、一度殺したはずの彼女を再び殺すという宣言。イオスにとっては苦渋の、だが最良の決断である。
「……そう。じゃあ、さっさと殺しなさいよ。殺してよ!!!」
 ラルウァ六体、そして回復魔法を得意とするキセラ。全てを倒すとなれば、当然最優先すべきは回復手段の封印。即ちキセラの撃破だ。
 彼女が投じたクナイを避けたクロスが、足止めの為に素早く詠唱し魔法を発動させる。
「《コールドテンペスト》!」
「《暗焔ノ狂乱》!」
 空気中の冷やされた水分を纏う刃は、幾重にも重なり巨大なものとなって相手に襲いかかる。本来なら触れた場所から低温火傷を起こし動けなくなるはずだが、ラルウァは何事もなかったかのように突き進んでくる。そこへ、同時詠唱されたユーサの召喚魔法が襲い掛かった。
 二段に張られた攻撃で行動を制限させ、くぐり抜けてきたラルウァにクーザンやセレウグが向かう。
 しかし流石に一人ずつで抑え切るのは難しく、すぐに現れたもう一体が腕を振るわせ、攻撃してきた。
 ガキィ!とそれを遮ったのは、スウォアのレイピア。まだ痛むのか右手は腹に当てられており、そのせいで片手でしか力を入れられないと言うのに、ラルウァの腕を見事に押さえ付ける。細い武器のどこに、そんな強度があるのか疑問に思う程。
 ラルウァでも驚くのか、一瞬出来た隙にクーザンが地を蹴る。入れ代わりに彼のポジションに付いたのは、サエリだ。
「爆ぜろ!!」
 グラディウスが自身を震わせ、風を駆けながらラルウァの腕を斬り落とす。二撃目には図体のデカい身体にダメージを与え、だが倒すには至らない。
「ドッペル!」
「あいよ!」
 しかしそれにより、ラルウァの隊列が乱れ隙間が生じた。これを狙っていたイオスは短くドッペルを呼び、彼もやるべき事を察知していたのか二つ返事で飛び出す。彼の狙いはそいつらではなく、キセラ。
「二度も同じ手は喰らわないわ」
「痛ぅ!?」
 パシィ、と何かが弾けるような音を立て、ドッペルは後退る。
「……やはり無理か」
 苦虫を噛み潰し、イオスが呟く。ドッペルの呪いで彼女の魔法を封じ込めれば楽だったのだが、すぐに切り替え作戦を立て直す。
「斬り裂け!」
「やあっ!」
 クロスが短剣で素早く連撃を繰り出し、同タイミングでチャクラムを放り、それぞれ異なるラルウァに当たる。だが、じわじわダメージを与えたとしても、決定打を与えられなければ意味がない。まだ立っているとはいえ、皆が息が上がってきているのが目立つようになってきた。
「くそっ……体調さえ万全なら、コイツら、瞬殺だっつのに……」
 中でも消耗の激しいスウォアが、流れる汗さえも忌ま忌ましそうに拭う。その言葉に、アークは思わず足を止めた。
 天使や悪魔の翼は、その当人の魔力の源であり、力の強さを表す。片翼の彼は魔力も常人より弱く、またキセラが負わせた怪我で体力も消耗している。普通なら、とっくに力尽きているはずだ。
 ――せめて、自分が奪ってしまった力だけでも返す事が出来たなら。そう思った時には、体が無意識に動いていた。
 あの時の自分が、どうやって彼の魔力の塊である翼を奪ったのかなど覚えていない。故にどうやれば返せるのか、分かるはずもない。アークは、自らの羽根の先を摘み上げそれをスウォアの背中に当てた。
「――!? おい、何して……!?」
 魔力の具現である翼なら、魔力を逆に譲渡すれば良いのではないか。
 つまりは自分の魔力が減る、下手をすればアーク自身が片翼になる可能性もないとは言い切れない。不思議と、それに対する不安は微塵もなかった。
 視界が、暗転する――。

   ■   ■   ■

「――スウォア!!!」
 耳をつんざく叫び声の中、必死に誰かの名を呼ぶ声が聞こえた。それが誰を示しているのか、そもそも自分が誰なのかさえ判断がつかない。ただ、喉だけが焼けたようにジリジリ痛んだ。
 また声が聞こえる。それは先程の声ではなく、しかも耳元で喋っているのかやけに鼓膜が震えた。野太く嫌悪感さえ抱く声は、焼け、打ち掃いだ、泣き叫べ、と意味は分からなくても不快に思う言葉を羅列する。うるさい、と言おうとして、言えない事に気が付いた。何故なら自分は、今。
 悍ましい顔の人間達の目が、蠢くように自分を捉え、視界の全てを覆い尽くした。

   ■   ■   ■

「アーク!! アーク……!!!」
 長い夢から覚醒するような気分の中、遠くから呼ばれている事に気が付いたアークは目を開けた。頬に当たった温かいものを感じたが、雨はこんなに温かかっただろうか?
 ぼんやりした視界が徐々に鮮明になると、一番に飛び込んできた光景にある意味一気に目を覚ます。
 そこには、アークが見た事もないようなサエリがいたのだ。アメジストと同じ色の瞳から流れる涙を止めようともせず、ただただ怒っているような困っているような表情を浮かべた彼女の姿を間近に見せられれば、誰だって驚くだろう。普段から気丈に振る舞う人物なら、尚更。
「さ、サエリ、さ……?」
 思わず敬称まで使いかけた瞬間、顔に物凄い衝撃が走る。
 叩かれたと理解するまでに一秒、そして状況整理をするのに一秒。自分が何をしたのか、ようやく思い出した。
「この馬鹿天使……一度と言わずに二度三度と危ない橋を選んでくれちゃうなんて、どうお仕置きしてあげるべきかしら……?」
 ゆっくり立ち上がった彼女は前髪に目を隠し、妖しげに口元を曲げる。さっきの姿は何処へやら、一変してアークは命の危機に晒された。
「ち、ちょっと待ってちょっと待って! サエリ落ち着い」
「これが落ち着いてられないのよねぇ、もう一発殴らないと気が済まないわ」
「おうおう、自業自得だ。諦めて大人しく愛の鉄拳喰らっとけって」
 それを面白そうに煽ってきた声に振り向けば、スウォアは意地悪に笑みを浮かべている。遊んでないで助けてくれ、と叫びかけ、アークは彼から少しズレた地点に視線を合わせた。
「……スウォア……羽根……」
 言いたい事を察したのか彼は軽く肩を竦め、その背中に具現した二枚の羽根を消す。
「お前のも無事だぜ」
「奇跡に近い事だよね。と言うか、スウォアが《パーツ》じゃなければ結果的に両方死んでたよ」
 慌てて己の背中を確認すれば、確かに一対の羽根はまだ背中から生えていた。
 さらっと凄い事を言ったクーザンが、軽く説明をしてくれた所によると、スウォアが《パーツ》特有の《月の力 》を異常に保有する体質だったから助かったらしい。その力を奪ったアークも似たような体質になり、それを半等分したから、両者とも羽根は消えなかったのだと。
 無事だったのに安心したのと、まさか彼がそうだったのに驚いたのが半々。気を失っていた間に何があったのかは分からないが、取り敢えず危機は脱していた。周囲にいたラルウァ六体も今は見当たらないし、あれだけ血を流していたスウォアの様子も、然程変わらない。
「はー……、にしてもこれからどうすっかな」
「帰れなくなったしな。それこそ自業自得じゃないのか?」
「うっせヘタレ。これはアレだ、スウォア様の華麗なる転身だ」
「自分で様付けんなよ」
 ガシガシ金糸を掻き上げ、スウォアが溜息を吐いた。実質彼は自身の組織と決別したのだ、帰る訳にもいかない。なら、言う事は一つじゃないか。
「スウォア、ボク達と一緒に行こう!」
 その一言を言うのに、実はアークはかなりの勇気を必要とした。確かに実力は申し分ない。だが今まで敵として武器を交えていた相手、ひょっとすれば自分達を騙して討とうとするかもしれない。そうでないとしても敵の組織からすれば彼は裏切り者、始末の対象となり危険が付き纏う。こちらの仲間の説得にも時間がかかる。
 しかし、不思議と不安はなかった。心のどこかで自信があったのだろう、「きっと彼なら大丈夫だ」と。
 スウォアは軽く目を見開き、直ぐにニヤリと笑みを浮かべた。それはいつも敵対していた時に見ていた、自信満々の大胆不敵な表情。そして幼い頃、唯一見せていた彼の笑顔だった。
「――当然、そのつもりだぜ」