第61話 絆が導く強さ

 滝の家がある場所からホワイトタウンに戻る為、三度目のアブコットに立ち寄る。一行は、本日はもう自由行動となり、各々の時間を過ごしていた。
 セレウグは何をするでもなく、ただ行き交う人々の姿を眺め佇む。潮の匂いが混じった心地好い風が、頬を撫でた。
 本来ならこうやってぼうっとしているより、町に繰り出し騒ぐ方が好きだ。だが、今日はそうする気が起きず、宿に残っていたのだ。とは言え、現在は少し後悔している。一人でいると余計な事ばかりが浮かび、どうしようもない事に溜息を吐く回数が多くなってくるからだ。
 ふと、街角の片隅に視線が行く。良く目を凝らすと、そこには――。
「ん? ――!?」
 セレウグは脇目も振らず、急いで宿から飛び出した。比較的無事だったこの近隣は、大通りから枝分かれするように裏道がある。まるでトルンのスラムに似ているなどと思いつつ、先程見付けたものを必死に探す。
 『それ』は、すぐに見付けた。いや、『それ』が自ら現れたと言った方が正しいだろう。
 奥まった路地の途中、大通りの人間からは全く見えない位置で、後ろから衝撃を受けた。悪意のあるものではなく、あくまで手加減された、優しい力。
「来てくれると思ってた」
 あぁ、何て懐かしい声音だろう。高過ぎず、かと言って低くもない、心地好い声にセレウグは酔いかけ――すぐに気を引き締める。精一杯の拒絶を顔に貼り付け、殺意を背後にいる人物に向けた。
「……何のつもりだ、リスカ」
 そう、背後にいるのは己らの敵。背中への衝撃は彼女が自分に飛び付いてきたからであり、今の自分達の状況を考えれば有り得ない事なのだ。
「さぁ、ただこうしたかったからやっただけ。何でだろうね」
「ふざけんな……離せ」
「嫌」
 離す所か、更に腕に力を込めたリスカに、セレウグは内心戸惑いを見せ始める。このままでは、もしナイフ等を隠し持っていたりしたら抵抗も出来ずやられてしまう。姿が愛する者である以上、抵抗出来るという自信もない。
「安心して。ナイフなんて持ってないし、渡されてたとしても使わないから。ボクはあまり好きじゃない」
「……読むなよ、人の心」
「顔に書いてあるよ?」
「何しに来たんだよ」
 ぐいぐいと僅かながら抵抗してはみるのだが、見た目に反して力を込められているのか全く離れない。確かに、彼女――ザナリアも扱う武器が大剣であったので、女性の平均よりも強かったが。リスカは顔を上げて、口を開く。
「ねぇ、セレウグ。ボク達の仲間になる気はない?」
「なる訳……」
「ボクはキミに仲間になって欲しいな。強いしカッコイイし、何より……ボクはキミが好きだ」
 正直、はぁ、と言いたくなった。何故敵である自分を仲間に引き込もうとし、かつそんな事を言い出したのか。訳が分からない。だが彼女は本気なのか、顔を更に近付け囁くように続ける。
「だからさ、二人でアイツら倒しちゃおう? ボクとキミなら簡単だよ」
 それはつまり、リスカ以外の奴らを裏切ってしまおうという事だろうか。そうした場合、果たして彼女にメリットなど存在するのだろうか。――いや。裏切ったフリをして、自分を殺そうとしているのかもしれない。どちらにせよ、セレウグの答えに揺るぎはなかった。
「……お前と組む位なら、地獄の番人とでも組む方がまだマシだ」
「……そう。残念」
 心底残念そうに微笑むと、リスカはぐい、と今までにない力を入れセレウグの服の袖を引っ張る。油断していなかったのだが、かかった力に引っ張られた彼は小さく声を上げバランスを崩した。わ、と言う驚きの声は上がらず、目の前に彼女の顔が広がった。
 だがそれも一瞬で、呆気に取られ気が付いた時には背中にあった温もりは消えていた。
「油断大敵」
 声は頭上から聞こえ、振り返ると彼女は舌をペろりと出しながら艶やかな笑みを浮かべていた。そこで、セレウグは今何をされたのかようやく気が付き――体中の血液が沸騰したかのように熱くなった。
「お、おま、何を、」
「鈍感過ぎるね、キミ。――そうそう、その目の戒め……キミ達と一緒にいる監視者に相談してみると良いよ。じゃ」
「ま、待て……っ!」
 慌てて後を追おうとするが、リスカはさっさと建物の影に紛れて去ってしまった。迂闊に隙を見せてしまった自分の失態に大きく溜息を吐き、踵を返す。
 アイツは、本当に何をしに来たのだろうか? オレを仲間に引き込み、何をしようとしていたのか? 分からない。
 とぼとぼと裏路地から大通りに繋がる道を歩きながら、そんな風に考えていた。
「セーレにしてはよく頑張ったね。及第点」
「!? お前……!」
 不意に、聞き慣れた声が耳に届く。バッと顔を向けると、建物の壁に背中を預け、両手を組んで立っているユーサがこちらを見ていた。
「み、見てたのか」
「? 会話しか聞いてないけど」
「あ、そう……」
「ついさっきレムレスの気配がしたから気になって。全く、ヒヤヒヤしたよ。色仕掛けに引っ掛かって、君が敵に回るんじゃないかって」
 先程の事を見られていないと分かると、セレウグはこっそり胸を撫で下ろした。やましい事でもないのにそうしてしまうのは、やはり相手と自分の立場が真っ先に浮かぶからだろう。
 とは言え、ユーサの台詞が妙に的を射てくるものである為に、ビクビクしながら返事を返してしまった。バレていないのを願うばかりだ。
「……オレは道を間違えない。オレが本当にやりたい事は、ザナリアを救う事だ」
「かっこつけちゃって。でも、ま……そうでなくちゃ」
 ふ、と普段あまり見せない、本当に年相応の裏のない笑みを浮かべると、ユーサは大通りに向かって歩き始める。彼の腰にかけられた白い布が、下に隠すホルスターを時折見せながら風に靡いた。
「なぁ、ユーサ」
 セレウグは、その背中に声をかけた。彼は何?と言いたげな闇色の瞳を自分に向け、足を止めた。
「お前、オレがレムレスの申し出受けた瞬間に殺せるよう、最初からいたんだろ?」
「…………」
「ありがとな、約束守ってくれて」
 沈黙は肯定。この位置は、さっき自分が向いていた方向とは真逆。つまり、ユーサは自分を巻き込みながらリスカを殺せる直線上にいたのだ。
 たはは、と力無く笑いながら礼を言うと、彼は呟くように口を開いた。
「……別に。セーレがそんなに薄情な奴じゃないって分かってるし。そうなら、とっくの昔に縁を切ってる」
「はは、そりゃそうか。……にしても、何だかんだでオレ達の付き合いも長いよなぁ。もう十年か」
「そうだね」
「変わったよなぁ。世界も、オレ達も」
 空を仰げば、雲一つない清々しい青空。旅に出たあの日も、こんな空が自分達を見送ってくれた。いや、考えてみれば――初めて彼に会った時も、か。
 髪を掻き上げて相手を見やれば、何か変な視線でこちらを見ていた。
「何、黄昏れてるの? らしくないなーキモいなー黄昏れとかキモいな近寄るなヘタレ」
「ねぇお前、話に乗る気全くないだろ? 辛辣な言葉がお前らしいけど少し位乗ってくれたって良いんじゃねーのこの流れ」
「この世に不変な物なんてないよ。今のこの瞬間にも、セーレのヘタレ以外の色んなものが変わってる」
「無視かつ話を進めるのか、そしてその評価も変わってくれよどうせなら」
「それでも……君のあの約束は、今もある。僅かに形を変えながらも、確かに存在している。セーレのヘタレ部分と一緒に」
「せめて別に分けてくれよ!! お前話する気ないだろ!!」
「うっさいヘタレ、地に沈め。ヘターレって呼ぶよ」
 うぅ、どうせオレはヘタレだよ畜生!ととぼとぼ歩くセレウグは、顔を俯かせていた為気が付かなかった。ユーサが、呆れたような――しかし決して悪意も何もない笑顔を、再び浮かべていた事に。そしてそれを見られまいと、早歩きで大通りを目指していた事実に。

   ■   ■   ■

 セレウグとユーサが知り合ったのは、今から十年も前だった。たまには子供達に故郷以外の風景を、とイオスが行商人の知り合いに頼み、トルンに旅行に行ったのだ。
 とは言え子供達の人数も多いので、当時年長だったユーサとタスク、リレスだけを連れていた。残りの子供達は誰に預けていたのか分からない。
 馬車がトルンのスラムに差し掛かった時、不意にタスクが立ち上がって降りたい、とイオスにせがんだのを覚えている。どんなに駄目だと言い聞かせられても譲らなかった彼は、何が見えていたのか。分かるのは――彼がああ言わなければ、きっとセレウグ達には出会えていなかったという事。
 最終的に根負けしたイオスが、「一時間だけだよ」と子供達を下ろした先にいたのは、スラムに住んでいた孤児達。ユーサ達と比べると、凄まじく不衛生で小汚い服装だった。
そんな子供達に、タスクは持ってきていた服や靴を分け与えた。これらはホワイトタウンで、十二歳とは思えぬ程の彼の人脈を駆使し、要らない物を集めたのだ。誰にも頼らず、一人で。
 とにかく、タスクは年の割にいろんな事を知っていて、行動力もあって、頼れる兄、といった感じだった。
「ユーサって言うのか、お前?」
 そんな時声をかけてきたのは、栗色の髪をした隻眼の少年。顔や体に数々の傷を作り、治療もされないまま野放しにしている為スラムのガキ大将のような風貌をしている。タスクの隣でぼうっと立つユーサが気になったのか、必要以上に声を大きくして問うてきた。
 が、返答に困ったのか面倒だったのか、ユーサは口を開こうとしない。話し掛けたのに無視をされていると子供が判断してもおかしくなく、気の長くない彼は「答えろよ」と催促してきた。
 それでも何も言わないユーサに、タスクが苦笑しながらやんわりと返事を促す。
「おーいユーサ、ちゃんと挨拶しろって」
「うるさい。いくらタスクの頼みでも嫌だ」
「お前なぁ……そんなんじゃ友達出来ひんで」
「要らない」
 どうにもならないやり取りに肩を竦め視線を動かすと、そちらでも緑色の美しい長い髪を持った少女が少年に言っている所だった。
「セーレ、あなたの態度が悪かったんだよ。ちゃんと謝る!」
「いや、今のオレが悪いの? 明らかにコイツだろ!」
「悪ぃな二人共。コイツ、人見知り激しゅうて無愛想なんや。堪忍したってな」
「…………」
「二人、名前は?」
「ザナリーリウムだよ。長いから、ザナリアって呼ばれてる」
 タスクの問いに、にっこり笑顔を浮かべた少女ザナリアが律儀にお辞儀までしながら答えた。よく見れば彼女はスラムの子供に比べ小綺麗な姿で、もしかしたら住宅街の子供なのかもしれないと眉をしかめる。
ほら、アナタも!と彼女に小突かれ、栗色の少年は嫌そうな表情。だが諦めたのか、ポツリと呟くように言った。
「……セレウグ」
「セレウグか。ほな、あんたかてこれ渡しとくな、使こうてくれや」
「お前みたいな、ガキの相手してくれるタスクに感謝しなよ」
「テメェ、喧嘩売ってんのか!」
「まさか。キミみたいな奴が僕を倒せる訳ないでしょ」
「言ったな……? じゃあやってみよ――」
 セレウグが言いかけた言葉は、直後のゴン!という鈍い音に消された。あまりに口喧嘩が続くので、業を煮やしたタスクがゲンコツを食らわせたのだ。セレウグと、ユーサに。痛みのあまり殴られた場所を手で押さえ、涙目で反論する少年程罪悪感に駆られそうなものだが、当の本人は素知らぬ顔で作業を続ける。
「~っ何すんだテメェ……!」
「何で僕まで……」
「喧嘩両成敗や。大人しく黙っとき」
 普段はあまり感情を荒げさせないタスクが怒っている雰囲気を察知し、ユーサは黙り込む。こうなっては、反抗すれば痛い目に遭うのだ。
 出会いは、凄まじく最悪だった。

   ■   ■   ■

「タスク、また来たのか」
 セレウグは呆れたような声音でそう言ったが、表情はとても嬉しそうに弾んでいる。
 最悪の出会いから二年が経ち、互いに十一歳になっていた。ちなみにタスクは十三歳だ。タスクは相変わらずスラムの子供達に会いに行ったり、何でも屋紛いの仕事をしていた。イオスさんはいつものように用事で別行動、帰る時に合流する予定だった。
作業の手を止め、自分に話し掛けてきた彼の言葉に耳を傾ける。
「ん? 来ぃへんとか言うた覚えないぜ」
「いや、お前も大概物好きだなと思ってさ」
「せやなぁ。こんな事好いてやっとるの、俺だけやろな」
 止めようとは思わんのやけど、と呟いた言葉は、多分セレウグには聞こえていない。近くにいたボクでさえ、はっきりとは聞こえなかったのだから。
 ふと、彼の隣にいたザナリアが小首を傾げながら問いを口にする。
「そういや聞いてないね。タスクは何で、スラムの子供達にこうやって優しくしてくれてるの?」
 言いつつ、彼女自身もスラムの子供ではない。しばらくしてから分かった事だが、ザナリアは同じ年頃の少年少女が親の庇護も受けられず、苦しい生活を強いられている事に強くショックを受け、何か助けられないかとスラムに通い詰めているのだと言う。子供が出来る事などたかが知れているし、たまに心ない言葉をかけられる事があるが、彼女は性格に似合わず、それに負けない気丈な精神の持ち主だった。
 そんなザナリアの不意の問いに、タスクは答える。
「ん? あぁ、やっぱり気になんか。大した事やない、ただの自己満足や」
「自己満足?」
「そ。俺こう見えても、色々過去あってん。褒められるような事ではない事も、たくさんしてきた。だから、罪滅ぼしでもあるんやで」
「罪滅ぼし……って、何を」
 弱冠十三歳にしては相応しくない台詞に、セレウグも食いつく。ユーサとタスクは、幼少の頃から大人びた子供と噂される事が多く、それが原因で疎まれる事も少なくない。
 他愛のない話を続ける彼らを横目に空を見ていたユーサは、不意に感じた気配に眉を潜める。その気配は良く見知ったもので、出来るなら生涯出会いたくない相手のものだ。やろうと思えば全て隠せるくせに、わざと駄々漏れさせているのだろう。
「タスク」
「ん? ……あぁ。セレウグ、ザナリア。悪ぃけど、これ片付けて荷物宿に運んどいてくれんか」
「え? あぁ」
 ユーサが声をかけると、タスクも気が付いたのか一瞬顔を強張らせる。近くにある荷物を指し示し、がしがしとセレウグの頭を撫でてやりながら頼んだ。
「おーきに。ちぃとばかし席外すさかい、ユーサは二人といてやってくれ」
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。ほな、頼むな」
 タスクはそう答え、ひらひら手を振ってその場を後にした。今思えば、何故自分もついて行かなかったのかと後悔したりもするのだが、ある意味ついて行かなくて正解だったのかもしれない。二人と残された僕は、その場にある荷物を取り敢えず纏め始めた。

 そして、僕があとどれ位で戻って来るかな、と気にし始めた頃。突然耳を塞ぎたくなるような轟音が鳴り響き、広場の端から火の手が上がった。周囲にいた人間は我先にと逃げ惑い、そこは一瞬パニックになる。
 僕はそちらへ向かおうとしたが、共にいた二人の存在を思い出し声をかける。
「……君達も逃げた方が良いよ。荷物、宿屋に持って行っておいて」
「何でだよ?」
「危ないからだよ。君達のような力無い子供が出る幕じゃない」
「お前らだって子供じゃねーか」
「僕は良いの。早く逃げて」
 そう口早に言い残し、僕は駆け出した。セレウグが何か叫んだ気がしたが、無視を決め込み走る。
 広場は広い。十歳位の子供の足では大した距離を走れなかったが、それでも何とか目的の人物がいる場所へは辿り着いた。
 タスクはラルウァと対峙していた。右手を負傷しているのか、肩から手にかけて夥しい赤に染まっている。彼も倒す術は持っているが、それと奴らを攻撃する覚悟は別の物であり、容易ではない。
「タスク!」
「ユーサ!? 馬鹿、来るんやない……!」
 名を呼ぶと、彼はこちらに気が付き慌てたように檄を飛ばす。だがそれも虚しく、四つ足のラルウァは新たに現れた僕を標的に見据え駆け出した。
 今から避ける動作をしても、どの道助かる訳がない。ラルウァのスピードにしても僕のそれにしても、それは分かり切っていた。だから、銃を素早く構え焦点を合わせる。奴を倒せる弾を撃つ。
 銃弾はラルウァの頭部を貫通したものの、勢いがつき過ぎた身体は慣性の法則に従いまだ進んでいる。あ、ちょっとヤバいかも、と思った時には、僕の体に鈍い衝撃が走った。すぐに何か平たい物――地面に倒れ込む感覚が来た。
「あたた……あれ?」
 ラルウァに突撃されたにしては衝撃が弱いと感じた僕は、目を開けて状況確認をしようとした。が、それは目の前の栗色に遮られて出来なかったのである。
「ユーサ、セレウグ、大丈夫か!?」
「いてて……」
 ここにはいないはずの栗色がむくり、と僕の前に起き上がる。どうやら突撃されたと思っていた衝撃は、こいつ――セレウグが僕に突進したものらしかった。
タスクが右手を庇いながら、駆け寄ってくる。
「お前ら阿呆か! 安全なトコおれ言うたやろ!?」
「ていうか、何で君までいるの。僕逃げろって言ったよね?」
「だ、だって心配だったんだよ! 気持ち悪い生物が広場にいるのに、お前らだけ置いてくとか出来ねーよ!」
「え?」
 慌てて反論するセレウグの言葉に、僕は首を傾げた。最初にいた広場からこの場所は、確か見えなかったはずなのだが……。
「……ともかく、ここ離れようや。話は宿屋でみっちり聞かせて貰う」
 引き攣った笑顔を浮かべるタスクに嫌な予感を感じながら、僕は立ち上がった。

 宿屋には先に逃げていたザナリアが、心配そうに椅子に腰掛けていた。全員が無事だと知ると、良かった、とにっこり微笑む。
 召喚したファナリィがタスクの怪我を治癒させ、傷が塞がる程度にまでなると彼は自分で包帯を巻く。その動作をしながら、僕らは彼にこっぴどく叱られた。
 今回の襲撃はラルウァだけだったが、タスクに拠ると僕らが来る少し前までゼルフィルがいたらしく、刺客をけしかけてさっさと消えてしまったらしい。今度見掛けたら絶対殺る、と僕は改めて決心した。
「ユーサ」
 そんな僕に、何者かが声をかけてきた。振り向くとそこにはセレウグがいて、やけに真剣な表情でこちらを見ている。頬の絆創膏は、無理矢理タスクに付けられたものだ。
「何」
「オメーら、いつもあんな事してんのか?」
「……別に、いつもじゃない」
 そう、いつもの事ではない。ラルウァがいなければ、そもそもアイツが現れなければ平穏な日々を送っているのだ。
 こんなに幼いのに、と憐れみの言葉をかけられる事もあるが、正直煩いし余計な世話だと返してやりたくなる。好きで戦っている訳ではない。どうせいつもの非難か同情だろう、と僕は彼を擦り抜けるように歩を進めた。
 しかし、がしぃと肩を掴まれ僕の体は動きを止めざるを得なかった。何をするんだ、と振り返ると、やけに真剣な表情をしたセレウグ。
「……オレ、ガキだからあまり詳しくは分からないけどさ。お前は――戦うの、嫌いだろ」
「――……!」
 パシィ!
 反射的に出た手が、肩を掴んでいた彼のそれを叩く。「うわっ」と声が出たセレウグも、叩かれた反動で体が動き、ユーサは見た。彼の前髪に隠れた左目が、まるで人を襲う魔物やラルウァのように赤黒い色をしているのを。
 ハッと気が付いた時には遅く、驚愕に右目を見開いたセレウグの表情が自分を責めているように見える。その視線を向けられる前に、僕は逃走を試みた。
 でも、それもやはり阻止される。一体何なんだよと文句をくれてやる前に、相手が口を開く。
「待てよ! オレは……!」
「煩い離せ! 何も知らないくせに簡単に言うな……!」
 その時の僕は、完全に自分の感情を押さえられていなかった。とてもキツい口調になるのも構わず、ただ今すぐにでもこの場を離れたい一心で言葉の刃を放つ。大抵の相手は、それで逃げていった。でも、アイツは違った。
「知らないよ、オメーらの事なんて! けど、それで済ませたくねーんだ! あのバケモンの恐さは、良く知ってっから……!」
 ピタ、と僕は動きを止める。今までにない相手の反応に、戸惑いと言い返す術が思い付かなかったからだ。セレウグはそれを受け、一息吐いてから言葉を紡ぐ。
「戦いたくもないのに戦っている奴の気持ちなんて、オレには分かんねぇ。それでも戦うオメーを助けてやりてぇって思うのは、迷惑か?」
「……煩い……」
「確かに戦う力なんてないけどさ、オレは――」
「煩いっつってんだろ!!!」
 今度こそ、僕はセレウグの手を振り払った。勢い余って尻餅を付く彼を、ユラリと見下ろす。
「何? さっきから黙って聞いていれば好き勝手にさぁ、ぐだぐだ説教しやがって。自分も化物だから、同じ化物みたいな僕を助けて優越感に浸ろうって魂胆見え見えなんだよ」
「っ!」
「僕は、お前みたいな奴大っ嫌い。じゃあね」
 吐き捨てるように言い、くるりと背を向ける。別に、人に嫌われるのは慣れていた。どうせそうなるのなら最初から人と関わろうともしなかったし、したくなかった。一刻も早く、誰もいないところに行きたかった。
 しかし、事態はそう簡単に上手くいかないもので。
「――ユーサ! そっち行くな!」
 誰かの制止の声と同時に、背中に激痛が走る。見れば、何の変哲もない人間が嫌らしい笑みを浮かべ、武器となりうる物を構え周囲に近寄ってきていた。気配はゴーレムそのものであり、ここまで気が付かなかった自分を恨んだ。感情の高ぶりが邪魔をして、はっきりと読めなかったらしい。ふらついた体を何とか踏ん張らせ、ユーサは回りを確認し、舌打ちする。
 周囲は自分に敵意を向けるゴーレムに囲まれていた。抜け出すのも難しいこの状態は、幾ら戦い慣れている自分でも不利過ぎる。
「――《ホワイトマジック》!」
 突然、ユーサから見て左側にいる男から呻き声が上がった。倒れたその向こうには、太陽の光を受けて輝く緋色。
「いたいけな子供に大人数とは、何とも大人気ないですねぇ?」
「イオスさん!?」
 にっこりと微笑みながら、イオスさんが次の魔法を唱え始めた。あ、あれは怒って……る。

 その後やってきたタスクの助けもあり、僕は無事ゴーレムの群れから救い出された。背中の斬られた傷はイオスさんが手早く治療してくれたお陰で、傷は塞がったものの暫く安静に、と言い付けられてしまった。
 部屋で暇を持て余しながら寝転がっていると、カタン、と音が響く。音はドアの向こうからで、明らかに誰かがいるのに入って来る気配はない。はぁ、と溜息を吐き口を開いた。
「あのさぁ、何でまだいる訳? 実は言葉責めが好きだったりするの? 普通近寄らなくなるものだろ、あんな事言われたら」
 誰なのかは分かっていた。だからわざと突き放したような物言いで口を開いた訳だが、相手は反応しない。
「なのに危ないからって叫んだり、こうやって様子見に来たりしてさ。安い同情なら願い下げだ」
「……違う」
「違うって何がさ。あぁ、同族だから心配って? それこ」
「違うっつってんだろ!」
 ダン、と扉を叩く音。喧しい事この上ないが、仕方ない無視だ。
「誰もお前が同族とか思っちゃいねーよ! オレはただ、お前の助けになりたかっただけで……」
「人の役に立ちたいなら、僕じゃなくても良いだろ。タスクとかイオスさんとか、たくさんいる」
「オレは、オメーらの助けになりたいんだよ。それだけじゃない、たくさんの苦しんでる人達の。ただ、背中を守りたいだけなんだ」
「……」
 僕は今日一番の長い溜息を吐いた。コイツ、天性の馬鹿だ。
 血を彷彿とさせる赤い目を持つと言うだけで、心ない人間達に酷い目に遭ってきただろうという予想は簡単に付く。なのに何だ、この真っ直ぐさは。まるで――。
「……君ごときが僕の背中を守るなんざ、百年早い」
「百……」
「だから、君は君なりの戦い方をして背中を守っていれば良い。それでもし足を止めた時は、僕が殺すよ。君を」
 イオスやタスクに聞かれいたら、確実にからかわれるであろう台詞だと思った。物心付いてから今まで、こんな事を言った覚えもない。
ゴロ、とドアに背を向けるように体勢を変える。怪我が痛んだが気にしない。
「早く家帰れば。日が落ちるよ、セーレ」
 ようやく訪れた睡魔に抗い、最後に一言だけ言葉を紡いだ。相手に聞こえたかは分からないが、沈んでいく意識のどこかで、廊下を駆ける音を耳にしながら眠りに就いた。

 そして、それから五年後――タスクはゼルフィルに囚われ、姿を消す。
 セレウグも参加していた《世界守ワールドガーディアン》が奴らに大敗したのと、ほぼ同時期の話だった。