第60話 白昼夢

 洞窟の中は、それと言うよりも神殿の雰囲気に近かった。ルナデーア遺跡と同じような建築様式、明かりがなくてもつまずく事なく歩ける通路。セクウィによれば、柱にある特殊な石が《月の力フォルノ》を使って、自然に発光しているのだそうだ。厳密に言えばこれも《遺産エレンシア》ではあるが、人の世に出回るような代物ではない、と。
 通路の端にある溝を流れる水に、石が発光する光が反射し、更に幻想的な雰囲気を醸し出している。
 先頭を歩くセクウィに、ねぇ、とユーサが声をかけた。
「ここは? 僕も知らないんだけど」
「人間の歴史には残っていなくて当然だ。俺が人知れず造ったからな」
「えぇ!? キミが?」
「何驚いてるの。神なんだからそれ位やれるでしょ」
「そうなの?」
 一体、神と言うのはどれだけ強靭で、万能なのだろうか。人力なら確実に数年はかかるだろうこの洞窟を、セクウィは一日で掘ったと言うのだから驚きである。しかも、一人で。アークが驚いて声を上げたが、クーザンからしても正直、驚愕だった。
 普段なら空気を読んであまり騒がないセレウグは、未知なる場所に探究心がうずくらしく、さっきからそわそわしながら周囲を見回している。そして人一倍好奇心が強いホルセルも、柱や光を見、触れてみようと手を出そうとしていた。
「余計な事をしたり、俺から離れるなよ。そこらじゅうに侵入者対策を施しているからな」
「うわっ!?」
「早く言いなよね、そういうのは」
 前を向いたまま、分かっていたかのようなタイミングで忠告する辺りはいつもの彼だな、とつい噴き出してしまう横で、サエリが一応、と突っ込んだ。こういうところは安全だと分かるまで触れないのが鉄則だぞ、とセレウグが困ったように、ばつの悪い顔で手を引っ込めたホルセルへと声をかけている。
「未知の場所にいると言うのに、緊張感を持たない奴が悪い。大体、洞窟や地下道という視界が悪くて何があるか分かりにくいところは、まず誰かしらの罠がないか疑ってかかるべきだろうが。それを」
「悪かったな、考えなしで! クロスが早く言って……」
 ホルセルがむきぃ、と両眉を吊り上げ、声を上げる。が、何故か途中から尻すぼみになり、終いには言葉の途中で勢いをなくし、黙り込む。セクウィは僅かに視線を背後に向け、言い返した。
「自覚があるのなら、迂闊な行動で仲間をも巻き込むかもしれないという危機意識を――。っ、」
「クロス!?」
 突然、ぐらりとセクウィの体が傾く。明かりがあるとはいえ、足元が悪いせいで何かに躓いたのかとクーザンは思ったが、どうやらそうでない事は、彼の表情を見れば分かる。
 普段からそう健康的に見えない顔色が、より悪くなっている。地面に激突は免れた彼は大丈夫だ、と言うが、とても平気そうには見えない。まさか先程の戦闘でのダメージが思いの外大きかった、という訳でもないはずだ。それはあまりにも自惚れだろう、まして相手は神的存在だ。
 じゃあ何故、と怪訝に思っていると、ユーサがキョロキョロと軽く見回し、何かに気が付いたような顔をした。
「ねぇ、その姿は《月の力》を使い過ぎるんでしょ? 寄代にしている姿だと、普段の人間と同じ位だって聞いた事あるし。下手に姿保つより、消耗抑えた方が良くない?」
「……すまない、そうする」
 セクウィがだるそうに返答すると、洞窟内なのにふわりと風が吹いて頬を撫でる。
 気が付けばその場所に《空神セクウィ》はおらず、クロスが膝を付いた格好で目を閉じていた。つい数時間まで見ていたその姿が、何故か懐かしく感じる。彼は首を振り目を開ける。あれだけ長かった白い髪も、多少いつもの長さから短いものの元の色に戻り、瞳も鳥獣のそれではなく、完全に人のものになっている。
「神様でも、普通に立っているだけで調子悪くなる位にヤバいの? 今のこの世界って」
「《月の力》は元々、そんなに大気中には存在しない力だ。基本的にはそれがなくても、人間は生きていける。ただ、人ならざる者達は差があれど、それを欲する。人間と異なる力を使役する為に」
「異なる力……」
「だが、今の世界は力が濃く、耐性のない人間には毒となっている。毒と呼ぶ由縁は、もう分かるはずだ。それは魔物や俺達も同じで、必要以上の力を意識せず取り込んでしまう――そういった状況だ」
 再び歩き出したクロスに続き、一行もそれに倣い、進行を再開する。
「その割には、ここにはラルウァも魔物もいないのですね?」
「先程俺が破壊した結界、あれが長い時この空間を守る為に、起動し続けていたからな。《月の力》を遮断……というよりは、希薄化させ正常値に戻す効力があった」
 つまり、あの滝で隠されていた結界は《月の力》を浄化させる効果があったのだろう。
 カツン、コツン、と足音が反響する。静かな洞窟に響く音は、嫌に不安を掻き立てる、とクーザンは感じた。話の内容からしてそうだ。そう思っているとは露知らず、クロスは続きを口にする。
「当時、《ソーレ》のしでかした出来事によって高密度の《月の力》が世界に溢れ出し、どうする事も出来なかった神官達は、せめて《月の力》を封印出来ないかと考えていた。その為に発生源を辿り、封印し、そこから続いてきたのが今の世界だ」
 《月の姫ディアナ》に付き従っていた神官達は、最早自分達の力だけでは《月の力》の蔓延を止める事は出来ず、唯一取れる手段が『封印する』事だと判断した。許されるはずがない。やっている事は問題の先送りであり、現に今、こうしてクーザンを始めとした後の時代を生きる人間が、再び同じような危機に瀕している。
 ふと、右手に誰かが触れた感覚があった。顔を上げると、ユキナが不安そうな顔で自分を見、『手』と口を動かすのが見えた。無意識に、皮膚に血が滲むくらいの力で拳を握り締めていたらしい。それを向ける先はないのだ、と大きく息を吐き、力を抜いた。
「……月の封印は、決して簡単に解ける物ではなかった。カイルがとディアナが命を賭して行ったもの……」
「え? ディアナだけじゃなく?」
 ユーサが素っ頓狂な声を上げる。珍しい反応から、それが彼にとって予想外の事実だったのだと推測出来る。今まで誰よりもその話の裏を知っていた彼が、初めて知り得た話なのだろう。
「ああ。――あの部屋だ」
 問い掛けに応えつつ、クロスは目の前にある部屋を指差した。薄暗い空間に、ぽつんと浮かび上がる四角い黒。明かりが満足に届かず、まだどんな部屋なのか分からない。彼が先に中へ足を踏み入れると、柱の宝石が一斉に光を点した。まるで波のように、部屋の入口から奥へ、順々に。
 広い部屋だった。ルナデーア遺跡の月の間程度はあるだろう。それでいて、存在するのは一つの像だけ。女性を模したそれも、やはり遺跡の月の間の、女神像と同じ格好をしていた。
「あっ……この像、ルナデーア遺跡のと一緒……」
「違うのは、剣を持っている事だね」
 そう。唯一違うのは、祈るように手を組んだ腕の中に、剣がある事。先程までクーザンが手にしていたそれと、全く一緒の造形のものである。
「カイルがスィールから貰った、神剣《グラディウス》。《月の姫》を守る為に振るい続け、《ディアナ》の身体を貫いた剣だ」
「――! やっぱり、カイルが殺し……」
「聞いていたんだろう。言い逃れも出来んのか、貴様は」
 セレウグの問い掛けをスルーし、クロスがこちらに向けて問う。目を見開いて、クーザンは躊躇いながらも答えようと、口を開いた。
 それが音になる直前、周囲が一変する。突然剣の水晶が光ったかと思うと、衝撃のない風が吹き――気が付けば、彼らはルナデーア遺跡の月の間に立っていたのだ。こうして見ると、やはりここと月の間は構造がそっくりなのが分かる。
 しかし前と違うのは、辺りに嫌な物がゴロゴロ転がっている事だ。何かが散らばった跡と分かる赤い地面、瓦礫に混じる肌色、明らかにそれと分かる塊。あまりにも凄惨な光景に皆声を上げ、ホルセルがリルに目隠しをしようとして拒まれていた。
「これは……」
お前カイルに呼応した《グラディウス》が、《月の力》を使って記憶を再現しているんだろう。だがここは……」
「あ、あれ……!」
 リレスの声に、全員が部屋の中央へ視線を向け、絶句する。
 そこには、自分達が今まで見た事もない大きさのラルウァがいた。澱んだ赤い目、地獄から鳴り響くような低い唸り、全てが今まで以上だ。もしあんな大きさの奴が本当に相手だったなら、恐怖で腰を抜かしていたかもしれない、と思う程には。
 その前にいるのは、神官服に身を包んだ白髪の青年。黒に緑の縁がある服と、手に握られた《グラディウス》で、すぐにカイルだと分かる。表情は、ここからだと背中を向けられているので、全く見る事が出来ない。
「……ラルウァになってしまえば、残る救いは『安らかな眠り』のみ」
 呆然としていたのか、下げていた剣先をしっかりとラルウァに向ける。静かに呟かれたクーザンと同じ声は、心から湧き出る悲しみと躊躇いを必死に押し殺しているようだった。
 飛び上がり、彼はラルウァ目掛け袈裟を放つ。休む事なく次々と斬戟を叩き込み、時折フェイントも交えながら斬り付ける。自分よりも巨大な化け物相手だと言うのに圧倒的に優位に立っているその剣舞は、誰もが見入る程に美しかった。
 止めとばかりに振り下ろすと、ラルウァは耳障りな声を上げ、倒れる。カイルが着地し、刃が淡く明滅する剣をその黒い体に差し込んだ。
「誓いを守れない弱者で申し訳ありません。ディアナ、せめて安らかに――」
 そう呟いたのが聞こえた。刹那、剣がより強く光を放ち、思わず目を閉じる。次の瞬間には、そこにラルウァはおらず――女性が、眠るように横たわっていた。その体にカイルの剣を、深く深く、貫かせたまま。
「ディアナ……!?」
 女性の名であろう言葉を口にし、彼は駆け寄ると傍らに膝を付き、彼女の上半身を抱える。だが彼女は再び目を開ける事なく、やがて光の粒子となって消えていった。その表情は、微笑んでいたようにも見えた。

   ■   ■   ■

 暗闇に広がる湖。今ならこの場所が何なのか、良く分かる。記憶の中に眠っていた、あの滝がある湖だったのだ。豊かな緑と、優しく吹き付ける風。ただ、ここは足りなかった。生命の営みを感じさせる、賑やかさが。
 先程まで見ていた光景とは違う事に戸惑い、慌てて周囲を見回すと、自分から少し離れたところに人がいた。湖の縁に近いところに腰掛け、緑がかった白髪を風に任せながら、ぼんやりと湖の波紋を見詰めている。正直、ちゃんと生きているのだろうかと心配になった位だ。この場合、『生きている』という表現は相応しくないのであろうが。
「……思い出したんだな」
 歩み寄っていたのに気が付いていたのか、彼は振り向かずに言った。いつもの夢と異なり、声は鮮明に聞こえる。
「お前は、俺だったんだね。ずっと前に生きていた頃の」
 その問いには直接答えず、ただ返って来たのは微笑。座っている彼の隣に立つと、同じように湖を見渡す。
「まだ信じられないけど、悟った以上は受け入れるしかないな。……ディアナを殺したショックで、俺の記憶から抜け落ちてたのかな」
 彼は、何も答えない。ただただ、揺れもしない湖の水面を食い入るように見詰め続けるだけ。
「……俺は、どうしたら良いんだろう。こうなってしまえば、ゼルフィルやサン達を倒すだけじゃ世界は戻らないよな。俺は……」
 何で、こんな事になってしまったのだろうか。
 世界を護る鍵を壊されてしまったから?
 《月の力》の異常な蔓延を止められなかったから?
 そもそも、これらの原因であるあいつらを倒せなかったから?
 全てを思い出した今でも、自分があいつらに勝てるという自信はない。人の形を成しているのに、異常な強さを持っている相手なのだ。分からない。全部分からない。
 トルシアーナで平穏な日々を過ごしていた自分は、とっくの昔にいなくなっていた。ユキナがいなくなり、後を追うように国を出て。リカーン、アラナン、ゼイルシティ、アブコットと多種多様な国を周り、行く先々で命の賭け合いをし、ここまで辿り着いた。
 手合いではない、気を抜けば次の瞬間には息をしていないかもしれない戦いを繰り返しているうちに、本来自分はこうやって生きていくべきだったのかもしれないという考えが浮かんでいた。強さを求め、極限状態の中で戦い、敵を討つ。そんな日々も悪くないと思ってしまう自分がいるのが、その証拠である。
 だが、今は生き残れる気がしなかった。アイツらは強い。対人とは思えない威圧と狂気は、俺を震え上がらせるには十分だったのだ。迷いがある剣では、人を斬る所か自分でさえ守れない。父さんが言っていた言葉だ。
 ――何がお前は守る、だ。自分でさえ満足に守れぬ状態だと言うのに。
「そなた自身と、仲間を信じろ」
 唐突に響いた言葉に、俺は顔を上げた。カイルは相変わらず水面を見つめたままだが、意識はこちらに向いている、と思う。
「絆は、人を強くさせる。それなら、世界は大丈夫だ」
「……それは、」
 ――君が、出来なかった事? 続くべき言葉は途切れた。何だか、言ってはいけない事のように思えたからだ。その空白が気にならないはずはないのに、彼はやはりぼんやりと一点を見詰め続けていた。

   ■   ■   ■

 次の瞬間には、一同は元いた場所にいた。辺りに転がっていたものも何もなく、ただ中央に剣を抱いた像があるだけだ。
「今の……夢?」
「神剣が見せた、昔の記憶だ。丁度、全てが終わった時の」
「…………う、」
「!? ユキナさん!?」
 リレスの声に振り向くと、ユキナが意識を失い倒れるところだった。咄嗟に手を出したお陰で地面に激突は免れたが、少し苦しそうに顔を歪めている。
「寝かせておいてやれ。……前の自分が死ぬ所を見たんだ、ショックが大きかったんだろう」
「やっぱりあれ、ユキナだったの……?」
 カイルがとどめを刺したラルウァから変化した、あの女性。ユキナと同じ容姿を持っていた彼女。
 誰もが薄々感じていただろう。ユキナが使える治癒の力と、ラルウァを屠る力――それらが、ディアナが使っていたという力と一緒だという事を。
「正確に言えば、人格は受け継がれていないから別人ではあるがな。本物のディアナは、あの時に間違いなく命を落としている。……で、貴様は思い出せたのか?」
 クロスが、視界の中心にこちらを入れる。数名がその問いの意味を図りかね、息を呑んだ。
「普通、人間の転生というものは記憶・人格を受け継がれる事がない。だが、稀に例外がありそれらが受け継がれたまま再び生を受ける事がある――例えば、そこにいる」
「何か用?」
「……いや。とにかく、そうやって生を受けた場合、何らかの事象をきっかけにして前世の事を思い出す可能性がある。それに、無意識の内に同じ動作をしていたりする。貴様の場合は、剣術の端々にな」
 例に上げられかけたユーサはにっこりと笑い、話を妨害する。クロスが溜息を吐き、横に逸れかけたそれを元に戻すべく続けた。
 しかし、確かにユーサには記憶が残っているようだし、自分がそうだとしても頷ける。むしろセレウグのあの発言から、ずっとそうではないのだろうか、と可能性を考える事もあった。
 眠るユキナを一瞥し、クーザンは答えにくそうにしながらも、意を決したように口を開いた。
「あぁ。俺は、あの場にいた。そして、あの後すぐにセクウィに会って……死んだ」
「クーザン……」
「良く分かったし、理解もした。俺が、無茶をしてでもユキナを助けようとしていた理由が」
 十年どころではなかった。クーザンは、ユキナと――ディアナと約束をしていたのだ。数百年も前から。
 温かく、自分よりも小さな身体を抱える力を込める。あの時の彼女は、酷く冷たかった。過去を見る事は確かに辛い。守ると誓いを立てた相手の命を、自らの手で奪ったのだから。仕方なかったと言えなくもない。ラルウァと化してしまった彼女は、もう殺す事でしか救えなかった。頭では分かっていても、割り切る事は難しい。
 彼のその姿に、クロスは部屋の中心にある像へと足を向ける。
「なら、今度こそその約束を果たしてみろ」
「!」
「その決意は、今のお前にとって一番必要なものだ」
 付け加えるように呟かれたその言葉に、クーザンは考え込む。
「(今度こそ、守り切れるのか? 俺は、カイルと全く変わらないままじゃないのか……?)」
 正直、昔の自分カイル今の自分クーザンを比べて、何かが大きく変わったと思えるような事はない。再び同じ結末を辿り、運命を繰り返す可能性もゼロではない。
 ――でも。それでも。諦める事だけは、したくないから。
 思考の時間は、そんなに長くはなかっただろう。クーザンは顔を上げ、今は人のものであるクロスの瞳を睨み付けるように見返しながら、口を開いた。
「言われなくったって、俺はユキナを守る。今度こそ……守ってみせる」
 迷いも不安も払拭され、意志が強く燈された翡翠の瞳がそこにはあった。
 フ、と真剣だった表情を崩したクロスは、そのまま像に歩み寄る。途中に踏み出された一歩の瞬間でセクウィの姿に戻り、髪を払うと、剣の柄を握った。
「《グラディウス》は、お前が死んだ後何者かに悪用されないよう、回収してここに隠していた。再び訪れるであろう世界の危機に、お前に託す為に」
 ガゴ、と音を立て、剣は女神像の腕の中から抜ける。そして彼はクーザンの正面に戻り、手中に納めたその剣を、彼の目の前に差し出した。
「証明してみせろ。コイツを使ってな」
「……良い、のか?」
「良いも何も、お前のだろう」
 間近で見ると、その辺りに売られている剣とは違い、素晴らしい業物だとよく分かる。刃零れ一つせず、埋め込まれた水晶も美しい輝きを放っていた。
 だが、彼は今何と言ったか。この世界に一つしかないと言われている剣を、今再び自分に使えと言わなかったか。昔の自分カイルのものではあるが、今の自分クーザンのものではないと言うのに。
 呆然と問い掛けると、セクウィは苦笑しながら答えてくれた。いや、確かにその通りではあるのだが。
 ゆっくり剣に視線を向け、息を吐く。そして、大きく頷いた。
「分かった。必ずやり遂げてみせる」
 剣を受け取ろうと手を差し伸べると、視界の端に違和感を感じた。
「!」
 いつの間にか、セクウィの目前に小さな女の子が立っていた。ここにいるのはクーザンと共に戦ってきた者達だけのはずで、だがその少女はその中の誰でもない。美しい、緩やかにウェーブがかかった長い髪と、感情がぽっかりと抜け落ちているようで、それでも強い意思を宿している瞳。彼女はセクウィの腕に手を添えて、クーザンに向かって僅かに口元を緩めたように見えた。
 『二人』から受け取った剣は、無意識で具現化させていたそれとは異なり、しっかりとした重さをクーザンに伝えていた。物理的に、歴史的にも感じられる重さ。託された以上は、再び同じ過ちを繰り返さぬよう努めるべきだ。もう二度と、大切な人を自分の手で殺める事はしたくない。《グラディウス》の柄をしっかりと握り締め、改めて誓うように目を伏せた。
「で、さっきから気になってるんだけど。何か変な音してない?」
「あぁ……何か嫌な予感が……」
「どんどん大きくなっているような気がしますね」
 タイミングを見計らっていたのだろうユーサとセレウグ、リレスが口々に言い、辺りを見回す。言われて耳を済ませてみれば、どこからかガラガラ、と何かが崩れる音が聞こえた。その問いにセクウィがあぁ、と答え、大した事ではないと言った表情で、
「入口が崩れているからな。剣を取ると崩れる仕組みになっている。もう元の道は戻れんぞ」
と、その場の人間を凍らせる事を言い放った。それは大した事ではある、むしろ大事だ。元の道に戻れないという事は、果たしてここからどうやって脱出するのか。
「そ、そういう事は先に言いなさいアンタ!!」
「お、おい、どうやってこっから出るんだよ!?」
「焦るな。ちゃんと別の道がある」
「…………変わってなさ過ぎ。相変わらずマイペースだね……」
 激昂するサエリと戸惑うホルセルの言葉をあっさり流し、セクウィが来た方向とは違う通路を指した。その様子に、ユーサが呆れたように呟いていたのは、気が付いていないようだった。

 ガラガラガラガラ……。
 洞窟は彼らの目の前で、完全に崩れ落ちた。もう、誰一人として洞窟の神殿に入る事は出来ず、ましてやここにそんな場所があったとすら思わないだろう。
「た、助かった……」
「全く、とんでもない目に遭ったわ……ここまでして守らなきゃならなかったの? それ」
「……言ったように、これは神が造った代物だ。宿す力が強大である以上、如何なる者にも見付からないよう、奪われないようにする必要があった。俺が持っていられれば良かったんだが」
「出来なかったのか?」
「あぁ、出来なかった。……俺はあくまでも《中立》だからな」
 サエリの問いに答えるセクウィ――ではなく、クロスが初めて表情を歪めた。余程そう出来なかったのが悔しかったのか、それとも自分自身に怒っているのか。
「さて、これでまたホワイトタウンに戻るのか。骨が折れるなぁ」
 ユーサが腕を伸ばし、言う。それを機に皆の意識はこれからの事に向き、それぞれの話をし始めた。

   ■   ■   ■

「ウィンタ!」
 工房で作業をしていたウィンタは、自分を呼ぶ声に振り返る。
 あれから無事にアラナンの、鍛冶師仲間の元に帰された後、再びのんびりとした毎日を送っていた。いや、のんびりではないかもしれない。前と変わったのは、自分の感覚だろう。
 クーザン達が敵対する奴らの実力を目の当たりにした事でいても立ってもいられなくなったウィンタは、工房にある書物を一から読み直し、師に教えを請い、仕事を全うした。それでいて、自分にとって一番の、最高の剣を作り出そうと必死に勉強を繰り返す日々を送っていた。
 それに、彼らと共に戦う事は出来ない以上、自分に出来る事はこれだけなのだ。ならば、全力でやるだけだ。まだ約束を、果たしていない。アイツとの約束を。
 その為の勉強をしていた時に、呼ばれた声に引かれ、顔を上げる。
「ジュンさん」
「相変わらず熱心だな、ちゃんと寝てるか? ここ最近、体調が悪そうだが」
「寝てるよ、大丈夫。所で、何か用?」
 声の主は、兄弟弟子のジュンだった。彼はウィンタの座るテーブルに歩み寄り、話を続ける。
「あぁ、ちょっくら皆で旅行に行くってさ。数日後にバトルトーナメントがあるだろ、それのスタッフボランティアだと。お前は確か初めてだっただろ?」
「バトルトーナメント……」
 この大陸で行われる、一年に一度の大イベント。それが、バトルトーナメントと呼ばれる闘技大会だ。世界中の強者達が集い、自身の腕を披露する。もちろんそれで参加者の武器が壊れる事もある、その為にウィンタの師匠は毎年呼ばれるのだと聞いた事があった。
「この前の事件でどうなるかと思ったが、ピォウドドームも復旧したらしい。無事に開催されるそうだぜ」
「そっか、もうそんな時期か……」
 ウィンタは思案する。バトルトーナメントのスタッフとして動けば、暫くは鍛冶師としての本業が出来なくなる。それは、自身にとっては少し都合が悪いように思えた。
 だが、純粋に好奇心もある。数多の剣豪達の剣を拝める絶好のチャンスなのだ。
「(……バトルトーナメントが始まるまでの勝負だな……)」
 突如決まった目標に、ぼんやりと頭を掻く。幾ら恨み言を言おうと何かが変わる訳でもないが、ちょっとだけ愚痴りたくなった。
「ウィンタ? どうした?」
「え?」
「そんなに嬉しかったのか? ニヤニヤして」
「……え? そんなにニヤニヤしてた、オレ?」
「そりゃもう思いっ切り」
 言われた事の意味が理解出来ず、ウィンタは思わず問い掛けた。相手も同じだったらしく、ぽかんとした表情で返されたが。
 どうやら、時間はそんなに残されていないらしかった。