第59話 審判の時

「力ある戦士に、今一度気高き勇気を! 《フォルトプレーナ》!」
 ユキナの補助魔法が彼らを包み、体に染み込む。怯みそうになる身体を励ますように、力が湧いてくる。
 足を踏み出し、飛び掛かってくるセクウィの剣、と言うよりは刀を受け止める。交差した剣にかけられる力を流そうとするが上手くいかず、そのまま競り合い。ガチガチと金属音が鳴り響き、一進一退の攻防が続く。
 何とか弾き返し、距離を取る。するとセクウィが、右手にある一対の短剣――『クロス』が武器としていたものだ――を掲げる。魔法とは異なる光でそれを包み込んだかと思うと、キィン、と小さな音が鳴って光が収まった時には、柄を中心として伸びる変形刀となっていた。あれは、まさか。
「宝刀“ノストルム”と、双刀“アエトニュクス”……!」
 空間の外にいるユーサの珍しく焦ったような声が、自身の頭の中で鳴る警鐘に確信を抱かせる。恐らくだがあの一振りと、二本であり一本でもある双剣は《遺産 エレンシア》なのだろう。ユーサの持つ白い銃と同じ気配を纏うそれが、ニつ。こんなに身近に、貴重なものである武器を持っている人間がいたのか、という驚きもあるが、《月の力 フォルノ》を糧とする神の存在だからこそ、だと思われた。
 単純に考えたとしても、短剣二本だった時よりも増えた手数を、捌き切るにはかなりの集中力を要する。その処理速度を上回られてしまえば傷を貰う可能性も高まると分かってはいるものの、セクウィの猛攻は、片手剣一本では流石に全て凌ぎ切れない。
 向かってくる。振り下ろされる刀の刃を、剣を水平に構えて受け止めた。
「貴様とこうやって剣を交えるのは、二度目だ」
「え?」
 唐突に呟かれた言葉に、クーザンは思わず気の抜けた声を上げた。二度目。と言う事は、一度目があるはずだ。だが、クロスと会ってから別れるまでの道中で、一度でも手合いをした覚えはないし、そうだと思われるような事をした心当たりもない。セクウィが相手であるなら、尚更だ。
「あの時は、最後までその翡翠は曇らなかった。さて、お前はどうだ?」
「わ……!」
 深く考える暇もなく、今度は向こうからギィンと剣を弾かれる。クーザンは体勢を崩し、危ういところではあるものの何とか踏み留まった。だが、その少しの隙を見逃してくれるような相手ではない。
 セクウィは既に地面を蹴ってクーザンに接近し、刀を振るう。何とか弾き返すと、素早く変形刀を後ろに引き、そして投擲した。
「ってぇ!?」
 くるくる、と柄の中心を軸に回転しながら宙を飛ぶ刃のブーメランを間一髪で避け、それを追いかけるように再び斬りかかってきたセクウィの刀を弾く。背後でも叫び声が上がり、金属音が鳴る。
 クーザン!と背後から己を呼ぶ声がしたが、今は返事する余裕がない、と目前に集中――しようとして、鼓膜が嫌な音を拾ったのに気が付いた。直前に聞いた風を切る音が、また自分に近付いてきている。出処を見付けた時には、変形刀がまた自分の側に戻ってくるまで一メートルもなかった。
「うぉらっ!」
「っ!」
 斬られるのを覚悟で左腕を顔の前に持ち上げるのと同時、誰かの気合の声がした。直後、何かをぶつけられた変形刀は軌道を変え、ひとりでにセクウィの手の中へと戻っていった。代わりにクーザンの近くの地面へと落下したのは、武器としての刃を持つ、小さなもの。氷を纏った、小さな刃――スティレットだ。誰が投げたのかは、すぐに分かった。
「よっしゃ、成功!」
「無茶苦茶するなぁ!」
 見当を付けた相手へとクーザンが顔を向けた時、その当人であるホルセルは、真剣ながらも満面の笑みで声を上げ、左手でガッツポーズを取っていた。ヴィエントが使うスティレット――彼はそれを変形刀にぶつけ、こちらに真っ直ぐ向かってきていた軌道を変えたのだ。
「……お前も邪魔するつもりか。だろうな」
 セクウィがホルセルを見てから、地面にあるスティレットを一瞥し、呟いた。一番近いところに立つクーザンでさえ、僅かにしか聞き取れない声量で。それは自分にでも、ホルセルに向けたものでもない。セクウィが『お前』と呼んだのは、ホルセルの中に潜むヴィエントの事だと、直感が告げていた。
 相手が刀を構えるのを見て、クーザンは片手剣の柄を握り直す。礼は後で、ゆっくり伝えれば良い。
 向かってきた刀を的確に弾き返し、合間に襲ってくる変形刀を何とか避ける。また変形刀を投擲されてしまうのは勘弁と、その隙を与えないようにこちらからも斬撃を放った。避けられる。
 直後、セクウィは一旦こちらから距離を取る。攻撃を警戒しての距離にしては遠く、また変形刀を投げるにしても近い、とクーザンが警戒すると、彼は天に向け腕を伸ばした。攻撃には程遠い動作ではあるが、頭に過るのは、“神託”という二文字。神のお告げ、言葉。
「見せてやろう、神の絶対的なる力をな――見えたるは激昂の冷気、荒波となり大地を屠り尽くさん……! ――《ジエロ・イヌンダシオン》!」
 逃げろ、と警戒の言葉すら打ち消すように高らかに告げられた言葉は、強大な力を帯びて牙を剥く。大地を疾駆する巨大な氷柱が波となり、徐々に小さく、大きく波打ち、クーザン達を襲ったのだった。

   ■   ■   ■

「宝刀“ノストルム”と、双刀“アエトニュクス”……!」
 一方、結界の外側で肝を冷やしながら中を見ているユーサは、驚愕に思わず口をついて出た言葉にはっとなり、口を塞いだ。しかしそれも虚しく、声を拾ったセレウグが目を見開いて問いかけてくる。
「へ? お前、あの武器の事まで知ってんの?」
「……………………知らない」
「おい」
 そっぽを向いてしらばっくれると、セレウグは呆れたような表情を浮かべながらも、それ以上は追求して来ない。気になっている顔をする割には、相手が『話したくない』と言えば、それ以上深く聞いて来ようともしない。そういうところが押しが弱いって言われるんだよ、と思いながらも、ユーサ自身としてはそんなセレウグの性質に、助けられているのであった。
「宝刀“ノストルム”と、双刀“アエトニュクス”。空神ジズの嘴であり、爪でもある武器。あれも《遺産》」
「え? レッドンも知っているんですか?」
「…………実家の文献で、ちょっと」
 ユーサがしらばっくれた話を引き継いだのは、黒髪短髪の少年――レッドン。リレスが驚いた声をあげたので、彼は一瞬眉間にシワを寄せて思考し、理由を語る。だがその視線は、『余計な事を言うなよ』と言いたげにこちらに向けてきていた。
 あの家で話していた時も、そうだった。ユーサは彼が何故その事を知っているのか、既に見当をつけている。元々宿していたはずの少女から、彼に移っているその理由は分からないが、聞いたとしても教えてはくれないだろう。語らないと言う事は、つまりそういう事なのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ? という事はアイツ、最初っから《遺産》持ってたって事になるわよね!? じゃあ、ゼイルでラルウァに襲われた時、アイツは戦えたって事じゃ」
「それは無理だったんだよ。あの武器偽装、一度解いてしまうと、また偽装するのになかなか面倒な手順が必要だから」
「古来に神の力を有していた人間――“神族”って呼ばれてた者達は、《月の力》を用いて剣を槍にする事すらやってのける事が可能。それを、セクウィは応用している。ただ元は人間の技術、失敗すると武器がロストする可能性もある、リスクの高い技術。だから、解くのは最終手段」
「最終手段って、あの時アタシ達全員、下手したら死んでたわよね!?」
「考えてもみなよ。大陸の人々が神と呼ぶ存在が、目の前で死にかけてるたった数人の人間を助けます、なんて言うと思う?」
「何そのエセ神様」
「それが答えだよ」
 有事の際に単対多で天秤にかけた場合、上位者は『多』を選び、『単』を必要な犠牲と切り捨てる選択を容易に取れる。もちろん例外はあるだろうが、大勢の人間を助ける為には、個に構っている暇はないと考えるのが大半である、とユーサは思っている。助けた後自身が動けなくなると言うのなら、尚の事だ。セクウィはそういった思考をし、実際に躊躇いもなく選択する事が出来る。ユーサがあの時ラルウァを倒していなければ、今頃彼らはここに立っていなかっただろう。
 戦況に視線を戻す。四対一だと言うのに、彼には今だ決定的なダメージを与えられないでいる。やはり神の力は強大であると認めざるを得ないが、立ち向かう彼らに諦めの意志は、まだ感じられない。
「……セクウィの奴、わざとだよねぇ。現代でも、因縁意識しまくりじゃないか」
 アブコットでの騒動で、ユキナの見極めは済んでいるであろうセクウィが指名した、他の三人。裡にヴィエントを宿すホルセル、リヴァイアサンと繋がりがあるギレルノ。そして――。
 誰にも聞こえないように呟いたユーサは、今もセクウィと剣を交える少年に視線を向けた。
「……あれは、幻覚でも勘違いでもなかったんだ。自らの肉体の危機に、体から抜け出した彼自身」
 ふと、服の裾がくいくい、と誰かに引っ張られているような感覚がして、ん?とそちらを振り向く。そこには白い髪の少女――リルが、ユーサの服の裾を摘んだまま、不安そうに立っていた。言って良いのかな、とこちらの方を伺っているように見えたので、ユーサは彼女の名を呼んでみる。
「リルちゃん?」
「あのね、『気を付けて』って伝えて、って言われたの」
 気を付けて? セクウィの結界は、あらゆる外的要素を完璧にシャットアウト出来、逆に中から外に漏らす事もない程に強固なものだ。個々の技程度で破れるものではないが、ユーサは何の気なしに問いかけてみる事にした。
「それ、誰が言ったの?」
「えっと……リルくらいの高さの、女の子」
 彼女が『人ならざるものの声を聞ける』能力を有しているのは、セレウグから聞いて知っている。にも関わらず、ユーサはリルの台詞に目を見張る。そんな、まさか。彼女の小さな肩を掴み、もしかして、と問うた。
「その子、綺麗なウェーブがかかった長い髪の女の子じゃない?」
「う、うん、そうだよ? キレイな髪だねって言ったら、恥ずかしそうに笑ってた」
「今どこに?」
 彼女は驚いたように目をまんまるにしながら、「この中」と指し示す。セクウィの強力な魔法で荒れ狂う、結界の中を。
「《お兄ちゃん》と《お姉ちゃん》を助けてくる、って言って、入って行っちゃった」
 そう続けられた直後。聞き覚えのある咆哮が、結界の中から鼓舞するかのように轟いた。

   ■   ■   ■

「うわっ!」
「わあああぁ!?」
「きゃあああぁ!!」
「くっ……! 間に合え!」
 氷柱は容赦なく地面を抉り、クーザン達の肌ですら衣服ごと傷を刻む。冷気で普段よりも動けない体は、避ける事も出来ない。それでも避けられるものだけは、と怪我の痛みで鮮明になった意識を周囲に向けて、ふと、何らかの膜が視界の端で揺れているのが見えた気がした。
「ウンディーネ、そのまま耐えてくれ!」
 薄い膜――水の防護壁を発動させたギレルノが前に立ち、その隣に立つウンディーネと共に本を構えていた。一度息を吐き、キッとセクウィがいる方へと視線を向ける。
「来い、リヴァイアサン!」
「え、は!? ギレルノ!?」
 ギレルノの声に驚いている間に、手元の本がひとりでにばさばさとページをめくり、光を纏う。それは一瞬で巨大化して周囲を包み、鳴き声と共に、セクウィと同等の気配が背後に現れた。獰猛なる蛇リヴァイアサン――三神の一柱を担う存在。彼は自身の左胸を押さえながら、半ば叫ぶように言った。
「氷柱を、薙ぎ払え!!」
 オオオオォン、と地響きにも似た咆哮を上げ、リヴァイアサンが尾を持ち上げる。下敷きにでもなれば即圧死してしまいそうな大きさの氷柱を簡単に薙ぎ払って行く様は、圧倒的過ぎた。それでも阻止し切れなかった氷柱は、ウンディーネによる水の防護壁が鋭利な部分を削り取っていく。
 永遠とも思えた一瞬の嵐が過ぎ去り、悪くなっていた視界が開ける。周囲には氷柱が所狭しと転がり、地面は大きく抉れていた。
 セクウィの姿を捜すと、彼は地面に足を付けておらず、具現化させた羽根で宙に浮いてこちらを見下ろしている。悪魔の証である蝙蝠の羽根でもなく、また天使の証である白い羽根でもない。彼の頭部に生えているものと同様の、灰色の羽根。そしてその瞳は、空から獲物を見定める鷲のように、冷たい色を帯びていた。
「っ……!」
 がく、とギレルノが膝を折る。詠唱と、言霊により具現した氷柱が襲う間のあの一瞬。その僅かな時間でセクウィの攻撃の強大さを計り、位の高い存在であるリヴァイアサンとウンディーネを精神集中、詠唱も無しに召喚させたのだ。無茶にも程がある。現に、今もなお額に冷汗を浮かべ、身体の痛みに堪えているようだ。
 ホルセルが引っ張られた時の体勢のまま、ギレルノを見上げる形で視界に入れると、怒気を含んだ声音で口を開いた。
「リヴァイアサンとウンディーネを同時に召喚って、無茶過ぎるだろ!」
空神セクウィの力に、並大抵の防御は意味を成さないだろうからな。物質なのであれば、同等クラスの何かで打ち砕いた方が手っ取り早……っ、」
「神には神の力を、という事か」
「流石に、精神集中もなしはきつ過ぎたがな……」
「当たり前だ。普通の人間なら、呼び出した時点で反動に耐え切れず、死んでいる。……普通なら、な」
 セクウィは、そこで目を細める。視線がギレルノに向いているようでそうでもない気がするのは、気のせいだろうか。
 なおも自分を見上げた格好のまま、眉を吊り上げて「怒っています」と言いたげなホルセルを見て、ギレルノはぎこちなく微笑を浮かべる。
「全力には全力を、だろう」
「…………。……ちっ、ぶっ倒れても知らねぇからな」
「安心しろ、お前より先にくたばるつもりは微塵もない」
 本当は、別の言葉を口にしようと思っていたのだろうが、ホルセルは結局悪態を吐くだけに留め、立ち上がる。
 しかし、ギレルノのお陰で攻撃は軽減されたとは言え、負ったダメージは決して少なくない。掠り傷切り傷はもちろん、どこかにぶつけた時の鈍痛もある。ユキナの治癒魔法は――期待しない方が良いだろう、大人しく回復させてくれる相手ではない。
「良いだろう。全力でかかって来い!!」
「来るよ!」
 叫んだのはクーザン。狙いをバラけさせようと散開し、そのまま相手に向かって体勢を低くし、走る。後衛のギレルノとユキナを狙われれば救援がしにくくなるが、彼は前衛である自分とホルセルのどちらかを狙ってくるという自信はあった。
 セクウィが動く。狙われたのはやはりクーザンで、その背後に向かってホルセルが技を放つ。
「《剛・霧氷剣》!!」
 冷気を帯びた大剣が、セクウィに向かって振り下ろされる。だが攻撃の前振りが大きかったのか、するりとかわされた。
 カウンターを繰り出す隙を作らせない為に、そこへクーザンが割り込み袈裟を放つ。
「せやっ!」
「リヴァイアサン!」
「!」
 続けざまに飛んできた指示とほぼ同時、まるでビルのような太さの尾が、一瞬前までセクウィが立っていた地面に叩き付けられた。それだけで地面が抉られ、地形が変わる。
叫んだのはギレルノだ。相変わらず息が荒いようだが、瞳に宿る闘気は落ち着いていた。
 ――強い。クーザンは上がった息を整えながら、警戒だけは怠らずに思考する。戦闘の流れは相変わらず相手に握られていて、自分もホルセルも防戦一方だ。負けるつもりはないし、全力で向かっているはず。なのに、セクウィには剣の一撃すら届かない。ジャスティフォーカス総帥と戦った時と似ているが、あちらはまだ自身の剣が届くと自信があった。今は、物理的な距離以上に戦力差を感じさせられるが、同時に、それが違和感の要因ともなっているのだ。
「(セクウィが本気を出せば、俺達人間なんて一瞬で倒せるはず。なのにそれをやらずに、こうして俺達と戦っている。何の為に?)」
 危険分子をただ始末するのであれば、こんな回りくどいやり方をせずとも倒せる力が、相手にはある。神の気まぐれと言えばそれまでだが、セクウィがそれをせずにこうして対峙しているという事に、何らかの意図があると睨んだ。勝つのは不可能。となると、自分達は彼にとって有益となる、何らかのアクションを求められている。だが肝心のそれが何なのか、クーザンには全く思い付かなかった。
 セクウィが、こちらへと再び強襲してくる。ギィンと幾度か武器を弾き、弾かれの応酬を繰り返し、ここぞとばかりの勢いで刀を振り下ろす。受け流そうとして、予想以上にかけられた力に手元が痺れ、握力が緩んだ。今までで一番強い力で打ち付けられたそれに逆らい切れず、片手剣は鈍い音を響かせて弾き飛ばされた。
「――しまっ……!」
 クーザンに片手剣以外の武器の持ち合わせはなく、丸腰の状態。戦闘中のそれは、致命的な隙を生むのと同意義。素早く背後に回られ、刀を構える冷たい音が響く。
「終わりだな」
 刃が、自身の首目掛け宙を走る。腕でガードしたところで無傷には程遠く、だが避けるには時間が足りない。覚悟を決め、腕で刀を受け止めようと持ち上げた。後数秒で、クーザンの肌に刃が触れるという瞬間。再び鳴り響く金属音と同時に、飛ばされたクーザンの片手剣が、地面に突き刺さった。

 ――剣はあるよ。ここに。
 誰かの声が、聞こえた気がした。

 場が、沈黙に包まれている。誰もが、注目している結界の中で起きた出来事に驚愕し、言葉が出て来ないのだ。
「……な……んで、」
 それを起こした張本人であるクーザン自身も、何が起こったのか理解出来ず呟き、自らの手を――手に握られている物を注視する。
 それは、剣だ。曇り一つ映さぬ刃の内側はくり抜かれ、柄と刃が交わるそこには緑色に輝く水晶が埋め込まれている。まるで呼吸をするかのように輝きを放ち、その存在感を示していた。しかし、何故自分はこんな剣を持っているのだろうか。セクウィの一撃を覚悟し、せめてもの抵抗に腕を掲げたはずなのに。
「……フ、」
 沈黙を破ったのは、静かな笑みだった。最初は小さく笑っていたのだが、彼にしては珍しくやがて哄笑に変わった。
「肉体の危機から無意識に武器を求め、《月の力 フォルノ》で擬似的に形成させたか。その上、現れた剣は普段の物ではなくその剣……面白い」
 長い前髪の隙間から覗く鋭い目が、より一層鋭さを増す。そして一度後退し、背中の一対の羽根を仕舞うと、再びクーザンに向かって刀の切っ先を向けた。鷲が、獲物に向かって爪を向けるかの如く。
「さぁ、来い。勝負はまだ終わっていない!!」
「――っ!」
 恐ろしいスピードで振り下ろされる刀。訳も分からないままクーザンはその剣でガードし、すぐに左袈裟を繰り出す。
 ふと、剣を見下ろす。今の一瞬、水晶の輝きがより強くなった気がしたからだ。
 それだけではない。まるで長年使っていたかのように握る柄は手に馴染み、自分はさっきまで使っていた片手剣より長めの刀身を考慮した上での間合いを、無意識に取っている。不思議な感覚だ、と思った。
 セクウィが刀と変形刀を構えると、刃に氷が纏わり付く。更に鋭さを増した氷の刃が、風を切って襲ってきた。
「喰らえ!」
「させるもんか! 《氷刃連雨》!」
 だが寸での所でホルセルが投げたスティレットが阻み、僅かに出来た隙を突いて大剣が振り下ろされた。ギリギリで飛んで避け、着地した所に、リヴァイアサンの尾が叩き付けられる。
 セクウィがすかさず地上から足を離すと、それを読んで先回りしていたクーザンが、今まさに振り抜こうと剣を構えていた。前衛と後衛の連携により生み出された、絶好の機会。セクウィは目を見開いた。
「これでっ……終わりだ!」
 ――ドッ!と、鈍い音が響き渡る。かはっ、と押し潰された肺から吐き出された息を吐きながら、セクウィが地上に膝を付いた。しかし押さえられた腹からはどこも出血していない――するのかは謎だが。
 一方クーザンも、ここまで全力で動いていたせいもあり、逆手に持っていた剣を杖代わりにしてへたり込んだ。その直後、それは空気に溶け込むように消えてゆく。
 刺し違える瞬間――いや、刺したのではない。クーザンはセクウィの武器の切っ先を際どいところで避け切り最接近すると、剣の柄を彼に向け、ぶつけたのだ。
「「クロス!」」
 ホルセルとリルがほぼ同時に叫び、結界の中にいる彼は駆け寄ろうとした。だがセクウィは止まれ、と手を軽く上げ、それを制止する。
「見事だ……。俺も落ちぶれたものだな」
「嘘だろ……絶対ちっとも疲れてないんだろ……」
「人間の基準でいう『疲労』はある。確かに、そこまではないがな」
 先程まで蹲っていたのが嘘のようにすくっと立ち上がり、セクウィは四人を囲い、それ以外の人間の立ち入りを禁じた周囲の結界を解いた。そして体の向きを滝の方へ向けると、
「約束は約束だ。この先の案内、続けさせて貰おう」
 と言うなり、再び自身の武器を両手に構えた。一同が一体何をするかと注目するのにも構わず、彼は湖に落下する滝目掛け、技を放つ。
「《トゥリアエトス》!」
 流れる三連撃は形となり、真っ直ぐ滝に突っ込んでいく。すると、パキィという音と共に異変が起き始めた。中央から流れる水が割れ、綺麗に二つに分かれた滝。そこには、人の平均身長程はある高さの、暗い穴が開いていた。滝に隠された洞窟――人間には絶対に見付けられない、天然のカーテンに遮られた場所。
「滝が、割れた……」
「洞窟?」
「あぁ。リツの家の結界と同じで、意識しなければ絶対に分からない仕掛けを施している」
 人目につけようとしても不可能な、滝に隠された洞窟。ここから見た限りでは、奥に何があるのかなどはさっぱり分からない。だが、『何か』があるのだけははっきりと感じ、ごくりと喉を鳴らす。
「何が、あるんだ?」
「ついてくれば分かる」
 一応問うてはみるものの、そっけなく答えられる。ともかく、付いて行けば何らかを教えてくれるらしい。セクウィに来い、と促され、一同は緊張を感じながら、洞窟の入り口へと足を向けた。